133 X回目の卒業式
いつか投稿しようと思っていたもので幕間として用意した話です。
暖かな陽気に促されて、スズメの囀りは軽快なポップを奏でる。ピンク色の花弁がひらひらと舞い落ちては風に再度舞い上がった。
旅立ちの門出に相応しく綺麗に晴れた青空に、普段は無骨なアスファルトもこの時期は桜の花びらが敷き詰められたカーペットを敷いている。
……今日は三月の半ば、卒業式当日。
花恋さんがこの高校から旅立ち、新しい環境へと挑戦していく。
何度も見せられた光景でも、一時の別れと分かっていても、寂しいものは寂しい。会う機会が減る、それだけで俺と心春は涙を流すのだった。
式終了後、他の友達とお別れをした花恋さんが演劇部で待っていた俺たちの所に来てくれる。
式典にも関わらずふわふわの改造制服、両手には花束を抱え、薄く化粧をしているのかいつもよりも大人っぽく、そして艶やかな花恋さんは花束を心春に預け、俺の胸元にぴとっと張り付いた。
俺は花恋さんを受け止め、頭上から囁くようにお祝いの言葉をかける。
「ご卒業、おめでとうございます」
「ありがとう、でもあなたはわたくしの卒業式を何度も見ているのよね」
「はい、両手で数えないと収まらないほどには」
適当には誤魔化さず、花恋さんの言いたいことに合わせる。
「本当の意味で祝福が出来るまで、お別れの涙は取っておいてくれないかしら?」
卒業式本番中にはだらだらと涙を流していた俺だが、こうして花恋さんと相対している今は、乾いた顔で平然と花恋さんのセットされた髪を崩さぬよう優しく撫でている。
「あと一年間は“俺”ですから、いつでも連絡してください。要望にだって可能な限り答えてみせますよ」
まだお別れではない。その約束をするには早い。いつでも会える、涙を流す必要なんてないのだ。
「わたくしは寂しいわ。あなたのいない学生生活、わたくしの理解者がいない環境というのは久々だもの、……ねえ、思い切り抱きしめてくださる?」
「はい、喜んで」
背中に回された子供のようなぷくぷくの手、片手だけで包み込めそうな小さな体躯、俺の尊敬する小さくて大好きな先輩を、迷いなく両腕で大きく抱きしめた。
「満足するまで、いつまでも」
「……ありがとう、……しばらく、このままで」
心春はいつの間にか隣の会議室に移動していた。今日の主役は花恋さん、主役が求めた相手との二人きりの時間に、身を引いてくれた。
ブレザーの背中がぎゅっと強く握られるたび、俺は持ち上げるように花恋さんを強く抱いた。
きっと花恋さんはつま先で立っているか、もしかしたら床から足が離れているかもしなない。
そうだ、俺はいつも力加減は苦手なのだ。
花恋さんは泣かなかった。瞼をぎゅっと閉じて、胸元に押し付けられた後には何も残らない。何も、残さなかった。
スローモーションのように俺のことを見上げた花恋さんが「もういいわ」と声にならない小さな声でつぶやくのが聞こえて、俺は徐々に力を抜いていった。
「やっぱり、花恋さんは強いです。何度繰り返しても、花恋さんには届きません」
「弱い部分を見せていないだけよ。わたくしが弱さを見せれば舐められて終わりだもの。一颯にわたくしのことを女として見てもらうためにも、まずは強さをみせないといけないのよ」
「俺は弱いところを見られてばかりです」
「いいのよ、男は年上の女性に弱さを見せていれば、それだけで女は母性本能をくすぐられるもの。惚れ込んだ相手の弱さなんて格別よ? 今すぐにでも甘やかしてあげたいわ」
そんな花恋さんは頬をほんのりと赤くして、照れ隠しのように話し出した。
俺と花恋さんが中学で出会った時の事、高校で演劇部に入った時の事、俺がこの世界に来てからの事、花恋さんが思い出を口にするたびに部室には鮮やかな薔薇が咲き誇り、可憐な彩をイメージさせた。
「心春、もう来ていいわよ。ありがとう、わたくしの為に二人きりにしてくれて」
花恋さんが会議室へ声をかけると、キイッと錆び付いた扉の音と共に心春が帰ってくる。
「思ったより早かったですね。陽が落ちるくらいまでは覚悟していたんですけど」
「あら、そんなに一颯を独占してよかったのかしら? それだけの時間があればあんなことやこんなことまでできたわね」
「もう終わりです。一颯くんは誰のものでもなくなりました」
心春が花束を花恋さんに手渡し、先ほどまでのはやせ我慢だったようで心春だけはポロポロと涙を零した。
慌てて花恋さんがハンカチを取り出そうとするのを心春は止めた。
ぽろぽろと涙を零したまま、心春は花恋さんの手を取って得意の笑顔で思いを告げた。
「ご卒業、おめでとうございます。花恋さんがいたから、高校生活は今日まで明るい毎日でした。演劇部の部長として私たちを導いてくれた花恋さんには返しきれない恩があって、恩返しに、絶対に素晴らしい舞台を花恋さんにお見せしますよ」
泣けない俺の分の涙を心春が零してくれる。
一度は断った花恋さんのハンカチを、今度は受け取った。目元を丁寧に拭いていき、やがて、目元を赤く腫らした心春が出来上がった。
「わたくしこそ、心春と一颯がいてくれたから、孤独にならなかった。わたくしはよき理解者に恵まれたわ、この演劇部は人生で最もわたくしが輝けると実感できた場所だもの。卒業なんてもったいないわ。……でも、わたくしが輝くことが出来た舞台を外から見て、初めてわたくしは孤独を卒業できるのよ。だから、楽しみにしているわ。あなたたちの雄姿を、引きこもりのわたくしをここから連れ出してちょうだい」
憧れに届かなくて、孤独に閉じこもった時期のある俺と心春。コンプレックスを隠すように孤独と共に生きてきた花恋さん。俺たちは同じだったのだ。
依存の関係でやっと前に進みだすことのできた俺たちと、よき理解者に出会えた花恋さんとは、いつしか同じレールの上を走っていた。
レールは一度ここで分岐する。花恋さんは先のレールへ、俺たちは目の前のレールへ、またいつか、同じレールで出会えることを信じて、花恋さんを祝福の笑顔で送り出した。
体調不良が続いて更新が遅れました。