132異変
欠伸を噛み殺すことなく口から漏らし、それを見た心春が通学路を歩きながら真似するように欠伸を漏らした。
「ふあーあ、さすがに眠いね」
「まだ朝の六時過ぎだよ。いつもなら心春も俺も寝ている時間じゃない?」
「私はこの時間に起きているよ。布団で三十分くらいのんびりしているけど」
「それはまだ寝ているのと同じだろ」
まだ交通量も少なく当たり前だが学生の姿もない。驚くことにサラリーマンは何人も駅に向かっているのだが、やっぱり社会人になったら朝は早いのかな?
母さんには演劇部の朝練ということで早朝からお弁当を作ってもらい、なんとか目を覚ますことにできた俺たちは眠たげに眼を擦りながら家を出た。
俺たちにとっては信じられないほど朝早い時間ではあるが、唯人にとってはこの時間は毎日のルーティンに必要なのだ。
五時半くらいにランニングを始め、六時くらいにはもう空いている食堂で月宮さんと中尉とで朝食を摂り、六時半には学校に着いてサラさんとのんびりお話をするのが日課なのだそうだ。
どんなことを話しているのかは知らないが、前にちらっと聞いたのは、リハビリのために協力をしてくれているのだとか。まさか唯人が俺たち以外にトラウマのことを話している相手がいるとは思わなかった。
あいつの傷は重症だ。親友の俺にすらひた隠しにしようとする唯人の心の内に入り込むサラさんはすごい。おそらくヒロインの中で一番唯人のことを見ている。
それでもシナリオには逆らえず今まで唯人の恋人にしてやることが出来なかった。そして今回もそれを阻もうとする人物が、おそらく俺たちの通う桜花高校に潜んでいる。
ただ今回を捨てるつもりはない。サラルートを進行しつつ、邪魔をしに来た犯人を焙りだす作戦だ。
邪魔をするのであれば必ずどこかで動きを見せる。そこを俺たちが見逃さないよう注意深く確認しなければならない。
それにしても、俺のことをよく知る人物が犯人である可能性が高いのか。……いったい誰だ?
「なあ、心春、俺のことをよく知る人って誰がいる?」
「んー? 私と聖羅ちゃんでしょ? あと唯人くんもそれなりに一颯くんのことを知り始めているんじゃないかな? それに中学のときの知り合いも少しいなかった?」
「ああ、中学の時はあまり話さなかったから高校でも話していないけど、俺のことを知っているのであればあいつらもそうなのか」
といっても俺が中学の知り合いに恨みを買うようなことは一切した覚えがない。長年話さないでいたから顔も覚えていないほどだ。そんな奴に恨まれている、……なんてありえないか。
心春に相談したり考え事をしていれば学校まであっという間だった。
あまり音を立てないよう静かに内履きに履き替え、忍の如く中庭の様子を窺う。
「学校の中庭って意外と広いよね。屋上が封鎖されているからかな?」
「敷地が余っていたんじゃないか? 校庭は一周二百メートルあるし、教室だって他の学校より広いみたいだよ。こんな広大な敷地をどうやって東京エリアで見つけたのやら、……ああ、そういえばゲームだからある程度都合よく創られているんだっけ?」
「ゲームって便利だね、神様が設定すればその通りになるんだもん」
「パソコンでカタカタ改竄でもしてお気に入りの学校を作ったんだろうな。そうでなきゃ私立でもないのにこんな学校はありえないよ、私立でもここまでは珍しいかもな」
軽口を叩きながら中庭を覗いてみると、そこに唯人がいた。今日はいつもよりも早い時間らしい。一人優雅に黒い布のカバーのかかった文庫本を手に中庭のベンチに座って読書に勤しんでいた。
いつもより早い時間ということもあってサラさんはまだ来ていない。それまでの時間を唯人は読書で過ごしているのか。
そういえば唯人はサラさん相手にはやけに格好を付けたがっていたのを思い出した。
もしかしてサラさん相手に読書という知的なイメージを植え付けたい思惑があるのでは?
「何読んでいるんだろうね? ちょっと気になるな」
「タイトルまでは分からないけど、どんな小説か分かるよ。あいつが嫌がるから教えられないけど」
「残念、嫌がるなら無理に聞いちゃいけないね」
唯人がベンチで脚を組み、ページを捲る。
一ページ、時間を置いて一ページ、それは何度も繰り返され、サラさんはまだかと時計を見れば、すでに七時を過ぎていた。
「遅いな、今日はあまり話さない日だったかな?」
「それだったらもう少し待ってみようよ、他の生徒が来るピークまでは時間あるし」
心春の言う通りもうしばらく待っているとちらほらとだが、早起きの学生たちが少しずつ校舎に入ってくる。
中庭に来る人はいないが、唯人は変わらず読書を続けていた。
やってきた学生の中にサラさんはいないかと探してみるが、見つけられない。
あの子はハーフ故、銀色の髪は目立つから見つけやすい。入学式は特に目立って校長の話よりもサラさんの挙動一つに注目が集まったほどだ。
さらにお姫様のような愛らしさもあって男子の心を掴みやすい。自称だが親衛隊もいるようで従者のように校内を闊歩している。
そんな彼女も朝は早く、気の合う唯人と二人きりの時間というのが今のはずなのだが、本人も楽しみにしている時間に現れないというのはどういうことだ?
惚れ込んで唯人の部屋に押しかけ、部屋の掃除をするほどの関係……といえば少々語弊はあるかもしれないが、本人はいたって本気だ。
「一颯くん、もう……」
「ああ、……時間だな」
学校近くを走るバスも到着し、どっと生徒が校舎内に流れ込んでくる。この時間は寮からの生徒もやって来るから特に混む時間だ。
急に騒がしくなって中庭にもやって来る生徒がいれば、周りを確認した唯人は読書を終了させた。
結局、サラさんは来なかった。
唯人はその後、サラさんを待っていたというわけでもなさそうに、そそくさと中庭を出て行ってしまった。
唯人がいなくなった中庭には数名の女子がきゃっきゃと早朝から楽し気に雑談をしている。
俺と心春はふと、中庭に足を踏み入れ、唯人が座っていたベンチの隣のベンチに並んで腰かけた。
「来なかったね。どうしたんだろう?」
「邪魔が入ったんだろうな。足止めか、そもそも唯人と出合わせていないのかも」
「……ピンチ?」
「ああ、かなりピンチだ、好き勝手にやられてる。もう今回じゃ難しいかも。犯人の特定に尽力した方がいいだろうな」
「……見つかるといいね」
ヒントが何もない現状、心春の励ましは少々心に深く刺さった。体験したこともない心春に何年も同じ時を繰り返した気持ちなんて分かるはずもないのだ、仕方あるまい。俺の心が弱いのだ。
脱力して、首の力を抜いて空を見上げれば、ただただ青いだけの空にぷかぷかと浮かぶ入道雲が風に流れされていく。
蝉も短い命を燃え尽くすために嘆きの声をあげ始めた。
遥か上空を鳩か、カラスか、太陽越しのシルエットでは判別できなかったが、飛行機の機体に重なって飛んで行き、飛行機雲を残していった。
「一颯くん、もう時間だよ」
「そんなにぼうっとしていたか……」
時間はまだあったはずだが、俺のことをそっとしてくれていた心春に呼びかけられて視線を前に戻す。
横を向けば可愛らしい心春の顔がすぐそばにあって、そっと頬に触れてみれば驚きつつも優しく微笑んでくれた。
「他の人が見てるのに、恥ずかしいよ」
「それでも心春に触れたいんだ。心が穏やかになる。まるで魔法のような温かさだ」
始業のチャイムが鳴る。中庭にいた生徒たちは慌ただしく教室へと走っていく中、俺たちはゆっくりと立ち上がり差し出した手を心春はふんわりと握ってくれて、一歩目の足音は当たり前のように一つで重なった。
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