126真奈美ルート お疲れ様会
午前中のランを無事に終え、昼食休憩を取りつつ午後のランに備えて身体を休めていた。
女性陣はひっきりなしに鳴る電話対応に追われているが、走ってへとへとの俺に手伝えることはない。今は足手まといにならないようしっかり休んでおくことが大切だ。
「一颯君、お疲れ様、これ、よかったらどうぞ」
事務所の端でパイプ椅子に座っていた俺の元に月宮さんがスポーツドリンクを差し入れてくれた。どうやら今は交代で休憩時間のようだ。
「ありがとう、ちょうど喉が渇いていたところだ」
「よかった……、ふふ、一颯君、いい顔をするようになったね?」
そういう月宮さんも引き続きいい笑顔だ。見間違いじゃなかった、心春の言っていたことは本当だったんだな。
「そうかな? まあちっぽけな悩みは吹き飛んだよ、なんか、余計なことまで考えていたからさ、だいぶすっきりしたよ」
キャップを開けてペットボトルを傾ける。飲みすぎてはいけないから、本当に喉を潤す程度にとどめておく。
次のランまでの時間を確認し、大きく息を吐いた。
「誘ってくれて本当にありがとうな、これなら心春にちゃんとした顔を見せられそうだ」
「うん、心春ちゃんも喜ぶと思うな。やっぱり心春ちゃんは元気な一颯君と一緒にいる時が一番輝いて見えるもん」
「他の人から見たらそうなのか、なるほど、自分じゃ気付けないもんだな」
「だから、心春ちゃんのことは今まで以上によく見てあげてね」
月宮さんんは休憩時間が終わり、それだけ言うと仕事に戻っていってしまった。
教室でいつまでも大人しいあの月宮さんが、リーダーシップを発揮して仕事をしている光景というのが、やっぱりギャップがあるというか、まるで別人だ。
俺には人に誇れるような特技などないものか、羨ましいと思ってもそれで自分が変われるわけでもないから、せめて最低限の仕事はこなせる男に成ろうとパイプ椅子から立ち上がった。
さて、午後のランだ。スーパー等のタイムセールは引き続き行われているが、新規で宣伝をする店舗も少なくない。
今までは大人を対象にした宣伝ばかりだったが、これからは子ども相手にも宣伝が増えてくる。
お祭り感覚だと思えば分かりやすいか? この大売出しに便乗して午後からは屋台の数が増えるのだ。
たい焼きにたこ焼き、綿あめや季節外れのかき氷など、結局やっていることは夏祭りと同じなのだ。
客集めに屋台側も宣伝を怠らない。同じ商品を取り扱おうものならばランバル視して個性を全面的に押し出してくる。決して邪魔をしないのは暗黙のルール、当然だよな。
俺も中学生の頃まではなけなしの小遣いでこの賑わいに混ざったものだ。
「さて、霜月君、そろそろ午後のランに向かうよ、準備はいいかい?」
「いつでも行けます! チラシも全部揃ってますから大丈夫です」
「じゃあ、行こうか、午後は子どもが多いからぶつかって怪我をさせないように。しっかり呼びかけも忘れないこと」
「了解です。子ども優先でこちらから避けることを意識します」
外に出て、腕時計を見ていたランナーさんが走り出したのに後ろからついて行く。
午前でチラシを配っていた箇所はスルーしていき、逆にスルーしていた場所でチラシを配り始める。
主に屋台の宣伝がほとんどだ、午後からまたタイムセール等をする店舗を除き、チラシは子どもたちに向かって配られる。
無邪気な子どもたちはランナーさんを拘束しようと元気に話しかけているが、ランナーさんは一切足を止めない。止めてしまえば子どもたちの餌食になることを知っているからだ。
流石商店街のヒーローという名前は伊達じゃない。
そして、ヒーローだけが走ることの出来るランナーさんの通り道を、俺が走らせてもらっている感動が心地よい。
老人会の募集チラシを入念に配り終え、次は何だったかとバックパックからチラシを取り出していると、よく知っている声に話しかけられた。
「あれ? 一颯じゃん、何してんの?」
声をかけられた方を向けば、右手にりんご飴を持って陽気に齧りついている金髪ギャルこと、聖羅がいた。
「お、聖羅か、相変わらずこういうお祭りは楽しむ性分か?」
「まあねー、……それで心春をほっぽってせこせこ何してんの? そのハチマキなんて書いてあんのさ? えっと『メイクアップならお任せ、女性メイク専門店 藤宮』あっはっは! 一颯には似合わないね!」
「うるせえ! 時間無いから細かいことはあとでな、それと心春には内緒な、悩みを捨て去って変わった俺を見せてやるんだ」
「だってさ、心春」
「え?」
ランナーさんにチラシを渡して次へ向かおうとしたとき、聖羅が声をかけたのはちょうど俺の後ろ。
まさかと思って振り向けば、綿あめで顔を下半分隠した心春がすぐそばにいた。
「霜月君、どうしたんだい? もう行くよ」
「あ、はい! すぐ行きます! ……悪い、心春、今は仕事中なんだ、後で話す」
「あ、……うん、お仕事、頑張ってね」
心春も俺も戸惑っていた。
せっかく心春には内緒にして驚かしてやろうと思ったのに、だけどそれがばれて、頑張ってねと送り出してもらえば気持ちよくてテンションが上がっている俺がいる。
本当に男って単純なやつだ、お金でやる気が出て、好きな女子に応援されて元気が出る。ああ、俺って単純だ、単純すぎて滑稽だ。
――それから二往復して宣伝活動は終わった。子ども相手に成金のごとくチラシをばらまいてしまった時はヒヤッとしたが、心が純粋な子どもたちはそれを演出だと勘違いして喜んでくれた。もちろんランナーさんに報告して反省した。
事務所に戻ってきたら、チラシを配り終えて軽くなったバックパックを下ろし、ランナーさんと整理運動に移行した。
ピークはとっくに過ぎて落ち着きを取り戻した事務所内から女性陣が出てきて、労いの言葉と共に飲み物を出してくれる。
専門学生の綺麗なお姉さんは足のマッサージなんかもしてくれて、ありがたかったけど汗臭くて申し訳なかった。そう謝罪すると、汗臭いのが好きでやっていると言われて苦笑いを浮かべてしまったのは仕方ないはずだ。
これで俺の仕事は終わり、後片付けを済ました後はシャワーを貸して貰えた。ランナーさんが使うタイミングで俺もよかったらということでお言葉に甘えた。
女性陣の仕事も終わり、いつもならもう一本ランがある時間帯だが今日はお休み。
ささやかながらお疲れ様会を開くということで少しの間俺も参加することにした。というより俺とランナーさんに対してお疲れ様の意味だったらしく、企画は月宮さん他女性陣、ランナーさんの奥さんに許可を取っての開催らしい。
もちろん俺たち以外も忙しい中頑張ったということで、ランナーさんが全員にお疲れ様と音頭を取った。
「霜月君、今日は大変だっただろ? 最後まで付いて来てくれて助かったよ」
「いえ、確かに大変でしたけど、その分楽しかったです。ランナーさんと一緒に走れることは昔の頃の夢だったので、今更ながら叶って嬉しいんですよ」
「わたしは子どもたちによく一緒に走りたいと言われるのだが、そんなに楽しそうに見えるのかね?」
「ええ、それはとても魅力的ですよ。ランナーさんほどこの街で人々を笑顔に出来る人はいません」
飲み物を酌み交わす。疲労の溜まった全身に甘いお菓子はいっそう美味しく思えた。
改めて誘ってくれた月宮さんにお礼をして、他女性陣からは年下の男の子という理由で絡まれたが、初めてのことで緊張はしたけど楽しかった。なんだか聖羅が増えた気分だ。
「すみません、ちょっと行かないといけない約束があるので、自分は一足先にここで失礼します」
ランナーさんと月宮さんに挨拶を済まし、絡んできていた女性陣を優しく振りほどいて自分の荷物を持った。
また機会があったらよろしくと酒でも入っているのかと思うほど上機嫌なランナーさんの後ろで女性陣が「きっと彼女よ」「あーあ、ちょっと狙っていたのに」「あんたは昨日振られたばかりでしょ、ちょっとは自重なさい」とか聞こえてくるが耳を傾けてはいけない。一度そちらに踏み入れれば食われてしまうと本能が警戒していた。
「一颯君、またね、心春ちゃんに変わったところ見せて安心させてあげてね」
「おう、次に心春と会う時はとびきりの笑顔が見られると思っていいぞ」
事務所を出て、駐輪場から自転車を取り出してサドルに跨る。ペダルを踏み込めば、脚の疲労なんてなかったかのようにスムーズに進みだした。
心春たちは近くの公園で待っているみたいだから、帰りに寄れば奢ってやるぞと気前のよかった屋台のおっちゃんたちからいろいろ受け取り、それらを前籠に入れて公園へと向かった。
次回、四章エピローグです。
五章の準備も進めていますので、よかったらポイント評価、ブックマークのほどよろしくお願いします。