表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか選択肢に辿り着くために  作者: 七香まど
四章 真奈美ルート攻略シナリオ
124/226

124真奈美ルート 久しぶりの屋上

 唯人が柔道への道へ戻った理由は単純だった。


 ただ、最愛の人を守れる力を厳かなものとして自身に取り入れたいという気持ちからだった。


 元々柔道を始めるきっかけは夏休み入った直後の柔道部合同稽古の存在を知ってからだったそうだ。後日、前の学校の友達や切磋琢磨してきた仲間たちに電話して和解も済ませているみたいだし、だいぶトラウマも克服できたと喜んでいた。


 さらにそこで唯人の師範に当たる人からの煽るような言葉に一歩踏み出す勇気を持てたみたいだ。


 あいつは自分の意思で柔道への志を取り戻した。それは今となっても変わらず毎日稽古に励み続けている。


 ……そう、今となっても、今は……もう“秋”だ。紅葉もそろそろ見終わりとなりそうな冬が近い今日この頃、俺はまだこの世界に残り続けている。机に頬杖を付いて窓の外を見れば、木の葉を減らし、寒そうな校庭の木々がそれでも惜しまずに木の葉を落とし続けている。


 東京エリアの冬なんてたかが知れている。たまに路面を凍結させる程度の雪が降るときもあるが、今年の冬に雪は降らない。


 知っている。だから退屈な日々を堕落に任せて過ごしていた。


 花恋さんたち三年生は文化祭の舞台を最後に演劇部を引退し、完全に受験モードに入った。こんな俺でも三年生の授業は把握していて、それを幾度も繰り返しているから人に教えられるほどに学力は……、いや、ほとんど暗記しているだけに近いが、心春も交えて三人で勉強に勤しむのが最近の過ごし方だ。


 場所は図書館だったり俺の部屋だったり、とにかく花恋さんが自分の部屋以外の場所で集中するための場を俺は設けていた。


 今日は高校の図書室、メンバーに小鳥遊先輩も加えた四人で黙々と勉学に励んでいる。


 カリカリとノートにペンを走らせる音に紛れて、俺は三人の集中を妨げないように一人まっさらなノートを開いて脳内のシナリオを確認してみる。


「…………」


 唯人からの電話があったあの日から、このあとも平凡な毎日はずっとシナリオには反映されない。次のシナリオは今年度の卒業式なのだ。そこで唯人の心残りを解消してハッピーエンド、その後にアフターストーリーだから、俺はノーマルエンドよりも静かで退屈な毎日を卒業式まで過ごさなければならないのだ。


「一颯くん、ここの問題なんだけど、……一颯くん?」

「え? ああ、悪い、ちょっと考え事してた」


 小声で呼ばれたという理由もあるが、俺は最近、気力を無くしてしまったのか反応が鈍くなった気がする。おじいちゃんになるには精神的にもまだ三、四十年は先のことだと思っていたが、耳だけ遠くなったか?


「ごめん、心春、ちょっと外の空気吸ってくる」

「うん、いってらっしゃい……」


 そんなどこか腑抜けた態度を見せるのは何も今日だけではない。なんか様子が変だと、心春も薄々感じていることだろう。


 何かあれば互いに相談することは昔からの暗黙のルールだったが、俺が困る様子も見せずにただやる気をなくしているように見えているのだから、心春は深く踏み込んでこない。


 俺から相談すればいいだけなのだが、どうしようもないことだし、俺は何か、刺激を期待しているのかもしれない。


 期待する形も不明瞭に、俺の退屈を解消させてくれる画期的なアイディアを求めているのかもしれない。


 廊下に出れば、ひんやりとした空気が足元を冷やす。もう少し長い靴下を履いておけばよかった。


「……屋上でもいくかな」


 いつぶりになるだろうか? 結局陽菜ルートのイベント以来足を踏み入れたことはなかったかもしれない。


 ここの屋上は相変わらず巧妙に窓から侵入出来て、少し高さはあるけれど、台となる机が謎に置かれているし、容易に入ることが出来る。


 ぴゅうっと吹いた秋風に身を震わせる。流石に冬用の制服だけで寒さはしのげなくなってきたか。


 おそらく校庭の端にある銀杏の木から飛んできたのか、綺麗な黄金色のイチョウの葉が足にぺたりとくっつく。懐いた動物みたいに引っ付いているが、俺はそれを風に乗せて空へ帰した。また誰かの足元にしがみつくのだろうか。


 屋上に来たことで一つ思い出したことがある。


 このゲームの根幹に関わる大事なイベント、月宮さんにだけ見える大きな透明の球体。


 空に浮かんでいると聞いたが、残念ながらそれを俺は目視できない。主人公である唯人ですら見えないのだから不思議だ。


 月宮さんが幻視しているのなら、そっか、で片付けられるのだが、どのような意味があるのか、それを無視できない立場である俺はそろそろ真実を追求してもいいのではないか。


 今度こそ正体を掴めないかと屋上のフェンスに近づくと、隣に気配を感じた。


「おわっ、誰だ!」


 屋上に入るための正規の入り口、その扉から入って右側にある隙間に、ピンクの花柄のシートを敷いた上に膝を抱えて座り、ぼうっと空を見上げている少女を見つけた。その人はここにいておかしくない、しかし影が薄くてあまり気付かれそうにないヒロインの一人……。


「……月宮さんか、えっと、何しているんだ?」


 球体の様子はどうだと聞きかけて喉に引っ込めた。俺に見えないし知らないことだから、下手な矛盾点は作りたくない。


「あ、一颯君、こんな所で奇遇だね、心春ちゃんはいないんだ?」


 やっとこちらに気付いたのか、ゆっくりと顔をこちらに向けた。教室でいつも見る感情の起伏が少ない表情に呑み込まれそうになる。今は何を思って俺に返事を返してくれたのか見当もつかない。


「ああ、心春は図書室で勉強中、俺は気分転換になることを探してここに来た。隣、座っていいか?」


 こくんと頷いた彼女のシートの端に座らせてもらう。月宮さんにしか見えない球体を同じ視点から見てみたかったのだ。


 澄んだ秋空を探すがやっぱり球体らしき物は一切見えなかった。


 隣を目だけで見れば、ほとんど同じ座高の高さ、横顔は予想していたよりも可愛らしく、どこまでも無表情だと思っていたのが勘違いに思えた。


 失礼ながら、こんな少女でも恋をするのだなと思うと世の中どうなるか分からない。もしかして、俺の知らない月宮さんの一面を唯人は知って……知っているはずだよな、恋人だったし。


「悩んでる?」

「ふえ……?」


 月宮さんがいきなり俺の顔を窺ってこんなことを言うから、驚いて変な声を出ししまった。


 本来は主人公だけに許されたヒロインと目線を長時間合わせるイベント、当然ながら先に目を逸らしたのは俺だった。


「やっぱり、最近の心春ちゃんは元気がなかったから、原因は一颯君にあると思ったんだ。……ねえ、ちょっと気分転換になりそうないい仕事があるんだけど、どうかな?」


 月宮さんが俺にこうも誘ってくることなんて今まであっただろうか?


 心春の友達だからこそ、心配して、その落ち込みの根幹である俺をどうにかしようと思ったのか?


 なら俺が元気を出さない限りは心春も元気が出ない……、そんな簡単な考えに辿り着くわけだ。


「仕事ってなんだ?」

「商店街を走ってみない?

「走る? ランナーさんみたいに?」

「うん、男手が足りなくて困ってるの。もちろんアルバイト料は出るから、一日だけでもどうかな?」

「……やる、やりたい。どうせ暇だし、身体も動かしたかったから」


 脱力した気持ちとは裏腹に、俺は月宮さんの誘いに興味を持った。


 何度も繰り返したこの日常の中に、珍しく“初”を見つけたのならばそれに飛び込んでしまいたい気分だった。


 肉体労働であれ、事務仕事であれ、気分転換になるのであればそれでいい。退屈が、凌げるのであれば……。


「それじゃあ、おじさんに伝えておくね。あっ、おじさんっていうのは……」

「知っているよ、ランナーさんだろ? 俺はいつでも空いているから、なんなら明日でも今日からでもいい。そっちの都合で教えてくれ」

「わあ! それは助かるよ、本当に人手が足りなかったから、明日、お願いすると思う。詳しい時間は後に連絡するから、番号教えてくれる?」

「あ、ああ、いいぞ」


 月宮さんが今までに見たことない嬉しそうな顔で詰め寄ってくる。なんだ、こんな簡単に彼女を笑顔に出来るではないか。


 心春は以前に、月宮さんは普通の女の子でよく笑うし、よく話してくれるなんて教えてくれていたが、恥ずかしながらやっとそれを理解した。同時に申し訳なく思う。


 破顔一笑、月宮さんほど普段から感情の変化に乏しく思われている人ほどこの言葉に厚みが出る。ギャップという言葉では片付けられないほどに彼女は恋する乙女なのだ。


「あのな、月宮さん……」

「ん? なに?」

「ああ、……ごめん、何でもない」


 携帯を見せ合って番号を交換している最中、俺は月宮さんの探し人について教えてあげようと思った。


 すでに唯人は小鳥遊先輩と恋人同士になった。だからルートも確定していて、月宮さんが唯人に惚れたとしても今更だから、……そう思ったのだが、俺にはそんな残酷なことが出来る勇気がなかった。


「はい、これでいいね。今日の夜、八時頃に連絡してもいいかな?」

「構わないよ、その時間はいつも空いている。……なあ、今日の月宮さんは嬉しそうに見えるんだが、そんなに男手が見つかったのがよかったのか?」


 体のいい質問だろうな。誰かを笑顔にさせたいと思ったのであれば、このタイミングで月宮さんを利用すればいいと浅はかに思考を巡らせた愚かな質問。


 そんなことに気付けるはずもない月宮さんは、なぜかよくぞ聞いてくれたとばかりに微笑んで、その理由を教えてくれた。


「ずっと探していた人が見つかったの」

「……え?」


 今日はよくしゃべるなと、適当に聞き流すつもりだったが、思わず真意を確かめようと月宮さんの瞳を覗き込んでいた。


 明らかに猜疑心を抱いた瞳をぶつけた俺の態度は失礼だったとすぐに気付いて身を引いた。


「悪い、今のは気にしないでくれ」

「ううん、ということは、一颯君は知っていたのかな?」

「……さあ、なんのことか分かんねえや、さっぱり。唯人が前に柔道をやっていたなんて聞いたこともないし、腕の付け根に大きな傷を持っているなんて知らないからな」

「うふふ、そういうことにしておく、安心して、誰にも言わないから。椎崎君にはちゃんとお礼も言えた後だし、私は満足してるんだ」


 仲のいい友達にしか見せないという月宮さんの饒舌に、俺は別の誰かと話している気分になる。


 月宮さん一人では絶対に唯人へは辿り着けない、心春にそこまで言わせた天然の月宮さんでも、ちゃんとゴールまで辿り着いてくれたことが感慨深かった。


 そう思うと、なぜか涙が零れてくる。


 諦めていた他ルートのヒロインの幸せを確認できたことなのか、俺が関わらなくても求めていたことへと手が届いていた寂しさか、……きっと嬉しさが勝っていたと思う。


 背中を向けて制服の袖で目元を拭いていると、後ろからすっと月宮さんがハンカチを差し出してくれた。


「ありがとう……」


 受け取った黄緑色の絹のハンカチはとても女の子らしいサクランボの装飾がされていて、目元に近づけた時に甘い匂いが鼻孔をくすぐった。


「どうしたの? やっぱり悩みというのが深刻なの?」

「ああ、そうなんだけど、それよりもやっと悩みの一つが解消できて、嬉しくってさ」

「そう、……それはよかった。早く心春ちゃんに元気な顔を見せてあげてね」

「そのためにも、明日の気分転換、楽しみにしてるよ」


 そろそろ身体も冷えてきたから校内に戻ることにした。月宮さんも今日は満足したのかシートを片付けて小脇に抱え、同じく校内へと戻った。


 それなりの時間ほったらかしにしてしまったなと頭を掻きつつ、今回は何か、新しいヒントを得られたような気がした。







この章も終わりが見えてきて慌てながら次章の準備に取り掛かっています。

少しだけ間隔が開くかもしれませんがすぐに投稿できる予定です。

よろしければブックマークやポイント評価をしてくれたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ