122真奈美ルート 癒し方
心春の膝枕で寝ている間にシナリオが更新された。こんなこと今まで見たことがないのだが、今回は選択肢に変更がある。
最初は『先輩に声をかける』『隣にいる』の二択だったが、俺との通話からバッドエンドへの選択肢も変化していて、『通話を切る』『思いを語る』へと二つとも変化していたのだ。
新しくなったことで今回もバッドエンドに繋がるのではないかと危惧したが、『通話を切る』がバッドエンドへと枝分かれしていたため安堵した。あいつは通話を切らず俺に小鳥遊先輩に対する思いを語った。
恥を捨て、思い人の力となるために俺に知恵を乞うてきた。俺の願いの為に唯人を下に見て、失敗に終わったなどと勘違いしていたのだ。
結局唯人は何も選ばなかったけども、それを促すのは俺じゃない。いつだってそうだったじゃないか、唯人に直接関わるヒロインが唯人を動かしてくれる。そういう風に出来ている。……だって、この世界はゲームだから。逆に俺が動かそうとすると唯人は意固地になっていると思うほどに動かない。そういうことだ。
目が覚めた時、とても落ち着くいい匂いに包まれていた。
瞼を上げても目の前は真っ暗、なんだか前にも同じようなことを経験していたなと思っていたら、やっぱり俺は心春の腰にしがみついていたみたいだ。
花恋さんに同じことをやったなと思い出しつつ、腰から離れて座ると顔を真っ赤にした心春と間近で目が合った。
「お、おはよう、心春、……えっと、どれくらい寝てた?」
「い、一時間経ってないくらいかな? もう大丈夫なの?」
「ああ、おかげさまで、俺、寝ている間に変なこととかしてなかったよな」
「ううん! してないよ、してないよ!」
やけに慌てた様子の心春。強調するほど俺はぐったりと寝ていたのか。
「ちょっと唇に触れたりとか、二の腕に意外と筋肉があるんだなとか確認してないからね!」
「……ん? さすがにそれは墓穴掘ってないか? 俺が言ったのは、俺が寝相で何か心春に変なことをしていなかったかってことだけど」
「へ? あっ」
勘違いしていた心春が湯を沸かしたようにいっそう顔を赤くして、照れ隠しに俺の腰にしがみつき、もといタックルしてきた。
腹に衝撃を受けて「ぐえっ」とカエルが潰れたような音が喉から漏れた。
「い、一颯くんが悪いんだよ? 最近まともに構ってくれなかったし、無防備に私の膝枕で寝るし、……寝顔が可愛いし」
「構ってやれなかったのは悪かったよ。ほら、何がしたい? 今日の俺は心春の言うことを何でも聞いてやるぞ」
「ホントに?」
「ああ、出来る範囲ではあるけどな」
一応釘を刺しておかないと、花恋さんの件もある。心も準備も出来ないまま押し切られるのは勘弁願う。
「じゃあ、教えて欲しい事があるの」
腰から離れた心春が、佇まいを正し、正面に正座してお願いを口にした。
「一颯くんって、どうして誰とも付き合わないの?」
「……花恋さんに聞いたのか?」
「ううん、聖羅ちゃんから聞いた。理由は教えてもらってないから、直接聞こうと思って」
こういうことは聖羅が絡んでいるか、そうだよな。花恋さんにしか教えていないつもりだったが、昔の俺が聖羅に話していたかもしれない。
「聖羅ちゃんはそれを大した理由じゃないって言っていたけど、一颯くんにとっては大切なことでしょ?」
「まぁな、……いや、そうでもないのかも、俺の根性が足りていないだけだし、こんなことを言ったら心春に呆れられるだけだしな」
「それで、どんな理由なの?」
本当にくだらない理由だと思ってしまうと口にするのが恥ずかしくなってしまう。溜めてから口にして余計に呆れられるのも怖いから、視線を逸らしつつ勢いで話してしまう。
「心春を傷つけて、その傷を癒せる自信がない。昔みたいに俺たちは単純な子どもじゃないし、俺の代わりに心春を慰めてくれる人もいないから……」
ほとんど思いを伝えているよなものだった。互いに気付いているとはいえ、この世界で口にしたのは初めてだ。
「……一颯くん、その口、キスで塞いじゃっていいかな?」
「…………は?」
眉間に皺を寄せて片頬を膨らませている心春は怒っているように見える。呆れられるとは思っていたが、心春が怒りを覚えるとは思っていなかった。
……いや、なぜキスをせがまれているんだ!? どういうこと?
「聖羅ちゃんが、一颯くんが私を怒らせるようなことを言ったらキスで塞いでやれって言うから、私がおかしなことを言っているわけじゃないよ?」
「十分おかしいと思うけど、……聖羅の恋愛脳に付き合ってると碌なことが無いから変に乗せられるなよ」
「むう、……聖羅ちゃんのことじゃなくて私を見て!」
「あ、はい、ごめんなさい」
肩を掴まれて、胸がくっ付く程の距離で凄まれたら逃げることなんてできない。
「えっとね、……キスってどういう感じなのか、ちょっと気になってはいるんだよね。今までしたことないし、だけど相手は一颯くんだったらいいなあって……」
そういう気持ちが分からないわけじゃない。
ちなみに俺にとってのキスとは口と口だから、額とかは同じキスでも別に分類されると思っている。
唇にされたといえば、花恋さんが寝ぼけているときにされた三回が色濃く印象に残っている。
他にもループを重ねるごとに幾度か美味しい思いをさせてもらっていたのだが、俺から唇にキスしたことは一度もない。つまりヘタレだ、……自分で言うと恥ずかしいな。
するのとされるのではどれほど違うのかなとたまに思うけど、俺にはその違いを確かめる度胸は持ち合わせていなかった。
「一颯くん、そろそろいいかな?」
「ち、ちょっと待って! まだ心も準備が――」
「いや、現実に戻って来て? さっきから唇を撫でてばかりで私の話、聞いてなかったでしょ?」
「え? あ、ごめん」
心春の話を一切聞いていなかった。どうして心春が積極的にキスを求めてきているのかさっぱり分からないが、積極的な心春の態度に気持ちが昂っている気がする。ちょっと変態か?
「それでね、一颯くんからしてくれたら嬉しいな?」
「……どうして?」
「せっかくなら一颯くんからキスしてくれたら嬉しいな?」
「もしかして、相当怒ってらっしゃる?」
「私の傷はどうやらキスをしてくれないと治せないの、ああ、早くしないとどんどん傷が広がっていっちゃう」
傷を作ってしまったみたいだが、ええ……、そんなに怒られるようなこと言ったかな?
すでに顔は近づいているから、少し体を前に押し出せばすぐに届く距離ではある。
首に腕を回されて逃げられないよう退路を塞がれつつあるから、やっぱり俺からしないといけないみたい。
「傷つけないよう大切にするのも大事なことだけど、せっかく付き合うなら傷ついてでも踏み込んだ関係になりたいって思うよ。もちろん暴力とかはイヤだけど、少しくらい喧嘩した方がお互いに歩み寄れると思うな」
額がこつんとぶつかる距離、心春は優しくも妖艶に微笑んだ。わずかに吊り上がったピンク色の唇から意識を逸らせない。
「でも俺はその傷の治し方を知らないし、……正直怖い、おばさんみたいに心春を上手く慰められる自信もないから、喧嘩するのだって心が痛いよ」
「喧嘩したら、最後に抱きしめてよ。お互いにごめんねって謝って、いっぱい愛しあって、それで傷を治せばいいんだよ」
「その傷の治し方が……」
「それを今から学ぶんでしょ?」
俺にとっては無理難題だと思っていた。心春の口から愛し合うなんて言葉を初めて聞いたし、キスで傷を癒せるなんて、……俺に可能なのか?
いつの間にこんな妖艶な顔が出来るようになったんだ? 心春って本気で怒るとこんなに変わるのか。一体いつから……。
思い浮かぶはパソコンの検索履歴、心春はなんやかやギャルゲーについて詳しく調べているんだった。
それにしても今の心春は積極的だ。調べたからと推察する割には今の心春はいつも通りに思える。……もしかして関係ない?
「どうしてそんなにき、キスしたいんだ?」
「だって、今の一颯くんじゃないとしてくれなさそうだし。部長に取られる前に既成事実を作っておきたいから」
既成事実という言葉に頭がくらくらしてしまうが、今はそれどころではない。
「花恋さんのこと、……話したっけ?」
「一颯くんを見てたら分かるよ。それで目新しい方へ乗り移るんでしょ? せっかくゴールまでの一本道があるのに、私のことを乗り捨てて。だったら移る前に繋ぎ留めておくしかないじゃん!」
間近で声を荒げられてキーンと耳鳴りを起こすが驚きのポイントはそこではない。何もかも筒抜けというのが初めて恐ろしく思えた。
目の端に浮かんでいる涙をなんとか拭ってやりたいが俺に出来るのは優しく抱きしめることだけだった。
「……どうして、抱きしめるの?」
「不器用だから、昔から心春を慰める方法を俺はこれしか知らないから。俺の人生に心春の存在は誰よりも大きくて、俺をどん底から救ってくれた恩人だ。だから俺は心春の望む俺でありたい。……だけど心春の存在と同じように、花恋さんも俺のことを救ってくれた恩人なんだ」
花恋さんの名前を出した瞬間、俺の背中を痛いくらいにぎゅっと掴まれた。それは恐怖を抱いているように感じた。俺が心春を見捨てるのではないかという恐怖が蝕んでいる。
それでも俺は思いを告白せねばならない。それが“心春”との約束だから。
「俺のことをヘタレで幻滅すると思う。誰かを傷つけたくないとこの口がしゃべるくせに、俺は心春と花恋さんが等しく好きなんだ。必ず最後はどちらかを、またはどちらも傷つける結果が見えているんだ。それが怖くて俺は誰とも付き合えない、キスもできない。されるがままふらふらと二人の間を漂って、時にはどちらかに肩入れする時だってあった。最低な男だろ?」
「うん、想像以上に評価が下がったかも。一颯くんのヘタレ、間男、女の敵」
「うぐっ……その通り過ぎる」
グサグサと心春の言葉が胸に刺さる。いざ直接罵倒されると心に響いた。もちろん悪い意味で。
少なくともこのルートでの心春からお断りを貰っても仕方ないだろう。しばらく落ち込むだろうが、挽回の為に頑張ろう。
「そんな最低な男に恋焦がれる女の子が目の前にいるけど、どうする?」
「え? ……心春?」
「そう、私は心春だよ、昔からずっと、一颯くんのことが大好きな心春。たかが百年経っても恋は冷めない自信があるよ」
そんな百年も経っていないが、心春は俺のことを幻滅していない?
「えっと……」
「部長も同じ。断言できるよ、……私だって一颯くんを困らせたくないし、傷つけたくもない、だって大好きだから。本気で大好きだから、そんな一颯くんを受け入れられるんだよ」
男の俺からではまるで理解できない話だった。俺がこんなにも求められていることも、ヘタレなことを告白して受け入れてくれるなんて思いもしなかったから、本当にありがたくて、でもだからこそ申し訳なくて、俺は無意識に心春を強く抱きしめた。
「苦しいよ、一颯くん、抱きしめてもらうのも嬉しいけど、傷を癒してくれるともっと嬉しいな?」
「じゃあ、目を瞑ってくれ、先に言っておくが、満足させられるようなことはできないからな」
蠱惑的な笑みを浮かべた心春が静かに目を瞑る。恥ずかしがることもなく、顎を少し上げ、艶やかなピンクの唇を無防備にしてこちらに委ねてくれた。
俺がその唇に触れるのを待っている。
最初は冗談だと思っていた。聖羅の入れ知恵で無理をしているのだと、でもそうではなかった。
初めてのことで俺は震えているだろう、それは心春に伝わってしまっている。
今まで避けてきたことに立ち向かうため、その始動としてもこのキスはケジメだと思った。
ゆっくりと顔を近づけ、一瞬だけ、人生で最も近くで心春と触れ合った。
「うふふ、……ヘタレだね」
くすくすと笑う心春の頭を軽く小突く。
「キスはキスだ、たとえ一瞬でもこれが今の俺の限界なんだ」
「知ってる、きっとこうなるだろうと思ってずっと抱き着いたままだもん」
二人、額をくっ付けて笑い合った。
いつかは壊れるかもしれないこの瞬間の幸福、俺は今日、最愛の人の傷を癒す方法を知った。
ポイント評価、ブックマークをしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。