120真奈美ルート バッドエンド
俺はすべてを丸投げした。
もう俺が関わるべきではないと、すでに真奈美ルートに入っている以上、俺が唯人を誘導しなくても絶対に上手くいく、……どこまでもそんな自信があったのだ。
だから、“どうして目の前が闇に染まりつつあるのか”理解が追い付かない。
床にぶっ倒れ、ハンマーを側頭部に押し当てられてからゆっくりと沈みこませられるような鈍痛が頭を圧迫する。
部屋に一人、助けを呼ぶことも叶わず俺の意識はカーペットの床に吸い込まれていく。
声にならない悲鳴をあげているのだと思うが、それを自覚できない。
「一颯くん? なにか大きな音がしたけど……、一颯くん!? どうしたの、大丈夫!? ……い、意識がない……? あ、あ……、か、母さーん! 一颯くんが重体だよ! すぐに救急車を呼んで!」
どたどたと騒がしい音を立てて倒れたから、多分、心春が様子を見に俺の部屋にやってきたのだと思う。もう視界が真っ暗だ、音もほとんど聞こえない。
ダイナミックな立ち眩みなこと。原因は……、まああれだよな。
そっか、……失敗したのか、せっかくのチャンスだったというのに、あいつのことは信用していたのに、忘れていたよ。
あいつの選択するときは、ほとんどが正解と逆になるんだったな。はは……、ばからしくて涙が出るよ。
……すでに俺はいつものように情報の海に放り出されている。心春や花恋さんにお別れの挨拶が出来なくて残念だ。せめて、一言声を聞いておきたかったな。
しかし今回はこの情報の海を泳いでいる時間は短かった。いつのまにかゴールが目の前にあって、ショートカットでもした気分だった。
どういうことかは分からないが、どうやらあの神は俺に何が原因だったのか考えさせる猶予を与えないらしい。
それならそれで仕方がない。文句を言う時間があるなら心春と花恋さんに相談した方が有意義だ。
――携帯アラームのけたたましい音に目を覚ました時、窓の外からは朝日が昇っていた。
毎度の如く教室で授業を受けているのではなく、ここは自分の部屋だった。
床に敷かれた布団、枕元の目覚ましはアラームをけたたましく鳴らし、上体を起こして自分を見下ろせばいつも着ている寝間着姿だ。
一体どういうことなんだ? と慌てて目覚ましのアラームを止めて日付を確認すれば、先ほどと日にちは一切変わっていない。
「……何が起こっている? 俺は失敗して六月二十五日に戻されたのではないのか?」
そういえば先ほどの鈍痛はシナリオが追加された時の痛覚に似ている感覚があった。もしかして……。
「……あった! ……は? バッドエンド?」
脳内のファイルにはちゃんと追記されたシナリオがあって、そこには先ほどまでの真奈美ルートのシナリオが存在していた。しかし最後の部分で分岐していて、選択肢は二つ、片方が陰湿なことに血のような赤い表記のバッドエンドへと分岐していたのだ。
俺が唯人へシナリオを丸投げした結果、あいつはバッドエンドへの道筋を辿ってしまったのだ。
「ええと……、うわっ、これでバッドエンドかよ。ひどいな」
状況を把握できてしまえば慌てることもない。ゆっくりと何があったのか調べていく。
「唯人は先輩に声をかけたのか、勇気ある行動だし間違ってないと思うけどな、……これでだめなのか。それで『心の拠り所を見つけた先輩が唯人に依存してしまって親と和解することを放棄する。母親は娘が離れていったショックで再婚もせず独り身』……子離れが出来なかったのか。唯人は責任に押しつぶされてすべてを諦め、残った小鳥遊先輩と二人きりの人生を歩む……。なんだこれ?」
先ほどの鈍痛がぶり返すかのようなこめかみの痛み、あまりにひどくて癖になってしまいそうだ。
最後に『依存エンド』と括弧で書かれている。……なるほど、たしかにバッドエンドだ。お世辞にもグッドエンドとは言えない。
とにかく、何もかも最初に戻されたのでなければ嘆く必要はない。選択肢の前に戻された程度ならまだ負けてない。悔しいがやり直させてもらう。
ドアをノックも無しに入ってくる心春。間違いない、今日は“今日”の朝だ。結局俺が唯人を誘導しないとダメなんだと痛感した。
「一颯くん? どうかしたの? 何かいい事でもあった?」
そんな複雑な顔をしていた俺に、『いい事があった?』と聞いてくる心春はやっぱり俺のことを分かっている。
「ああ、あったよ、すっかり忘れていたことを思い出したと思ったら、それをいつの間にかクリアしていた気分だ」
そうだ、今まで必ずバッドエンドを一度経験しろなんて無理難題だと思っていたが、今回でこれをクリアしたことになるのだ。成功ならそれだけでいいじゃないかと捨て置いていたから、棚からぼたもち、ラッキーだった。
「心春、ちょっと来てくれ」
「なに? もう朝ごはんだよ」
布団の上に座る俺の横に心春が来てくれて、膝を着いて視線を合わせてくれる。何かあるのかと疑問に思っている心春を徐に抱きしめた。
「ひゃっ、一颯くん、突然どうしたの?」
「なんか抱き締めたくなった。今日まで遊んでやれなかったし、曖昧な返事ばかりであまり構ってもやれなかったし」
「一颯くん……、何があったの?」
心春の温もりを腕の中に抱きしめて、そのまま布団に引きずり込んだ。俺が下敷きになる形で心春の顔が間近に迫る。
「今から四時間後くらいに、唯人がヘマしてバッドエンドになるんだ。一度そうなっちゃって、俺は時間を遡ってきたんだよ」
「そ、そうなんだ? ……失敗、しちゃったんだね」
「ああ、だから可愛い心春に慰めてもらおうかなって」
「か、可愛い……、ありがとうだけど、恥ずかしいよ」
お互いに顔を逸らさないと口がくっ付いてしまうような距離、俺だって恥ずかしい。耐性が出来ていない心春の方がもっと恥ずかしいはずだから、なおさら俺は心春を抱きしめた。
心春の感情が最も前面に出ているこの瞬間が一番愛らしい。
暑い真夏日には余計なほどにくっ付いて、心春の首筋に顔を埋める。やっぱり一番落ち着くのは心春が傍にいる時だな。
「ああ、心春を抱き締められるっていいな、幸せを享受している気持ちになれるよ。いい匂いだし」
「やだ、匂いなんて嗅がないでよ、暑いから寝汗だってかいているのに、汗臭くないの?」
「臭くなんてない、俺の好きな匂いだ」
断言すれば、心春は諦めて俺の頭を撫でてきた。子どもをあやすときの優しい手つきだ。
よしよしと俺の欲望に応えてくれた。
「そろそろ下に降りないと母さんが呼びにくるよ?」
「そうか、じゃあこれくらいにして続きはまた今度ね」
「恥ずかしいからこれで終わり! ……次は一颯くんと恋人になってからがいいな」
「何か言ったか?」
「なんでもない! ほら、早く着替えないと冷めちゃうよ」
サラダやフルーツがどうして冷めるのか疑問を抱くところだが、まあ確かに焼いたトーストは冷めることだろう。早く食べてこの後に備えたいし、何より心春と朝食を共にしたいからな。
……それにしても、恥ずかしがる心春は何度見ても可愛いな。
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