108諸城だいご
俺がコンクリートに座り込んだまま項垂れていると、誰かが近付いて来て声をかけてきた。
「あの、……大丈夫でありますか?」
影はかなり上の方から俺に覆いかぶさってきて、独特な語尾の男性の声。聞いたことがあるような気がして顔を上げれば、そこには背は高いが痩せた体躯と童顔にアニメキャラのバッチをジャケットに着けた高校生くらいの男がいた。
「え? 諸城だいご……君?」
そこには共通ルート及び陽菜ルートで唯人と月宮さんと朝食を共にしている、学生寮名物の諸城だいごがここにいた。
「吾輩のことを知っていたでありますか、ということは同じ高校でありますな? それよりも、座り込んでいたので心配になって声を掛けさせてもらったであります」
自分がどんな状況なのか把握するため周囲を見てみると、コンクリートの出っ張りに腰を据え、正面に見た目だけなら小学生くらいの少女が傘を片手に俺の手を握っている。そして俺は下を向いて苦しそうに口を動かしている。
……どこから見ても心配になる絵面だった。心優しい人に声をかけられてもおかしくない状況だ。
「こちらの方は二階堂先輩で合っているでありますか?」
「ええ、わたくしは二階堂花恋よ。わたくしのことを知っているのね?」
花恋さんは他校でも名が知れている有名人だ。彼女目当てに入学してきた演劇部の一年生も少数ながら在籍している。
「はい、姉がお世話になっているでありますから、少なくとも演劇部の部長としての姿くらいは知っていたであります」
「姉? あなたにお姉さんがいるのかしら?」
予想外の方向から覚えられていた花恋さん。諸城だいごに姉がいるなんて聞いたことが無かったが、一体誰のことだろうか?
「姉さん……姉の名前は小鳥遊真奈美。中学校で偶然にも再開したでありますが、親の離婚で離ればなれになった生き別れの姉であります。二階堂先輩は校内でよく話してくれるみたいで口数は少ないでありますが、そのことを嬉しそうに教えてくれていたであります」
「まあ! 真奈美の弟さんだったのね! あの子から家族のことを何も聞いたことが無かったから、家族と上手くいっていないのかと思ってましたの。でも弟さんと話しているのなら安心だわ」
たとえ七度繰り返しても、俺の知らないことはごまんとある。一度の繰り返しにたった一つしか新しい情報を得られない時もあったが、今回は異常に思えた。それだけ俺が初めて耳にする情報が溢れてやってくる。
下向きになっている時間が惜しい。俺はコンクリートから立ち上がって諸城だいごに詰め寄った。
「えっと……諸城君でいいかな? 気分を悪くさせたら申し訳ないんだけど、いつから別居しているとか、聞いてもいいかな?」
「えっと、……先にお名前をお聞きしてもよろしいでありますか?」
焦ってはいけない。自己紹介も済ませぬうちに相手の家庭事情を聞くことは失礼だ。そもそも聞くこと自体が失礼に当たるのだが今はなりふり構っていられない。
そんなことを考えていると、花恋さんが俺の手を握る力が強くなった。それは無理にでも落ち着けと言われている気がした。
「あっと……、すまない。俺は霜月一颯という。椎崎唯人のクラスメイトで親友と言えば分かりやすいかな?」
「なるほど、椎崎殿の知り合いでありましたか。吾輩は諸城だいご、こう見えて一年生であります。周りからは中尉と呼ばれているでありますから、お二人ともそう呼んでくれて構わないであります」
「あ、俺には同い年の妹がいるから一颯で構わないぞ」
「改めて、わたくしは二階堂花恋、ご存知の通り演劇部の部長であなたのお姉さんとは懇意にさせてもらっているわ」
花恋さんは合格とばかりに俺の手を今度は軽く握った。
そういえばこうして手を握っているが、中尉は俺たちのことを恋人か何かと勘違いしてはいないだろうか? そこら辺に一切触れてこないから気にしていなかったが中尉なりの配慮なのかもしれない。
「よろしくであります。それで一颯殿の質問に答えるとすれば、吾輩が小学二年生の頃に親が離婚し、吾輩は父に、姉は母にと、生き別れとなったであります」
「ありがとう、悪いな、突然変なことを聞いて」
「たしかに驚きはしたでありますが、別に気にしてないであります。姉の事情を知って仲良くしてくれる友が増えるのであればこれくらいどうってことないであります」
そんなことよりもと中尉は詰め寄る俺の肩を掴んだ。いまさらながら右手にビニール袋を提げていることに気付いた。そして中から水のペットボトルを一本取り出すとそれを俺の手に握らせた。
「体調は大丈夫でありますか? 水ですがよかったらどうぞであります」
「もう……いや、ありがとう。たすかるよ」
もう平気と言おうとして、貸しを一つ作っておいた方が後々話しかけやすくもなると判断する。何かあればお礼と共に小鳥遊先輩のことも聞けるかもしれない。花恋さんとも合わせたら今回はこれ以上ないチャンスだ。二度も中尉がタイミングよく俺に話しかけてくれるとは限らないのだから。
「真奈美は……、あなたはお姉さんとよく連絡を取っているのかしら?」
「頻繁ではないであります。吾輩の方から月に一度は何かしらの手段で話をする決まりを作ったであります。そうでもしないと姉さんは一切誰とも話をしないでありますから」
月一でも少ないと思うのだが完全に無口といっても過言ではない小鳥遊先輩が少なからず話せる相手がいることを知れたのはいい収穫だ。
今まで踏み込むことのできなかった小鳥遊先輩の家庭事情を知ることも可能になり、唯人との関係も中尉にお願いすればある程度進展を把握することが出来る。そこら辺を花恋さんと繋ぎ合わせれば今後の展開も組み立てやすくもなろう。
「それでは、吾輩はそろそろ失礼するであります。また学校や寮で会ったらよろしくであります」
「ああ、いろいろ助かった。今度お礼をさせてもらうよ」
「ええ、一颯の為に気を使ってくれて感謝するわ。わたくしも共にお礼させていただくわ」
「そこまで大層なことはしていないであります! でも一つだけ、……どうか姉のよき友として話し相手になってほしいであります。姉さんはあれでも喜怒哀楽が激しく、時には吾輩に泣きつくこともあるほどに弱い存在であります。せめて心の拠り所となってくれると嬉しいであります」
寮では人気者、文芸部のオタク筆頭、二次元さえあればそれでいいのではないかと噂されるほどの有名人だが、姉思いで弱っている人に手を差し伸べられるとても優しい人物だった。
過去に彼の書いた小説を読ませてもらったことがあるが、ちょっと口には出せないアダルトな部分が目立っていた。
よく月宮さんは先輩として付き合っていられたなと苦笑を浮かべたほどだったが、彼の人としての態度は見習うべきところが多数見られる。
ただのオタクではなく、人に優しくできるところを月宮さんは評価していたのではなかろうか。
「小鳥遊先輩とはこの前話したから、花恋さんと一緒に話しかけても変には思われないだろうし、無理のない程度に仲良くさせてもらうよ」
「わたくしもお昼をご一緒させてもらおうかしら」
「感謝であります。何かあったら吾輩に知らせてくれると助かるであります」
そう言って中尉は寮の方へと行ってしまった。
ビニール袋から透けて見えていたのは猫缶だった。もしかして隠れて猫を飼っているのかもしれない。今度余裕のある時に持って行ってあげよう。
「一颯、……なんだかやる気に満ちているわね」
「はい、これだけの好条件、失敗するわけにはいきませんから。花恋さんと心春には今まで以上に手伝ってもらうことになると思います」
「なら、報酬の先払いを要求しようかしら? わたくしの一颯に対する恋慕は全部筒抜けなのでしょう?」
花恋さんは俺と指を絡ませ恥ずかしそうに恋人繋ぎをすると、身体をぺたりと密着させる。傘を反対の手に畳んで持ち、赤くなった顔を惜しげもなく俺に見せてくれた。
今までにない要求だけに判断に迷ってしまったが、これくらいのことで動揺していてはいつまで経っても初なままだ。男は度胸、ここはしっかり受け入れて俺は花恋さんの隣を歩き出した。