105〈心春〉聖羅への相談
電話を掛ければ三回のコールの後、繋がった。
「もしもし? 聖羅ちゃん、ちょっといいかな?」
『心春? どうかしたの? 元気ないみたいだけど』
ポリポリと何かお菓子を食べている音が聞こえる。でも私の声音で何かを察してくれたみたいだ。
ちょっと待ってねと一言残してしばらく、聖羅ちゃんはボスンと、たぶんベッドに座ったのだと思う。
『待たせてごめんね、……それで、何があったの? 一颯を女子たちでしばけばいい?』
「そ、そこまではしなくてもいいよ、でも……」
私が言葉に詰まれば、聖羅ちゃんが溜息を吐いた。
『はあ、やっぱり一颯が何かやらかしたか、……なんか久しぶりだね。こうして心春があたしに一颯のことで相談してくれるのって』
「そう、……かもね、一年生の夏休みにちょっと喧嘩して以来かも」
あの時はお互いの勘違いから喧嘩に発展したのを、聖羅ちゃんが仲裁に入ってくれて、それで仲直りが出来た。
私と一颯くんが喧嘩をするとしたら何か勘違いから生まれることだって昔から知っていたことなのに、二人して何も見えなくなってしまう。
でも今日は喧嘩じゃない。私が一方的に一颯くんを避けてしまったのだ。
「実はね……、一颯くんに好きな人が出来たかもしれないの。私じゃない……誰か」
『は? 一颯が? 心春以外の女子に? ありえない……とは、あいつも男だし言い切れないのか。でも……そっか、あの一颯がねぇ』
「聖羅ちゃんは心当たりとかない?」
考え込んでいるのか、しばらく返答がなかった。……やがて聖羅ちゃんは小さな声を漏らした。
『……あるかも』
私は意味もなくこの場に構えた。ベッドの上で侵入者を撃退せんとばかりに片膝を立てて身構える。
「心当たり、あるんだね?」
『あるよ、最近一颯の態度が変わった気がしたから』
「態度が変わった?」
『うん、具体的には一昨日から。その日の……気付いたのは六限の授業終わりだったかな? 何か疲弊しているような雰囲気だったけど、気にしていることがあったんじゃないかって思ってね。ほら、一緒に駄菓子屋に行ったじゃん? あの時は特に様子が変な気はした』
一昨日、その時に何があったかと言えばすぐに答えられる。まだ完全に理解しきれたわけじゃないが、一颯くんがこの世界に時間を遡ってやってきた日だ。様子がおかしかったのは当然のこと。
本当に一颯くんが好きな人がいるとすれば、それは私の知りもしない世界の話なんだ。
「誰なのかってことは、聖羅ちゃんも分からない?」
『一颯のプライバシーだからね、心春相手とはいえ、男のあいつを尊重してあまり答えたくはないけど、残念ながらあたしには心当たりがないわ。隠しているわけじゃないからね! 勘違いしないでよ?』
「うん、それは分かっているよ。私は聖羅ちゃんのことを信じているし」
『うぅ……、心春の愛が程よく重くて嬉しい』
うそ泣きのような目元を擦る仕草が聞こえる。なんだかんだ聖羅ちゃんは演技派だったりするのかな。
一颯くんの交友関係は私が知っている。女子も男子も、一颯くんがよく話してくれるから、誰が一颯くんと仲がいいとか自然と把握してしまった。逆に一颯くんも私の交友関係を把握しているし、だから一颯くんが誰を気にしているのかはある程度把握できてしまう。
でもその中の誰なのかは見当もつかないから途方に暮れていたのだ。
『教室とか廊下で女子が一颯に話しかければあたしが覚えているから、多分……あたしが見ていない場所……部活じゃないかな?』
「演劇部? でも一颯くんは誰とでも仲がいいし、誰かも分からないよ」
『部活でだけ仲がいいという可能性もあるけど、同学年なら一颯の態度を見れば分かると思う。だとすれば他学年じゃないかな? 三年生か一年生か、一颯と特に仲がよかったりする人とかいないの?』
聖羅ちゃんの推理に合わせて私もせめて思考を働かせてみる。
誰なのか、答えを見つけるのが怖いけど、分からない方がよほど怖くて、不安で、……爆弾のボタンを押すかのように慎重に一人ずつ探っていく。
まず一年生はないと思う。会ったらあいさつをするくらいには仲がいいけど、別に一颯くんが好きになるような積極的な子はいない。
私の感では三年生に怪しい人物がいる。まず城戸先輩が怪しい。いつも一颯くんにべったりしているし、あの大きな胸を押し付けるかの如く背中に乗せているし……、何か狙いがあってあんなことをしているとしか考えられない。
「ねえ聖羅ちゃん、女子寮での城戸先輩ってどんなかんじなのかな?」
『副寮長のこと? 学校で見かける時と特に変わらないと思うけど、……まあ寮長の二階堂先輩といつも一緒だね。寮にいる時もいつも寮長のために行動している感じの人かな?』
「……まさか?」
『心春?』
聖羅ちゃんの口から部長の名前が出て、嫌な予感がした。
城戸先輩が一颯くんの背中に乗ってたまに小声で話しかける時は必ずその前に私のことを見ていたのを覚えている。私に聞かれたくない話なんだろうなと思ってその後に追求することはなかったけど、……もしかして?
「聖羅ちゃん、……私、分かっちゃったよ」
『え! だ、誰なの!? あの一颯が目移りした女は一体だれ?』
「……部長だよ。演劇部部長の二階堂花恋先輩」
その人以外に考えられるはずもないのだ。だって城戸先輩は部長のために何か水面下で行動しているし、部長も一颯くんと話しているときはいつも楽しそうだった。
きっと、まだ部長は一颯に気持ちを伝えていないんだろうけど、それは時間の問題。一颯くんが時間を遡ってくる前にはきっともう、……私と対等かそれ以上の存在になっていたんだ。
だから一颯くんが「ちゃんと最後に一人を選ぶ」なんてことを言いだしたんだ。
『二階堂先輩かぁ、……あたしから見たら別に変ったところはないんだけど、そんなに脈ありなの?』
「うん、十分すぎるくらいにあるよ。だって一颯くんとのツーショット写真を入学式に撮るくらいにはお互いに仲がいいもん」
『そっか、強敵が意外にも身内にいたわけか。……心春、勝つ自信はある?』
「……分からないよ、一颯くんの気持ちが揺らいでいるから、正直よくて五分だと思う」
自分の隣に一颯くんがいないことを想像すると、震えて寒気がするほど。
ライバルは蹴落としてでも私は一颯くんの隣にいたい。そして、正面からぎゅっと抱きしめて欲しい。それだけ私は一颯くんに恋している。
こんなこと一颯くんにはバレバレだし、一颯くんの私に対する気持ちだってバレバレ。一颯くんの言葉一つで私は最愛の人の隣に立てる。でも自分から足を踏み出すことが出来ずに足踏みしている。
今のなあなあの関係があまりにも心地よくて、一颯くんと遊んでいた昔の頃と同じ感覚でいられることがお互いにとってなによりの幸せなのだ。
私の思いと一颯くんの思いが一致しているから、私たちは今の関係が続いている。
『心春はさ、一颯がどうして心春に気持ちを伝えずに今の関係を続けているか知ってる?』
「今の関係が心地いいからでしょ? 丁度いい距離感に私たちが浸っていたいと思っているから……」
『それは違うよ』
「え?」
昔からの関係を好んで続けていると思っていたから、聖羅ちゃんの否定に言葉を失った。
一颯くんが今の関係を変えない理由は別にあること、それが何か私には見当もつかなかった。
『ごめん、それもある。だけど、本当の理由は違うんだよ。あたし、去年の文化祭の頃だったかな? 気になって聞いたんだよ。どうして心春と付き合わないのさって、ちょっと怒り気味に』
「一颯くんはなんて答えたの?」
『それは教えられない、心春が自分で聞いてみるといいよ。大丈夫、不安がることじゃないし、あいつのヘタレは今に始まったことじゃない。大した理由じゃないからさ』
「そうなの? ……でも、怖いよ……」
脳内をよぎるのは昔に一度見た一颯くんが私から離れていってしまう悪夢。実は私のことをただの幼馴染にして見ていないとか、義兄妹のままがいいとか、都合のいいことを言われて終わってしまうのではないかと不安に駆られる。
『これ以上あたしから言えることはないかな。ちゃんと本人の口から直接聞くんだよ? それで、もし一颯の言葉を聞いて心春が怒りを抱いたのなら、いっそ一颯の口を心春の口で塞いでしまえ。今の一颯にはそれが一番のお仕置きだからさ、ね?』
それから聖羅ちゃんの話を半分くらいしか理解できず、通話が切れた。また明日とか、じゃあねとか、終わりに挨拶をしたかどうかの記憶がない。気が付けば画面が黒く染まっていて電源が落とされていた。
窓の外を見れば、オレンジ色の夕焼けが私の部屋を焼いていた。スマートフォンをベッドに置いて立ち上がり、部屋の中央に立つと足元には黒い影が背を伸ばしていた。
自分の部屋で夕焼けを見る珍しさ。
ここは一颯くんの部屋じゃない。
でも本来はここにいることが正しいのだと形のない何者かに酷く痛感させられた。
影が一つしかない現実が私を焦燥させた。夏なのに、クーラーも付けていないのに無性に寒い。
震えるわが身を抱きしめて、私は一颯くんの隣にいられることの温かさを、何年も共に過ごしてきて、今日、初めて知った。
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