104気付かぬ失言
家に帰ってきて、俺は布団の上で心春と背中合わせで座っていた。
膝を抱え、時折ぶつかる後頭部と肩。なんだか小学生の頃に戻ったみたいだ。
「母さんたちに怒られた後は、こうして一緒に黄昏ていたよね」
「そうだったな……、まさか、あんな場所で父さんのことを思い出すなんてな」
「一颯くん、よくおじさんと喧嘩してたもんね、見ていて年の離れた兄弟みたいだったよ」
「ああ、ご近所さんからもよく言われた。……だからだろうな、俺は父さんみたいに成りたくて、だけど成れなくて、そのままいなくなったから……」
「憧れって残っちゃうと、重荷になって簡単には下せないんだよね、私もそうだもん」
俺も心春も、過去のトラウマから同じ重荷を背負ってしまい、分かっていてもそれを下ろせずにいる。
俺は父さんみたいな格好いい男に成りたくて、心春はおばさんみたいな綺麗でお淑やかな女性に成りたくて。
成りたくて、成りたくて、成り切れず……お別れしてしまったから、それに耐えきれなかった。
父であり、母であり、憧れの存在が突如目の前でいなくなった事実は、当時小学五年生だった俺たちにはあまりにも大きすぎた。
「私の母さんと、一颯くんの父さんて、昔は幼馴染だったんだよね。ふふ、……私たちと同じだよね」
「同じだから怖いんだろうな。無意識のうちに俺たちのことを父さんたちに重ねちゃってさ」
「私も、母さんと同じって考えたら怖くなっちゃうよ。……でも、ちゃんと一颯くんがいる」
「ああ、……ここに心春がいる」
俺たちは依存のように互いを信じて今日までを生き抜いてきた。そんな大層なことはしていない。幼馴染と当たり前のように学生生活を送ってきただけに過ぎないのだが、それでも今の両親は泣いて喜んでくれるほどだからな。
「…………」
「…………」
気付けば、互いに手を絡めて握っている。俺は右手を、心春は左手を。背中合わせなのにタイミングよくスムーズに。
「あーあ、余計なことを思い出しちゃったな」
「そうだね、いつまで経っても成長してなくて、母さんに怒られるかな?」
「いっそ怒られた方が俺たちは成長できるんだよ。もうあの頃のように叱ってもらえないから、俺たちはここにいるんだろうね」
こう言えば、触れ合う背中が面白がって小刻みに揺れた。
「そんなこと言ったら怒られるよ……て、これじゃループしてるね」
「ああ、だからこの話は終わり! ふて寝するのはもったいないから、心春、ゲームでもやらないか?」
一つの椅子に二人で座り、パソコンの画面に軽快に走る二台の車体をそれぞれで操作する。それだけのゲームかもしれないが、俺は未だに心春との勝負に勝ち越したことがない。
十回対戦すれば三回は勝てる。調子が良ければ四回、さらに良くて引き分け。俺の扱う車体が輝けるステージというのがほとんどなくて、偶に俺に優位なステージをランダムに引けたときだけ勝たせてもらっているようなもの。
実力自体は引けを取らないはずなのに、やっぱり心春はゲームセンスがあるみたいだ。
「一颯くんはこのゲームをどれだけやってきたの?」
「それなりの時間はやってきたつもりだ。とある事情で別のゲームに熱中した時もあったけど、何事も無ければずっとこのゲームで心春と対戦していたよ。いくらやっても勝てなかったけど」
「もっと速くて性能のいいのを使えばいいのに、ピンポイントに強いからバランスが悪いよ」
心春の言葉通り、俺は肝心なところはいつも性能面で負け、今なんかカーブでスリップを起こして逆転された。
「……いいんだよ、これが俺のお気に入り。全く勝てないわけじゃない。俺の操作が悪いだけだから」
「車体のせいにしないのはえらいね」
とはいっても、五連続で負けるとさすがに面白くない。癇癪を起こすような醜態は晒さないし、心春の邪魔をするのはフェアじゃない。
「…………ちょっとメニュー画面に戻っていい?」
「……浮気性」
「い、一回だけだから」
「それ、悪い男が言う定型文だよ」
このゲームにある唯一のチート性能を誇る車体で一度だけ遊ばせてもらえば、それで満足する。
もちろん圧倒的な差をつけての勝利。そこまで嬉しくはないが、気は晴れた。
「一颯くんが浮気ばかりする悪い男になっちゃった。間男とかにならないでよ?」
「ならないよ! 俺はちゃんと最後は一人を選ぶ」
「……ステージは私が決めるね」
元の車体に戻した瞬間、一番カーブの多いステージに強制された。
心春はそれ以降、口を開くことはなかった。黙々と画面に集中し、俺への妨害はいつもより多めに、最後は情けなく圧倒的大差をつけられてゴールさせてもらった。
それから五回の勝負、すべて同じステージを選択され、俺に勝利はなし。
心春が静かにコントローラーを机の上に置くと、椅子を下りて部屋を出て行ってしまった。階段を下りてリビングに向かったわけではなく、珍しく自分の部屋に戻ったみたいだ。
「……なんか、寂しいな」
途中から心春が口を利いてくれなくなったと思った瞬間。いつも楽しいと思えるはずのこのゲームが楽しくなくなった。
いくら妨害されても、負けても、悔しいといった感情は一切湧かなかったのだ。
いつしか聖羅ルートで唯人が、悔しいはずなのにやり返したい気持ちが湧かない、悔し涙も流せないことが案外苦しい、と言った言葉の重みが今更ながら理解できた。
やがて夕暮れ時の部屋。部屋の真ん中に立ちすくむ俺の背中からオレンジ色が差し込んできても、虚しいことに影は一つしか生まれなかった。
自分でも驚くほどに投稿頻度が落ちてすみません。
週に二度は投稿したいのですが、ストックがあるとはいえ、どうしても厳しいときは週に一度の更新になるかもしれません。