101チュートリアル 選択肢……3
教室におずおずと身を丸めて入ってくる大柄な男子生徒。このゲームの主人公である椎崎唯人はこの初期には声に張りがない。
「霜月一颯だ、一颯でいいぞ、よろしく!」
「椎崎唯人です……、よろしくお願いします」
「敬語なんていらないさ。唯人って呼んでいいか?」
わずか十秒足らずしか聞くことのできない唯人の敬語。何度も聞いて慣れてしまったからこそこみ上げてくる可笑しさを俺は必死に耐える。初心に帰れば、転校初日に緊張しているのだなと受け入れられるのだが、“あの”唯人を知っているとどうしても面白くてたまらない。きっと俺と同じ状況ならば聖羅は何の根拠も無しに直感で爆笑していたことだろう。
朝のホームルームが終わって加賀美先生が教室を出れば、クラスのほとんどが席を立って唯人に詰め寄る。昔の俺ならここで詰め寄ってくる奴らを制御しようとしていたが、この状況を聖羅が招いたことを知った途端、クラスの奴らに授業開始三分前には解放するよう釘を刺し、俺は席を立って廊下に逃げるのだった。
「一颯の裏切り者―!」
そんな声が聞こえてきたとしても俺の知ったことではない。俺にとっては人波に揉まれてアップアップと流されていく心春の手を掴んで救出する方が大事なのだ。
昨日のうちに伝えておこうかなと思ったが、この場から逃げ出す口実を作るためにあえて教えていない。一人で人垣の背中を見つめるのは寂しいものだ。
「一颯くんはこうなることを知っていたの?」
「悪かったよ。知っていたけど、この時間は心春と話していたかったからな、俺の都合がいいようにさせてもらった」
「ふ、ふーん、……私とそんなに話したかったんだ」
顔を赤くして胸元の髪を弄りだした心春。俺の勘違いだったら恥ずかしいのだが、今回の心春は何かを意識しているような恥じらい方を見せてくれる。
昨日、心春に話した内容は今までと少し変化を加えてみたけど、その前提として駄菓子屋前での出会いを見せた理由は前に説明がやりやすかったからだが、今回はその後の説明のどこに心春の態度を変化させることがあっただろうか?
「昼休みに唯人の自己紹介があるからさ、その時にちょっと騙してやろうぜ」
「あ、それはいいね、上手く引っかかってくれるかな?」
「それはもちろん引っかかってくれるよ。これで唯人が俺たちに少しでも心を許してくれるようになるからさ、楽しく行こうぜ」
ちょうど一限開始のチャイムが鳴り、加賀美先生の怒鳴り声と共に生徒たちは散って各教室へと帰っていく。
くたっと机に突っ伏している聖羅の頭をポンと叩き、自業自得と一声かけてから席に着いた。
それを見ていた唯人がぼそっと話しかけてくる。
「二人、仲がいいんだな」
「まあな、細かいことは昼休みにまとめて話すよ」
教科書を見せたり、さっそく一年間勉強をさぼったツケが返ってきた唯人にところどころ説明を交えながら授業を受けていれば昼休みまではあっという間だ。こればかりは何度繰り返しても変わらない一本道のシナリオなのだ。
聖羅と俺で唯人の机に俺たちの机をくっ付けて形を作る。聖羅の隣の席の女子からも席を借りて心春の分も忘れない。
唯人は昨日のうちに菓子パンを用意していたみたいだから時間もかからない。俺たちは弁当を広げて改めて自己紹介を始める。
「昨日も教えたけど、神楽坂聖羅といいまーす、気軽に聖羅でもギャル長とでも呼んでね」
「昨日はギャル巫女って言ってなかったっけ? どちらにせよ、オレは聖羅と呼ばせてもらうよ」
俺が変に介入しなければ聖羅たち、俺の事情を知らない人は同じセリフを繰り返す。たとえ介入しても前後に少し付け足しが入るくらいだけど。
「朝にも言ったが、俺は霜月一颯、気軽に名前で呼んでくれ」
「ああ、分かった。よろしく、一颯」
今回もうずうずとして待っていた心春がばっと手を挙げて自己紹介をする。
「同じく心春でーす! よろしく唯人くん」
まあここからの流れは何度も見たから俺抜きでも問題ない。唯人が俺と心春の関係を探って勝手に勘違いして、聖羅が答えをばらして終わり。三人とも打ち解けたみたいでよかった。
さて、このあとはチュートリアルに当たる選択肢だ。今回の唯人はどのような反応をするだろうか? たとえここで月宮さんか聖羅に視線を向けたとしてもシナリオには一切の影響がないことを忘れてはいけない。
「唯人、すでにだれか気になったやつはいたか?」
「え? 気になった人……」
顎に指を当て、しばらく考え込んだ唯人が見せた反応は……。
「へえー、そのチラシを配っていた先輩が気になるのか?」
「一颯、あの人を知っているのか?」
唯人が徐に机の中から取り出したチラシは、図書室の月一で発行される新聞のようなペーパー。
他の図書委員が真面目に働かない中、今回の攻略対象である小鳥遊先輩は一人でもチラシ配りを頑張っている。
存在感が薄く、声も小さい上に三学年の間ではちょっとした異端として避けられている節があるから、チラシを受け取ってくれている人はほとんどいない。俺なんかチラシをどこで配っているのかさえ気付けたことがないから、転校初日から小鳥遊先輩に気付けた唯人はそういう運を持ち合わせているのかもしれないな。ゲームの主人公という理由だけだろうけど。
「ああ、知っているけど、大したことは知らないぞ。三年生の先輩で図書委員、あの人に会いたければ放課後の図書室を探すといいよ。見つけられるかは運しだいだ」
「このチラシがちょっと気になったからさ、ちょっと話を聞いてみたいな」
「何か気になった記事でもあったか?」
「俺が気になっていた本が入荷したって書いてあってさ、借りられるなら借りたいな」
唯人が本を読むような男なのかと以前の俺ならば思っただろう。でも柔道をやめて時間を持て余した唯人は若干遅めの中二心をくすぐられたみたいで、ライトノベルに密かに嵌っているらしい。それらが収められている段ボールだけはちゃっかり押し入れの奥に隠してあるのを俺は一度だけ発見した事がある。
俺が唯人の持つチラシを覗き込もうとするとそれを唯人は隠した。隠れオタクとして今後も道を歩んでいくみたいだ。変に突くことはやめておこう。
小鳥遊先輩についてはある程度情報を集めてはいるものの、本人を観察したことはほとんどないため自信がない。普段の様子を知る方法が少ないのが難点だ。
とりあえずは明日の校内を案内したあとにはぐれた唯人を追いかけて図書館の方を覗いてみよう。もしかしたら新しい発見があるかもしれない。
投稿遅くなって申し訳ありません。どんなに遅れても週に一話は更新したいと思っています。
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