1ー2:部屋の外に出ようと思う
境遇をどれだけ嘆こうと、生まれてしまったものは仕方ない。
前世で学んだ良い教訓がある。人生は諦めが大事。
ホムンクルスとはいえ記憶の中でもトップクラスを軽く凌駕する美幼女になれたのだ。しかも『ファウンド・エデン』の世界で。
この機会を満喫せぬ訳にはいかないだろう。いくら自分がホムンクルスとはいえ。詰んでるけれど。
ベッドを降りる。
床は少しだけひんやりしていて、少しだけ弾力がある。
……と。
「ゥエッ!? あぶッ!」
膝というよりも、足首から綺麗に崩れ落ちた。うつ伏せに、そりゃもう顔面強打した。
立ち上がろうとして、できない。
両手をついて上半身を起こそうにも勢いがつかず、たった一回の腕立て伏せすら無理そうだ。
なんという事でしょう。
筋力不足。圧倒的筋力不足。
残念なり。へにょんへにょんなリリスの体。今やもう私の体か。
自分の体重と格闘して数分も経たない内に、壁の一角がプシューっと音を立てて開いた。
なるほどドアはそこか、なんて思う間に、ガイノイドがやってくる。
その姿は背景の一部として見覚えがある。イヴとアダム候補達のお世話ロボ。
アンドロイド・ガイノイドはそれぞれ7体ずつで、全員に名前があるけれど、ヒトとの区別に名前の頭にRがつく。
タメ口&呼び捨てが基本のトゥーブとヴァーラ以外はヒトを一様に「フレンド」と呼ぶ。
部屋に入って声をかけてきたのは女型だけど、無個性な美人だ。
「大丈夫ですか」
「……起こしてくれる?」
床に突っ伏した私は早くもヘトヘトなので、美人なロボのアクションは助け起こすというよりも、抱え上げるといった方が正しい。もはや介護の域。
立とうとしたけど、腿とふくらはぎがぐにゃんぐにゃんでまた倒れそうな私を、彼女はベッドに座らせてくれる。
「ありがとう」
「問題ありません」
茶色い眼と髪のガイノイドは短い応答の後、身じろぎ一つしない。様子を観察されている。気がする。
試しに腰を浮かすと、肩に手を置かれた。
「今日はもう大人しくしてる」と仕方なく告げると、頷いて踵を返した。
「ねえ。私、リリス」
ファウンド・エデンのお世話ロボは背景だった。ゲームのチュートリアルで箱庭内の清掃炊事洗濯その他諸々の雑事を行っていると説明されただけで、動いてる姿は見られなかった。
「はい、フレンド・リリス。私はR・ハンナです」
此方を振り向いたハンナは、少しだけ、笑った。
そういうプログラムだろうけど、その顔は、綺麗だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて。
ベッドに逆戻りの現状。私はもうすっかりくたびれてしまったみたい。
絶望的な体力のなさ。
仰向けのまま両足をまっすぐ伸ばして浮かせてみる。
いーち、にーい、終了。ぼふっと下ろす。もうできない。
膝を曲げて自転車こぎは左右四回転くらいで頭がくらくらした。
なにこのよわよわボディ。
いくら生まれたばかりとはいえ外見は幼女なのだからもうちょっと考えてもらいたい。
作中でも、そして実際に、自分を作ったトゥーブとヴァーラに色んな事を聞いてみたいが、製造責任者を呼べ! と叫んだってどうせ二人は呼んでも来ない。アダム候補が入った培養器の調整に忙しいからだ。
こっちから出向くしかないのだが、まず外に出るまでが難関だと知る。
なのにわたしのからだときたら。うんこやん。
それから一週間かけて、ベッドの上で手足を上げては下ろし、曲げては下ろしを疲れ切るまで繰り返し。
七転八倒できない身で筋肉痛に苦しむ毎夜を越え、ついに! 立つ事に成功!
リハビリ的な事をやっている間、流動食を摂らせてくれたり体を拭いたり着替えをさせてくれたハンナは、私が成し遂げた成功体験に喜びと称賛の反応を見せた。
すっごく簡単に言うと、瞼と唇を広げ「おおー」と声を上げてから、笑顔で拍手してくれたのだ。ぱちぱちぱち。
足の裏がぶよぶよで覚束ないまま、何歩か進んで中腰のハンナに抱きつく。
自力で支えきれなくなったっていうのは、バレてるだろうけど、内緒。
「素晴らしい進歩です、フレンド・リリス」
ハンナはそう言って私を抱き上げ、ベッドに下ろすと背中や肩を撫でてくれる。
アラサー喪女が歩いただけで褒められるってすごい。泣けてくる。
でもいいんだ、今はすんごい美幼女のリリスちゃんだから。むしろ一週間ちょい前に生まれたばかりの赤ちゃんだから。
立って、ちょっと歩けるようになって、部屋の中を一周できるようになるのに更に三日を要した。
意識を取り戻してから二週間後。
これまで何度もハンナが開けて出入りしていた壁の箇所の前に立つと、そこはプシューっと音をさせるのではなく、何の前触れもなく青白く光り出した。あっと思った瞬間、光は細かなレーザーみたいな感じで、体中の表面を通過する。
私の体が――静脈や指紋、顔面や虹彩なんか――が、箱庭のセキュリティに認証された、んだと、思う。
もしかしたら遺伝子情報もだろうか。よく分かんないけど。
とにかく、それで、頭上からピーって機械音が鳴った。
ほんの少しだけ、いや、結構、ううん、かなりビビった。余裕こいたフリしてごめん。……私は誰に謝ってんだろう。
キョどる私の目の前で、プシューって壁が自動に開いて、部屋の空気がスオッと流れ出す。
こういう時って、普通は感動か何かするんだと思う。
でも、当の私は、気圧差に吸い込まれて“おっとっとぉっ”とばかりにつんのめってうっかり外へ出てしまったのだ。
その途端、わっと歓声に包まれる。
驚いて腰を抜かして座ってしまった私を、14人の……ううん、14体のロボが、ちょっと遠巻きに囲んでいた。