2ー3:子供は正しく育ちたい
私は悔しそうに走り去るヒューゴを無視して、哀れな3歳児の後を追おうとするトニイさんの名を呼んだ。
「ねえ、トニイさん。私をひどいって思う?」
「聊かに、攻撃的かと」
「……うん」
屈められた腰の上、じっとこちらを見下ろす藍色の瞳。ちょっとばかり居心地の悪さを感じるこれは、観察だろうか?
確かに、目覚めてまだ三週間も経ってない幼児が急に妙な言い分を重ね出したら私だって絶対怪しいと直感する。
それでも、と思う。今の段階で、あんな性格なのは、多分、ヒューゴの性根だけの問題じゃなくて、ロボット達もちょっとだけ悪いのだ。彼の二つ名は傲慢。それじゃ駄目なのだ。だから変えてしまいたい。
「自分だけが偉いって、そう勘違いしたら、駄目なんだよ」
『ファウンド・エデン』は、箱庭から外へ文字通り『エデンの園』を探しに行く事が目的だ。
南極大陸の地下から、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、北米、南米と巡り、南極へ戻る。
七つの土地に君臨する七つのボスは、栄華の果てに人が作った人造天使。
天使達はかつての人類史で理想や至高とされていた金髪碧眼の美青年然とした無性だった。
完全無欠な偶像を造った人々は、彼らが地球を理想郷として完璧な運営を行うものだと信じていた。『傲慢』にも。
しかし、彼らは理解していなかった。天使の仕える相手は人間などではなく、神様である事を。
執行者は人類に捌きを下した。バベルの塔さながらに、思いあがった文明を崩壊させたのだ。
恐ろしいほどの速度と力をもって鉄槌や剣、弓を向ける巨躯に、人々は必死の応戦を試みた。
七体。たったの七体に、当時百億超もの人口をして、勝つ事は叶わなかった。
だが、抵抗の爪痕の証しとして、本編のボスである天使達は体のどこかが欠けている。その欠損箇所が、大陸を移動する際の、各章の始まりに示される。差し伸べる手を持たず、歩み寄る足を持たず、etc、etc……。
話の本筋がずれてしまったが、『傲慢』は危険なのだ。人類滅亡の切っ掛けである。まあそこまで壮大でなくても、個人的に大嫌いである。
他者を慮らず自己中・我儘・ゴーイングマイウエイで突き進む俺様キャラに人類再興の鍵たるイヴちゃんを任せたい気持ちはゼロである。
ここは『みんなちがって、みんないい』路線に移行させたい。みすゞである。いや、あの生涯は可哀想すぎるから勘弁であるが。
私が沈黙している間に、トニイさんは私の言葉を吟味するように、何度か瞬きをした。ちっとも機械なんて思えない虹彩が、目の前で縮んだり広がったり。
「勘違い、ですか」
「うん。ヒューゴは自分がアダムだって思ってたでしょ。だから偉いんだって」
そう思わせたのはトニイさんだ。アダムにはなれない可能性だってある事を示唆しなかった。
だから、何かを成した実績もなく、与えられた役目だけで、もう立派な存在なんだと信じてしまった。
主たる人間のために働くロボットの態度が、目覚めて間もない未就学児に、『イヴ』の心ひとつで簡単に無くなる肩書の上に胡坐をかかせてしまった。
私はゲームを通じて『傲慢』だった人類の末路を知っている。だから、ヒューゴを『傲慢』のままでいさせるのは悪い事だと思う。
『ファウンド・エデン』にバッドエンドはない。スマホゲーだからだ。ガチャ回してカード集めてマラソン走ってレベル上げ。弱いままボスに突っ込んで負けても死にはしない。
でもそれが、現実だったら?
カードをどんな布陣にしても、天使の攻撃を最も受けていたのがヒューゴだ。レベルをどんなに上げたって、いつかは限界が来る。その時、真っ先に死ぬのは彼だろう。ゲームと違ってやり直しは利かないし、生き返りもしない。
ヒューゴは嫌いだ。
でも、死んでほしくはない。
「ねえ、トニイさん。
子供はおりこうさんじゃいられないの。だから間違ってたら叱るのも大人の役目なのよ」
「……畏まりました」
では、と続けようとする紳士に、私は無邪気な顔をして舌を出す。
「やーよ」
「フレンド・リリス、その態度は適切ではありません」
「私は子供だもん。やな事からは逃げるんだよー」
短い手でハンナを引っ張り、覚束ない足で走る。素直な良い子じゃなくなった生意気なリリスは、ファーマー達の間を縫ってケラケラ笑う。
最初に回復したのはルースだ。若い外見の彼女が私を楽しそうに追いかけ始めると、ドロレスとマーサが続いて駆け出した。
リリスの行く先はサイモンさんだ。「おんぶして!」とねだれば、両脇をわしっと掴まれて、ひょーいと宙に浮く。もじゃもじゃ赤毛の頭を抱えて、「はしって!」とお願いする。
「どこへ行きます?」
「わかんなーい!」
目的地なんてないのだ。トニイさんから逃げるのだって本気じゃない。サイモンさんは子供を乗せてバランスとりながらオタオタと小走りだ。多分もうすぐ捕まるだろう。おしりペンペンされちゃうかもしれない。
トニイさんもハンナも、ほかのひとたちも、生身の子供は初めてなのだ。私たちは児童書やなんやの文献に登場するような、お行儀のよい少年少女とは違う。いつだって間違うし、失敗する。
ロボットだって学べばいい。