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前編 ~ ユグドリア ~

 星月の大樹、それはこのユグドリア王国の中心である王宮にある唯一の聖なる樹。神が宿ると言われるほどの。

 植物が酸素を作るように、この樹は魔力の源である魔素を生み出すことができる。

 その樹は数百年ごとに代替わりをする。

 新たなる大樹となる若木が生まれる場所は、星月の大樹から生まれる魔素が届かない上に、魔物が多く生息する未開発地域の最深部。

 そこへ行き、若木を持ち帰らなければならない。

 まるで神がこの国の人間を試すかのように試練は与えられる。

 しかし神にも慈悲があり、魔物の地へ向う人の子が生きながらえるように聖女を遣わしてくださるという。

 星月の大樹と同じ力を持つ聖女を、必ず。




「聖女様が降臨されました!」


 その知らせはすぐに王宮を駆け巡った。

 星月の大樹を取り囲むように広がる泉にひとりの少女が突如現れたのである。

 黒い髪、黒い瞳のまだ十代と見える少女は、淡々と告げた。


「代替わりの時です」




 第一王子であるアウルムは知らせを聞いてすぐに星月の大樹の元へ向かった。


「初めまして、聖女様。このユグドリア王国第一王子アウルムと申します」


 膝をついて礼を取ろうとすると嫌そうな声が聞こえてきた。


「やめてください。そういうの慣れてないので」


「ですが…」


「だいたいの事情は、ここの神さま?かな、から聞かされてます」


「それでは遠慮なく、貴女のご助力に期待させていただきます」


 如才ない王子の言葉に聖女も少し安堵したようだ。




「わたしは茉莉花です。王子様ならきちんとした敬語で話さないとダメですよね…」


 部屋に案内され、アウルムとふたりだけになったマツリカは聖女といわれても納得できそうにないほど、ごく普通の少女だった。


「『聖女様』が何をおっしゃるのでしょう」


 アウルムの声にからかいが含まれているのを敏感に感じたようで、マツリカは顔をしかめている。


「申し訳ない、つい試してしまった。君がまっとうな人間でよかった。あまり気にせず普通に話してくれていい」


 選民意識ばかり高いような人物ではこの後の過酷な旅に耐えられない。

 供されていた紅茶に口をつけて、アウルムは続けた。

 22歳の自分よりいくらか年下であろう少女に、余計な先入観を与えたくないと思い簡素な言葉で。


「マツリカ、君はこの国を救ってもらうために召喚されたということは理解している?」


 こくんと子供のように頷く。


「若木を取りにすぐにでも旅立ってもらうというわけにはいかない。この世界の常識や君にしか使えない魔法を身につけるといった準備をすませてからになる」


 『魔法』という言葉にマツリカの目が少し輝いたのをアウルムは見逃さなかった。


「明日から指導役を連れてくるから、よろしく」



 そうして集められたのが、金髪碧眼の剣士アウルム第一王子、銀髪紫の瞳の上級治癒士プラータ巫女、亜麻色の髪と緑色の瞳の特級魔道士ルベル。

 彼らに加えて聖女であるマツリカの計4人が旅に出ることに決定した。




※※※




「なんでこんな簡単なこともできないんだ」


「ルベルはうるさいっ、気が散るから黙っててよ」


 王宮の特別室から今日もにぎやかな声が廊下まで響いている。アウルムはまたかと思いつつ扉を開けた。


 聖女には星月の大樹と同じように魔素を作り出すこと以外にもう一つ重要な役割がある。

 聖女しか使えない空間魔法。特殊な空間に収納した品は時を刻むことがない。

 それは未開発地域を長期間かけて踏破するためには、なくてはならないものなのである。

 マツリカの『わたしはどこぞのネコ型ロボットと一緒か』という気持ちは誰にも伝わらない。


 その魔法を効率よく使うために、かつマツリカが自分の身を守れるくらいの魔法を覚えようと指導役の魔道士であるルベルと特訓中なのである。

 アウルムとプラータはマツリカより年上で、兄弟は弟しかいないというマツリカは兄姉のように慕っていたが、たまたま同じ年のルベルとはどうにもケンカが絶えない。


「まあまあルベルもマツリカも落ち着いて。マツリカがそばにいてくれるだけでも魔法を使いやすいのは、ルベルもわかっているんでしょう?」


「プラータさんは優しいなぁ」


 子猫のようにプラータにすり寄るマツリカをルベルは苦々しそうに見ていた。

 アウルムが入ってきたのに気がついたマツリカは口をとがらせる。


「殿下ー、殿下が教えてくださいよ~、ルベルはいじわるなんで!」


「すまないが、私は魔法はそれほど得意ではなくてね。ルベルは特級魔道士だから安心して教わってほしい」


「とっきゅう~?」


 疑いの目を向けるマツリカに、アウルムは隣に立つルベルの耳を指差す。


「この赤いピアスはその証だ。王国でつけることを許されている者は数人しかいない」


「へぇーそんな意味があったんだ」


 マツリカの素直な視線がルベルに向けられると、ルベルの顔が少し強張った。そんな自分をごまかすように早口で注文をつける。


「とにかくお前は身を守ることを第一に考えろ。それが俺たち全員の生存につながるんだから」

 

「マツリカ、ルベルは君の身を案じているだけだから、多少の口うるささには目をつぶってやってくれ」


「で、殿下っ何をおっしゃっているのですかっ」


 慌てるルベルに思わず笑いがこぼれた。

 アウルムが知っていたルベルとはずいぶん違うがこの方が好ましい。


 

「あのふたり、相性は悪くなさそうなのですが、どちらもかなりな意地っ張りですわね」


 プラータのため息まじりの苦笑いにアウルムも同感だと思っていた。

 ルベルはもともと無口な研究肌の魔道士で、人付き合いも得意ではないが、マツリカを相手にするとよく話す。

 マツリカも誰一人知らない異世界に召喚され、不安に思うことの方が多いだろうに、ルベルにだけは構えることなく接しているように見える。

 お互いに言いたい放題に言える相手のようで、それがとても貴重なことであることを年長者は知っていた。



 一月後、それなりに魔法が使えるようになったマツリカを連れて、アウルムたちは旅立った。




※※※




「どうした? 眠れないのか」


 早めに休んだはずのマツリカが深夜の見張りをしていたルベルのそばに立っていた。


「こわい、ゆめ、みた」


 いつものうっとうしいくらいの元気さは鳴りを潜め、幼子が泣くのをこらえているように顔をくしゃくしゃにしている。

 そんな姿を邪険にできるはずもなく、ルベルは自分の隣に座るようにうながした。


 火にかけていたお湯で薬草茶を入れ、おとなしく座っているマツリカに渡す。

 温かいカップを握っているはずの手はまだ小刻みに震えていた。

 どんな夢を見たのか聞くのは酷なことだから別の言葉を口にした。


「マツリカ、お前はひとりじゃない」


 ルベルはマツリカが常に感じているであろう不安を少しでも減らしてやりたかった。


「俺たちは必ずおまえのそばにいる、そのことだけは疑わないでくれ」


「ありがと……」


 小さな声とともに、か弱いながらもちゃんとした笑顔が向けられ、その顔にルベルは心底安堵した。




※※※




 奥へ進むほどに魔物は強くなり、ようやく倒した後、周囲を見回りに行った男ふたりが不在になった。

 野営の準備をしようとしていたマツリカにプラータが口を開く。


「マツリカ、足を見せて」


「な、なに?プラータさん」


「あなた、さっきケガしていたでしょう。うまく隠したつもりだろうけど見ていたわ。早くちゃんと治癒しないと」


 慌てるようにマツリカの方へ手を伸ばすプラータからそっと距離を取って足を見せる。


「見間違いじゃない?ほら、傷なんかないでしょ?」


「あら、ホント。おかしいわね」


 不思議そうに首をかしげるプラータを見て、マツリカはにっこり笑って不思議な言葉を告げた。


「わたしは『ネコ型ロボット』と一緒だから傷なんかつかないの」




※※※




 魔物に襲われることも多々あるが、最深部への道行きは遅くとも確実に進み、王宮を出発して二月が過ぎるころ4人は無事に若木を手にすることができた。


 

「ごめんなさい」

 

「なんで謝る」


 魔物との戦いでルベルは腕に重傷を負った。撃退後すぐに治癒したが失った血までは戻らない。

 少し青白い顔で横になっていたルベルのもとへ泣きそうな顔をしたマツリカがやってきた。


「わたしがもっとうまく魔法を使えれば、ケガしなくてすむことがたくさんあるかもしれないのに」


「それはお前が気に病むことじゃない。ケガはお前のせいじゃないし、プラータさまが治癒してくださったからもう大丈夫だ」


 その言葉を証明するかのように、起き上がったルベルは腕を上げた。


「それでも熱かったり、息苦しかったり、痛かったりした気持ちは消えない…」


 湿った声でうつむくマツリカの小さな頭を、ルベルはあえてケガをした腕で抱え込む。


「お前はそばにいてくれるだけでいいんだ。それだけでいい」




※※※




 帰路も半分を過ぎた頃、交代時間よりもずいぶん早くアウルムが起きてきた。見張りの当番だったマツリカ以外のふたりはまだ眠っている。


「マツリカ、少し話せないか?」


「いいけど、改まってどうしたの? 殿下」


 短くはない道中でマツリカとルベルが惹かれあっていったのはわかっていた。

 悪路を進むときに差し伸べられるルベルの手を、ためらいなくつかむようになっているマツリカの姿を。

 疲労からか少し微睡むマツリカに、隣に座ったルベルがそっと引き寄せ肩を貸す姿を。

 マツリカの作った料理を笑い合いながら食べるふたりのその姿を。

 そばで見てきた王族として、聞かなければならないとアウルムは覚悟を決めた。


「まさか私の生きる時代で代替わりが起きるとはね」


「殿下は『聖女』についてどこまで知っているの?」


 マツリカは彼が何を話したかったかすぐにわかってしまったから、少しでも話しやすいようにと自分から問いかけた。


「王宮書庫に王族のみ閲覧可能な禁書がある。そこにはこれまでの代替わりでの事実が記載されている。旅に出る前にすべて目を通した」


「役割を果したら『必ず帰る』って書いてあった?」


「ああ」


「やっぱりそれが『さだめ』なんだね」


 これまでの聖女は元の世界へ戻っていた。一人の例外もなく。


「それにこれは事実ではなく推察として書かれていたのだが…」


 常になく言いよどむアウルムに対して、マツリカは出会ったころよりずいぶんと大人びた顔を向けた。


「殿下が今回のことを記すつもりなら必ず書いておいてほしいな。『この世界の人間を好きになるな』って、大事なことでしょうに」


「マツリカ……」



 アウルムは過去の事実を読んだときは何も思わなかった。帰るのは当然のことだとも思った。

 けれど今当事者となり、マツリカを目の前にしてどうしようもなくそのことを恥じた。

 書を記したのは聖女たちに助けられたこの国の人間である。当時の彼らは聖女の『想い』を何一つ書いていなかった。

 こんなふうに聖女の『想い』を犠牲にしていなかったとは誰にも言えないから。



「黙っててごめんね、殿下。一月くらいでおかしいなって思っていたんだけど確信が持てなくて」


「いや、こちらの事情に付き合わせているのだ。謝罪される謂れはない」


 アウルムはむしろ謝罪したいくらいだった。

 マツリカの顔立ちは何一つ変わらないのに、その表情が、その黒い瞳に宿る光があまりにも悲しげで。

 言葉を尽くして感謝を伝えても、謝罪を伝えても、彼女の悲しみは癒せないだろう。




※※※




 明日には王宮に入れるという日の夜、ルベルはマツリカに問いかけた。


「あと少しだな」


「そうだね、あと少し」


「あと少ししかないんだな…」


 ルベルが何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか気がつきたくなかったマツリカは被せるように言葉を紡ぐ。

 

「ルベル、わたしね、帰りたいの。帰らないとダメなの」


「どうしても?」


「どうしても」


「そう…か」


 『帰りたい』と(こいねが)うのは当然で、ルベルは引き留めることも、伝えてよい言葉もなく、ただ見送るしかないできないことを悟ってそれ以上は言えなかった。




※※※




 王宮の中心にある大樹の元でマツリカが若木を空間から取り出した瞬間、あたりを強い光が覆った。


 「マツリカ!」


 いち早く目を開けたルベルが見た光景は、消えかかったマツリカの体。


 帰ることはわかっていた。

 もう会えなくなることも理解していた。

 でもそれがこんなに急だなんて思いもせず。

 消えかけた彼女の手をつかんだ。




 ――と思った瞬間、マツリカの姿はどこにもなかった。












『今持ちうる限りの力で貴女に加護を与えますし、無事に代替わりを果せたら、必ず元の世界の同じ時間に帰すことを約束します』


 それが聖女と神が交わした約束。

 必ず元の世界に帰ることは最初からの決定事項。そして聖女にしか使えない空間魔法、それは時を刻むことを止める。

 聖女自身の体にもそれは加護として発動していた。


 つまりユグドリアいた間、マツリカの体は時を止めていた。

 爪も髪も伸びることはなく、傷がついてもすぐにそんな事実がなかったように痕も残らず治る。

 その体は一切成長していなかったのである。

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