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7.恋する魔法少女



「はっ!? な、なんで……!?」

 振っても叩いても水滴一つすら見当たらない空の小瓶に、思わず狼狽する僕。

 まさかすでに中身を使い切っていたなんて。以前会った時に激しく戦闘していたみたいだし、その時に傷を治癒するのに使用したのかもしれない。



 どうしよう。どうしたらいい? このままでは輝夜さんの命が──



「…………うっ……」

「!? 輝夜さん!?」

 かすかに呻き声を発した輝夜さんに、僕は飛び付くように彼女の体を抱き上げる。

「……慎、之介……?」

 微かな声で僕の名前を呼ぶ輝夜さん。僕がここにいる事がよほど驚きだったのか、弱々しくも凝視するようにこちらを見つめながら言う。

「どう、して、慎之介がここに……?」

「ひとまずそれは後回しで! 今はその血をなんとかしないと──輝夜さん。前に使っていた魔法の小瓶はこれしかないんですか?」

「ええ……。前に全部使っちまいましたから……」

「じゃあすぐに作る事は? でないと出血多量で死んでしまいます!」

「作るのは……無理です。それは、とある魔法少女から物々交換で作ってもらった物なので……」

「そんな……」

 輝夜さんの言葉を聞いて、愕然とする僕。

 傷を癒してくれる魔法の薬が作れないんじゃあ、どうやって輝夜さんを──



「そうだ……。『トゥインクルマギカ』……!」



 確か一般人には使えないという話だったが、それでも輝夜さんに届ければ、願いを叶える事で傷を治せるはずだ!

「待っていてください輝夜さん! 今すぐ『トゥインクルマギカ』を拾い集めて──

 と。

 早速『トゥインクルマギカ』が散らばっていたところに戻ろうと立ち上がりかけた途端、不意に輝夜さんに腕を掴まれた。

「輝夜さん……?」

 戸惑いつつ後ろを振り返ると、輝夜さんは無言で首を横に振った。

「なんで……。だって早くしないと輝夜さんが……」

「……無駄です。わたくしがこうなった以上、奴らを足止めさせていた死霊達も……」

 と、輝夜さんが言い終わる前に、それまでまったく姿を見せなかったはずの魔法少女達が、ここにきて『トゥインクルマギカ』が散らばっている地点へと空から降り立ってきた。

 推察するに、輝夜さんが致命傷を負った事で死霊達が消え、その隙に桃色や水色の魔法少女達が『トゥインクルマギカ』を回収しに来たのだろう。

「くそっ。こうなったら力付くでも……!」

「無理でやがりますよ……。一般人の──それも普通の中学生が魔法少女に敵うはずがねぇです……」

「でも、でも! このままだと輝夜さんが──!」

 焦燥する僕に、輝夜さんは静かに微笑んで、



「慎之介。そばにいて……?」



「なんで──」

 なんで、そんな覚悟を決めたような瞳をするんだよ。

 すっかり血の気の失せているのに──今にも死にそうな顔でそんな風に微笑みかけられたら言われたら、もうどこにも行けないじゃないか……。

「輝夜さんはこれでいいんですか……?」

 少しでも楽でいられるよう、輝夜さんの頭を僕の膝の上に乗せつつ、意識が途切れないよう話しかける。

「これじゃああんまりじゃないですか。そりゃ輝夜さんがしようとした事は決して許されるようなものじゃないけれど……」

「……因果応報ってやつですよ。わたくしが今までしてきた報いが、今返ってきただけの話です……」

「けど、最後は両思いになろうとしただけじゃないですか。僕と結ばれようとしていただけじゃないですか……」

「ええ……。けれど、それはもういいんです……」

 息も絶え絶えに、それでも輝夜さんは自分の想いを必死に伝えようと震えた唇で口を開く。



「だってこうして、慎之介とお互いの気持ちを確認できたんですから……」



「輝夜さん……」

 こんな状況で幸せそうに頬を緩める輝夜さんを見て、鼻の奥がツンと熱くなった。

「バカですよ、輝夜さんは……。こんな事しなくたって──『トゥインクルマギカ』に願わなくたって、ずっと好きだったのに……」

 だからこそ、『トゥインクルマギカ』も願いを叶えなかった。

 だって最初から、僕と輝夜さんは両思いだったのだから。

「だって、慎之介に嫌われたと思ったから……」

 今にも溢れそうな涙を歯噛みして堪える僕とは逆に、輝夜さんは目尻を濡らしながら言葉を発する。

「他の誰からも嫌われてもいい。世界中の人から疎まれてもいい。それでも慎之介だけは──」

 言って、輝夜さんは静穏に落涙しながら、僕の頬にゆっくり手を伸ばした。



「慎之介にだけは、嫌われたくなかった……っ」



 普通の少女のようだった。

 死にそうなほど蒼白の肌で、口から血を垂らしながらも、目尻から大粒の涙を止めどなく流す彼女の姿は、どこにでもいる普通の少女に見えた。

 恋する少女にしか見えなかった。

「好きでしたよ、最初から……」

 僕の頬に添えてきた手を──さながら蜘蛛の糸に縋る罪人のごとく差し伸べてきた輝夜さんの手にそっと触れて、僕は言う。

「初めて会った時から、ずっと好きでしたよ……。今も輝夜さんの事ばかり考えるほど、ずっとずっと好きでしたよ! 今も大好きですよっ!」

「よかった……」

 自然と溢れ落ちた涙と共に胸の内を吐露した僕に、輝夜さんは心底安堵したように口許を綻ばせて、囁くように呟いた。



「それを聞けただけで、わたくしは──……」



 それが最後だった。

 最後にそう穏やかに呟きを漏らして、それから輝夜さんは一切口を開こうとはしなかった。

「輝夜、さん……?」

 突然力が入らなくなったように、伸ばしていた手を唐突にだらんと地面へと下ろした彼女に対し、僕は呆然とした状態で無意識にその名を呼ぶ。

 だが、輝夜さんが応える事はなかった。

 閉じていた瞼が、再び開く事はなかった。

「輝夜さん……。輝夜さんってば……!」

 声を荒げて彼女の肩を揺さぶる。

 それでも、起きてくれない。

 いつもみたいに、悪戯じみた笑みを僕に見せてはくれない。

 いや、まだだ。こんなところで死なせてたまるか。

 せっかく二人の気持ちが通じ合ったんだ。



 ──これが物語なら、ヒロインが復活するシーンのはずだろ?



「……そうだ。これがアニメや漫画のクライマックスなら……」

 僕が主人公ならば。

 ヒロインがこのまま死ぬはずがないんだ。

 そして思い出す。

 いつか輝夜さんが、僕にキスをねだっていた事を。

 あの時は冗談混じりに言った言葉かもしれないが、今がその時なんじゃないか?

 眠り姫も目を覚ますようなキスを、今するべきなんじゃないか?

「輝夜さん──」

 そっと彼女の上半身を抱き上げて、血に濡れた輝夜さんの唇を見る。

 さあ、奇跡を起こそう。

 ハッピーエンドの始まりだ。

 そうして僕は、ゆっくりと輝夜さんの唇へと顔を近付けて、初めて自分からキスをした。

 これが二度目のキス。

 おそらく、これが最初で最後の僕からのキス。

 果たして、輝夜さんは──



 目を、覚まさなかった。

 奇跡なんて、何も起きなかった。



「なんで……なんでだよ……っ!」

 何も変わらない現状に、僕は慟哭するように叫んだ。

 滂沱の涙を流しながら、輝夜さんの体を抱き締める。

「なんで何も起きないんだよ! 所詮僕はモブキャラでしかないって事なのかよっ!」

 輝夜さんの血で全身が汚れるのを厭わず、僕は悲哀をぶつけるように彼女を力強く抱き締め続ける。

 まだ、こんなに血は温かいのに。

 それでも輝夜さんが死んでしまっているなんて、信じられなかった。信じたくはなかった。



「死んだか──」



 と。

 そんな僕に現実を突き付けるように、いつの間にか近寄っていた水色の魔法少女──渚が、僕に抱かれたままになっている輝夜さんを無感情に見つめながら口を開いた。

「当然か。殺すつもりで魔法を使ったんだから。まあ離れた距離にいたから、当たるかどうかは一か八かだったけど」

 これも大樹の魔法であの女の居所を探してくれたおかげだぜ、と渚は背後にいる緑色の魔法少女に話しかけた。

「そのせいでこっちは大変な目に遭いましたけれどね。ほんと、索敵とステルスの魔法を同時に使わせるなんて無茶苦茶です。おかげで無防備状態の私を骸骨達が容赦なく襲ってきたりして、本当に冷や冷やしたんですよ?」

「でもその間、ボクや渚が守ってやったじゃん」

「それでも怖いものは怖いんですよ。あの場はああするしか窮地を脱する方法がなかったので、仕方なく渚さんの提案を呑んだだけです。幸い、あの黒の魔法少女が願いを叶える前に剣が届いたので、結果的には何とかなってよかったですけれども」

 それはともかく──と大樹は嘆息混じりに言いながら、僕に懐疑的な視線を寄越してきた。

「さっきからあの黒の魔法少女のそばにいる少年は何者なんでしょうか? 魔法少女でもない普通の人が結界の中に入ってこられるはずがないんですが。それに、あの黒の魔法少女とは一体どういう関係なのでしょう? 少なくとも単なる知り合いというわけでもなさそうですが……」

「さあな。別にどうでもいいよ。あいつに戦える力があるとは思えないし。それに何より、こうして無事に『トゥインクルマギカ』も取り返せたんだしな」

 見ると確かに、渚の手の中に虹色に光る結晶が握られていた。

 それも五つすべて。

 これで彼女達の願いも叶う事だろう。

 何を願うかは知らないし、輝夜さんが死んだ今、どうでもいいような事ではあるが。

「……ねえ、大樹ちゃん。渚ちゃん」

 と、一番後ろにいた桃色の魔法少女──桃華が、控えめな声音で仲間達に訊ねた。

「……その、あの黒い魔法少女さんを、何とか助けられないかな……?」

「バカか桃華は!!」

 間髪入れず、渚が怒号を飛ばした。

「こいつは向日葵ひまわりを──ボク達の大事な仲間を殺したんだぞ!?」

「わたしも渚さんと同意見ですね。あまつさえ、あの黒の魔法少女は『トゥインクルマギカ』を使って人類を滅ぼすと私達に公言していたような方なんですよ? それとも桃華さんは、『トゥインクルマギカ』で彼女を甦らせようとでも仰るんですか? 向日葵さんよりも先に?」

「それは……っ」

 言いかけて、口を噤む桃華。

 渚と大樹の意見は正しい。仲間を殺した人を甦らせるなんて、常軌を逸している。普通ではない。

 それは、きっと桃華の人の良さから来ているのかもしれないが、優しさだけでは人を救えない。

 僕が輝夜さんを助けられなかったように。

 愛の力でさえどうにもならなかったのだから。

「……どのみち、『トゥインクルマギカ』で死者を甦らせられるのは一人だけだ。願いが一つしか叶わない以上、ボクは向日葵を甦らせる以外に願いを叶える気なんてないぞ」

「私も同じです。だから私達は、このために頑張ってきたんじゃないですか。最初はそれぞれ違う願いで『トゥインクルマギカ』を集めていた私達ですが、向日葵さんを通じて仲良くなって、それで協力して『トゥインクルマギカ』を集める仲間になったんじゃないですか」

「うん。一人一人順に願いを叶えようって、向日葵ちゃんとみんなで約束したんだよね……」

 思い出を反芻するように瞑目しながら、桃華が小さな声で答える。

「だったらもう、迷う理由なんてないだろ?」

「…………うん」

 渚の問いに、遠慮がちに頷く桃華。

 桃華の中でようやく優先順位が定まったのだろう。

 敵よりも仲間の命を選ぶという、当たり前の選択を。

「それじゃあ、さっさと行こうぜ。ここで『トゥインクルマギカ』を使うわけにはいかないしな。向日葵の家まで行って、遺骨のそばで願わないと大変な事になってしまうからな」

「えっ。で、でも、あの男の子はどうするの……?」

「放っておけばいいだろ。その内結界が解けてすごい騒ぎにはなるだろうけど、魔法で死んだなんて誰も信じないだろうし。それにいざという時は、大樹の魔法で記憶をちょこっと改竄かいざんしたらいいだけの話だしな」

「ええ。ですがその前に、向日葵さんの家族や友人の記憶を操作しませんと。突然彼女が生き返ったりしたら、周りの人が腰を抜かしかねませんからね」

「だな。──ほら、行くぞ桃華。いつまでもこんなところにいても仕方がないし」

 言うや否や、大樹と一緒に浮遊し始めた渚を見て、桃華も慌てた様子で「あっ。待って!」と後を追う。

 と。

 空を飛ぼうとして、桃華が一瞬だけこちらを振り向いた。

 ──ごめんなさい。

 振り向き様、かすかにそう呟いたような気がした。気がしただけで、本当に言ったかどうかはわからない。もしくは別の言葉だったのかもしれない。

 でも、どちらでもよかった。

 どっちにしろ、輝夜さんが助かるわけではないのだから。

 そうして魔法少女達は、どこぞへと飛び去ってしまった。

 僕と輝夜さんだけを残して。

「……………………」

 誰もいなくなったあと、僕は依然としてピクリとも動かない輝夜さんを胸の中で抱き締める。

 大好きな人の死体を、一人虚しく抱き締める。

 初めから、こうなる事はわかっていた。

 最初から助けてくれるだなんて期待していなかった。



 だって輝夜さんは、あの魔法少女達の仲間を殺してしまったから。

 本気で人類を滅ぼそうとしていたから。



 だから輝夜さんの末路は、こうなってしかるべき運命だったのだろう。

 最後に悪は倒されるものなのだから。

 悪者なんてこの世にいてはいけないものだから。



 けれど。

 けれどさあ!



 そんな悪い人にも、ちゃんと好きな人がいて。

 しかも両思いで。

 そんな彼女の悪事を止めようとしたのに、結局は間に合わなくて。

 あまつさえ、その大好きな彼女を目の前で亡くしてしまった人は、これからどうしたらいい?

「僕は、どうしたらいいんですか……?」

 誰ともなしに問い掛ける。

 それは世界中の人間だったかもしれないし、世界そのものだったかもしれない。

 あるいは、神様に対する質問だったかもしれない。



 けど結局、誰も何も答えてくれなかった。

 世界は静止したままだった。



「…………」

 いつしか、涙は枯れ果てていた。

 もう動く気にはなれなかった。あの魔法少女達が言っていた事から察するに、ここは異界か何かで、このままだと輝夜さんの死体を抱いたまま現実世界に戻ってしまうのかもしれないが、それすらどうでもいいと思ってしまうくらいに心が摩耗していた。

 ボロボロだった。

 あれだけ涙で滲んでいた世界が、今はとても色褪せて見えるくらいに。

「世界って、こんなに醜いものだったっけ……?」

 こんなにも残酷なものだったっけ?

 いや──もういいや。どっちでも。

 世界が美しかろうが醜かろうが、もはやどうでもいい。

 どのみち輝夜さんのいない世界なんて、興味の欠片もないのだから。

 こんなのは単なる八つ当たりだ。ただの自暴自棄だという事は頭で理解できている──それでも。

 感情だけは、どうにもならなかった。

 輝夜さんの死を許容するこの世界を、許せはしなかった。

 たとえこれで世界中の皆がハッピーエンドになれたとしても、僕と輝夜さんだけがバッドエンドを迎えるしかないのなら、いっそ。

 いっその事、こんな世界────



「こんな世界、滅んでしまえばいいのに……」





「──それじゃあ、わたくしと一緒に滅ぼしてみますか?」





 さながら、春の木漏れ日に流れ込んできた、穏やかなそよ風のようだった。

 ともすれば聴き流してしまいそうなほどの幽けき声に、僕はハッと茹での中にいる輝夜さんを見やる。

「輝夜、さん……?」

「はい。慎之介の大好きな輝夜さんでやがりますよ」

 相変わらずの丁寧なのか粗暴なのかよくわからない口調。

 そして、チェシャ猫のような悪戯じみた笑み。



 輝夜さんがそこにいた。

 まごう事なき輝夜さんが、僕の腕の中でニコリと微笑んでいた。



「えっ……え? な、なんで……? だって輝夜さんはさっき死んだはずで……」

「混乱してやがりますね、慎之介」

「当たり前じゃないですか! いやほんと、何なんですかこれ……?」

 夢や幻なんかじゃない。輝夜さんが生きている──あれだけ白かった肌も、だんだんと赤みが差してきている。体温だって輝夜さんが意識を無くしていた時よりも、わずかではあるが少し温かい。

 一体全体、何がどうなっているんだ……?

「念のため言っておきますが、一度死んだのは本当の事でやがりますよ? ただ、わたくしの魔法で復活できたというだけで」

「魔法? こうなる前に、あらかじめ自分に魔法を掛けていたって事ですか?」

「正確にはわたくしではなく、慎之介でやがりますけどね」

「え、僕に?」

 そんな魔法、掛けられた事あったっけ?

「ほら、いつか慎之介の額にキスした事があったじゃねぇですか。その時に一応の保険と思って、蘇生魔法を掛けておいたんですよ」

「蘇生魔法……?」

「ええ。自分以外の誰かにキスをしてもらう事で発動する魔法で、一度死んだ体を全快とはいかずともある程度回復した状態で復活しやがるんです」

 ドラクエでいうところのザオラルみたいなものでやがりますね、と解説する輝夜さん。

 言われてよく見てみると、致命傷が軽傷になるくらいには、ある程度傷が塞がっていた。

 確かに、全快復活ザオリクというよりは半快復活ザオラルではある。

「いや、でも僕それ、何も説明されていなかったんですけれど……」

「さっきも言った通り、保険のつもりで掛けた魔法でやがったんですよ。まさか慎之介がこんな危ないところにまで来るとは思ってませんでしたし。そもそも前にあった時、すっかり嫌われたものだとばかり思っていたので」

「そ、それにしたって博打すぎませんか? たまたま僕がこうして輝夜さんを見つけて、その上単なる思い付きでキスしたからよかったものの、そうでなければ本当に死んでいたんですよ!?」

「ええ。だから、なおさら嬉しいんです」

 言って、輝夜さんは今まで見た事のないような満面の笑顔を浮かべてこう続けた。



「眠り姫も飛び起きるような、とびっきりのキスをしてくれて」



 その笑顔を見た瞬間、顔が発火したように熱くなった。

 次いで、「はあ〜」深い溜め息が漏れる。

 まったく、この人は。

 抜け目ないというか如才ないというか、まさか冗談だと思っていた眠り姫云々の下りをここで伏線回収してくるとは思わなかった。

 というか、わかりづらいよ。その伏線。

「ホントに輝夜さんは……。というかもしかして、輝夜さんの事だから、本当はキスした時点ですでに意識があったんじゃないんですか?」

「さすがにキスしてすぐには意識は戻らねぇですよ。ただ奴らが話し込んでいた最中に目は覚めていたので、そのまま死んだ振りをしておきましたが。実は生きていたなんて知られたら、面倒な事になるのは目に見えてましたし」

「つまり、僕の独り言もしっかり聞いていたってわけですか……」

 うわあ、めちゃくちゃ恥ずかしい……。

 僕の黒歴史ノートに、また一ページ消したい過去が増えてしまった。

「別に恥じる必要はねぇですよ。わたくしの死を悲しんでの事ですし。それにアニメやマンガの主人公みたいで、わたくし的には素敵に見えましたよ?」

「それはどうも……」

 好きな人に厨二病的なセリフを聞かれて、素直に喜べそうにもないが。

「そもそも、こんな魔法があったら最初に言ってくれたらよかったのに。そしたら僕も、ここまで心配する事はなかったと思うんですけれど?」

「前にも言いやがりましたが、これはとっておきの切り札なんですよ。今回の慎之介みたく、事前にもう一人の協力者が必要になりますし。死後一時間以内にキスしないと効果は出ませんし。何より発動したらその日一日は体がまともに動かなくなりますし」

「なるほど。発動したら最後、完全に無防備状態になるというわけですか……」

 確かに、これは切り札だ。

 本当にいざという時にしか使えない類いの、という意味で。

「……ん? あれ? 今さっき丸一日は体が動かせないみたいな事言いませんでした?」

「言いましたよ? なので──」

 と、輝夜さんはプルプルと小刻みに震えた手をゆっくり僕の頬まで伸ばして、ニコニコとわざらしく破顔しながらこう言った。



「病院まで、わたくしを運んでもらってもいいですか? できればお姫様抱っこで★」



 三月一日



「昨今の中華まんは多種多様な具が入ってやがりますが、中にはカスタードや芋までもが具材にされて、もはや何でもござれという感が増してきてやがりますよね。まあ、わたくしはそういう甘味も好きなので特に気にしねぇですが、いつかフォーチュンクッキーみたく、おみくじの紙まで入れられそうで末恐ろしい限りです。もっとも、スライム肉まんのように一過性の話題で終わりそうではありますが」

 と。

 僕の部屋の窓際で優雅に足を組みながら、いつものように黒衣のコスチュームを着た輝夜さんがチョコレートまん(当然のように僕の奢りである)をちょびちょびと可愛いらしく口に運びつつ声を発した。

 そんな輝夜さんに「はあ……」と生返事しつつ、勉強していた手を止めて、僕は言葉を継いだ。

「それよか、中に入って食べたらどうですか? わざわざ窓際に座ってチョコレートまんを食べなくても、ここにちゃぶ台もあるのに」

「いえいえ。慎之介の勉強の邪魔をするわけにもいかないので。それにこうして夜空をバックにして窓際に座るのも、なかなか絵になっていいじゃねぇですか」

「チョコレートまんを持っていなかったら、そうだったかもしれませんね」

 そもそも、美味いのだろうかあれは?

 いやまあ、畢竟ひっきょう菓子パンのようなものだろうし、たこ焼きにだって具材にチョコレートを入れたりするところもあるくらいなんだから、一定数の需要はあるんだろうけど。

 それに。

 こうして輝夜さんが元気に中華まんを食べている姿を見られるのなら、具材がいかに突飛なものでも些末である事には変わりない。



 十二月二十四日──クリスマスイブに輝夜さんが一度殺され、僕のキス(正しくは輝夜さんの魔法のおかげではあるのだが)によってなんとか生還できたあの夜。

 あの日、僕は輝夜さんの要望通り、お姫様抱っこで病院まで連れて行ったのだが、全治一カ月の診断が下された。

 当然、入院生活も余儀なくされたのだが、その三日後には、輝夜さんは病院を抜け出していた。



 というのも、例の傷を回復できる薬をとある魔法少女から受け取り──入院中に連絡を取っていたらしい──もう治療の必要も無くなったので、あれこれ身元を調べられる前に脱走したのだとか。

 一応、それまでに掛かった治療費はちゃんと置いてきたらしいのだが(でないと、病院まで連れて行った僕が困る)、それ以上に、輝夜さんがお金を持っていたという事実の方に驚いた。

 輝夜さん、別に無一文というわけじゃなかったんだなあ。

 まあでも、そりゃそうか。いつも奢らされている側だけど、ちょっと中華まんを買ってもらっただけで生活できるはずがないし。

 どうやって生活資金を調達しているかは知らないし、想像すると怖いので深くは訊かないけれど。

 なんであれ、こうして輝夜さんとまた会えるようになったのは喜ばしい事だ。

 いつの間にか住所を知られて、こうして夜の間だけ僕の部屋に訪れるようになってしまったが。

 いや、いいんだけどね。一人で夜道を歩かずに済むし。

 ちなみに余談ではあるが、僕があの時結界に入れたのは、あらかじめ蘇生魔法が掛けられた状態だったからじゃないか、というのが輝夜さんの説だ。

 真実は定かではないが、どちらにせよ、偶然の重なりで輝夜さんが助かったのには変わりないわけで、本当に運が良かったとしか言えない出来事であった。

 輝夜さんの場合、運が良かったというか悪運が強かったと言うべきかもしれないが。

 悪役だけに。

「それはそうと──」

 と。

 持っていたシャーペンをちゃぶ台の上に置いて、僕は輝夜さんに向き直る。

「輝夜さん、今日も『トゥインクルマギカ』を集めに行っていたんですよね? 成果はありました?」

「全然。やはり場所が遠いとなかなか集まりにくいですね。かと言って、もう近場で探すわけにもいかねぇですし、困ったもんです」

「あの水色の魔法少女達に見つかったら、何をされるかわかりませんしね」

 殺したはずの人間が生きていた──そんな事が当人達に知られたら一体どうなるかなんて、想像するだに恐ろしい。

「いっそ、やめたらどうなんですか? もう人類を滅ぼすとか途方もない願いを叶える気はないんですよね?」

「何言ってんですか。確かにもう人類を滅ぼす気はねぇですけれど、わたくしにはマイホームを建てるという新しい夢があるんですよ? それを諦めるつもりなんて微塵もねぇです」

 頑として意志を曲げる気はない様子の輝夜さんに、僕は嘆息をついた。

 そうなのだ。

 紆余曲折あって、人類を滅ぼすという願いこそ放棄してくれた輝夜さんではあるが、先の発言にもあった通り、今度はマイホームを建てるために『トゥインクルマギカ』を集めるようになってしまったのである。

 僕と二人で住むためのマイホームを。

 ……………………。



 いやまあ、嬉しいんだけどね?

 輝夜さんと二人きりで住める家とか、考えただけで飛び跳ねたくなるほど最高の気分ではある。



 しかしながら。

 しかしながら、である。

 実現したら空に舞い上がりたくなるような夢ではあるが、さりとて『トゥインクルマギカ』を集めるにはそれなりに危険を伴うわけで。

 まして前みたいに強奪を繰り返していたら、また恨みを買いかねないわけで。

 だから最初は止めたのではあるが、輝夜さんは一度も首を縦に振らず。

 それで仕方なく、僕の方から以下の条件を付けたのだ。



 一つ、他の魔法少女から『トゥインクルマギカ』を奪わない事。

 一つ、他の魔法少女に危害を加えない事(正当防衛の場合は除く)。

 一つ、危険だと思ったらすぐに逃げる事。



 以上が、輝夜さんが『トゥインクルマギカ』を探す上で約束させた三つの条件である。

 もっとも、そう簡単にいかなかったというか、それ相応の対価は必要になったわけではあるが──

「ていうか、慎之介。あの約束なんとかなんねぇですかね? あれじゃあただでさえ集まりにくい『トゥインクルマギカ』が余計集まらねぇですよ」

「だから強奪を許可しろと? しませんよ、そんな許可。それで他の魔法少女から総当たりで攻撃されたのを忘れたんですか?」

「そうは言われても、効率が悪いのは事実ですし。二つ目の条件だって、正当防衛なら殺してもいいという解釈でないと、やり辛いんですけれど?」

「絶っ対ダメですからね! 以前に、向日葵という魔法少女から殺されかけた事は聞きましたし、あの時はやむをえなかったのかもしれませんが、元を正せば輝夜さんが『トゥインクルマギカ』を奪ったせいなんですから。殺すのはもちろん、よっぽどの事情がない限りは相手に重傷を負わせるのは禁止です」

「やれやれ。慎之介は融通が利かねぇですね〜」

「どっちがですか」

 ちょっとは心配する身にもなってほしい。

 仮にも、恋人同士なんだし。

「……それにマイホームくらい、僕が社会人になってお金を稼ぐようになったら買ってあげるのに……」

「ん? 何か言いやがりました?」

 なんでもありません、と首を横に振る僕。

 まさか難聴系主人公のヒロインみたいな立場になろうとは思ってもみなかった。

 乙女ゲーの攻略キャラかよ、僕は。

「おっと。そろそろお暇しないと、慎之介のお義母様が夜食を持ってきやがる時間ですね」

 言って、チョコレートまんを食べ切ったあと、輝夜さんは不意に立ち上がった。

 今何か、お義母様とか聞こえたような気がしたけれど、幻聴という事にはしておこう。

 でないと、輝夜さんと母さんが対面するという未来を想像しないといけなくなるし。

 それはまだ、僕が輝夜さんにプロポーズするまで待ってほしい。

「あ、でもその前に」

 と。

 窓際に足を掛けようとして、輝夜さんが唐突に僕へ向き直った。

「まだ約束のやつをやっていやがりませんでした。というわけで慎之介、いつものやつ、お願いしますね★」

「やっぱりっすか……」

 ニッコリ相好を崩して両腕を広げな輝夜さんに、僕は露骨に溜め息を吐いた。

「ほらほら、慎之介早く。わたくしと会ったら必ずしてくれる約束でやがりましたよね?」

 急かす輝夜さんに、僕は「はいはい」と立ち上がって彼女の正面に寄る。

 まあ、仕方ないか。

 これが、輝夜さんに約束させた三つの条件の対価だもんな。

「い、いきますよ、輝夜さん……」

「わたくしはいつでもオーケーでやがりますよ」

 言葉通り、瞼を閉じて今か今かと待っている輝夜さんの肩に両手を置いて、僕はゴクリと生唾を嚥下する。

 そうして、破裂しそうなほど心臓をバクバク鳴らしながら──



 輝夜さんの唇に、そっとキスをした。



「い、いかがでしょうか……?」

「んー。個人的にはもっと情熱的なキスでもよかったんですが」

「勘弁してください……」

 これでも、かなり勇気を振り絞ってキスをしているのだから、少しは僕の気持ちを汲んでほしい。

 しかも、これを輝夜さんと会うたびにやっているのだから、たまったものではない。

 もう何度かキスはしているし、輝夜さんとキスする事自体は嬉しいが、けれど、慣れるようなものではない。

 いつしか、羞恥で全身が沸騰して蒸発してしまいそうである。

「ま、今はいいでしょう──いつもの事ですし。情熱的なキスは結婚初夜にでも取っておきましょう」

「………………」

 今何か、さらっととんでもない事を言われたような気が。

「それでは慎之介。わたくしはもう行きますね」

 言いながら、踵を返して窓枠に足を置く輝夜さん。

「はい。くれぐれもお気をつけて」

「慎之介も息災で。また近い内にキスされに来ますね★」

 恥ずかしいセリフをウインク共に言ってきた輝夜さんに、僕は脱力しながら苦笑を返す。

 ほんと、輝夜さんには敵わないなあ。

 まあ、そういうところも好きなんだけどね。



 そうして僕の大好き人は、星が輝く夜の空を颯爽と飛翔していく。

 そんな輝夜さんの後ろ姿を、いつまでも眺めていたいと思った。




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