5.堕ちた魔法少女
唐突に発せられたその言葉に、僕は最初、何も返せなかった。
虚を衝かれたように、瞠目するしかなかった。
それでも、時置いてからようやく言葉の意味を理解したあと、僕の口から出た言葉は、
「輝夜さんが、捨て子……?」
という、なんの捻りもないオウム返しだった。
「ええ。とある大富豪の豪邸前に捨てられていたみてぇです。そこをたまたま通りがかった豪邸の主──のちにわたくしの祖父となる方が拾ってくれて、とても良くしてくれやがったんですよ」
「…………」
その言い方だと「恩着せがましい」という意味になりかねない気がするが、まあ輝夜さんの口癖でそう聞こえるだけだろうし、野暮なツッコミは控えておくとしよう。
「もっとも、良くしてくれたのは祖父だけで、その息子夫婦からは裏で邪険にしてくれやがったんですけどね。後で使用人の陰口から知ったんですが、どうもその息子夫婦が子宝に恵まれなかったせいで、遺産の分配が少なくなりかねないと危惧したらしいです。あいつらにしてみれば、わたくしなんて邪魔者でしかなかったって事ですね」
「邪魔者、ですか……」
まるで少女マンガの主人公みたいな生い立ちである。
ちなみに「なかよし」とか「ちゃお」とかいった系統の方ではなく、どちらかと言えば「マーガレット」寄りの。
「まあ、拾われただけまだマシとも言えなくもねぇですが、その拾ってくれた祖父も、わたくしが六歳になった頃にポックリ逝っちまいして。そこからですよ、息子夫婦の嫌がらせが増えたのは」
反吐が出ると言わんばかりに歯噛みしながら、輝夜さんは続ける。
「目の前で陰口を叩く、わざと足を引っ掛けてわたくしを転ばせる──なんてのは序の口で、酷い時には密かにわたくしの部屋に行って、ベッドや机周りを荒らされもしましたね」
「うわあ……」
聞くに耐えない嫌がらせばかりだ。
「けどそんな息子夫婦も、わたくしに傷を付けるような真似だけは絶対にしねぇんですよ。血は繋がっていなくても祖父の孫として扱われていたので、当然パーティーにも顔を出す機会があったのですが、親戚や友人といった近しい人達にも知られでもしたらまずいと思ってやがったのでしょう、そういう時だけは大人しくしやがってました。つくづく性根の腐った奴らですよね」
「……あの、その祖父の友達とかに助けを求めたりはできなかったんですか? 息子夫婦を排除するよう協力してもらうとか」
「そんな事したら、せっかく祖父が築け上げた地位や名声を汚す結果になりかねぇですし、すでに故人とはいえそんな恩知らずな真似はできねぇですよ。そもそも、その友人や親戚といった連中にも、陰で祖父の土地や財産を狙っている奴らがいたので、下手に弱味は見せられねぇ状態だったんです」
まあそれ自体は、祖父が大富豪の地位を得た時から一定数いやがったそうですが。
と、そんな人間の汚れた部分を平然とした口調で話しながら、輝夜さんはさらに続ける。
「そのせいもあって、祖父からよく弱味や隙を見せないよう表面を上手く取り繕れるようになれと言われて育ちました。だから祖父以外の前では、ニコニコと愛想笑いを浮かべてお利口にしているのが当たり前のような生活になっていやがりました。よく出来たお人形のように」
「………………」
「それは祖父が亡くなってからも──周りに嫌な大人しかいなくなった時からずっと続けていたのですが、いつしか貼り付けたような笑みしか作れないようになっちまいまして。息子夫婦の前でも薄笑いしか浮かべられないようになった時は『気味が悪い』だの『人形よりも生気が感じられない』だの本人の前でさんざん罵られたもんですよ。まあわたくし自身、人形みたいだと自嘲しながら生きていたので、あながち間違いでもなかったわけですが」
そこで先の『人形のように振る舞うしか生きる術を知らなかった』という言葉に繋がるわけか。
「でもそんな鬱屈としながらも、しかしある意味では平和とも言えた日常も、ある日を境にあっけなく終わっちまいました」
「終わった……?」
「ええ」
と。
輝夜さんは事もなげにそう首肯して、次にこう口にした。
「息子夫婦の脱税が発覚して、検察が家宅捜査に来やがったんですよ」
脱税。
僕の中では、芸能人や政治家などがこれでよく捕まっているイメージが強いが、それと同じような認識でいいのだろうか。
なんにせよ──どちらにせよ、犯罪である事には変わらない。
罪人である事には変わりない。
もっとも、輝夜さんにしてきた仕打ちを考えたら、脱税云々よりも前に罪人だったと言えなくもないが。
「まあ、アイツらが何かろくでもない事をしていたのは薄々勘付いていたので特に驚きもしなかったんですが、それよりもヤバい真実が色々出ちまいまして」
「ヤバい真実……? 息子さん夫婦が脱税で捕まった事よりも……?」
「そんなもんは些事ですよ。ゴミと言っていいくらいです。なんせ、祖父の悪行の数々が──それこそ脱税なんて可愛く思えてくるくらいの残虐非道の数々が白日の元に晒されちまったのですから」
「残虐非道って……。一体どんな……?」
「知らねぇ方が身のためですよ。臓器売買とか、本当にシャレにならねぇ事ばかりなんですから」
「臓器売買……」
確かに、これは聞かない方が良さそうだ。
精神衛生的に、という意味で。
「あとで聞いた話だと、裏の世界ではけっこう名の知れた人だったみてぇです。違法な賭博はもちろん、先ほど言った臓器売買や悪質な買春斡旋などで成り上がって、見事大富豪の地位を得たのだとか。わたくしにとっては良い人間ではありましたが、それ以外の人にとっては悪人でしかなかったって事なんでしょうね。まあわたくしを拾ったのも、あの世に逝く前に罪滅ぼしのようなものをしたかっただけかもしれねぇですけどね」
──どのみち地獄に落ちるのは確実なのに。
そう唾棄するように言い捨てた輝夜さんの表情は、至って無味乾燥なものだった。
拾われた事には感謝していても、犯した罪とはまた別問題という考えなのかもしれないが、その割には妙に冷然としていた。
その眼差しは、まるで未来の自分を見据えているかのようで。
地獄に落ちるのは自分も同じだと言っているかのようで。
無性に胸が騒ついた。
「輝夜さんは──」
気付いた時には、勝手に口が開いていた。
これ以上、輝夜さんにこんな顔をさせたくなかったせいかもしれない。
「輝夜さんは、そのあとどうなったんですか? やっぱり、誰かに引き取られたとか?」
「いいえ」
と。
輝夜さんは僕の質問に首を振って、またしても耳を疑うような事をけろっとした調子で言葉に出した。
「裏の世界に売られそうになりました」
「っ!? 売られ……!?」
「そんな驚くような事じゃねぇですよ。祖父が亡くなり、息子夫婦も捕まって資産もごっそり取られてしまった以上、わたくしなんて厄介なお荷物でしかねぇですし。特に金にしか興味のねぇ親類なんかは、わたくしに見向きもしませんでした。元々、祖父と繋がりがあった裏の世界の連中以外は」
ほら、わたくしってご覧の通りの見目麗しい銀髪美少女ですから、商品としては値打ちがあったんでしょうねぇ。
そう嘯く輝夜さんではあったが、その目だけは依然として笑っていなかった。
口だけは三日月の形を象っていても、瞳の奥だけは幽鬼のような暗い光を帯びていた。
「まあそれで、裏の世界の人間に捕まって売られそうになったんですが、そこが裏の世界ご用達の買春宿で、しかも死人すら出る事もある、かなりヤベぇところだったんですよ」
「死人!? ていうか、買春って! 輝夜さん、未成年のはずですよね!?」
「裏の世界の人間だけが使っている買春宿なんですから、法律なんて守るわけねぇですよ。それこそ死人が出てもお構いなしで経営していたくらいには」
「そ、それで、輝夜さんはその買春宿でお客さんの相手を……?」
「いえ、そうなる前に運良く逃げ出せたので」
はあ〜、と思わず全身の力が抜けるほどの安堵の息が漏れた。
輝夜さんが体を売らずに済んだという点もだが、何よりも彼女が深い心の傷を負わなくてよかったというのが一番ホッとした。
「もっとも、逃げ出したところでどこにも行き場なんてありませんし、結局路頭に迷う事になっちまったんですけどね。しかもよほど運に見放されているのか、ガラの悪い男達に襲われそうになっちまいまして」
「それは……。本当に運が悪いというか、なんと言いますか……」
もはや、言葉も見つからない。
「ついでに言うと、その時は周りに人もいなくて、誰にも助けを求める事すらできねぇ状況でした。まさに万事休す──絶体絶命。あの時ほど人間を呪った事はねぇですよ。心の底から人類なんて滅べばいいと」
「…………」
それが、きっかけだったのか。
輝夜さんが「人類根絶」なんて途方もない願いを抱くようになったのは。
思っていた以上に、根が深い。
「そうしてわたくしは男達に手籠にされて、時折殴られる痛みに耐えながら、傷モノにされる恐怖に無力にも震えるしかなかった最中──」
そこで輝夜さんは言葉を区切って、何を反芻するように満月を見上げた。
「気付けばわたくしは、魔法少女となって男どもを蹴散らしていました」
「へ? …………、え?」
脈絡なく出てきた「魔法少女」という単語に、理解が追いつかず、ついそんな間抜けな声を出してしまった。
「ちょうど、こんな満月の夜でしたね。わたくしが初めて魔法少女になったのは」
「……いやあの、叙情に満月を眺めている中で申し訳ないんですけれど、いきなり過ぎません? 魔法少女になる過程とか思いっきりすっ飛ばしてません?」
まるで風が吹いたら桶屋が儲かったくらいに突拍子がない。
「そうは言われても、本当の事ですし。グレゴール・ザムザのごとく、朝起きたらハエになっていたかのように、気が付いたら魔法少女になっちまっていたんですから」
まさか、ここでカフカの『変身』が出てくるとは。
まあ元はお嬢様らしいし、僕なんかよりも、よっぽど教養はありそうだけど。
「はあ。いやまあ、輝夜さんがそう言うなら、こちらとしては信じる他ないですけれど……」
若干の戸惑いを感じつつも、僕は頬を掻きながら語を継ぐ。
「じゃあ『トゥインクルマギカ』とか、前に話していた『テンシ』とかどうやって知ったんですか?」
それ以前に、どこで魔法の使い方を学んだのかという話でもあるが。
「それは魔法少女になった時点ですでに頭の中に入ってやがりました。喩えるなら、生まれた瞬間に呼吸の仕方を知っていたかのように『トゥインクルマギカ』や『テンシ』という単語を意味も含めて知ってやがったんです」
魔法の使い方も同じでやがりますよ、と心中で抱いた疑問にまで答えてくれる輝夜さん。
「なので、誰かしらに聞いたとか、何かの書物を読んで知ったという事はねぇですね」
「……へぇー。てっきり僕は、妖精みたいなものが突然現れて、世界の危機を救う代わりに色々と魔法の事を教えてくれたのかとばかり」
「そういうプリキュア的な妖精は一切現れていねぇですね。まあ、キュウべぇみたいな奴が出てこられても困りますけども」
「それは確かに……」
あの人外、最終的な目標は別段何も悪い事でもないんだけど、目的のためならば手段を選ばないところがあるしなあ。
しかしまあ、何であれ。
「兎にも角にも、輝夜さんがすごく苦労してきたんだなって事は、今の話でよくわかりました」
「わたくし的には苦労というより、苦難とか苦痛と言った方がしっくり来やがりますけどね。実際、悪意を向けられてばかりの人生でしたし」
でも、とそこで輝夜さんは言葉を止めて、艶めかしい手付きで僕の顎に指を這わせきた。
「慎之介だけは別でした。わたくしを助けてくれた時もそうでしたけれど、魔法少女と知った上でわたくしを忌避せず普通に接してくれて──それだけじゃなくて、こうしてわたくしを心配して治療品を色々と用意してくれたりして……。慎之介だけですよ、何の打算も下心もなく、わたくしの身を案じてくれたのは」
だから、突然こんなに好感度が上昇したのか。
今まで人から親身にされた経験が無かったから。
………………。
輝夜さん、ちょっとチョロ過ぎない?
チョロイン過ぎない?
経緯を聞いたあとだと、気持ち的にはわからなくはないにせよ、いくら人に優しくされた経験が少ないとはいえ、こんなんじゃあ僕以外の人間にもコロッと落ちそうで不安になってくる。
単なる僕の独占欲でしかないかもしれないが。
ともかく、だ。
「いや、なんつーか、そんな大した事はしてないって言いますか、人として当たり前の事をしただけと言いますか……」
淫靡に頬や首筋に触れてくる輝夜さんに狼狽しつつ、僕は目線を泳がせながら応える。
「ていうか、僕だって下心がないわけじゃないんですよ? ほら輝夜さん、すごい綺麗ですし。美人な人とこうして接してもらえるだけでも男冥利に尽きるというものですよ。それにもしかしたら、僕も魔法の使い方を教えてもらえるかもしれないと思ったのも事実ですし」
「正直者ですね、慎之介は」
言わなきゃバレずに済んだのに、と苦笑する輝夜さん。
うん。僕も苦し紛れに余計な事を言っちゃったなと思う。
「まあでも男の子ですし、そういう思春期じみた願望を持ってもおかしな事じゃねぇですよ。魔法にしたって、普通空を飛んだりして見せたら、誰だって興味を持ちやがりますよ。もっとも魔法を使えるのは、魔法少女になった人間だけなので、一般人には使えねぇですけど」
「あ、やっぱそういうものなんですね」
予想していたとはいえ、ちょっぴり残念。
「ちなみに慎之介は、どんな魔法が使いたかったのですか?」
「え? えーっと……」
色々あるけど、安全かつ初心者でも簡単に使えるという基準で選ぶのであれば。
「……チンカラホイとスカートを捲る魔法とか?」
「のび太君みてぇな事を言いますね」
クスッと笑みを零す輝夜さん。
「けど、わたくしは良いと思いますよ。男の子らしくて素敵な夢じゃねぇですか」
「大多数の女子からは、ゴミを見るかのような目をされると思いますけどね」
むしろ、殴られてもおかしくはないレベルである。
もっとも、半分は冗談で言ったつもりなので、仮にスカートを捲る魔法が本当に使えたとしても、実際に行動に移す事はまず無いと思うが。
「それよりも、まさか褒められるとは思いませんでした。てっきり失望されるものかと……」
「その程度の事で、わたくしが慎之介を嫌うわけねぇです。というより、わたくしならいくらでもパンツを見せてあげますけれど? お望みなら他のところだって存分に見せてあげますし」
「いや、お気持ちは嬉しいですけれで、まだ付き合ってもいない男にそこまでするのはどうかと……」
ていうか輝夜さん、僕の事好き過ぎ。
ここまで来ると、ちょっと心配になるレベルである。
「別にいいじゃねぇですか。もう恋人同士になるのは確定済みなんですから」
「確定済みなんだ……」
僕の意思は一体いずこへ。
「いやまあ、輝夜さんと恋人同士になるのはやぶさかではないですけど──むしろ大歓迎ですけれど、とはいえ、さすがに人類を滅ぼそうとしている人の片棒を担ぐような事はちょっと……」
「恋人同士になるだけで、どうしてわたくしと共謀した事になるんです? それにわたくしが勝手にしている事なんですから、慎之介は何も気にする必要はねぇはずですよ。そもそも、本当にわたくしと慎之介以外の人類を根絶やしに出来たら、文句を言える奴なんて誰一人としていねぇわけですし」
「そうかもしれませんけれど……」
それだけで済む問題じゃないというか。
罪悪感の方がハンパないというか。
「ちなみに、願いを別のに変更してもらうというのは無理なんですかね……?」
「無理ですね」
あっさり一蹴された。
「人類を滅ぼすという願いだけは、絶対に変えられねぇです。たとえ慎之介の望みだとしても、それだけは聞けねぇです」
いつになく真剣な面持ちで語る輝夜さんを前にして、僕は口を閉ざすしかなかった。
奈落のように底が見えない常闇のような瞳を見たら、黙らざるをえなかった。
思わず、生唾を嚥下してしまうくらいに。
まいったな……。
できたら輝夜さんの野望を止めたかったところなのだが、やはりそう簡単にはいかないか。
まだ『トゥインクルマギカ』を二つ集めないと願いは叶えられないから、人類が滅びる猶予は残っているとしても、いつまでも手をこまねいているわけにはいかない。
輝夜さんは、本気で人類を根絶やしにしようと考えているのだから。
ただ幸いにも、僕だけには心を開いているみたいだし、今後の対応次第では輝夜さんを説得できるかもしれない。
それは、人類に滅びてはもらっては困るという理由はもちろんあるが。
何より輝夜さんに──好きな人に、十字架の山を背負わせるような真似はさせたくないから。
「おっと。そろそろ時間ですね」
と。
黙考している間に、輝夜さんが僕を膝から降ろして不意に立ち上がった。
公園に設置されている時計を見ると、夜の九時半になっていた。
「輝夜さん、もう行っちゃうんですか?」
「ええ。この時間帯は他の魔法少女がうろうろし出す頃なので。『トゥインクルマギカ』を奪った相手と遭遇してしまったら、何かと面倒くせぇですし」
「あー。だから毎回この時間になると、いつもどっかに行っちゃってたんですね」
「ふふ。わたくしとお別れするのが、そんなに寂しいですか?」
「そ、それは……っ。て、ていうか輝夜さん、もしかしてかなり危ない状況にいたりするんですか?」
紅潮がバレないように顔を逸らしつつ、とっさに発した僕の疑問に、輝夜さんはシニカルに微笑んで、
「色んな魔法少女から恨まれちまってますからね。わたくしを見た瞬間に有無を言わさず攻撃を仕掛けてくる奴も珍しくはねぇです」
「……それって大丈夫なんですか? 初めて会った時みたいに、また傷だらけの状態で再会するのだけは絶対に嫌ですよ?」
「大丈夫ですよ。わたくし、これでもかなり強い方ですから。とっておきの切り札もありますし」
それに、と輝夜さんは一旦そこで僕に背を向けて、くるっと踊るように半転したあと、ニコリと可憐にはにかみながらこう言った。
「大好きな人の前では、いつだって綺麗なわたくしを見せてぇですから」
☆★☆★
それが、今から三週間近く前──十月三十一日の出来事。
あれから一度も輝夜さんとは会っていないが、きっと『トゥインクルマギカ』を集めるのに奮闘しているのだろう。
もっとも輝夜さんの事だから、正攻法じゃなく毎度のごとく他の魔法少女から『トゥインクルマギカ』を奪っているんだろうけど。
「あの人の場合、嬉々としてやっていそうだから始末が悪そうだよなあ」
それでも到底嫌いにはなれそうにないが。
なんて。
我ながら甘い事を言いながら、輝夜さんのために用意したショルダーバッグの位置を直す。
さて、そんなことでいつも輝夜さんと遭遇する道まで来たが、どうやら探し人はまだ来ていないようだった。
まあ毎回待ち合わせしているわけでもないし、こうなるのも織り込み済みで夜道を出歩いているので別段構わないが、やはり輝夜さんがいないとわかるとガッカリくる。
肩を落としてしまう。
「……試しに公園の方まで行ってみるか」
せっかく治療品まで用意してきたんだし。
嘆息混じりにそう独言を呟いて、僕は公園まで向かった。
公園にも、輝夜さんはいなかった。
「今日はハズレか……」
まあ、こういう日もある。
むしろ、輝夜さんと出会えない日の方が圧倒的に多いくらいだ。
「そう考えると、僕と輝夜さんってほんと運任せに出会ってるんだなあ」
なんだかちょっと運命的で、ロマンティックに思える。
「って、乙女か僕は」
ついセルフツッコミまでしてしまった。
うーむ。輝夜さんと会えなかった残念感からか、ちょっと感傷的になっちゃってるな。我ながらちょっとキモい。
「せっかく、色々と持って来たのになあ」
ショルダーバッグのファスナーを開けて、中身を見ながら溜め息を零す。
輝夜さんには会えそうにないし、今日はもう帰った方がいいかもしれない。
そう思い、踵を返したところで──
チカチカと街灯が明滅する薄闇の中から、血だらけの女性が突然姿を現した。
思わずギョッと目を剥きつつも、よく見てみるとそれは見慣れた黒衣──輝夜さんがいつも着ている魔法少女のコスチュームだった。
街灯の調子が悪いせいで表情までは窺えないが、のそりのそりとゆっくりとした歩幅でこちらに向かってくる姿から察するに、歩けるだけの体力はあるようだった。
またぞろ、どこぞの魔法少女と『トゥインクルマギカ』をめぐって争ったのだろうか?
兎にも角にも、どうやら僕に気付いていないみたいだし、何よりあの血に染まった姿は尋常じゃない。いつまでも呆気に取られていないで、さっさと駆け寄らねば。最悪、命に関わる怪我をしているかもしれない。
「輝夜さん! その血は一体──」
と。
声を掛けられたのは、そこまでだった。
そこまでしか声が出なかった。
なぜなら──
右腕。
血濡れの右腕が、輝夜さんの右手首を決して離すまいと言わんばかりにがっしり掴んでいたから。
いや、違う。
あの右腕に、もうそんな意思はない。
近付いて初めてわかった。
だってあれには──あの右腕には、本体がないから。
千切れた右腕の先に、誰も何もいなかったから──
「ひぃっ!?」
短い悲鳴が衝動的に漏れた。
その悲鳴を聞いて、輝夜さんも僕の姿に気付いたのか、
「──慎之介?」
と、どこか虚な瞳で声を発した。
「ここに来ていやがったんですね。てっきり今日は会えねぇかと思っていましたよ」
「か、輝夜さん……そ、それは……っ?」
輝夜さんの言葉に応える余裕もなく、僕は後退りながら千切れた右腕をおそるおそる指差した。
僕の質問に、輝夜さんは初めてその存在に気付いたように「ん?」と自分の右腕を見て、
「ああ、さっきまでとある魔法少女と殺し合っていたので、その時に掴まれたヤツでやがりますね。まったく汚わらしい」
あたかも蚊を払うような仕草で千切れた右腕を振り払ったあと、輝夜さんは心底嫌そうな顔で汚れを落とすように肌を摩った。
ベシャっと地面を転がる血塗れの右腕に一瞥すらせず。
「しつこい奴とは思っていやがりましたが、まさか死んだあとも往生際が悪いなんて、便所虫にも劣る生き物でやがりますね。あ、ご安心を。この血はほとんど返り血なので。わたくしに怪我は大してありません」
「し、死んだって、まさか殺して……?」
「ええ、殺しましたよ?」
輝夜さんはあっさり答えた。
さもあっさり掃除を済ませたような口振りで答えた。
「ちょうど魔法少女達が『テンシ』と交戦してやがったので、隙を見て倒された『テンシ』から『トゥインクルマギカ』を奪ったのですが、いつまでもしつこくわたくしを追いかけてくる魔法少女がいやがったものですから、つい殺してしまったんですよ」
そのかわり、無事『トゥインクルマギカ』をゲットできましたけれど、と嬉しそうに語る輝夜さんを前にして、僕は震える事しかできなかった。
ずっと、善人ではないと思っていたけれど。
悪役と思ってはいたけれど。
人を平気で殺すほどの悪人だったとは、思っていなかった。
ここまで酷い真似ができる人とは思ってもみなかった。
僕の中の輝夜さんが、黒く染まっていく。
血のように染まっていく。
可憐な美少女が名状しがたい赤黒い化け物へと、イメージが塗り固められていく──。
「これで『トゥインクルマギカ』も残り一つ。もう少しですよ、慎之介。あともうちょっとでわたくしの願いが叶いやがるんです」
言いながら、輝夜さんはゆっくりと僕に近寄ってきた。
「もしも『トゥインクルマギカ』がすべて揃ったら、その時は慎之介も一緒に──」
「うわあっ!」
不意に差し伸べてきたその手を、僕は強引に叩き払った。
直後、足腰に力が入らなくなったせいか、体勢が崩れて尻餅を付いてしまった。
その際で衝撃で、ショルダーバッグの中身をぶち撒けてしまう。
だが、そんな事なんて気にしてられなかった。
彼女から目を離せなかった。
目を離したら、何をされるかわからないから。
怖くて恐ろしくて──視界から外す事ができなかった。
もう輝夜さんは、僕にとって恐怖の対象でしかなくて──
「しん、のすけ……?」
と。
始終怯える僕を見て、輝夜さんは困惑したように振り払われた手を引っ込めて首を傾げた。
そうして、地面に散らばった治療道具と僕を何度か戸惑いがちに視線を彷徨わせたあと、輝夜さんは「ああ──」と呼気混じりに声を漏らした。
「慎之介も、結局はそっち側の人間でやがったんですね……」
その時浮かべた輝夜さんの表情を、僕は一生忘れないだろう。
辛そうな苦しそうな──無理やり涙を堪えたような痛々しい微笑みを浮かべる輝夜さんを前に、僕は恐怖を忘れて見入ってしまった。
「さようなら、慎之介」
「──! 輝夜さん!?」
唐突に宙を浮かび出した輝夜さんに、僕は一瞬で忘我から返って手を伸ばす。
だがその彼我の距離は、とうに手を伸ばしても掴めないところにいて──
そうして呼び止める間もなく、輝夜さんは空に帰るように、満月を背にしながら姿を消していった。