2.再会する魔法少女
十月十六日
その日、僕はいつかの時のように、夜の町を一人で歩いていた。
例によって、勉強の合間にコンビニへ行こうとしている最中だった。もう九時過ぎなので、周りもすっかり宵闇に染まっているが、それ以上に人気が全然ないのが不気味で仕方がない。
まあ、それを言い出したらこんな田舎の町を一人で歩けはしないし、何より僕も一応は男の子──これくらいで怖がっては男が廃る。
もっとも、本当にコンビニだけが目的で、夜の街灯の下を歩いているわけではないのだが。
何気なく、自分の頬に触れる。
右の頬──輝夜さんに不意を衝かれてキスをされたところを、反芻するように何度も撫でる。
今でも忘れられない、あの感触。
脳裏に焼き付いたように離れない、鮮烈な記憶。
僕にとっては初めての、女子からのキス──。
うん。まあ、なんていうか。
僕も男だし? こうしてまた夜の町を出歩いていたら、また輝夜さんに会えるんじゃないかとか、そういった事を考えても仕方がないと思うのだ。
まして、あわよくばまたキスされたいなんて。
男なら、当然の願望だよね?
そんな邪な事を考えながら歩いていると、輝夜さんと初めて出会ったところに到着した。
懐かしむように目を細めながら、僕は夜空を仰ぐ。
「あの時はほんとビックリしたなあ。空から女の子が落ちてくるなんて夢にも思わなかったし」
そう。確かあの時も、今日のように星空が燦然と広がっていて──
「あら? その見覚えのある後ろ姿は、もしかして慎之介じゃねえですか?」
背後から唐突に聞こえてきた、鈴を鳴らしたような声。
そして、この丁寧なのか粗暴なのかよくわからない口調は──!
「こんばんは、慎之介」
弾かれるように後ろを振り向くと、そこには予想通り──期待通り輝夜さんが、以前と同じ魔法少女の姿のまま、塀の上に優雅に立って微笑んでいた。
「か、輝夜さん……? まさか本当にまた会えるなんて……」
「ん? なんだか、さもわたくしを探し歩いていたかのような口ぶりでやがりますね?」
「いやいや、偶然ですよ偶然。いくら男とはいえ、中学生がこんな夜更けに町中をあちこち歩いたりしませんよ」
嘘だけど。
実は今まで十回くらい、輝夜さんを探して夜道を歩いていたりしてました。
「ふうん。で、そんなか弱い男子中学生が、こんな夜更けに何をブラブラ歩いていやがるんです?」
「か弱いって言葉、必要ありました?」
いやそりゃ、魔法少女に比べればか弱いのかもしれないけども。
「僕は、その……前みたいにコンビニに行こうかと思いまして。勉強で頭を酷使したので、甘い物でも食べようかと」
あながち嘘というわけではないが、本心ではない僕の返答に、輝夜さんは何故か嬉しそうに破顔して言った。
「それは良い事を聞きました★」
「中華まんの中で、やっぱりピザまんが一番最強でやがりますよね」
場所は前にも来た──折しも、こうして中華まんを奢った公園だった。
そこで輝夜さんは、これまた以前のようにブランコに乗りながら美味しそうにピザまんを口にしていた。
ちなみに、僕の奢りである。
だって、こんな美少女に上目遣いで「中華まん、欲しいなあ」とキラキラした瞳でねだられたら、男として買わないわけにはいかないよね。
まあたぶん、輝夜さんも狙ってやったんだろうが。
そんな輝夜の術中にまんまと嵌った僕はというと、隣のブランコで苺大福を食べていた。
好きなんだよね、苺大福。
輝夜さんが中華まんの中でピザまんが一番最強だと言うなら、僕は和菓子の中で苺大福が一番最強説を推していきたい。
「それにしても、中華まんなのにピザまんというのが変というか、語弊があるような感じでちぐはぐしてやがりますよね」
「それを言い出したら、納豆パスタとかステーキ丼とか、そういう和洋折衷みたいな物なんて、探せはいくらでもあると思うんですけどね」
「なるほど。一理ありやがりますね。コナンとルパン三世がコラボするような世の中ですし」
……前から思っていたけど、この人、何気にアニメ好きだよなあ。
まあ僕もそういったのは好きだし、別についていけないわけではないけれど。
「ところで、輝夜さんはこんな時間に何をしていたんですか? もしや、また『トゥインクルマギカ』とかいうのを奪いに……?」
おそるおそる訊いてみたら、輝夜さんに可愛らしくウインクされた。
守りたい、この笑顔。
いや、そうじゃなくって。
これは間違いなく、また魔法少女とバトってきたと見た。
「ちなみに、釣果の方は……?」
「今日やっと一つゲットしました。これで二つ目ですが、これまで何度か失敗に終わっているので、正直素直には喜べねぇ感じですねー」
言いながら、二つの『トゥインクルマギカ』を手のひらに乗せて僕に見せる、輝夜さん。
つーか輝夜さん、僕と会わなかった間にも何度かチャレンジしていたのか。
相変わらず、やってる事がジャイアンだけど。
「あの、それって、奪わずに済む方法はないんですかね? たとえば、他の魔法少女に協力して集めてみるとか」
「論外」
あっさり一蹴された。
「願い事は一つしか叶わねぇんですよ? だったらどのみち争いになるに決まってるじゃねぇですか」
思わず「あっ」と声を漏らした。
ぐうの音も出ないほどの正論だった。
「それに前にも言いましたが、正攻法で集めるには大変なんですよ。元々この『トゥインクルマギカ』は、とある化け物を倒さないと手に入れられねぇんです」
「化け物……ですか?」
オウム返しに訊ねた僕に、輝夜さんは神妙な顔で頷いて、こう続けた。
「そう、文字通りの化け物──わたくし達魔法少女はそれを『テンシ』と呼んでやがります」
テンシ。
単語そのものは僕もよく知っている『天使』と同じ響きに聞こえたが、どことなく発音が違うようにも思えた。
わざわざ化け物と言っているくらいだし、世間一般で知られている天使とは別物だと考えた方がいいのかもしれない。
「その『テンシ』というのが、まあ手強くて。一人で倒すのもかなり一苦労でやがるんですよ。下手したら死ぬかもしれねぇくらいですし。しかも『トゥインクルマギカ』は『テンシ』に一個しかないので、命がいくつあっても足りねぇんですよ」
「なるほど……」
確かに願いを叶えるためだとしても、死ぬ前提で五回戦うには割に合わないかもしれない。
「ちなみにその『テンシ』って、僕ら一般人にとっては無害なんですか?」
「残念ながら有害ですね。あいつら、人を攫って食うのが好きなんですよ。行方不明でいなくなっている人の半分は、コイツの仕業に間違いねぇです」
「そっか。じゃあ輝夜さん達は、僕達一般人を守るために、日々その『テンシ』と戦ってくれているわけなんですね」
「いえ? 他の魔法少女は知らねぇですけど、わたくしは単に自分の願い事を叶えるためにやっているだけですし」
「……………………」
ああ、うん。知ってた。
輝夜さんって、そういう人だったよね。
だから『テンシ』を倒すのを諦めて、他の魔法少女から『トゥインクルマギカ』を奪ってるんだよね。
「えーっと……たとえばですけれど」
なんとも言えない気持ちに嘆息を吐きつつ、僕は気を取り直して質問を続ける。
「仮にその『トゥインクルマギカ』が一般人の手に渡ったらどうなるんですかね? 悪用でもされたら大変な事になると思うんですけれど……」
「そんな簡単に五つ集まるなら、わたくしも苦労しねぇですよ。そもそも、そこら中に『テンシ』がいるわけでもねぇですし。それ以前に、魔法少女が仮に『トゥインクルマギカ』を一般人に渡したところで、何にも意味はねぇです」
「それはまた、どうして?」
「だって一般人には『トゥインクルマギカ』は使えないから」
輝夜さんはきっぱりそう言い切った。
なるほど。
確かにそれでは、一般人が手にしたところでただの宝石でしかない。それなりに値打ちはしそうだが。
「って、なんだかんだでまた慎之介に説明しちまいましたね」
「あ、すみません。以前から気になっていたものですから……」
「まあ、いいでしょう。こうしてピザまんを奢ってくれたわけですから」
最後の一口分のピザまんを食べ終えて、輝夜さんは包みを丸めて近くのゴミ箱に投げ入れた。
あ、そのへんはちゃんとしてるんだ。
悪役だから、てっきりゴミなんてその辺に捨てるものかと思ってた。
「あ、じゃあせっかくなのでもう一つ訊いてもいいですか?」
「慎之介もなかなか遠慮知らずですねぇ。いえ、どちらかかと言うと怖い物知らず? どちらでもいいですが、こうして再会したのも何かの縁かもしれねぇですし、慎之介たってのお願いですからね。別に構わねぇですよ」
「ありがとうございます。それじゃあさっそく質問させてもらいますが、輝夜さんって、どんな魔法が使えるんですか?」
魔法。
人知を超えた力。
科学とは対極に位置する不可思議。
輝夜さんと出会う前は、超常的な力なんて微塵も信じていなかった僕だったが、以前輝夜さんが宙を浮いたりしているところを目撃した時から、是非とも、目の前で魔法を披露してほしいと前々から思っていたのだ。
僕だって男の子だ──魔法とか異能力とか言ったものに、憧れを持たないわけではない。
「わたくしの魔法、ですか……」
僕の問いに、輝夜さんは「うーん」と腕を組んで逡巡するような素振りを見せたあと、「まあいいか」と腕を離してブランコから立ち上がった。
「いいですよ。慎之介にだけ特別に見せてあげてやっても」
「ほ、ほんとですか!?」
「ただし、だれにも吹聴しない事。わたくしの魔法を見てみだりに悲鳴を上げない事──この二つを守れるなら、見せてあげてもいいです」
「守ります守ります!」
全力で頷く僕。
元より、誰かに話すつもりなんてなかった。
今だって、誰にも輝夜さんに会った事を話していないくらいだ──魔法の事だって、他に言いふらす気なんてさらさら無かった。
最後の二つ目だけが、どういう意味なのかと疑問を持ったが、まあ魔法を見て「すごい!」とか子供みたいにはしゃぐなという事なのだろう、きっと。
「では、いきますよ?」
「はい! お願いします!」
今までにないくらい胸を弾ませながら、僕は一瞬足りとも見逃すまいと輝夜さんを直視する。
そうして輝夜さんは、どこからともなく黒いステッキを取り出したあと、何やらぶつぶつ唱え始めた。
おおっ。詠唱ってやつか。
ますます魔法少女っぽい!
と。
ワクワクしながら輝夜さんを見つめていた、そんな時だった。
突如、輝夜さんの足元から数体の骸骨が地中からすり抜けるように現れた。
「──────っ!?」
どうにか悲鳴を喉奥で押し殺す事ができた。
いや、正直に言うと、声も出なかったと表現した方が正しかったかもしれない。
それは忠実に輝夜さんの言いつけを守ったわけではなく、予想だにしなかった光景に対する驚愕で僕は茫然自失としていたのだ。
骸骨。
それも保健室に飾ってあるようなものではなく、微妙に赤黒く汚れているのもあって、直感的にそれが本物だとわかってしまった。
「これがわたくしの魔法──『死霊使役』です」
死霊使役。
つまりは、死霊使い。
さんざん輝夜さんを内心で悪役と呼んでいた僕ではあったが、これほど悪役にふさわしい魔法が他にあろうか。
これが輝夜さんの魔法。
魔法少女の力──!
「あら、大丈夫です慎之介? 苺大福、落としちまってるじゃねぇですか」
「えっ。あ……」
言われて自分の足元を見てみると、確かに食べかけの苺大福が地面に落ちていた。
どうやら驚きのあまり、うっかり苺大福を落としてしまったようだ。
「どうやら、だいぶビビらせちまったようですね。だからあまり気乗りがしなかったんですが」
少し気まずげに頬を掻きつつ、すべての死霊を消す輝夜さん。
そっか。だからあの時、輝夜さんは躊躇するような素振りを見せていたのか……。
「すまねぇですね。せっかくの苺大福を台無しにしちまって」
「あ、いえ。落とした自分のせいと言うか、魔法を見せてほしいと言ったのは僕ですから。おかげですごいものを見せてもらいましたし」
「ん? 怖くはなかったんですか?」
「正直、ちょっと怖くはありましたけど……でも襲ってはこないはずだとわかっていたので、そこまでビビリはしませんでした」
めちゃくちゃ驚きはしましたけど、と一言付け加える僕に、輝夜さんは「そうですか」と答えつつ、何やら考え込むかのように瞑目した。
「んー。とはいえ、ピザまんを奢ってもらった手前、苺大福を台無しにさせたままというのも心苦しいので──」
そう言って。
輝夜さんは、なんの予備動作もなく僕の額にキスをした。
「これは、ピザまんのお礼と苺大福のお詫びです」
「──っ!? か、輝夜さんたらまたこんな……!」
思わずブランコから立ち上がってしまったくらいに慌てふためく僕に、輝夜さんはニヤリと口端を吊り上げて言った。
「あら? てっきりわたくしからのキスを期待していたのかと思っていたのに。だからこんな夜更けに出歩いていたんじゃねぇんですか?」
「! そ、それは……!」
「ふふ、図星のようですね。明らかに目が泳いでやがりますよ?」
「〜っ!」
言い返せず押し黙る僕に、輝夜さんはよりいっそうに笑みを深くした。
「可愛いですね、慎之介は」
「……揶揄わないでくださいよ。恥ずかしい……」
「そうですね。このへんにしときましょう。あんまり長居するのも何かとまずいし」
言って、輝夜さんは僕から距離を取った。
どうやら、今日はこれでお開きのようだ。
「あ、輝夜さん。帰る前に最後の質問をしてもいいですか?」
すでに宙を浮いていた状態だった輝夜さんは、僕の質問に「構わねぇですよ」と微笑を湛えたまま快諾してくれた。
「では、輝夜さん。輝夜さんは『トゥインクルマギカ』を五つ集めたら、何を願うんですか?」
そんな僕の質問に。
輝夜さんは一瞬だけ予想外だったと言わんばかりにキョトンとしつつも、すぐに相好を崩して、さながら歌うかのように軽い調子で答えるのだった。
「──人類根絶♪」