05
「たっだいまぁー」
アタリが疲れた様子で部屋に入ってくる。自動ドアがシュンと音を立てて閉まった。
「おつかれ」
コンピュータの後ろからヒロキが声をかけた。
「おじゃましてまーす」
ヒロキの反対側から、ぴょこんと茶色い頭と赤いバンダナが覗いた。
「あれぇ、ロイ君来てたんだぁ」
アタリは自分の机の上に、持っていた大量の楽譜を置きながら言った。
「練習進んだか?」
ヒロキが聞くと、アタリはうーん、と苦笑いした。
「微妙かなぁー。どうも詩編31の辺で引っかかっちゃうのぉ」
普段は少し頼りないアタリだが、パート長としての責任感からか、合唱の事となると、やはりしっかりしたリーダーの顔になる。
「アタリさん、メゾパートの特訓? 休みなのに大変だね」
ロイが聞くと、ヒロキがコンピュータをいじりながら、
「そうだ、うちのアルトもしようと思ったんだが、ジャンケンで負けて場所とれなかったんだよ。ソプラノは同じ場所で午後からだし。・・・おっと。だから明日はアルトの練習があるんだ。うわ。おい、ロイ! 少しは手加減しろ。さっきからこっちは死んでばっかだ」
ヒロキは黒い髪を後ろに跳ね上げる。
手に持ったコントローラーを右へ左へと体ごと動かしているので、サラサラとそれに合わせて髪が揺れた。
「このゲーム、やった事ないって言ってたじゃないか」
「やった事ないよ。でもほら、僕、相性いいから、コンピュータと」
にこにこ笑いながらロイが言うと、ヒロキはむっつりと紅茶に手を伸ばす。
「未だ一度も勝ったことがないんだぞ。もう、数えきれんくらい対戦したのにだ。おかしい。確率の問題だぞ。そろそろ勝てなくてはおかしいんだ!」
「・・・それ、なんか変だよ」
ロイも紅茶に手を伸ばし、一口すすると幸せそうにヒロキを見つめている。
「そういえばぁ、少年隊の選抜試験はもう終わったんでしょう? ロイ君どうだったのぉ?」
「受かりましたよ」
ロイはあっさりと答えたが、アタリも聞かずとも分かっていたようなものなのだ。
実はこのロイ、本名、ロネウルフド・カルテドールはなんとあの全校生徒の憧れの的・歌姫のたった1人の弟なのだ。
それだけでなく本人も、ネロル合唱団・少年隊の三つあるうちのトップである第一隊に籍を置く、実力にも定評のあるボーイソプラノだ。
しかし本人、その人懐こい容姿と性格のゆえか、姉ほど人にかまえられず、しかもその姉をこんな弟がいるのだと神聖化をエスカレートさせず、人間なのだと思わせる重大な役割までになっていた。
どうもヒロキに思いを寄せているようなのだが、当人以外には全てばれているのに気づいていない、といった様なことも関係あるのかもしれない。
「そろそろ昼よぉー。ご飯にしましょうよぅ」
アタリが切り出すと、そういえば小腹が、とヒロキとロイも頷き、食堂へ向かうことにした。
途中研究室によると、戸を開けたとたん、中から濁った煙と強烈な匂いが漂ってきた。
「なにこれ!?」
ロイが叫ぶと、中からよろよろとエステルが出てきた。
「エステルったらぁ、何してたのよぅ」
「ゲホゲホっ、・・・ゴメン、ちょっと失敗」
「何をだ?」
「・・・アンモニアから香水作れるかなーって・・・えへ」
涙目でにこやかに微笑まれても、と3人は複雑な心境だった。
「もうお昼? いいや、これ以上居れないもの。換気扇回して食べに行っちゃお」
エステルは果敢にも悪臭立ちこめる研究室に再度飛び込み、換気扇のスイッチを入れると白衣を脱ぎ捨てわたわたと出てきた。
「さ、行きましょ」
3人は微妙に顔をゆがませながらも、先導をきるエステルについて行った。
◇
「きゃっ!」
食堂への廊下の角で、エステルは誰かにぶつかり上体をよろめかせた。
「すみませんっ」
駆け寄るアタリを一瞥すると、エステルはぶつかった相手にわびた。
「ああ、気をつけろ・・・」
「シン先生ぇー!」
相変わらずの無愛想で悪びれもなくそう言うと、シンは足早に去っていってしまった。
「態度悪いなあ」
「ホントよねぇー」
「まあ、ぶつかったのは私なんだし」
憤慨気味のロイとアタリを諭すようにエステルが言う。
「それにしても何かあったのだろうか。あんなに急いで」
「いいじゃん、ヒロキ。シン先生なんかほっとこうよぅー」
それもそうだと四人は食堂へと足を進めた。
◇
ナカラ合唱団には女子合唱団が三隊と、女性合唱団が一隊。
少年合唱団が三隊ある。
指揮者のナカラ・ロビンソンは極度のビブラート嫌いで、変声をした後の男性合唱には興味が無く、少年合唱を至上のものとしている。
少女合唱団の第一隊のと少年合唱団の第一隊はステーションNにある大聖堂で賛美歌を歌うのが仕事だ。
あと、コンクールに出るのも第一隊の仕事である。
では、残りの隊は何をしているのか?
それは、様々なコロニーやステーションを巡りコンサートを行う事が仕事だ。
隊の編成は一年に一回で、優秀な者から第一隊へと振り分けられていく。
そのため学園の授業も個人の進度によって決まり、卒業単位を取るための出席さえ取れれば、あとは共通科目以外は皆自由に口座を受けている。
コロニー・ウィーンへの出場をかけた試験まであと数日であるが、合唱団員は練習時間を取るため、比較的早めに口座を取り終わるので、ヒロキとアタリとエステルは今日は休日だったのだ。
ロイはもちろんヒロキに合わせて休みを入れている。
涙ぐましい努力である。
あいかわらず、それは全くヒロキには通じていないのだが。
食堂に着くと皆日替わり定食を頼む。
手のひらサイズのパームPCをレジチェッカーにかざせば、チャージしているお金が自動的に払われるのだ。
ヒロキはメニューを見て、「タンパク質が足りない」と呟くと、肉と卵の量を増やした。
乳白色の白い肌は筋肉に包まれ、脂肪というものが見受けられない。
これはヒロキの日々の鍛錬と食事管理に寄るものだ。
ロイは炭水化物を大盛りにして注文した。
12歳の食べ盛りには、食べても食べてもお腹が空くらしい。
アタリはデザートをもう一種類増やし幸せそうにテーブルへ運ぶ。
「そういえば、前回のコンサートはコロニーASTRAだったんだよね? 俺の故郷だけど生まれた時にはもうこのステーションにいたから行った事ないんだよね」
もぐもぐと合成肉を噛みながらロイが言う。
「そうだよぉ〜、私の故郷だし、久々にパパ達に会って食事してきたのぉ」
アタリは食事よりまず一つ目のデザートから食べる事にしたらしい。
「そうか、ロイとアタリはASTRA出身だったのね、忘れてたわ」
アタリは早いうちからステーションNに行きたいと思っていたが、両親が許さず、八歳になってようやく入艦した。
可愛い一人娘を全寮制のステーションに入れるのを渋ったせいだ。
娘のコンサートでの立派な姿に両親共々深く感動したらしい。
ヒロキとエステルも一緒に食事に誘われたが、親子水入らずで楽しんで欲しいと思い、断っていた。
「ちょっとだけど自由時間があったから、お母様に服をいっぱい買ってもらっちゃったのぉ」
「俺たちが外に出る時はコンクールだから、ぴりぴりしてるし、自由時間は全部練習だし、一度でいいからちょっと他所のコロニーを見てみたいなあ」
「ロイは卒団したらどうするんだ? このステーションに残るのか?」
ヒロキがプロテインドリンクを飲みながら聞くと、
「まあ、父さんがここで働いてるからね」
と、ロイは返した。
少年合唱団の入れ替わりは激しい。
何せ、声変わりをしたら最後、強制的に卒団なのだ。
ロイに残された時間も、あとどれほど残っているのかは、神様しか知らない。
そのかわり、ナカラ先生の指導を一番に受けているというプラスの面もある。
ヒロキたち三人は第一隊に上がらない限り、ナカラ先生の指導は受けられないし、コロニー間を巡業して回るしかないのだ。
「ロイ君も一度第二隊に降りてみればいいんじゃない? いろんなコロニーに行けるわよ」
エステルが意地悪く言う。
「嫌だよ! 俺、今まで第一隊から落ちた事無いんだからね」
ロイはぷいっと横を向く。
難しいお年頃なのかもしれない。