八話 出会い
『ウワァアアーーッ! く、来るなァーッ!』
『助けてェーッ! 死にたくないーーッ!』
『やっぱり裏切りやがったか、このクソッタレがァーッ!』
ヘッドホンからは、半狂乱の悲鳴がひっきりなしに聞こえてくる。都度、光の線が飛び交って、防眩フィルターが爆光を遮った。
哀れっぽい命乞いが聞こえ、やけっぱちの怒声が聞こえ、すすり泣く声さえ聞こえる。
相変わらず答える声はなくて、モニター越しにチカチカと明滅するような光芒と、スピーカーからは自動で音量を調節された爆音ばかりが、返答のように男達の声を塗り潰していた。
『アアアアーーッ!!』
『イヤだァーーーッ!』
紅い閃光が弾けた。
幾重もの光の線が延びて、エコーをするように、のっそりとコンクリートを金色に照らす。
迸る悲鳴は遠い。通信機から聞こえているはずなのに、何故だか遠く聞こえた。光芒が円を描いているのが見える。
緑の粒子が散らばった。
青白い噴射光が断続的に瞬いて、黒いヴァルムが振るう光きらめく銃剣が、特殊合金の追加装甲もろとも紙切れのように紫のヴァルムを引き裂く。
その時には、対装甲ダガーを突き立てた時のような、凄まじい音はしない。奴らの使うE.デバイスはジュワとシンプルな音を鳴らしたきり、至ってスマートな切れ味だった。
相も変わらずまったく言葉を発することはないのだが、黒い奴らが狩りに夢中になっているのは、一目瞭然だった。
ヘタな傭兵やバトリンガーよりも上手くABを使う癖して、その挙動の一つ一つに、いちいち殺意が乗り過ぎている。まるで手に入れたばかりの力を誇示するような感じだった。
これではまるで、戦場に出たての素人のようだ、とフィーアは疑問に思ったが、つい先ほどまで戦いをしていた私兵の中に、やたらと動きの良いヴァルムがいたのを思い出す。アレも殺意丸出しで襲いかかってきたのである。
経験豊富(多分)な近衛兵でもあんなのが混じっているのだから、フィーアが知らないというだけで、案外、そういうアンバランスなのも、世の中にはいるものなのかもしれない。そう納得しておくことにする。
『ちくしょう、ちくしょう……。話が違うだろ、こんなの……。何でこんなことになってんだ……』
チラリと視線をやった先。
フィーアの目に映るのは、はたして血に飢えた狂犬が噛みつく光景か、無慈悲な処刑人が斧を振り下ろす光景か──。やられている方からすればきっと、どちらにしても、そう違いのあることではないだろう。酷い目に遭っていることに変わりはないのだし。
(──さっきまでサンザンにやっつけてた手前だから、あんまし言えたギリじゃないけど──ひどい光景よね。あんなふーに逃げる奴を追っかけ回してイッポ―的に殺すんじゃ、戦いにもならないよ。
……楽な仕事だって思ってたみたいだけど、オールマンの人達も運がないね)
近衛兵達はオモシロオカシクユカイニタノシク、黒い奴らによってなぶり殺しにされている。一機が墜ちて、二機が墜ち、三、四機と──。このままならば、全滅するのも時間の問題である。
そんな光景を、ただ黙って見ているだけというのも気が咎めることだったが、だからといって別段、助ける義理もなかった。そもそも、さっきまで散々に殺し合いをしていた相手なのだし。
彼らを護れだとか助けろだとかの命令があるなら話は別なのだが、残念なことにそれもない。そりゃあ、後ろめたく思う気持ちが全くないわけではなかったが、戦いをしているのだ。
当然、殺し合いなんかすれば人は死ぬし、自分にだって死の危険性が付きまとう。それが道理。誰だって自分が一番大事なのだから、時として裏切られることもあるし、裏切ることだってある。人を殺して食い扶持にしようというのだから、虐殺なんかやらなきゃならないこともあるし、逆にやられることだってある。
なら、そこに根付く真理というのは至ってシンプルで、だからこそ絶対不変として成り立つもの。陳腐な言い方になるが、覚悟などといえばいいか。あるいは、法だとか。
無法者が法を語るなんてチャンチャラおかしなことだが、それでも弁えねばならない一線というのは、誰にでも、どこにでもあるものだ。はたしてソレが、守られているかは別にしても。
要するに、他人を踏み潰してでも生きていこうと思ったなら、とにもかくにも鉄則だということだ。〝弱肉強食〟なんだとか、〝自己責任〟なんだとかは。
(──まあそんなの、知ったリクツじゃないけど)
と、散々にオールマン連中へ〝加勢をしなくてもいい理由〟なんてのをもっともらしく語っては見たものの、結局は変に理屈付けて考えるのはわかりづらい。物事というのはシンプルなほどに気持ちがいいものである。
フィーアの気持ちとしては、せっかく見逃した奴らを好き勝手にされているのだから、まったく持って面白くないというのが正直なところ。
かといっても、直接助けを求められたわけでなし、何が何でもどうしても生かしてやりたいと思っているわけでなし。だったらば、降って湧いた幸運に感謝カンゲキ雨あられと思って、さっさと逃げ帰ってしまうのが合理的なのではないか──。
結論としてはそこへ戻る。
『──頃合いですな。撃ち方はじめ』
気持ちが決まったならば、後は行動に移すのみ。さあ、善は急げ。
すぐさま結論し、基地跡を離脱すべく操縦桿を握ったところで、ふと声が走った。ワザワザのオープン回線で、中年男性ほどの声を聞いたのだ。それは低く艶の乗った、あるいは色気すら感じるようないい声だったが、何故だか幸が薄そうな感じだと印象を抱かざるを得ないもの。しかし、声の主に会ってもないのだし決めつけるのもいかがなものかと考えを追い払うフィーアである。
ともあれ、それを聞いた時には一瞬、無言を貫く黒い奴らがトチ狂った末に声を発したものかと思ったが、すぐさま違うと気付く。北東の空から狙撃された極太のビームが、黒い奴らの母艦らしき輸送シャトルを、随行していた二機のヴァルムと諸共に粉砕したからだ。
連鎖する光芒が脈を打つように収縮し、焼け爛れた鉄片が流れ星のように墜ちていく。
『い……ッ、いったい何が──』
『オラクソァーーッ!』
唐突な事態に零れ落ちた、近衛兵の呆然たる呟きなどどこ吹く風と掻き消して、男のがなり立てる声が割り込んだ。けれどもその無作法な闖入者へ誰何を問う者はなかった。
直後、金属の擦り合う音が響き、青白い噴射光を散らして、鉄塊が落ちてきたからだ。黒いヴァルムの脳天に向かって。
ジャラリとのたうつ鎖に繋がれた先にあるのは、巨大な突起物だ。特徴的なその形状は、よくよく見てみれば、錨だということに気が付く。十メートルほどの体高であるドズールと比べても、更に大きなそのアンカーは戦艦や巡洋艦用の装備に違いない。
それは本来、船体の固定に使うものであって、決して武器というわけではないのだが──、そもそもの質量を考えてみれば、下手なビーム砲より破壊に特化しているのかもしれないとは、その後に続く光景を見てフィーアが思ったことだ。
重力に引かれるまま、スラスターの加速に任せるまま、猛速で落下し黒いヴァルムへ炸裂したアンカー。その勢いのまま、まとめて二機も叩き潰してドゴスコンッと凄まじい轟音を響かせた。
その恐ろしい鉄塊が落っこちた場所には、もうもうと砂煙が舞っていて、そこから更に二十メートル以上離れたコンクリートにまで届くひび割れは、その威力の如何を推して図るべしと言わんばかりである。 そんなものを間近で見せられてしまえば、戦慄せざるを得ないというのが人情なのだが、流石、黒い奴らは違った。即座に体勢を整えるなり、
『──熱源パターン照合……一致。当該ABを〝XFG‐009‐改 ドン・クラーケン〟と断定。機体データを転送します』
『────しょ──に──イー──ゼロ──ナイン───』
反撃を開始したのである。仲間の屍を飛び越え、散開し、四方八方から、錨の持ち主へと仕掛けていく。
(それにしても。あの黒い機体たちの動き方、くせ……どこかで見たことがあるような気がするけど──)
思い出せそうで、出せない。魚の小骨が喉奥に刺さったような心地だ。記憶の中に、確かに似たような何かがあって、でも惜しいところで一致しない感じ。凄くモヤモヤする。
思わず、思考に没頭してしまいそうになるフィーアだったのだが、
『──おい! そこのドズール!』
男の呼びかける声で、意識は浮上する。
気が付けば戦場は移動していて、遠くの方に銃火が飛び交うのが見える。
「……わたしのこと?」
『なんだ、ガキか。……いやいい、それよりもだ! 手が空いてんだったら貸せ!』
半ば呆けたような声で返せば、仮にも頼んでいる側の立場のくせ、錨の男は妙に偉そうな態度で言ってくる。それが人に物を頼む態度かとは思わないでもない。
別に、手伝ってやる義理もないわけだし、断ってもよかったのだが──。実のところ、こんな風に強引なやり方で使われるというのは、バイオロイドとしての本懐でもある。
フィーアは少しだけ考えて、まあいいかと結論した。もとより、メリットデメリットや礼儀礼節なんてのは、考慮に値するような話ではないのだ。明確な敵がいて、その上でやれと命令されたなら是非もないのである。
「……わたしは何をすれば?」
『東の方に展開してる奴らが鬱陶しいから、ぶっ潰せ!』
「──ん。りょーかい」
なんとも大雑把な指示だとは思ったが、別段問題があるわけでもない。むしろ、シンプルでわかりやすい分、下手に冗長な言い回しをされるよりもよほど好ましい。
フィーアはフット・ペダルを浅く踏み込み、ドズールを飛び上がらせると、一瞬だけペダルから足を離す。そして、思いっきりに踏み込んで、ブースト・オン。
狙うは基地跡東部に位置する三機のヴァルム。
『────』
モニターが漆黒のヴァルムを捉える。高台に陣取り、北西に向かってE.デバイスを向けていたソイツは、未だドズールの急迫に気が付いていない。
別にステルス機能を搭載しているわけでなし、レーダーには映っているはずなのだが、よほどあのアンカー持ちのABにご執心なのか、単にうかつなのか──。ふと、そんなことを思う。
「射撃はあんまし得意じゃないんだけど──」
左腕が落とされているため、E.デバイスを支えるのは右腕一本だ。それで狙いに支障があるかと言えば、大いにとはいわないまでも、多少はというくらい。足を止めているならともかくとしても、戦闘機動の最中では相対速度などの問題があって、狙いにブレが出てしまうのだ。
少し早まったかな、とどうでもいいことをなんとなしに考えながら、照準を敵機に合わせれば、そこでようやく気が付いたらしい黒い奴がこちらへと振り向くのが見える。しかしもう遅い。
「ヘタっぴなりに、動かない的に当てるくらいはどうにかなるよね」
ボシュゥと気の抜けたサウンドと共に発射された光軸は、コクピットから少し逸れた場所へ着弾して穴を穿つ。狙い通りの場所とはいかなかったが、当たったならまあいいよねと勝手に納得しておいて、フィーアは黒いABがバチリ、とスパークするのを尻目にする。
ズドン、とド派手な爆光がドズールの古びた銀の装甲をヌルリと照らす。騎士兜のような頭部から覗く単眼が、次の獲物に狙いを定めて赤々と光りを放つ。
ノロマにも逃げ遅れた黒い奴へ、E.デバイスをボシュッ、ボシュッと連射する。けれど残念なことに、逃げ遅れたとはいえ敵は動いている。一定の距離まで近寄れば当てられもするが、今は遠い。まったく見当違いの場所へと着弾するばかり。
「──?」
それでも、ろくでもない腕だな、と多少の自虐をしながら当たらない射撃を繰り返すうち、フィーアは気付いた。黒いヴァルムはどういうわけか、フィーアに対しての攻撃が消極的なのである。
協同相手のチンピラ連中をああも容赦なく攻撃していたくせ、まさかたかだか骨董品ひとつを叩くのに気が咎めるということもあるまい。これはどういうわけだと、噛み合わないモノを感じたが、考えたところでわかることでもない。そもそも、やれと言われてのことだから、相手のどういう事情を知ったとて、やることに変わりがあるわけがない。そうでなければ、道具足りえないのだ。そう自分を制御して、思考を切り捨てる。
フット・ペダルを強く踏み込み、ドズールを加速させると危機感を覚えたのか、そこで初めて黒い奴は攻撃を仕掛けてきた。だが、どうにも戸惑いの混じるものであって、そんなもの、どう足掻いたところで当たる道理もない。
クルリ、クルリ、と変則的なマニューバを織り交ぜながら気のないビームを掻い潜り、あっという間にドズールはヴァルムへと接近する。
「……やる気のない相手をどーこーっていうのは気が引けるけど──。運がなかったってことよね。あなたも」
『──!』
「ばいばい」
エネルギーの刃がヴァルムの装甲に激突する。
その瞬間、一秒にも満たない拮抗があったのだが、耐熱処理もされていない装甲では長く耐えられるものではない。ドズールの後押しにより無理くり押し込まれたE.デバイスは漆黒の装甲をジュバと斬り裂き、胴体を真っ二つに両断する。新鋭の装備と比べると、スマートにとはいかない。
(……やっぱ、おんなじエネルギーの剣でも、機体に積んでるエンジンせいのーに差があると、だいぶ切れ味が違ってくるものよね。まあ、このE.デバイス自体もコットウヒンなわけだけど。
ううーん、私にはたいそうこーダガーの方が性に合ってる感じだなぁ)
とはいえ、腕が一本しかなくては、スムーズに武器の持ち替えが出来るものではない。
半ば諦観の心地で、怨嗟に満ちたような爆光を見送りつつ、また次の獲物を探してレーダーを覗き込めば、ちょうど背後の方から青い光点が迫るのと、ピリリと接近警報が鳴るのが重なった。
「わ、びっくりした」
『ィー──ゼロ──フ──』
振り返れば、緊急用の内蔵装備たるE.ダガーを振りかざして背後から向かって来る黒い奴。
ワザワザどうしてE.ダガーなんかを使って、と思わないでもなかったが、今は気にするところではない。機動性頼みの単調に過ぎる突進を軽くいなして、無防備を曝す背中へと無慈悲な刃を突き込んだ。
ジュアア、との排気音にも似た鉄を焼く音。やはり骨董品だけあって熱量が小さい。どうせビームの剣を使うのなら、もっとすっぱりスマートにやってみたいものだとフィーアはふと思う。
だが、近づいて敵を斬りつけるというなら、結局は対装甲ダガーが一番いい。硬かろうが大きかろうが、着実かつ堅実に削ることが出来るからだ。まあ、威力はE.デバイスが上だが。
そんな風にとりとめもなく考えながら、突き立てた剣を引き抜くようにドズールはヴァルムを蹴り出した。地上に向かって墜ちていく黒い機体。コンクリートにぶち当たるかどうかというところで、眩いほどの爆光となって散っていった。
「──こっちは終わったけど」
『──おお、もう片付いたか。中々やるもんだな』
「ん。……指示が欲しいな、次はどうしたらいい?」
『なら、こっちに来て手伝え! 無駄に動きの良いのが混じってやがって、せっかくのストライク・アンカーがまるで当たらん。鬱陶しいったらありゃしねえ!』
ストライク・アンカーとはあの鉄塊のことか、と思ってから、そりゃ、あんなデカブツ、奇襲でもなきゃ戦闘機動中のABには当てられないよね、と続けてフィーアは思った。むしろ、真っ向からやってアレに当たる奴がいるなら、それこそ拍子抜けというものである。──あくまでも、フィーアの基準に沿うなら、だが。
ともあれ、あのでっかいのをメインにして戦っているなら、苦戦しているのかもしれない。少しばかり急ぐ必要があるか。フィーアはそう判断する。
「ん、了解。今から向かうよ」
一瞬、男の言い回し方に引っかかりを覚えたものの、まあ気にすることでもないだろう。フィーアは何ら疑問を抱くこともなく、ドズールを暑苦しい男の元へと向かわせた。
☆
まず目に付いたのは、真っ赤なマントだった。
形状としては、騎士甲冑についているものというよりかは、暗殺者の羽織るソレに近い感じ。ワイン・レッドの鮮烈な色合いを金色の刺繍が装飾し、胸部付近にある髑髏とイカを象った留め具は、おそらくは搭乗者のエンブレム・マークだろう。
次に、アンカーだ。右肩部に担がれた、機体よりも巨大な鉄塊にはスラスターが四基ほど増設されていて、ジャラリと音を立てるチェーンはそのABの左腕に直で接続されているようだった。
腰部には短銃と思われる装備もあったが、あんなに巨大な錨を担いでいては、そう気軽に使えるものでないことは一目瞭然である。
三角帽子を被ったような形状の頭部から覗くのはデュアル・アイの面貌。おそらくは何らかのセンサー類と思われる眼帯に、機体各所に見受けられる排熱機構とは別の展開部分。マントの隙間から覗く、機体部分を装飾する触手のデカールに、黒を基調とした、赤と金のカラーリング。
それは──そう、まるで海賊のような出で立ちのアサルト・ボディラインだった。
そんなABが立つのは激戦の後を思わせる、クレーターだらけのコンクリート。まともにデカブツを食らってペシャンコにされてしまったらしい黒い奴が二つ落ちていて、空には生き残りのヴァルムがアンカーの射程外と思われる位置からビームを降らせる光景がある。
それらを見やって、フィーアは重大な事実に気が付いた。
(……今にして思えば、二機はおとしてるって、すぐわかるよね、あの言い方なら。は、はずかしい……。変なカンチガイしちゃってたよ)
赤面を誤魔化すようにかぶりを振って、空を飛び回る黒い奴へとE.デバイスを放つ。そこそこ距離のある場所に向かってなので、三連射ほどしたが、一つも当たりはしない。
『──対象アルファからの攻撃を確認。ケースF‐32を提案します──承認。──自己承認を確認。攻撃を開始します』
『おい! そっちに行ったぞ!』
「ん、見えてる」
流石に攻撃まで仕掛ければ気が付くというもので、見上げた先のヴァルムの頭部、そのバイザーめいたカメラ・アイが青く光ったように見えた。
直後、ドウッと重たい音がして、黒い奴は飛び出した。その背に負った超大型スラスターが吐き出す膨大な青い炎が残滓を散らし、薄暗い空に不規則な線を描く。
注意を喚起する男の声に軽く返して、フィーアは照準器を覗き込む。ああもすばしっこく動き回ってくれる的を相手に、当たるものかな、とは思うが、物は試しとビームを放ってみる。
二連射を放ち、続けてもう一つ──と。結果は予想の通りというか、まるで当たらない。側宙の要領で放った光軸は回避されていくのである。しかも当然、相手も黙って的に徹していてくれるわけもないから、回避の合間、お返しとばかり反撃だって飛んでくる。
(寄ってしまいさえすれば、どうにかできる自信はあるけど……。ムズカシイかなぁ)
赤味がかった金の光軸がドズールに向かい、幾筋も伸びてくる。それら射撃のどれもが針の穴を通すがごとき正確さである。だが、当たるフィーアではない。
しかし墜とされる(やられる)ことがなくても、墜とす(やる)こともないのなら、このまま撃ち合いをしたって千日手だ。そして、そのまま持久戦に持ち込まれてしまえば、不利なのはフィーアの方である。
無尽蔵に等しいエネルギーを引き出すことが出来るプロメテウス・エンジンだが、僅かばかりのパワー・ダウンの隙もあるのだ。となると、旧式のものを使っている以上はドズールの方が先に力尽きるのは明白。
すぐにでも決着をつけてしまいたいところだが、残念ながらそれも難しい。
黒い奴が陣取っている場所まで距離を詰めること自体は可能なのだが、ひたすらに機動性の差がネックになってくるのだ。どれだけフィーアが接近戦を望んだとして、標的が一か所に止まり続けてくれる道理がない以上、戦いの主導権は常に相手側だ。
既に潰されている二機と違い、ストライク・アンカーの洗礼を潜り抜けただけはあって、生き残りのソイツはかなりの慎重派と見える。高いところからチクチク撃ってくるばかりで、功を逸ったすえにうかつな一手を打ってくる、という気配はまるでない。
加えて、機体の動かし方も随分とこなれた様子で、アレの懐にまで飛び込もうと思ったら、よほど奇怪なことをして気を逸らしでもしなければ無理といってもよさそうだった。
『……少しばかり相談したいことがあるんだが』
「?」
『まあ聞いとけ』
さてどうしたものか、と攻めあぐねていると、神妙な様子で男が言ってくる。
『まず、奴は速い。わかってることだろうが、機動性って点では、お前のドズールはもちろん、俺のドンクラよりも速い。その上、乗ってる奴の腕も十分ときた。
多分だが、アイツが指揮官機だ。もしくはエース機か……まあ、残り一機になっても動揺してねえ辺り、どっちも当たりってとこか』
「それはどーいかも。向こうの方でやっつけた三機は、わりかし大したことない感じだったし」
『ああ。……それでなんだが、お前、俺がアイツの足止めをできるって言ったら、叩き墜とすまでに何秒くらいかかる?』
「ん……うーん」
フィーアは黒いヴァルムを見やる。モニターに拡大された敵機との距離はおよそ六百メートル。パイロットの負担を考えないレベルで加速したドズールで、二秒強ほどかかる距離だ。さらにそこからE.デバイスを叩きこまなければならないわけだから、
「ごびょーはほしいかな。上手くすれば、もう少し速くやれるかもしれないけど」
『ほお、大きく出たな。普通、そんな骨董品を使ってたら、もっと手こずるところだぞ』
「ん、まあ……どうかな。多分だけど、なんとかなるよ」
『なんだ、曖昧だな。……ま、早く済ませてくれるならそれに越したことはねえ。多少手間取っても、それはそれで想定内だしな。……いずれにせよ、大言壮語かどうかってのはすぐにわかるだろうから、せいぜい手並み拝見させてもらうさ。
んじゃあ、ま、──始めるとするか』
冷然としたる殺意の声があがる。直後、ドウンと地響きめいた音が続く。
男のAB──ドン・クラーケンを見てみれば、脚部の接地機構を展開したところだった。踵の部分に設けられた大型の杭がコンクリートを穿ち、ダメ押しとばかりに左腕部に直結しているアンカーもぶっ刺して、機体をガチガチに固定している。
『──エネミーJに異常行動を確認。ケースB‐09を提案します──承認。──自己承認を確認。妨害行動を開始します』
もちろん、そんな目立つことをすれば目を付けられもする。
敵機はE.デバイスをドズールに向けて数発放つと踵を返して、一直線にドン・クラーケンへと向かっていった。もちろん、ただ棒立ちでそれを見ているフィーアではない。
男が何をするかは見当がつかなかったが、ソレが発動するよりも先に黒い奴の方が仕掛ける方が早そうである。身動きを取れないところに攻撃を受けてしまえば、リカバリーの手段はないのだ。
このまま放っておいては計画倒れになってしまいかねないわけだから、躍起になって妨害をしようと思うフィーアだが、いかんせん機動力が違いすぎた。
当然の帰結のように距離は引き離されていき──。
『ターゲット・インサイト──ファイア』
──ついに、ドン・クラーケンを射程に捉えたヴァルムがE.デバイスを構え、その砲口から金の光軸を迸らせる。確実に直撃させると確信でもあるのか、連射はされていない。事実、直撃するルートだ。
間に合わなかったか、とフィーアが諦観しかけた、まさにその時だった。
『へっ、馬鹿野郎が、あつらえ向きに近寄ってきやがった』
そう、その時、いやに自信たっぷりな声がしたかと思えば、ドドウッという轟音が鳴り響く。続けて、ゴゴンッと鈍い音が連鎖する。
『──ようこそ、お客様。赤く穢れた魔の海域へ──ってな。……ま、くれてやる宝なんざ、一つ(ひとっつ)もねえわけだが……せめて心置きなく楽しんでけよ、クソッタレ野郎』
『ダメージ──機体小破。──リカバリー──不可能──。ドン・クラーケンのデータを更新──〝マザー〟へ転送。──自己最適化開始』
それは圧倒的だった。圧倒的に過ぎる物量──。
──そこに展開された光景は、さながら無数に蠢く触手の饗宴だった。
ドン・クラーケンの胴体部や腕部、肩部、脚部、腰部、背部──至る所からチェーンに繋がれた杭が飛び出し、小型スラスターを推進力として、黒いヴァルムへと殺到する。
杭が突き刺さり、チェーンが巻き付き──執拗なまでの追尾と共に、海魔の触手は不用意に縄張りへと入り込んだ愚か者を拘束していく。
『今だ、やれッ!』
その甲斐あって、黒いヴァルムには鎖が幾重にも絡み合い、実に強固に固定をしている。男の声に促されるまでもなく、明らかに好機だった。
長く拮抗できるものでないのは確実である。ABの馬力ならば、鉄の鎖くらいはすぐに引き千切るのだ。出来た隙は有限、ゆえに急がねばならない。
「──ん、まかせて」
ビームをまともに受けたと思われるドン・クラーケンの安否が気にかかりはしたが、確認している間も惜しい。取り急ぎドズールを黒いヴァルムへ向け、さらに加速させる。
ドズールとはいえ、乗り物にしてみれば高速だ。まして、フィーアが使うならなおのこと。音速に近しい速度で飛ぶのだから、機体のモニターに映る景色はあまりの速度に廻ってさえ見える。まるで色彩の坩堝へと迷い込んだかのようだ。ほぼ灰色だが。
相手は拘束されているわけだから、当然ながら迎撃もない。なら、回避を織り交ぜる必要もなく、最短距離を最速で直進することも出来る。
そして、三秒と少し。引き離された距離を無にしたドズールは最大速度の勢いのまま、ヴァルムへと体当たりを仕掛ける。ゴゴギンッ、と甲高い音がして、ぶつけたドズールの肩部装甲が砕け散り、ぶつけられたヴァルムの胴体も、上体部を中心として大きくひしゃげた。
続けてキキンッ、と冴えた音が耳を打った。どうやらそれは鎖が千切れた音のようで、それはつまり、黒い奴を縛るものは無くなったということだ。
すぐさま追撃のE.デバイスを叩きこもうと思ったものの、しかしだった。予想していたよりも敵機のリカバリーが速かったために断念せざるを得ないのである。
迎撃のE.デバイスが火を吹くのをどうにか回避して、諦め悪く黒い奴へと取り付く。抱き着くような恰好である。片腕だけの拘束なので長くは持たないが、取り付けたのならば、それで十分だ。
あとはそのまま地上へ向けて加速をし、奴をコンクリに叩きつけてやるのだ。
『──対象アルファに異常行動を確認。現状況を打開する案を検索──該当なし。〝マザー〟へデータを転送したのち、機密保持のため自爆します』
「──ん。なんだか、なりふり構わない感じだね、人のこと言えないけど。地獄までもろともに……っていうなら、それ、おことわりかな」
『──!』
「ばいばい」
クルリ、と空中で身を転がし、抱えていた黒い奴を投げ捨てる。
間一髪だったのだろうか。投げ捨てた奴が爆発したのは、すぐあとのことだった。狂おしいほどの爆光。明々と照らす光芒である。
『──中々に、無茶なことを仕出かすもんだな、お前』
ようやく終わったかと一息ついてから、ふと、共闘した男のことを思い出す。声はあったのだから、生きてはいるのだろうが、捨て身のようなことをして、はたして無事なのだろうかと思う。モニターの向こうに姿を探した。
十秒ほどソレをして、そういえばレーダーがあったとフィーアが思いついた時、声がかかった。呆れ返ったような声だ。
七時の方向へと機体を向けると、そこには明らかに健在な様子のドン・クラーケンが立っている。あの赤々としたマントの一部分に、ビームを受ける前には見られなかった黒焦げがあることから察するに、きっとあれは一種の追加装甲なのだろう。なのでフィーアは、無事だったのかとは聞かないことにした。
「そうかな? 自分ではサイゼンをつくしたつもりなんだけど……」
『馬鹿抜かせ。見ろこれ、虎の子のホーミング・アンカーがズタボロになってるだろ。ついでに、そっちのドズールもだ。これ以上に無茶なことなんかねえぞ』
「……うぐ。たしかに言われてみれば、やりすぎたところはあるかも……。ごめん」
『オイオイ冗談だ、真面目になんなくていいぞ。そこまで気にすることでもねえからな。──それよりもだ。多少のハプニングと、それに伴う誤差はあったわけだが、六秒ちょっと、ってとこか。及第点をくれてやってもいいな』
カラカラと笑う彼に、どないやねんと思うフィーアだが、ツッコミを口にすることはない。後に続く言葉の方が気になったからだ。
「きゅーだいてん? わたしって、何か試されるようなことしてたっけ」
『最初に言ってただろ、五秒かかるとかなんとか。ちとオーバーはしたが……よかったな、こんだけやってみせるなら、お前は口先だけのホラ吹き野郎じゃねえってことだ。認めてやるよ』
「ん……これって、アリガトーっていうところ?」
『さあな……おっと、アーケロンからの通信だ』
アーケロン? と首を傾げるフィーアをよそに、男の話は進んでいくようだった。あの黒いヴァルムを派手に撃墜し過ぎたせいで手掛かりにはならないだとか、保護した奴らはどうだとか。
保護した奴らというのは、きっとオールマンの近衛兵なのだろうとは辺りをつけられる。黒い奴らに関しては、フィーアも大分派手にやってしまったので、ごめんなさいという他はない。
何はともあれ、降りかかる火の粉を払い落としたのなら、こんな辛気臭い場所に止まり続ける理由もなくなった。あとは十八号ドームへと何食わぬ顔で戻り、今まで通りの生活へと戻ってしまえば良い。
一応は共闘をした相手なのだし、この基地跡を去る前に、男へと別れの挨拶くらいは済ませておこうとフィーアは思い立つ。
「……ちょっとごめんね」
『ム……どうした?』
「ん。……やることもやったし、ドームにかえろうって思ったから、いちおーだけ、声をかけとこうかと思って」
『オ、そうか……。ム? ……ああいや、悪いな、少しだけ待ってくれないか』
例えるなら、双方ともに、相手の事情になど興味はなく、意味もない──後腐れのない間柄という奴だ。実に都合よく、居心地の悪い関係である。利害のみの関係。
フィーアとしては、先ほどまでの協同をそんな風に捉えていたわけだから、さあ帰ろうってところをまさか引き留められるとは思いもしない。しかも、陽気だったはずの声の調子を、少しばかり厳しくして言ってくるものだから、なお困惑するのだ。
だが、バイオロイドの性というか、フィーアとしては待てと言われてしまえば、どうしたことかと思いつつも、固唾をのんで従うしかない。
そこから十分ほどすると、通信を終えたらしい男が固くした声の調子を幾分和らげて、言った。
『──とりあえずついて来てくれねえか。……ああ、そんなに警戒しなくてもいい。話を聞きてえってだけなんだ、アーケロンでな。心配しなくても、騙して悪いが、なんてことにはならんよ』
「ん……。まあ、ついてくのは別に構わないけど……」
『歯切れが悪いな。不都合があったか?』
「や、大したことじゃないよ。ただ……さっきから言ってる、アーケロンって何かなって」
この際とばかり、疑問を呈してみると、ああ、とそこで初めて気が付いたかのような声をあげる男。
答えづらい質問だったのか、ウムム、と考え込むような息遣いが聞こえきて、けれどそれもすぐに止んだ。
『悪いが、口で説明すんのは得意じゃねえ。だがまぁ、とにもかくにも見てみりゃわかるだろ。口で四の五の言うよりも、よっぽどわかりやすくな』
「……?」
ついてこい、と促して、飛び立ったドン・クラーケンを追いかけた先。
そこには果たして、巨大な艦影が空に佇んでいたのである。全長にして、四百メートルはあろうかという、その紅く塗装された船体。
『グレート・フォート級装甲遊撃艦の六番艦、アーケロンだ』
「グレートフォート……アーケロン……」
なるほど確かに印象的だった。
艦の形状そのものは、いかにも艦船の類という風なソレと違って、何かのオブジェクトのようにも見えた。強いて言うならば、カメに近しい外観をしている。もっとも、こじつけてみれば似ているかも、という程度の類似で、完全に模しているというわけではないようだが。
しかし、あの暑苦しい男はカメよりもイカの方が好みと見えて、艦体には至る所に触手がデカールされていて、艦首部分にはデカデカとあのエンブレム・マーク、髑髏とイカが鎮座しており、カタパルト・デッキのハッチ部分には艦種を示すマーキングがされている。
主砲が二門、副砲が八門。対空砲が無数。火力も申し分なく高そうだった。
グレート・フォート級とかいうのに聞き覚えのないフィーアだが、確かに男が言う通り、下手に四の五のと説明を受けるより一見してわかる。この艦は闇市場に出回っている、中古のソレとは比べものにならないものだ。
最新鋭なのだろうか。フィーアにそれを知るすべはないが、これほどの艦なのだ。例えば、いわゆるハンタイセイセイリョクの類であるとか、どこぞの富豪のドラ息子が金にあかせて、だとか。そういう手段をもってして所有することが全くないとまでは言い切れないものの、考えづらいだろうことはわかる。
ならば順当に考えて、星間連邦のものとするのが自然ではないか。目の前の男を星間連邦の軍人とするのが道理では。一度そう思ってしまえば、身構えてしまうフィーアなのだが、そんな内心を透かして見たかのように男は気さくに言った。
『だァーから、そう警戒しなさんなって。確かにお前さんが察してるように俺は軍属だが、所属してんのはいわゆるところの愚連隊って奴でよ。軍隊にはありがちな、堅っ苦しいやり方ってのはこだわらねえから、肩の力を抜いたまんまでもいい』
別に堅苦しいやり取りを嫌って身構えたわけじゃないけど──と、思わず訂正を入れようかとほんの数拍ばかり迷って、結局フィーアはやめておくことにした。別に理由を懇切丁寧に説明する必要もないだろうと思ったし、実際にフィーアはお堅い作法に疎いからだ。
それよりも、軍艦に誘い込まれようとしている現状の方が気になる。
(──まあ。アレにジョーカンしたとして、あの黒い機体についてチョーシュされるくらいだろうし。……自分でいうのもなんだけど、私ってだいぶ人に似せて造られてるから、センモンの器具を使ってシンタイケンサでもされなければ、バイオロイドだなんて見抜かれないと思うし、キユーですむ心配なんだろうけど……)
チラ、とドン・クラーケンに視線を向ける。
仮にだが、運悪くフィーアがバイオロイドであると見抜かれたとして、どんな扱い方をされるかが未知数だった。良くされるのか、悪くされるのか。星々を周る中で、いくらか知識はついたといえ、狂人にインプットされたものが大半を占める偏った知識では、むしろなおのこと予想もつかない。
君子危うきに近寄らず、とかどこぞの国には教訓があったそうだし、出来ることならば関わり合いにはなりたくないものだが──。
(──とはいえ、どんなふーに悪あがきをしてみたって、結局はなるようにしかならないんだよね、ジッサイ。……うーん、できればひどい目にはあいたくないものだけど)
何はともあれ、ここで思考を積み重ねてみても、解決には至らない。
結論して、ほふっと吐息を一つ。どうやら、腹を括らねばならない。もとより、ついてこいと命令されれば、フィーアに選択肢など存在しないのだ。
男へと了承の意を示すと、満足気な鼻息がムムフーッと聞こえた。
『とりあえず、自己紹介でもしてみるか。俺はカズマだ、カズマ・ヤマノウチ。あのアーケロンのキャプテンなんかやってる。ま、気軽に首領とでも呼んでくれりゃあいい』
「…………ん。よろしく、ヤマノウチ。私のことはフィーアって呼んでくれたらいいよ」
『なんか釈然としない間があった気がするが……気にしないでやるよ。俺は器が大きいからな』
よろしくフィーア、と朗らかに笑う声を、その時の少女は何の気なしに聞き流していた。
コレはその場限りの関係に過ぎないモノ。だから、男の名を覚えておく必要はないし、フィーアの名前だって、あえて覚えてもらう必要はない。話すべきことを話してしまいさえすれば、彼女は彼らにとって用無しの存在になるのだから。
だから──そう、だから。この出会いは取り分けて特別なものというわけではないのである。
どこか奇妙な予感のようなものを覚えながら、この時のフィーアはそう信じて疑いもしなかった。けれど、時として、一生モノの出会いというのには、一見してみた場合、何の変哲もないことがある。
この平凡な出会いが、まさしくして終生忘れられないものになるということは、この時のフィーアにとって知る由もないことだったのである。