一話 落日
にわか特有のガバガバ理論。
まっさらな壁面に付いた傷というのは、存外に目立つものだ。
人の感性というものは思いのほか神経質に出来ているもので、ちょっとした擦り傷程度に過ぎない程度のソレであっても気にかかって仕方がないことがある。
例えば、違和感。
別に新品というわけでなくても、きちんと整備されているはずの物に、ほんのちょっぴりでも汚れや傷を見つけてしまったら、気にかかって仕方がなくなる現象。別に、潔癖症というわけでもないのに、時折自分でも驚くほどに神経質になってしまう──。要は、暇の虫。
気にしないようにと心がけてみたところで、他にやることもないと来ては、気になる視線が一層というのも、仕方がないものではなかろうか──。
無国境世紀104年11月
「──諸君は戦闘専用に造形されたバイオロイドである。
兵器として生み出されたる君達は、兵器に徹しきれない人間などより、よほどに優秀なマン・ハンター足ることができる。だが、私が言いたいことというのは、ソコではない。
君達は代えが利くということだ。自分達が使い捨てに過ぎないという自覚は、常に持っていてもらいたいのだ。……もちろん、感情などはこちらでオミットしておいたが、こうして念を押すのは、絶対ではないからだ」
埃くさい研究室。様々な機具で雑然としつつも、それなりの広さを残すそこには、百名以上もの男女が控えている。彼らの視線の先には、大げさに手振りを交えて演説をする男性。壮年にも差し掛かった年頃の、白衣の男である。
その男は、極めて抑え込んだ口調で淡々と話して見せながらも、その端々に確かな熱を見え隠れとさせている。それは自己陶酔であったり、何者かに向ける憎悪や嫉妬であったり。もしかすると、善意なんかも混じっているのかもしれなかったが、判別するには複雑に絡み合いすぎてわからない。本人にしても、きっとそうだろう。面貌に浮かぶ表情は、とても人が浮かべるものではなかった。
その話し相手としている男女の方は、はっきりと言って幼い。
見た目の年齢からして、十三から十七ほどの少年少女達である。しかし、あどけない見た目とは裏腹で、彼らは極めて無感情なものだった。表情もそうだし、仕草もそう。およそ、生けるものであればあって当然の熱がまるで感じられない。しかし、それも当たり前ではあった。彼らは人間ではなく、バイオロイドと呼ばれるモノなのだから。
とはいっても、何百年も昔に流行って、禁止にまでされたクローン人間だとか、遺伝子改造人間だとか、そういう類のものではない。ある意味で機械仕掛けのアンドロイド共に近しい、人工細胞を使って構成された人造人間なのである。そのため、普通の人間よりも身体能力は高いし、反射神経だって高い。戦闘用に特化して調整されているなら、特にそうである。
そんなバイオロイド達は表情を冷たく固め、身じろぎの一つもしない。聞き手としてはつまらないことこの上ないが、男に気にしたところはなかった。初めから独り言なのだ。
「その君達をもってして、星間連邦の異端者どもを駆逐する。神によって選ばれた私を追放した愚か者どもをだ!
──そうだ、私は選ばれている。神によって選ばれた者の筈なのに、奴らは私を嗤い、蔑み、あまつさえ道義に外れた外道呼ばわりをした! 許されることではない! 物の道理を知らぬ愚か者には等しく鉄槌を! 断罪の雷をもって裁かねばならないのだ!」
引き攣ったような笑い声が木霊する。
銀縁メガネ越しの凶相は、もはや人のものではない。我執に囚われ、執念に身を焼かれた男のなれの果て。自己顕示という名の欲望に溺れた、亡者の姿がソコにはある。
戦闘用のバイオロイド──型式番号D‐04。94番目に生み出された妄執の産物たる少女は、コソリと思う。こんな有り様では、真っ当な神経を持っている人間から危険視されて、討伐のための軍を起こされてしまうのも仕方がないことに違いない。──もっと言ってしまえば、当然の帰結なのでは。どうあっても、危険人物なのだ。
「神よ、我を導きたまえ! シンカの道を我に示したまえェ!」
彼が狂信者のように奉じるのは、直径2メートルほどの、材質不明な黒い球体である。
一体全体、どういうつもりでその無機質なシロモノをありがたがっているのかは知らないし、知りたいことでもなかったが、少なくとも何の反応も返してくれない無機物を相手に愛を囁く男の姿はひどく滑稽に見えることは間違いなかった。
自慰行為に耽るような男の裏返った声音は、聞いているだけでも気が滅入ってくるというもので、けれどもあいにくと、気になっているのはD‐04だけのようだった。周囲のハラカラ達は何の否もない顔で、黙って長話に聞き入るばかり。──いや、彼らには創造主の望み通り、感情なんてものは存在していないようなので、正確なところは、聞いてるかどうかも怪しいけれど。
結局のところ、全てどうでもいいことではあった。何故なら、道具は思考をしない。
けれども、退屈が過ぎれば無駄が多くなるものだ。そうやって少女は誰ともなしに内心で言い訳をして、今日も壁の傷を数えて暇つぶしをする。退屈しのぎをしていれば、時間が過ぎるのも早まるだろう、と考えてのことだ。いつものように狂人の繰り言を聞き流し、いつものように彼が満足したところで、いつものように各々割り当てられた業務に戻る。──そのはずだった。
しかし、その日は違った。
──ウー! ウー!
男の話を遮るように、大音響で警報が鳴った。男は一瞬だけ動きを止めたが、やがて持ち直すように咳払いをすると軽く腕を振るった。
「……身の程知らずが迷い込んだか。──殺せ」
どうやら男は、気持ちよく語っているところを邪魔されて、いたく立腹しているようだった。
百余名のバイオロイドは規律を保ちながら一斉にその部屋を飛び出し、格納エリアへ向かう。無論、D‐04もその内の一人。落日はすぐそこまで迫っていた。
☆
火星の赤黒く濁った空を、透き通った天蓋が優しく覆っている。ソコから差し込む光は曙光のようにさわやかで、地球から遠く離れた異星へ差し込むものとは思えないほどにあたたかだった。
天蓋──複数のガラス板で構成されたミラーは、それ自体が太陽風や有害な紫外線、宇宙放射線を遮るオゾン層や地球磁場の役目を果たす。鏡面部分から反射する光の加減を操れば、疑似的に昼夜を操作することも可能である。
ソレらは高度7000キロメートルにも及ぶ柱を幾つもの支えとして、隙間なく空を覆っているから、星から星への移動を行う際には、港になっているエリアを使うか、ワープ航法を使う必要があった。
基本的に人は気圧や重力などが調整されたドーム型の都市に住まい、不自由のない生活を送ることができるが、罪人として手配されている白衣の男と、その手勢たるバイオロイド達にそんな居住権は当然ながら無い。なので適当なクレーターを見繕い、ソコに自前で環境を整備する装置を用意して、人の住める空間を造り、結果として出来たのが、この秘密基地なのである。
もちろん、治安維持を目的とした部隊などに見つかってしまっては一大事なので、ジャミングくらいはかけていたのだが、逆探知でもされたか、とうとう発見されてしまい現在に至る。
蟻塚のような研究基地の上空には、六十メートルほどの箱型の船──ウォー級哨戒機動艦が十隻以上も巡回し、五百を超えるアサルト・ボディラインが周囲を取り囲むように隊列を組む。星間連邦が派遣した、火星方面軍の部隊である。
一個人をどうにかしようというには、明らかに過剰が過ぎる戦力だったが、事情を知る者に言わせれば、これでもなお、心もとないくらいだった。何せ今から彼らが捕縛しようというのは、ジース・タールフィールド。最悪の犯罪者にして、稀代の狂人とされる男。危険性でいえば、超ド級のテロリストなのである。
倫理面の問題から禁止された強化人間、および人造人間の製造を喜々として行い、その上、ほんの三年前にはトリトンで人類進化研究所を襲い、無差別攻撃を行った末に散々に破壊した。その凶行に際し、投入されたバイオロイドの戦闘力というのは圧巻の一言で、百を超える防衛戦力の九割を殲滅したのである。これを警戒するがゆえというのも、大部隊投入の一因になっている。
この戦いの主力として展開しているアサルト・ボディラインというのは、全高八メートルほどの、俗にいう人型機動兵器のことだ。元をただせば、百年以上前に端を発する、運動性と汎用性に優れた制圧用の兵器。疑似永久機関、プロメテウス・エンジンを動力とする。
開発されて間もない頃──特に、旧世紀2700年代頃は、誰もがその性能に猜疑的であって、戦車や戦闘機などが戦場の主力であるのは変わらなかったが、その有用性が広く周知された無国境世紀104年現在となっては、戦場の主役はすっかり取って代わっている。
ABG‐081 〝ゼニード〟。
そんなABの最新鋭というのがゼニードである。
これは星間連邦で新たに正式採用されたモデルであり、より軽快かつ迅速に高火力を敵へ叩き込むことをコンセプトとしたAB。
女性的な細身の機体に、展開式のウイング・スラスター。基本装備として、可変式のE.デバイスを二挺携行する。高い運動性や機動性が売りだが、反面、機体の耐久性に難があり、機動性に偏り過ぎた性能は操作性も悪い。その上、コストもかかる金食い虫である。
本来なら、一部の特殊部隊やエースにのみ回される機体なのだが、今この場にあるABは全てゼニードだけ。この事実だけでも、火星の治安組織がどれほどこの作戦に入れ込んでいるかわかるというものだろう。
鋼の人型達は油断なくライフルモードのE.デバイスを構え、ジリジリとクレーターとの距離を詰めていく。血気に逸ったすえ、不意打ちなど受けてはたまらない。スラスター出力を絞り、姿勢を低く保ったまま、慎重に進む。
そして、距離が百メートルもないというところにまで迫った時、突然、熱の塊がクレーターから飛び出してくる。それは明らかに、E.デバイスから放たれたであろうエネルギーの帯だった。
『しゅっ、襲撃だッ!!』
かくして治安部隊は戦闘態勢に移る。
☆
ABG‐014 〝ドズール〟
旧世紀時代にプロメテウス・エンジンの搭載型としてロール・アウトした初の量産機。中世期の騎士を無理に機械化したようなシルエットが特徴の機体である。頭部の単眼や、二本爪の接地機構がある脚部デザイン。鬼の角のような頭部スタビライザーなど、どこか魔物を思わせる部分もある。試作型のE.デバイスと、今や珍しい実体剣、対装甲ダガーを携行する。
当時はプロメテウス・エンジンの後押しによる圧倒的な出力と、実質、無尽蔵にも近しいエネルギー、機体各所に取り付けられた小型のサブ・スラスターや、背部に取り付けられた二基の大出力スラスターによって重そうな外見には似つかわしくのない高機動を誇ったが、今は昔。活躍から百年も経てば、展示物以外に能のない骨董品とも化す。
ABG‐076 〝ヴァルム〟
星間連邦の正式採用モデル。やや旧式ではあるが、もっとも世界に普及したABの一つ。軍だけでなく、傭兵や、バトリング選手なども使うことが多い機体である。兵器らしく角ばったシルエットに、分厚い装甲、機体各所のハードポイント。関節部分を排除し、やや短足気味となった脚部には大型のスラスターが複数取り付けられていて、扱いはやや難しい。
ただ、機動戦を行わないのならば操作は容易で、カスタマイズに寛容。しかも、マニピュレータはかなり器用に作り込んであり、更に頭部の火器管制システムもかなり高性能なため、多くのメーカーの装備に対応する。
所属する組織や部隊によって、基本装備が違ってくるというのは余談である。
まず、大穴を飛び出したのは黒く塗装されたヴァルムで、E.キャノンと汎用強化パッケージの追加装甲、ミサイルポッドに、大型E.デバイスを装備した重装である。
どう見ても砲撃支援向きで、いかにも玄人好みのカスタマイズだが、機動性を犠牲にしてなお貴様らにはやられないというバイオロイドの自負とも見て取れる。いや、この場合タールフィールドの自信だろうか。
次いで、砲撃戦の合間を縫うように飛び立つのは、こちらも漆黒に塗装されたドズール。ヴァルムの弾幕に夢中になるゼニードをE.デバイスから放たれるエネルギー砲や、ブレード・モードをオンにしたエネルギー刃を使って仕留めていく。
奇襲の効果は絶大だったが、そう長く続くほど甘いものでもなく、すぐに上空からウォー級の艦砲射撃が降り注ぐ。どうにかペースを取り戻したゼニードがお返しとばかりに反撃に転じ、まずは砲台役たるヴォルムに狙いをつけ、機動性を活かして襲いかかる。
飛び交う光芒、交差する機体。戦場を席巻する青白い噴射光。
流石に、タールフィールドが優秀な兵器足ると自信を持つだけのことはあって、バイオロイドの操縦技術や反応速度には、目を見張るものがあった。骨董品のドズールや、重装仕様で重さのかさむヴァルムでさえ、ゼニードとの機動性の差をうまく誤魔化してみせるのだ。
例えば、ゼニードの攻撃に対して、動きを過剰にすることなくやり過ごしてみたり、スラスターを上手く使って曲芸めいた機動をしてみたり。もちろん、単なる一挙動を取ってみても、人間とは比較にもならないものである。普通の人間にすれば、ABの戦闘機動だけでも体に負担がかかるし、第一戦闘中に、そんなことをする気の余裕だってない、ということを考えてみれば、バイオロイドという存在がいかに埒外のモノかは想像に難くはないだろう。
けれど、そういう善戦も時間経過と共にジワジワとなくなっていく。
いかに地力に優れようとも、数の理不尽にやられてはどうにもならないのだ。その上、武器は相手の方が上質ときているのだから、バイオロイド側の不利は運命づけられたものと言ってもよかった。
まず淘汰されていくのは、ヴァルムである。コレは完全に砲撃戦仕様としてカスタマイズされているもので、機動性はともかくとしても、運動性は死んだようなものだった。つまり、足の速いゼニードに白兵戦の距離にまで近寄られてしまっては、どうしようもない。
辛うじて保たれている、膠着めいた場が崩れ去ってしまうのも時間の問題だった。