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目が明く藍色

作者: 野宮

全く知らない曲名をタイトルに1時間で短編一本書きましょう企画で無理になって2時間かけちゃいました。

 藍色が見えない。

 藍色。あいいろ。インディゴ。

 ほかの人が藍色と呼ぶその色は、私にとってはただの黒だ。それで特に不自由したこともない。藍色は、あってもなくても困らない色だ。

 青も、紫も、紺も見える。藍色だけが、私の世界から欠落していた。誰もそのことを知らないし、話したこともない。これは、私とあのひとだけの秘密なのだ。



 この世に神様というものがあるのなら、こんなかんばせをしているのだろう、と思った。

鴉の濡れ羽色に輝く髪は風に揺れ、長い睫毛は瞬きのたびに震える。真冬の屋外にも関わらず髪と同じ色の着物を着流しただけの姿で、そのひとは眦だけをほのかに朱く染めていた。 

「あなたは、かみさまなの?」

幼い私は、迷い込んだ祠のそばに立つ男に何の恐怖ももたなかった。

「きみは、僕を信じてくれるのかい」彼が話すと、風や木々までが話すのをやめてその声に聞き入っているようだった。まるで世界に私たちしかいないみたい。

 私が首をかしげると、男は私の目線にあわせてしゃがんだ。

「僕を助けにきてくれたの?」

 ますますわけがわからなくなる私を見て、彼も困ったように笑った。


 男は祠のそばに座ると私を膝の上に乗せ、話を乞うた。私は幼稚園や、両親や、好きなアニメの話をして、彼はひとつひとつに相槌を打って、笑ったり、私の頭を撫でたりした。外遊び用のスキーウェアを着て帽子と手袋を着用して、それでもなお肌寒く感じる季節において、ときどき私の頬をかすめる素手は暖かくさえあった。だから、「きみはもう帰らなきゃいけないね」と彼が少し寂しそうに言ったとき、帰りたくないと思った。


「きみのお父さんとお母さんが心配してしまうよ。途中まで一緒に歩いてもいいかな」両親は私が裏庭で遊んでいると思っているだろう。そのまま裏山に迷い込んでしまっていることがバレたら、確かに心配されてしまうに違いなかった。渋りながらもうなずくと、彼は「聞き分けのいい子だ、えらいね」と頭を一撫でしてから手を繋いでくれた。

「また会いに行ってもいい? おはなし、聞いてくれる?」歩きながら彼を見上げると、彼は優しくうなずいた。

「もちろん。でも、お父さんやお母さんには内緒だよ。それから、暗い時間に来てはいけない。危ないからね。守れるかい?」私はうんうんと大きくうなずいた。「ぜったい守るよ」

 

 それから何度か、私は彼のところへ遊びに行った。友達が誕生日にくれたシールを見せたり、親に怒られたことを思い出して泣いているのを慰めてもらったりした。親に買ってもらった赤いランドセルを自慢しにも行った。漢字を書けるようになった話や、学校で習った植物の名前について教えてやると彼は「そうかそうか、きみは賢いな」と私の頭を撫でた。

 私は彼が神様なのだろうと思っていた。私が祠に遊びに行っている間、親は決まって私が裏庭のブランコで本を読んでいたり、縁側で昼寝をしていると思い込んでいて、その姿が見えていたようですらあったからだ。彼が親の目を誤魔化してくれているに違いなかった。


 しかしその逢引は、唐突に終わりを告げた。いや、唐突だったのは私にとってだけの話で、彼にとっては唐突でなどなかったのだろう。

 最後に彼と話した日、彼は少しだけしつこく「また会いに来てくれるかい」と聞いた。

「あたりまえだよ。明日はちょっと無理なんだけど……でも絶対来るし。月9の続きも教えてあげなきゃだし」毎週事細かに話しているテレビドラマのことを口に出すと、彼はそうだな、と笑った。

「どうしたの? そんなに私が来ないか心配なの? 寂しくなっちゃった?」からかうように仰ぎ見ると、そんなことないさと彼は首を振る。それでも滲み出る困ったような雰囲気に、じゃあ、と私は鞄を漁った。

「これ、貸しといてあげる。次会ったときに返してね。絶対返してもらいに来るから」取り出したのは藍色のハンカチで、彼は困ったような顔をそのままに押し付けられたハンカチを手に握った。

「どう、これで少しは安心した?」腰に手を当ててドヤ顔で見上げると彼は私の頭を撫でた。

「ああ。きみは優しい子だ。お言葉に甘えて、預からせてもらうよ」

 翌日、裏山に重機が入っていた。山があったところには、二十階建てのマンションが建った。

 そうして気付くと、私の世界から藍色が消えていた。

 そのとき、ようやく預かられていたのはハンカチではなく私の「藍色」だったということに気付いたのだった。


 

 高校を出て、大学を出て、私は実家の隣県の地方銀行に就職した。一人暮らしの駅前のアパートから銀行に通う毎日は退屈だが、若い女性が少ない職場の四年ぶりの新卒として私は同僚にも顧客にもよくかわいがられていて、だからといってセクハラなんかも存在せず、つまり人に恵まれているので特に不満はない。

そうして二年が過ぎたとき、支店長が朝礼で翌年の新卒採用を行うことを発表した。そして、その教育係には私が任命されることも。遠い春の話なのに先輩たちは大喜びで、くちぐちに私に「がんばれよ」と告げた。私もまだ見ぬ新入社員に胸をときめかせた。

そして、春。

「よろしくお願いいたします」ぴしりと決まった新入社員のスーツの、胸ポケット。

「あ、ああ、あなたは」無意識に流れ落ちる涙を、新入社員のハンカチが抑えた。

「これ、お返ししますね」揶揄うような敬語と悪戯っぽい笑顔。つられて私も口元が緩む。

見上げた顔の長い睫毛の中に、美しい『藍色』が揺らいでいた。


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