八十話 冷やし中華を食べる客達
夏の学校休みの昼時のカフェダムール、店内を見ると客のほとんどが冷やし中華を食べている。店内にズルズル、シャリシャリ、と麺をすすったりキュウリをかじる音が響く。一箇所ではなくどこもかしくもなどですごい音だ、飲食音の大合唱である。
「冷やし中華とブレンド頼むよ」
いつもケーキを食べてる一護じいさんが言う。
「冷やし中華と、ブレンドですね。分かりました」
注文を確認し、カウンターに向かう。
「絹江さん、一護じいさん冷やし中華とブレンドですって」
「あいよ」
絹江さんに注文を伝達する。最初の内はテーブルに付けた番号で呼んでたが客は常連がほとんどで名前も覚えたので注文の時も名前を出している。
こうしてる間にも絹江さんは冷やし中華の麺を茹でたりしている。鍋二つのフル稼働モードだ、昼時はここまでやらないと間に合わない。
「ハヅキ、ブレンドを出すならこれ持っていってください」
シャロンがお盆に乗ったカップに入れたコーヒーを俺に差し出す。淹れた直後ではないが電磁調理器でしっかり沸騰させて湯気が出ている。ホットコーヒーを飲む時はやはり湯気がないと始まらない。もう片方の手にも同じようなコーヒーが乗っている。
「ありがとう」
俺はシャロンからコーヒーを受け取り一護じいさんの元に行く。
「はい、ブレンドお待ちどお」
「ありがとう」
一護じいさんが砂糖とミルクを混ぜてかきまぜる。グルグルと白い渦が回っており、巻き込まれたら大変そうだ。コーヒーの色が明るくなり、一護じいさんが口に入れる。顔をしかめた、やはり散々飲んで慣れていても苦いものは苦いらしい。
「うむ、やはり夏に飲む熱いコーヒーは身体に染みるのう」
コーヒーをテーブルに置くと言った。外の暑さにじいさんばあさんがやられないように扇風機が回ってるが室内にも熱がこもってるには変わりなかった。
「え、苦いのに顔しかめたんじゃないんですか?」
てっきり顔をしかめたのは苦味が原因かと思ったがどうや違ったらしい。
「ちっちっち、苦いだけのコーヒーなんて意味ないんじゃよ。出来立て熱々のをはふはふ言いながらやるのが風流てやつなんじゃ」
一護じいさんが指を振りながら言う。その仕草が一々キザだ。
「はあ………」
よく分からん、コーヒーというのはまだまだ深いのか。
「あ、冷やし中華今作ってるんでもうちょっと待ってくださいね」
「うむ、ところで………」
一護じいさんが俺に顔を寄せる。
「最近来てる金髪の嬢ちゃんとかこの間のピチピチギャルの子達は今日はいないかのう?」
そして潜めるように言ってきた。
「さあ?一応冷やし中華出してるとは言いましたが来るかどうか………」
その問に俺は首を傾げた。
「えい、やっ、とっ!」
カウンターに戻ると冷やし中華用の野菜のカットをすももさんがやっている、ひたすらカットカットカット!カカカカカ!とまではいかないがトントントンと小刻みに気持ちいい音が聞こえる。それを一旦種類ごとに分けて皿に盛っている。包丁と掛け声のリズムは絶妙に合ってない気がした。
「りんご、麺上がったよ!」
「分かった」
絹江さんが皿に湯で上がった麺を一旦氷水で冷やして盛り付けたのをりんごに渡す。冷やし中華なのに肝心の麺がホットだと食べれたもんじゃないからな。こっからは盛り付け、りんごの役だ。麺が皿に盛り付けられるとすももさんの野菜皿から野菜を取って均等に乗せていく。
「葉月、冷やし中華出来たぞ」
「分かった」
俺はりんごから冷やし中華を受け取り一護じいさんのところに持っていく。
「お待たせしました、冷やし中華です」
「おー、意外と早かったのう」
一護じいさんが驚く。
「分担作業でやってますから」
「ほう、人が増えるといいこともあるもんじゃのう」
じいさんが関心した。
「しかもみんな可愛いですからね」
俺はニヤニヤしながら小声で言った。
「分かっとるのう、お主。ひゃひゃひゃ」
一護じいさんもニヤリと頷く。可愛い女子を愛でる男同士、年の差はあれど俺達は分かり合っていた。萌えに国境も年の差もないんだよ。
カランカラン、玄関扉に吊るした鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
「いらっしゃーい」
来店したのはアリエだ。もう夏なので私服も半袖、袖が膨らんだシャツの上に黄色いワンピースを着ている。私服は余程のことがない限りワンピースで統一されているというこだわりだ。短パンとか着たのってデートの時くらいじゃないか?
アリエがカウンターに座る。
「で、お嬢さん、今日は何をご所望で?」
スパイ映画にいそうなダンディなおじさんみたいなキザな雰囲気で言ってみる。
「冷やし中華ってやつ?食べに来てやったんだけど………」
「お、お前も食う気になったか」
「なったかって、あんたが食べに来いって言ったんでしょ!だいたい、冷やし中華ってなによ!中華って中国のことでしょ?中国冷やすってなによ?なんなのそれ!」
アリエが声を上げる。俺はその言葉に驚いた。
「メールでも言ったろ、ラーメンの麺に野菜色々乗っけたつけ麺だって」
俺は冷やし中華のことを説明した。メールだとうちの店冷やし中華出してるんだが今度の土日、昼に食べに来ないかて言ったんだ。その返しが………。
「冷やし中華?なにそれ?」
文面だと分かってないことを示していたがまさか本当に知らないとは思わないのでだから冷やし中華だよ、知ってるだよ?と送った。その返しが
「知らないわよ?」
だった。本当に知らないのか、俺は驚いた。まさか本当に知らなかったのかぁ…………。で、この後普通に冷やし中華の特徴を説明した。
「とりあえず行ってみる」
と最後返ってきたので来るのは分かっていた。彼女の文面は基本絵文字などない、俺と同じ男らしい飾り気のないシンプルなものだった。
「ふーん、それって…………あれ?」
そして現在、アリエが他の客達が食べてる冷やし中華を指す。
「うん、それそれ」
「なんか下品」
「ええ!?」
アリエの容赦ない言葉に俺は声を上げる。
「下品て、あれのどこが下品なんだよ」
「だって、蕎麦みたいにうるさいし………」
「ああ、蕎麦もズルズルうるさい食べ方してたな………」
俺は合点が行き苦笑いする。アリエの母親の故郷である西洋だと食事中の音があまり多いのははしたないと言われてるんだっけ。
「この店じゃ、みんな下品な食べ方してるのかしら?」
アリエが嫌そうな顔をして言う。
「いや、下品だけどギリ大丈夫だろ。よく見ろよ」
「んん?」
俺は他の客を指しアリエが訝しげな顔でそれを見る。
「豪快に食ってはいるがつゆが服に付かないように気使って箸を動かしてる、伊達に何年も冷やし中華食ってないのさ」
「なによそれ、気持ち悪いんだけど」
それでも一刀両断された。
「そこは素直に褒めとけよ」
「素直に気持ち悪いわよ、豪快なのか丁寧なのかはっきりしなさいよ」
「そこはまあ、メリハリってやつだよ。で、食うのか?食わないのか?」
「食べるわよ、作ってちょうだい」
アリエが拗ねたように言った。
「りょー、かい。絹江さん、アリエに冷やし中華ー!」
俺はキッチンに向かって叫んだ。
「あいよ」
「あとカフェモカもちょうだい」
「オーケー、任せろ」
俺もカフェモカを注ぐべくキッチンへ。カフェモカを作りアリエのところに戻ってくる。
「とりあえずカフェモカな」
「ありがと、感謝してあげるわ」
その言葉に思わず俺の口元が緩んだ。彼女の言葉は偉そうだが内容はちゃんとしてるし俺に愛情を向けてることも知っていた。カフェモカを口につけたアリエが目を向けたのは風鈴だ。扇風機のブオーンと鳴る風にチリンチリーンと揺らされる風鈴、夏の風物詩のあれだ。
「ここって、風鈴なんて置いてたのね」
アリエが風鈴の下の紙をつつきながら言う。
「風流だろ?」
「うん………」
彼女は懐かしそうに見詰める。ひょっとして彼女の家にも風鈴が置いてあるのだろうか。
「あー」
そして扇風機に向かって声を出し始めた。
「ぷっくふふふふ………」
アリエの動作に思わず口を抑えて笑ってしまった。
「な、なによ。なにか変?」
アリエはごく当たり前のことをしたと思っている。
「いや、なんか子供っぽいなって」
てっきり扇風機の近くであーと声を出す真似は小学生がやるものだと思っていた。
「悪かったわね、子供みたいで」
アリエが拗ねたように言う。
「別にからかったわけじゃないって。ただ、そういう可愛いとこもあるんだなて思っただけだよ」
俺は手のひらを出して訂正する。
「そういうことにしといてあげる」
アリエが顔を赤くして言う。こういうところも可愛いな。
「ハヅキ、冷やし中華できたみたいですー!」
シャロンに呼ばれてキッチンから冷やし中華を取ってくる。
「あいよ、冷やし中華だ」
俺はアリエに冷やし中華を出した。アリエは間近で冷やし中華を見詰めてときめくような顔をした。
「ま、食べてみろって」
俺はアリエを促す。
「うん」
アリエが大量に箸が入った箱から箸を取る。麺ときゅうりをすくってつゆにつける。口に入れてズルズルと言わないよう箸で口の方に上げる。バリボりという音がアリエの口からした。
「まあ、特別に認めてあげないこともないわね」
少し顔を赤くして言った。
「素直じゃねえな」
「あんたのとこのだから認めてあげるって言ってるの、別にそんなにおいしくはないわよ」
そう言いながらアリエが麺をすすると目が見開いた。美味いのは確かだな、本当に………素直じゃないんだから。
カランカラン、また扉が開いて客が増えた。
「いらっしゃい」
「いらっしゃーい」
入ってきたのは飯山と山崎だ。
「ちーっす」
「やっほー、冷やし中華食べにきたよー」
「わざわざありがとうございますー、是非食べてってくださいね」
シャロンが手を重ねて言う。その仕草は見るもの全てを魅力しそうだ。だが悲しいかな、俺の側にはアリエがいるんだ、シャロンの輝きとかあまり気にならない。
「じゃあ、冷やし中華とカフェオレ二つずつねー、しくよろー」
飯山が二つずつの二本、指を立てて言う。
「あー!」
山崎がアリエを指して声上げる。アリエはその大声にびっくりして跳ね上がる。二人から隠すように冷やし中華の皿を動かした。
「ねえ、あなたアリエちゃんでしょ?確か文化祭の時にいた」
「そういうあんたは葉月のクラスの………」
アリエはぶっきらぼうに言う。
「久しぶりじゃーん、元気してたぁ?」
飯山じゃ軽い調子で話しかける。
「げ、元気………」
アリエは歯切れが悪い、彼女は人見知りする方なのだ。
飯山がアリエの隣に、山崎が飯山の隣に座った。アリエは飯山の距離感に辟易するような顔をした。
「ねえねえ、アリエっちて彼氏とかいんの?」
飯山が馴れ馴れしく言う。
「いないわよ」
アリエがふてくされたように言う。おい、マジかよ………。
「あ、分かった。君嶋だろ?」
?!俺とアリエは勢いよく飯山の方を向いた。なぜ分かったのだろうか、アリエも俺も何も言ってないはず。
「やっぱ、そうなんだー」
このニヤニヤ顔、ムカつくなー。
「そうなの?!」
山崎が驚く。
「べ、別にそんなんじゃないわよ!葉月は彼氏とかじゃないわよ!」
アリエが顔を真っ赤にして必死に否定する。嘘だと分かっていても地味に傷つくな。
「だめだよー、そんなこと言っちゃあ君嶋が傷つくんじゃなぁい?」
飯山がからかうように言う。
「うるさい、余計なお世話よ」
アリエがぶっきらぼうに言う。
「で、君嶋くんはアリエちゃんことどう思ってるの?」
山崎が聞いてきた。
「別にー、彼女でも片思いでもないけどー?」
今の俺は悪い顔をしてないだろうか、いや、相当悪い顔だろうな、ふふふ………。チラッとアリエを見ると大分ショックを受けた顔をしていた。ふっ、ざまあ見ろだ。
「そー?、ほんとは好きなんじゃないの?」
「さあな」
念を押されるが敢えて濁した。
「うわ、君嶋、人が悪いなー」
飯山がニヤニヤして言う。
「もいい!葉月なんて知らないわよ!」
アリエは怒ったように冷やし中華を食べていく。
「怒らせちゃった」
「みたいだな」
二人にも冷やし中華が運ばれる。ズルズル、ズルズル………冷やし中華をすする音がする。
「お、うまいじゃんこれぇ!」
「おいしー!」
二人が感激する。こう素直に喜ばれちゃあ店員冥利に尽きるね。
「だろ、その麺店の手作りなんだぜ」
「へー、すごいじゃん」
「凝ってるねぇ」
カランカラン、新たな客が現れた。
「いらっしゃい」
「いらっしゃい。あ、清ちゃん!」
現れたのは清さんだ。
「すももちゃーん、来たわよー。ねえ、冷やし中華食べさせてくれるんだって?」
「食べてくれるの?」
嬉しそうなすももさんの声。
「もちろんじゃなーい、だって大好きなすももちゃんに誘われたんじゃ断るわけにはいかないもの」
清さんがとろけるような声で言う。
「なあ、あれ………こいつと一緒にいた清って人だよな」
飯山がアリエを指して恐る恐る言う。
「ちょっと、人をこいつなんて言ったり指さしたりするんじゃないわよ」
アリエが不満そうに言う。
「いいじゃんそれくらいー」
「ねえ、あの人前見た時と雰囲気違くない?なんていうか………キャピキャピしてるっていうか………」
山崎が清さんを指して言う。
「まああの人、すももさんのこと好きだから」
「好きっていうかすごい好きみたいよ、あたしも見ててそう思う」
アリエが答えた。少し清の態度に引いてる様子だ。
「ふーん、変わってるのね」
変わってるのは間違いない。清さんは男色家ではないが女好きの女というのはふさわしいだろう。
アリエと俺みたいに人前じゃ素直になれない男女もいれば飯山と山崎みたいに極めてナチュラルな友人として接する二人もいる。また、清さんみたくあからさまに同性に対して好意を見せつつも言葉に出さない女と女もいるということだ。同じように、男と男の関係も、どこかにあるかもしれないな。二人の関係というのは組み合わせによって色々あるかもしれない。
今回もお読みいただきありがとうございます。ブックマークや評価お願いします