私は不幸である。
私は不幸だ、誰がどう言おうが不幸なのだ。
そう言って理由を話すと、返ってくる返事は人それぞれだろう。
『そうなんだね、不幸だね』多分こんな風に返してくる人は稀であろう。
少なくともそう言ってくれた人なんて私は知らない。
私が大抵耳にするのは『大丈夫!全然不幸なんかじゃないよ』といった励ましの言葉ばかりだ。
確かにそれは否定しない、何故なら一時的にも私はその言葉に助けられているからだ。
しかし、それでも私は自分を不幸だと思ってしまう。
それほどまでに、私は幸せを知らない。
私は身体に病を持っている、それだけでも昔の私は不幸だと思っていた。
しかし、ここまで私が不幸だと思ったのはつい最近のことである。
『病状は安定してます、この調子なら近いうちに完治できるかもしれません』
私は先生のその言葉を聞いて喜べなかった。
何故なら、この病気を中心にして不幸な物語を構築していたからだ。
病気のせいで甘やかされた。
病気のせいでいじめにあった。
病気のせいで私はひねくれてしまった。
病気のせいで……
この病気のせいで私は死ねるんだ……
この病気のせいで私はこの苦しい日々を抜け出せるんだ。
この病気の……おかげで……
だけど、そんなことは訪れなかった。
私の両親は普通ではない。
どの程度が普通なのかと言われたら答えるすべもないけれど、それでも普通じゃないと思う。
父は飲んだくれの借金まみれのどうしようもない人間。
母はそんな父をどうにかしたくて、頑張っていたが高度の精神病に掛かっていた。
私はそんな両親が普通だと疑わなかったし、疑おうともしなかった、それよりも私は両親に甘えていたのだ。
それが、原因でいじめにもあうようになっていった。
この時から私は自分を不幸だと思っていたし、死にたいとも思っていた。
でも、そんなのは私が招いたことで本当は誰も悪くはない。
しかし、そんな出来事が立て続けに起きているのだから、私は決して幸せではないだろう。
この不幸の連鎖は現在進行系で、今でも私を蝕んでいる。
父の現状はいまだに変わらない、むしろ悪化している。
雇われている企業から給料が支払われてきないのだ。
それを軽くみている上に、出なければ辞めれば良いと軽々く言って見せる。
生活するのも、ギリギリなのにそんな事を言うのだ。
追い打ちに、お金は遠慮なく使っている。
母は精神的に病む生活が続き、ついには認知症にも掛かってしまった。
父がやる事に色々と愚痴ったりするが、それを忘れてしまう始末であ。
とうの私はその二人に板挟み、解決策も見つからず途方にくれている。
私も今は大人で、働いてはいるものの収入は絶望的に少ない……
それでいて、親にあてにされるのだ。
私からすればいい迷惑である。
当然、育てられた恩は忘れてはいないけれど。
それでも親に渡すお金はほんの気持ちで、全部を補う気持ちは全然ない。
私もそんなお人好しではないのだ。
こんな人生を送ると分かっていたなら、私は甘えたりしなかっただろう、不幸だとは思わなかっただろう。
両親に甘えたのも、いじめにあったのも、性格がひねくれてしまったのも。
この不幸は私が自身で招いたもの、すべては自己責任なのだ。
でも、どうしても人のせいにしてしまう。
だって、やっぱり私を不幸にしたのは自分であり、周りの人達なのだから。
そして、私はどうしようもない程にお人好しだ、結局は私のせいにしてしまうのだから。
私は最近不幸だと思うと同時にこう思う。
人間失格なんじゃないかなと……
自分は最近凄く辛いことがありました。
自分の事を不幸だと思うことは日常茶飯事です。
普通の人が良いなとか羨ましいとか思う反面、不幸だと思って泣くこともあります。
でも、やっぱり今を生きてます。
辛いと思っても生きてます。
ですから、普段から辛いことがある人は諦めないでください。
死にたいとか思っても生きてください。
貴方の励ましになれたら幸いです。