俺、吸血種の王の力に驚くんで
「さて、さっきの座布団どもは装備を剥いで外に放り投げてきた」
「部屋も、ある程度は片づけました」
「アレティは儂のベッドに寝かしている。穏やかな顔で眠っておるよ」
「後は、そいつだけだな」
俺は床に転がっているベルクを見やった。
ベルクは現在手足を縛った状態で転がしてある。顔はところどころ腫れ上がっていて痛々しい。誰だこんなひどいことした奴は。まったくひどいなあ。
「こいつは私が軍に直接持っていって、裁きを受けさせる。こいつは殺人を犯した。見逃すわけにはいけない」
「……少し、待ってはくれないか」
メグミさんがベルクの首根っこをむんずと掴み、引きずっていこうとしたところを、ソフィアが呼び止めた。
「そいつに見せたいものが。会わせたい者がいる」
「私に?」
訝るような視線をベルクはソフィアにぶつけた。
「ああ。……ついて来い」
そう言って歩き出したソフィアに、俺たちはよくわからないままついて行った。ベルクはメグミさんが、幼児が持つ買い物袋のように引きずっている。
薄暗い廊下を歩き、下へと続く階段を下りた。その時のベルクの惨状は、見るに耐えなかったが、ざまみろとは思った。
そうして、一つの扉の前についた。
「ここだ」
ソフィアはそう言って、その扉を開けた。
その先には、
「何だ、ここ……村、か?」
扉の先には、広大な田園風景が広がっていた。
ところどころに木で作られた小さな家があり、ここに人が住んでいることは想像できた。
でも、俺たちはずっと城内を歩いていたはずだ。いくら城が大きくても、こんなところがあるとは思えない。
例え地下を大きく掘って場所を作ったとしても、少なくとも、青空が見えるわけがない!
「ソフィア、いったいここは……?」
ソフィアをちらりと見て聞いたが、ソフィアは俺の質問には答えず、大きく息を吸い込んで、そして大声で呼んだ。
「ラルフェ!!」
「な、何?」
それを聞いたベルクは、口を半開きにしてぼそりとつぶやいた。
「ソ、ソフィア。その名前って……」
「はーい!」
俺が言うと同時に、遠くから元気よく返事が聞こえた。
田畑の間に作られた細い道を、一人の女性が、果物がいっぱいに入ったかごを抱えて、走ってこちらにやってくるのが見えた。
彼女は近くまでやってくると、走って乱れた長い金髪を手で直しながらニコリと微笑んだ。
「あ、ソフィアさん、こんにちは。あれ? そちらの方々は? って、あれ!?」
「そ、そんな、まさか!?」
「お兄様!?」
「ラルフェ!!」
「……かしら? なんだか顔が腫れあがっていて、もしかしたら人違い?」
こてんと首をかしげた彼女に、ベルクは首を振った。
「いや合っている! 私だ、ベルク・アオスブルフだ!」
「……ソフィア、これは、いったい?」
「ここは、吸血のために儂らが攫った人々が暮らすための場所だ」
ソフィアは目の前に広がる平和な景色を、目を細めて見ながら言った。
「どういうことですか化け物。説明しなさい」
ベルクは腫れた目でソフィアを睨みながら言った。
「おぬしの妹がいなくなったのは、いつだ?」
「三年ほど前、妹が登山に行って、そして帰ってきませんでした」
「その時ラルフェは、足を滑らせたのか滑落事故を起こしておってな、そのままでは死んでしまうかもしれなんだ」
「そうです。あの時私、もうだめかと思いました」
ソフィアのセリフを、ベルクの妹、ラルフェが引き継いで続けた。
「その時、吸血種の方が助けてくれました」
「なん、だと?」
「吸血種の方は私をここまで連れてきて、そして怪我を治してくれました」
「その代わりに、ここに住み、血を儂らに提供することを約束させた」
「家族と会えなくなるのは辛かったですけれど、でも、ここには私以外にも、人が住んでいましたから、寂しくはありませんでした。ほら」
そう言ってラルフェが示す先には、他の人間の姿があった。
いや、人間だけじゃない。
そこには、森精種、獣人種、そして水棲種の姿があった。
「儂らが他国に潜伏して人を攫っていたのは事実だ。だが、儂らが攫うのは、事故に遭うなどして、そのままでは命が危うい者だけと決めていた」
「じゃあ、吸血で命を落とした人って言うのは……」
「誰もおらんよ」
きっぱりとソフィアは言った。
「う、嘘だ……こんなのは、幻だ……あなたたちお得意の……」
「そう思うなら、直接妹君に触れてみればよい」
ソフィアの言葉を聞いて、メグミさんはベルクから手を離した。
ベルクは覚束ない足取りでラルフェに近づき、その頬に手を触れた。
「あ、ああ……」
「お兄様。私は、無事でしたよ。ご心配をおかけして、ごめんなさいね」
「ぅぅぅ……くそぅ……」
ベルクはうめき声を漏らし、膝からがくりとくずおれた。
「ところでソフィア、ここはいったいどういう場所なんだ? 城の外じゃないだろ。青空だし。つかお前、日光に当たって何ともないのか?」
「心配はいらん。ここは、儂が魔法で作った仮想空間だ」
「仮想空間?」
「さすがに食べ物や植物、それに水などは本物だが。あとは、空も、光も、空間自体も幻だ」
「まじかいな」
俺は改めて村を見回した。
どう見てもリアルだ。
しかも、超広い。ように感じる。
「驚いているのか?」
「まあ、かなり」
「舐めるなよ? 儂はこれでも吸血種の王だぞ?」
ソフィアはあくまで平淡に、けれど、どこか得意げにそう言った。
村の中には、五つの種族の人たちが、分け隔てなく話している。笑い合っている。協力して、野菜を育てたり、水を汲んだりしている。
この世界は、ソフィアが作り出したんだ。
「しかし、いつまでも彼らをここに閉じ込めておくわけにはいかん。それくらいはわかっておる。それに彼らだけでは、全吸血種を養えない。彼らの血を吸い尽くしたところでな。だから、おぬしには感謝する。ありがとう」
「いや、俺はなんも」
「そう言うな。いつか、この恩は返す。覚えておけ」
「覚えておけって、それ完全にお礼参りの方向じゃん怖い」
「あ、あの、ソフィアさん」
「ん? どうした、ラルフェ?」
「アレティさんは、今日はいらっしゃらないのですか?」
その一言に、この場にいる誰もが、ベルクさえもが、凍り付いた。
「私、アレティさんにこれを食べてもらいたくて。もちろん、血以外は栄養にならないことは知っていますが、それでも、こちらに来てできた、一番のお友だちに私の作ったものを食べてほしくて」
ラルフェはそう言って、かごの中にある色とりどりの果物に目を落とした。
「……ラルフェ、私は、私は、勘違いで……とんでもないことを……」
「え? ど、どうかされましたか、お兄様?」
「わ、私が……私が……」
「アレティは、今、少し病気をこじらせてしもうての……しばらくこっちには来られん。すまんの」
震える声で自らの過ちを告白しようとしたベルクを、ソフィアの声が止めた。
「え! あの、アレティさんは大丈夫なのですか?」
「おそらく大事無い。寝れば、きっとよくなる。まあ、そのうちよくなったら、また顔を見せに来させよう」
「お願いします。あ、そうだ。それじゃこれ。すみませんが、アレティさんに渡してください」
「……うむ。わかった」
ソフィアはラルフェから、果物がいっぱいに入ったかごを受け取った。
「あやつもきっと、これを食えば元気になるかもしれん」
「ソフィアさん、吸血種は血以外は栄養になりませんよ?」
「おぬしの想いが伝わるということだ」
「ああ、そうですね。ふふっ。それじゃ、お大事にと、お伝えください」
「わかった」
ソフィアは微笑んで、そのかごを胸に、大事そうに抱いた。
「あの、ソフィア王……私は……」
「勘違いしてくれるなよ、おぬし」
呆然としたベルクに、ソフィアは冷たい声を浴びせた。
「おぬしは、たとえ妹君が無事だったとしても、儂を赦さなくていい。儂も、おぬしを絶対に赦さない。絶対にだ。……一生をかけて後悔しろ」
ベルクは、ただうなだれた。そしてメグミさんがまた首根っこをひっつかんだ。
たしか前にオルカが、赦す勇気なることを言っていたが、ソフィアはきっと、赦さない勇気をもったのだ。
悲しみを絶対に忘れずに、一生覚えているという勇気を。
「そうだ。皆に伝えねばならんことがあった」
ソフィアはそう言って、体を村の中心に向けて、そして大きく息を吸った。
「皆の者! よく聞け!」
村中に響き渡る声で、ソフィアは言った。
「おぬしら、今までここに閉じ込めて、すまなんだ! だが、今からはもう、自由に出て行ってもらえば構わない! 国で待つものがおるであろう! 国までは儂らが責任をもって送り届ける! 儂らのことは心配してくれるな! 儂らはもう、大丈夫だから!」
その深紅の瞳から、涙をこぼしながら、
「今まで、本当に、儂らを支えてくれて、ありがとう!!」