俺、許しはしないんで
一か月ぶりの更新になってしまいました、すみません。
「何の音だ?」
「何かが落ちた音じゃないですか? あまり過敏になっては」
「いいや、違うよ、ヒナミちゃん。廊下から人の気配がする」
じっと様子をうかがう俺たちの前に、一人の男が現れた。
すらりとした体躯。その長身の身を包むのは三つ揃いのスーツ。頭には深くかぶった中折れ帽。片手には洋風の杖を持っている。まるでイギリス紳士だ。
その男が顔をあげた。
帽子の奥には、目鼻立ちの整った青年の顔があった。真っ白な肌。帽子からのぞく髪は黄色に近い金。
そしてその青い瞳には、どろりとした何か、得体のしれない何かが感じられた。
「どうも、ソフィア嬢。ご機嫌麗しゅう」
「おぬしの顔を見たら機嫌が悪くなった」
「手厳しいですね」
「メグミさん、知っている人ですか?」
「ああ。軍の人間だ」
やっぱりか。いつでもどこでも、事態をかき回してくるのは軍の奴だ。すっきり解決したと思ったのに、また面倒なことのなりそうだ。
「写真でしか見たことがなかったが。エクシア―公国特別派遣部隊隊長、ベルク・アオスブルフ少佐。表向きは優等生で通っているが、さて、あの目はどう見ても優等生の目ではないな。いや、他種族を見下す軍組織内では、あの目は優等生で通るのか」
ベルク・アオスブルフ少佐。確かに見てくれは悪い人には見えない。
だが、あの目。
俺はあの目を知っている。似たような目を見たことがある。
ファイク・グラウザム。
雰囲気は全く違うが、目だけはあいつに似ている。
「涙、ですか」
突然、ベルクは核心をつく一言を言った。
「何のことだ?」
ソフィアは、さすが王と言ったところか、顔色一つ変えずにそう言った。
「惚けないでください。全部知っています。まさか涙に血精が含まれているとは、いやはや、予想外ですよ。思い当たったのは、君ですね?」
ベルクは俺の方を見て、言った。
言われた瞬間俺はどきりとした。態度に出ていなかったかどうか自信がない。
どうして、わかった? 思いついたのが、俺だって。
「君のような少年が、ねえ。いや、少年だからかもしれない。吸血種を救うのが涙なんてロマンチックな考え。大人の私には恥ずかしくてできません」
ベルクは肩をすくめ、首を振った。気障ったらしい。うぜえ。
「だからおぬしは何を言っているのだ? 涙に、血精? はっ、面白いことを思いつくな。だがそんなメルヘンチックな考えで、儂らの問題が、血精不足解決されるとは思えんな」
「だから、惚けないでくださいって。ほら、これ。なんだと思います?」
ベルクは懐から、小さくて細長い機械を取り出した。
「何だ、それは。おぬしのおもちゃか?」
「いえいえ。聞きますか?」
「聞く?」
ベルクはその機械のスイッチを、押した。
『血精を感じる。感じるぞ!』
『違う。落ち着け。今お前が飲んだのは、人の涙だ』
『すべてこの男のおかげだ』
そこから聞こえたのは、ソフィアの声だった。
さっき俺がこの耳で聞いた、ソフィアの言葉だった。
「な、なぜ……?」
自分の声を見知らぬ機械から聞いたソフィアの顔は真っ青になっていた。
「以前お邪魔したときに、盗聴器を仕掛けさせていただきました。一国の王を監視するためには、当然の行いです」
「とう……ちょう、だと……? ……おぬし……外交問題だぞ!」
「外交?」
声を荒げたソフィアに対し、ベルクは片眉をあげ、馬鹿にしたように笑った。
「はっ、他種族と我がアーデル王国との間に外交なんて、あるわけないじゃないですか。あなた方が敗戦国だということを、忘れないでいただきたいですね」
「敗戦国だって国じゃねえのか!」
あまりなやり口と言い草に腹が立った俺は思わず声をあげた。
「おや、少年がどうして怒っているのですか?」
声を荒げた俺に、ベルクは落ち着いた声で言った。
「そう言えば、どうして君が吸血種を救う方法なんかを考えているのですか? 君は人間でしょう? どうして他種族なんかを気にかけているのですか?」
「俺は亜人種が好きなんだよ。それが理由だ」
「亜人種が……好き……?」
ベルクは俺の言葉を聞くと、顔を青ざめさせた。
「恐ろしいことです! どんな教育を受けたのでしょう! 今すぐにでも小学生からやり直した方がいいくらいです」
「失礼だなこの野郎! なんだよ、人間だって昔は、亜人種と仲が良かったはずだろ!」
「過去は過去。今は今です。かつて私たちが四足で歩いていたからと言って、今二足歩行をしてはいけない道理はないでしょう?」
「詭弁だ! こじつけじゃないか!」
「大人ということです。だいたい、我々人間が先の戦争で、圧倒的に優位な存在であることは証明されたのです。それなのに、以前と同じように対等に付き合おうなどとは、ははっ、馬鹿馬鹿しくてとてもとても」
ベルクはそう言うと、やれやれというようにため息をついた。くっそいちいち腹立つなこいつ。
これがやっぱり、人間側の、亜人種に対する認識か。
自分たちは上位。
他種族は下位。
そういう認識がきっと、頭の奥深くに居座っているのだろう。
だから、当然のごとく見下せる。
それに、さっきベルクが言っていた教育という言葉。
今のアーデル王国ではきっと、亜人種は劣等なのだという教育を子どもたちに行っているんだ。
小さい頃から刷り込んでいるんだ。そのまっさらな頭に。
それはやがてその子たちが大人になった時、アーデル王国の全体の常識となる。
常識的に亜人種は劣等なのだと、誰もが、何の疑いもなく信じるようになる。
そうなってしまってはもう、手遅れだ。
「ああ、そうでした。少年に構っている場合ではないのでした」
ベルクは気を取り直すように中折れ帽をキュッと直した。
「涙が血の代用となるとは、由々しき事態です。そんな情報が外に漏れたら大変です」
ベルクは言いながらゆっくりと右手に持つ洋杖をあげた。
「そんなことをされては、せっかく弱体化させたのが水の泡です。ゆっくりと餓死してもらいたいのに、栄養源を新たに得られては困ります」
そしてその杖の先をソフィアの方に向けた。
にやりと口の端を歪める。
「本当は、あまり荒っぽいのは苦手なのですがね」
「まずいソフィア避け――!」
「いやいや遅すぎですよ」
嫌な予感がむくむくと心の中で育ち、それが俺の脚を動かす前に、杖の先から閃光が奔った。
そして同時に、部屋中に轟音がとどろいた。部屋中に血の臭いが広がった。
「あ、ああ、あああ! そん、な……そんな!」
俺の目には、信じたくない光景が広がっていた。
「あ、あ、アレティ!」
ソフィアは叫びながら、自らの妹をその腕に抱いた。
「がふぅ……お、ねえ、ちゃん……だい、じょうぶ? けが、してない?」
ソフィアの腕の中で、胸元を真っ赤にして、口から血を流しているアレティの姿が、そこにはあった。
「何を言っておるのだおぬしは!? 何を、何をしておるのだ!?」
「おや、まさか妹君がソフィア王を庇うとは。まったく人間の姉妹のような行動ですね。本当に……」
ベルクは肩をすくめ大きくため息をつくと額に手を置いて言った。
「本当に、虫酸が走ります! 人間のまねごとを、下等動物なんかがするなんてね!!」
「ベルク……貴様ぁぁぁ!」
本当に、心底嫌そうにそう吐くベルクを、俺は睨みつけた。
ベルクの持つ杖の先からはうっすらと煙が立っている。
仕込み銃か!
「ヒナミ!」
俺はヒナミにアレティを助けてもらうためにヒナミの名を叫んだ。
「わかってます!」
俺が言うまでもなく、ヒナミはすでにアレティのもとに駆け寄っていた。
「吸血種の方は治癒力が断然、どの種族よりも優れています。ですから、また、涙を飲ませれば。いいえ、いっそのこと血を!」
「ヒナミちゃん! 私の血を使いなさい! ほら早く!」
「いや無駄ですよ」
ヒナミやメグミさんが必死になってアレティを助けようとしているところに、ベルクは冷や水を浴びせるようにそう言った。
「私が打ちこんだのはただの弾丸ではありませんから」
ベルクはポケットに手を突っ込むと、小さく光る何かを取り出した。
「これです。銀でできた弾丸です」
「銀、だと?」
「銀を心臓に打ちこまれた吸血種は、治癒力を発揮できずに死ぬ。どうやら、本当のようですね」
ベルクはアレティを見ながら、手のひらで弾丸を弄んだ。
「特注ですよ。これ一つで家の一つ二つは買えますかね。しかしまあ、吸血種を一匹殺せるのなら、安いかもしれません」
「お、ねえ……がはっ!!」
「もうしゃべるな! ……もう……しゃべるな」
大量の血を吐き出したアレティに、ソフィアはその体を抱きしめながら言った。
どくどくと、アレティの胸元から、その深紅の髪と同じくらい……いや、似ても似つかない禍々しい赤が流れ出している。
「すまない。こんなことになって、すまない……!」
「うつ、むかない……で。おねえ、ちゃん、は……うつむ、い、ちゃ、だめ。……げほっげほっ!」
「だからもうしゃべるなと言うておろうが!」
苦しげにせき込むアレティを見て、ソフィアは悲痛な声でそう言ったが、アレティは「最期だから」と言って話し続けた。
「前を、見て。みんなを、救って。わたし、みたい、な……吸血種は、人間に……殺され、る、っぐふ、吸血種は、わたしで……最後に、して」
アレティは手をそっと伸ばしてソフィアの頬を撫でた。
「せっかく、げほ……ソウマ、さんが、見つけてくれ、た……希望の、光……消しちゃ、だめ……。……おね、が、い……」
アレティはそう言って、静かに、目を閉じた。
アレティの手が、力が抜けたように落ち、床とぶつかった。
「お、おい……おい! アレティ! アレティ!! わ、儂は、お、おぬしがおらんで、どうやって、儂一人で! おぬしがいたから、儂は!」
「やめてくださいよ。そんな、死を惜しむなんて人間らしいことをするのは。まったく、見ていられませんね。はあ」
ベルクはそう言いながら杖に銀の弾丸を装填した。
「今わたしが持っているのは、あとこの一発だけです。まあ、せめてもの情けです。妹君と同じように始末してあげましょう。ねえ、ソフィア王?」
そう言ってベルクは再び杖の先を、アレティを抱きかかえているソフィアに向けた。
「終わりです。さようなら、ソフィア王」
そして、銀の弾丸が、音速をも超えてソフィアのもとに飛んでいき、
「させねえよ」
俺の胸に深々と抉りこんだ。
「な……! し、少年! 君何をしているのですか!? 人間の君が吸血種なんかを、命を捨てて庇うなんて!?」
「吸血種、なんかだと?」
俺は自分の胸に手を突っ込み、体にめり込んだ弾丸を取り出した。
そしてそれを二度と使えないように、渾身の力で握りつぶした。
「な、なんですか君。その体は?」
「んなこたどうでもいいんだよつーかふざけんなよ。さっきから吸血種を人じゃないみたいに言いやがって。こいつらも、生きてんだよ! 俺たちと同じように! 人間と同じように生きてんだよ! 何かを願って、誰かを想って、精一杯、生きているんだよ! お前みたいなやつに馬鹿にされるために、見下されるために……殺されるために生きてなんかいないんだ!!」
「……少年、君はどうして泣いているのですか? その吸血種が死んだから? まさか」
俺は知らず知らずのうちに流れている涙を手の甲で拭った。
牢屋にいたころのことが思い起こされる。
アレティが持ってきてくれる料理。
決しておいしくはない料理。
でも、それでも。
それに、その温かさに、俺は、救われたんだ!
「はあ、君のその感性はもはや人間として正常じゃないです。再教育をしても時間の無駄。ここで、始末してしまった方がよさそうですね」
ベルクは右手を高々と上げると、指をパチンと鳴らした。
するとそれを合図にして、廊下で待機していたのか、武装した軍の連中が十人ほど部屋に入ってきた。
「そっちの二人も人間性が怪しいですし、全員まとめて始末してしまいましょう」
ソフィアを挟んで立っているヒナミとメグミさんを見やり、ベルクは吐き捨てるように言った。
「ソフィア王はどうしますか? 銀の弾丸はもうありませんよ?」
「回復が間に合わないくらいずたずたにしてしまってください。自動小銃なら、全員でかかればできるでしょう。問題はそっちの少年の方です。不可思議な体です。まるで吸血種のような体です。……彼は私が直接やります」
「了解です」
男たちは次々と小銃を構え、俺たちに狙いを定めた。
「メグミさん」
「わかった。周りの雑魚は任せなさい。君は二人を……三人を頼んだ」
「はい。あと、俺はあいつを」
俺はメグミさんとすばやく行動を決めた。メグミさんとの共闘も、そろそろ慣れてきた。互いに互いがどう動きたいかわかっている。
「ヒナミとソフィアは下がっていてくれ。流れ弾が怖い」
「い、嫌だ。儂は、そいつらを、全員、殺す。だから、おぬしこそ下がっていろ」
「それは聞けない」
「何故だ!」
「ソフィアにはアレティの傍にいてほしいし、それに」
アレティは言ってなかったけど、
「きっとアレティは、吸血種が人間を殺すのも嫌がったと思うから」
「……!」
「そういうわけだ。まあ、安心しろ」
俺はベルクの正面に立って言った。
「仇を討つのはできないけれど、こいつの綺麗な顔面、見られなくしてやるくらいはできるから」