俺、異世界出身って信じさせるんで
その瞬間俺は背筋が凍った。熱い湯の中に入っているにもかかわらず。
そこにはさっきまでの、少し頭のおかしな大人のお姉さんはいない。自分の大切なものを何としてでも守ろうとする強い意志を持った女性がいた。
「ヒナミちゃんに弟はいないよ。あの子は一人っ子だ。おそらく弟とかいうのはヒナミちゃんが考えたんだろう。違うかい?」
「ええ、そうです。俺だってびっくりしましたよ。急に弟だって言われるんですから。それにしてもよくわかりましたね。ヒナミが考えたなんて」
俺は震える声でなんとか返した。メグミさんの目は俺の目をしっかり捉えている。下手なごまかしは通じないと思い、俺は正直に答えた。
「何年一緒にいると思っている。きっと君をかばってのことだろうがな。あの子はどこまでも優しい。だからこそ、そこにつけこむ輩から私が守らなければならない。それでは聞こうか。君は何者だ。何のためにヒナミちゃんに近づいた?」
……さてどうする。
つーかヒナミ言ってること違うじゃん。ヒナミの言うことは全部信じるんじゃなかったのかよ。激甘じゃなかったのかよ。
ごまかせられるか? ノーだ。メグミさんのこの冷たい目は、適当な嘘であざむけられるものではない。
正直に話すか? ヒナミが信じたんだと言えば……。だめだ。俺が言葉巧みにヒナミをだましているんだろうと、メグミさんは考えるだろう。
「そういえば初対面の時俺のこと抱きしめてくれたじゃないですか。あれなんだったんですか? サービスですか?」
俺はなんとか考えを生み出すため、時間稼ぎを試みる。
「ああ、あれか。あれは抱きしめることで君の脈拍、息遣いから君という人間を判断しようとしたんだ」
何者だよ、あんた。メンタリストか。
「私がヒナミちゃんのお父さんとお母さんの話をほのめかしたとき、君は全く動揺しなかった。身内なら何かしらの反応があるはずなのに。万が一記録に残っていない弟かもしれないということでかまをかけてみたんだが、あれではっきりしたよ。さて、考えはまとまったかい。時間稼ぎはここまでだ。さあ、正直に話すんだ」
ここはもう正直に話すしかないか……。信じてもらえる可能性はものすごく低いが、こっちには切り札がある。ただこれはあまり、いや、本当に使いたくない。
「わかりました。正直に話します。信じてもらえるとはとても思えない話ですが、どうか信じてください。俺は実は……」
そして俺は話し始めた。異世界から来たということ。自分の部屋のタンスに飛び込んだらヒナミの部屋のタンスから出てきたということを。
「もう一度言います。俺は正直に話しました。嘘は一つもありません。どうか信じてください。どうか……」
どうか俺に、あの切り札を使わせないでくれ。
「ふむ……」
俺が話し終えるとメグミさんはそう一言いうとしばらく考え込んでしまった。
どれくらい時間がたっただろう。気分的には何時間もたったような気もするが、五分程度のことかもしれない。
そうしてメグミさんはゆっくり口を開いた。
「ソウマ君。君はヒナミちゃんのおっぱいに顔を埋めた挙句、まさぐったというわけかい?」
しまった余計なことまで言っちまった! 正直に話そうという意識が高すぎた。メグミさんとのコンセンサスを得てシナジー効果をウィンウィンしようとしてしまった。
メグミさんの背後に何か暗黒めいたオーラが見える気がする。
「まあそれは後で本人に確認しよう。君の話でその部分の描写だけが、ものすごい臨場感だった。まるで私自身がヒナミちゃんのおっぱいに顔を埋めているようだった。だがそれ以外の話を私は信じることができない。まるで荒唐無稽な話だ。馬鹿にしているのか?」
変なとこだけ信じちゃったな、この人。
だが異世界の話はやはり信じてもらえなかったか。
ここで信じてもらえないと俺はおそらく無事ではすまないだろう。メグミさんは王国軍の人だ。俺は身分を証明する術も持たないまま拘束されてしまうのだろうか。
それは言うまでもなく嫌だ。せっかく亜人種に会えるチャンスがあるのに、完全になくなってしまう。
それに……二度とヒナミに会えなくなってしまうだろう。それはなんだか、とても嫌だ。
ここで何としてでも、強引にでもメグミさんの信用を得なければ。
方法は、切り札は一つだけある。
ただそれは、ヒナミの両親とヒナミ自身を利用することになってしまう。
本当は使いたくない。
でも、ヒナミに会えなくなるのはそれ以上に嫌だ!
「どうした? 何か言い分はないのか?」
メグミさんは刺すように俺をにらんでくる。
俺はその視線を真っ向から受けて答えた。
「メグミさん。もしも俺の話が信じられないのでしたら、こちらにも考えがあります」
「ほう……」
「もしもこのまま信じてくれないのでしたら、ヒナミの両親がリェース皇国でやったことを、俺は公的機関にばらしますよ」
「っ……! 貴様ぁ……」
メグミさんは射殺すように俺をにらんできた。
だが、メグミさんがこれほどの表情をするということはつまり、相当効果はあるということだ。
ヒナミの両親の記録を抹消したのはメグミさん本人だ。そのことの重要性は、メグミさんが誰よりも理解していることだろう。
「ヒナミちゃんは君に、そんなことまで話してしまったのか……。まったく、人を疑うことを少しは覚えるべきだ」
「でもそういうところがヒナミらしいんでしょう。誰に対しても優しいところが。それにヒナミだって馬鹿じゃない。そんな重要な話、信じられないような人間に話さないんじゃないですか?」
「それは君がだまして……。いや、あの子は人を見る目はあるが……。だが……」
やはりメグミさんに対してこれは効果的だった。眉間に手を当てて考え込んでいる。
あと、もうひと押しだ。俺の本音を、ぶつける!
「俺だってこんな、ヒナミの両親の素晴らしい行動を利用するなんてことしたくないんです。それにあんな優しい子の未来を人質に取るような真似も。俺はヒナミに恩を感じている。ヒナミはこんな怪しい人間を通報もせずに、介抱してくれて、ご飯をごちそうしてくれて、この世界で右も左もわからない俺にいろいろ説明してくれた。こんな俺を信じてくれた。正直この世界で初めて会った人がヒナミで本当に良かった。たった一日しか接していない俺ですらこんな風に思うんだ。ずっと一緒にいたあんたなら、なおさら俺の気持ちがわかるでしょうが!」
メグミさんはずっと苦々しい表情をしていたが、ふっと息を吐くと微笑みを浮かべた。
「ああ。確かに、あの子と接した人間なら、あの子を利用するなんて想像するだけで胸が張り裂けそうな思いになるだろう。あの子はそういう子だ。しかし君はそんな思いをしてまで私を説得しようとした。……正直完全に君を信用できるわけではないが、ヒナミちゃんに害意は無いことだけは確かだ。その点だけは、君を信じよう」
その言葉を聞いて俺は大きく息を吐いた。
「はぁ~~~~~良かった~~~。もう怖かった~。死ぬかと思ったんですよほんとにマジで」
「ところで君の本当の名前は何だい?」
「内東、内東想真です。十七歳です」
「内東……。騎士か。では君にはヒナミちゃんの騎士になってもらおうかな?」
「は? 何言ってるんですか?」
人の名字で遊ぶなよ。
「なんだ。喜ぶかと思ったのに」
メグミさんは不満そうに口を尖らせた。
「なんで喜ぶんですか? 俺は別に名誉職に興味あるわけじゃないですよ」
「なんでって……。好きなんだろ? ヒナミちゃんのこと。だから騎士にっていえば喜ぶかなって」
「ばっ、馬鹿言ってんじゃないっすよ! ヒナミはそういうんじゃねぇし。……全然違ぇし」
ヒナミに対しての気持ちは、きっと、そんなんじゃない。もっと、何か違うもの。
「ふっ……。さてそろそろ上がろうか。ヒナミちゃんが入る時間が無くなってしまう。まあこの後が私の入る時間だから、私が入るはずだった時間も使ってもらおうか」
くそ。思いっきりからかわれてんじゃねぇか。
メグミさんは立ちあがって脱衣所に向かった。
「いや、あの、先上がってください。同時に上がるとちょっとあれなんで……」
同時に脱衣所に行ったらいろいろ問題でしょうよ。今でさえ立ちあがったおかげで見えてしまっている、スラリとしているがつくべきところにはしっかりと筋肉がついている足とかに目を奪われちゃってるから。
「確かに未成年者にはいくらか刺激が強そうだ。では折を見て君も上がりなさい」
そう言ってメグミさんは風呂の戸を開けた。
「……………………………………………」
そこにはどえらい表情をしたヒナミが立っていた。
やべぇ。目が据わってらっしゃる。
「おおおおおやおやおやヒヒヒヒナミちゃん。どどどどどどうしたんだい?」
メグミさんの声めっちゃ震えてんじゃん。超ビビってるだろ。
かくいう俺もビビってる。湯ぶねの中で超震えてる。たぶん今このお湯飲んだら振動水の効果期待できる。
「ソウマがなかなか上がってこないから心配して見に来たんですなのにどうしてメグミさんがいるんですかメグミさんが入るのは八時四十五分からじゃないんですかどうなんですか説明してください何をしているんですか」
ふぇぇ……。怖いよぉ……。
メグミさんがヒナミに連行されていくまで、ただただ俺のほうに矛先が来ないのを祈るばかりだった。
俺が着替えてヒナミの部屋に戻ると、メグミさんは正座させられていた。マジかよ。
「ソウマ、話は全部聞きました。大変でしたね」
ヒナミは腕組みをして正座しているメグミさんの前に立っていた。
「いや、でもその反応が普通だろ。こんな怪しいやつ信じられる人間はそうそういないぜ」
メグミさんの姿があまりにも不憫で、俺は擁護するようなことを言ってしまった。
「いや……ヒナミちゃんにこんなに怒られる。これはこれでありなのでは?」
……言わなきゃよかった。手遅れだろこの人。お薬出しときます?
「メグミさん。ソウマに言うことがあるんじゃないですか?」
「うっ……。でもヒナミちゃん、私はヒナミちゃんのことが心配で」
「二度と一緒にお風呂に入ってあげませんよ」
「ソウマ君、本当にすまなかった。私は君のことを全面的に信頼しよう」
俺の信頼はヒナミとのお風呂と等価値かよ。等価交換の法則が乱れる。賢者の石とか持ってんの?
「だがヒナミちゃんのおっぱいは私のものだっ! そこだけは譲れぎゃふすっ……!」
メグミさんの脳天にヒナミのこぶしが突き刺さり、メグミさんは受け身も取らずにうつぶせに倒れた。危険な倒れ方だ……。
「じゃあわたしはお風呂に入ってきますから」
そう言ってヒナミちゃんはすたすたと出て行ってしまった。
え、メグミさんこのままなの?
とりあえず俺は、おそらく俺のであろう敷いてあった布団の上に座った。
「……そいやっさ!」
「うわっ! びっくりした!」
メグミさんは平成何合戦だよみたいな掛け声で飛び起きた。ぽんぽこ!
「ん? あ~そうか。またヒナミちゃんに叩かれちゃったか」
またってなんだよ。あとあれ叩かれちゃったですむ威力かよ。
「……復活するの早くないですか」
正確な時間はわからないが俺が気絶したときはもう少し長かった気がする。
「ああ。私はよく叩かれているからね。慣れちゃった」
慣れちゃったか~。
「あの子は優しいんだけどね。あまりにも恥ずかしかったり怒ったりすると、すぐに手が出ちゃうんだ。まあ常に優しいのも疲れちゃうだろうから、そうしてガス抜きをしてくれればそれでいいんだけどね」
う~ん。ガスを入れているのがメグミさんで、ガス抜きにメグミさんが使われてるんじゃないの? なにさらっとヒナミのために自分が犠牲になってる風に話してんだよ。
なかなか適当というかいいかげんな大人だな……。大人?
「あの、すいません。聞きたいことが……」
「私のスリーサイズかい?」
「いや興味ないです」
「じゃあヒナミちゃんのスリーサイズかい?」
「……っ! い、いや、別にき、興味ない……です」
「ふふ、そうかそうか」
「からかわんでください……。そうじゃなくて、失礼なんですけどメグミさんっていくつなんですか?」
言動がなんかちゃらんぽらんだったり、急に大人の凄みを出してきたり正確な年齢がまったく予想できない。
「私の歳? なんでそんなこと聞くんだ?」
「いや、なんか気になって」
「ふむ。ではこう言っておこう」
そう言うとメグミさんは俺の鼻をツンとつついてこう続けた。
「女に秘密はつきものだよ」
……やめろよどきどきしちゃうだろうが。
「ああそうだ。秘密と言えば、私は君のことを異世界から来たということしか知らない。秘密にすることないだろう? 教えてよ~君のこととか君のいた世界のこと」
「ええい、うっとうしい。もたれかからないでください」
メグミさんはしなをつくって俺に寄りかかってきた。
「なあ、話してみてくれないか?」
ええいやめろ! いろいろ当たってんだろうがまじでほほう女性の肩ってやらっこいじゃなくてまじでくすぐったいと言いますかさっき風呂で見た映像が浮かんでくるって言うか腕を両手でつかむな耳元で囁くな耳にふうってするなやめろやめてごめんなさい。
「ああっもう。話しますから離れてください」
俺は言いながらメグミさんの腕をやや強引に振りほどいた。
「なんだ、無愛想だな。せっかくおねだりをしてやったというのに……。まあ、話してくれるのなら構わない」
「じゃあ、えっと、向こうの世界の話から。と言ってもこの世界とあまり変わらないですよ。人と呼べる存在が、人間だけっていうくらいですかね。違うのは」
「ほう……」
メグミさんは興味深そうにうなずいたが、深く追及してはこなかった。
「んで、あとはまあ俺の話ですかね。さっきヒナミにも言いましたけど、俺は今日の朝まで高校の寮で一人暮らしをしていました」
「一人暮らし? 地元から離れた学校に行っていたのか?」
「いや、そうじゃないんです。俺の両親はもういないんです」
「……」
「父さんは俺が七歳の時出て行きましたし、母さんは二年前病気で亡くなりました。ですから一人で俺は……」
「ふぐうっ……! おうっ……! はあぐぐぐううう……ソウマ君!」
俺が話していると突然、メグミさんは俺に正面から抱きついてきた。ってまた⁉
「ななななんすか! また俺が言っていることが嘘かどうか確かめるんですか?」
「ぞんなわけないだろうっ! ぐっ……ゾウマぐんっ! 君はぁぁぁ……ごっ、御両親をっ。まだまだ子どもなのにぃぃぃ!」
俺を抱きしめるメグミさんの声は鼻声になっており、ときおり嗚咽が混じっていた。
「メグミさん……もしかして、泣いてるんですか?」
「君が、あんまりに不憫でぇぇぇ……。辛がっだだろうなぁぁぁ……」
メグミさんの顔は俺の肩の上に乗っているので見えないのだが、きっと涙が溢れているのだろう。寝間着代わりのTシャツの肩が温かい水で濡らされている。っていうか肩濡らしてるこれ絶対涙だけじゃない。違うやつも垂れてきてる。
「メグミさん、その、お気持ちは嬉しいのですが、そろそろ離してください。ヒナミに見られるといろいろ面倒なので」
「うん……」
メグミさんはかわいらしい返事をすると俺を離してくれた。
メグミさんは猫のように両手を丸め、目元をごしごしとぬぐっていた。
「その、ありがとうございます」
「え……なにが?」
「俺なんかのために、泣いてくれて」
「そ、ひぐっ、そんなの……当然じゃないか」
当然。そうだろうか?
他人のために、本気で泣ける人は、いったいどれだけいるのだろうか?
きっとそう多くはない。
メグミさんと、それにヒナミは泣くことができる人なのだろう。
人として当然のように思える行為だが、しかし決して簡単ではない行為。
それを彼女たちはできる。
「……ティッシュ、どうぞ」
ヒナミの部屋のだけど。
「ありがとう」
メグミさんは二、三枚抜き取ると元気いっぱい力を込めて思いっきり、鼻をかんだ。