俺、いい夢を見たんで
「想真をどこに連れていくつもりですか?」
その時、後ろから母さんの声が聞こえた。
振り返ると、そこには母さんがいた。
しかし、俺の手を引いているのも母さんだ。
母さんが、この場に二人いた。
「想真を、あなたはどこに連れていくのですか?」
「ここではないところ」
「そこはまだ、想真には早いです。そこは、わたしの、わたしたちの居場所。いくら寂しくても、想真をわたしたちの方に連れてきてはいけません」
「でも想真はわたしと一緒に行きたいみたいよ?」
「……ねえ、想真。あなたにはまだ、やるべきことがあるでしょ? まだこっちに来てはだめよ」
「俺の、やるべきこと?」
なんだったけ? というか、俺、今まで何をしていたんだっけ? あれ?
「想真」
俺のほほに、母さんが優しく手を添えた。
「あなたが今一番したいことは? あなたが今一番望むことは何?」
「俺のしたいこと、望むこと」
「それをするまで、まだあなたはこっちに来ちゃダメ。さあ、目を覚ましない」
「目を……」
「さあ、行きなさい」
母さんに肩を押されて、俺は真っ白な空間から出て行った。
その時、後ろから母さんたちの話声が聞こえた。
「本当によかったの? あなたも寂しいでしょ?」
「まあ、そうねえ。でも、親は子供がしたいことを応援したい生き物だから」
「……そう。そうね」
その時、内東想一郎はもう一人の妻に出会った。
「あなた」
「……え? し、静が、二人?」
「あなた、わたしはあなたが何をしたのか知らない。でも、きっとあなたはわたしを裏切ったりしない」
「あなた、想一郎さんが何をしたのか知らないからそんなことを言えるのよ。この人はね」
「何をしたとしても関係ない。この人が、たとえわたしに言えない何かをしたとしても、きっと何か理由がある。優しい理由が」
「その理由があるとして、あなたは許せるの?」
「夫婦はね、許す許さないの話じゃないの。それを超えたところにあるのが夫婦なの。ねえ、あなたは想一郎さんを信じたくないの」
「そ、それは……」
「あなたはきっと信じたいから、この人を問い詰めたのね。でもね、もういいのよ。疑うよりも、信じる方が難しくて、気が楽だから。ね?」
「……そう。そうね」
「し、静……?」
「ねえあなた。わたしはあなたを絶対に、絶対に恨んだりしない。あなたはわたしの大好きな夫。あなたと出会えて、結婚して幸せ」
「し、ず、あ、あああ……静ぁぁぁ……」
「だから、ほら、行きなさい。あなたは今、生きている方の家族を大事にして。想真をよろしくね」
「あ、ああ……ああ、任せろ」
その時、城之崎メグミはもう一人の自分に心を壊されかけていた。
「なあ、ヒナミちゃんが自分の命よりも一番大事じゃないのか?」
「うるさい」
「ふん、結局自分が一番かわいいってだけの話か。呆れたよ。君がそんな女だったとは」
「黙れ」
「君のヒナミちゃんへの想いは、愛は、その程度だったってことだ。だまし続けても心が痛まない。傍でのうのうと笑って暮らしていた。何年も。保護者面で」
「うる、さい」
「ヒナミちゃんがもし真実を知ったらどう思うだろうか? 今まで黙っていた君に、ヒナミちゃんは何を思うだろうか? 失望? 嫌悪? 軽蔑? ……許しなど存在しないと思え」
「……」
「おや、何も言わないのか? ここでもだんまりか。君はどこまでも自分自身が可愛いのだな。まったく、ため息しか出ないよ」
「……」
「君、もうヒナミちゃんと一緒にいられないだろう? 自分自身の醜さに気づいたのだ。もう、無理さ。ヒナミちゃんから、君は離れるべきだと私は――」
「どこへも行かせませんよ。メグミさん!」
「……ヒ、ヒナミ、ちゃん?」
「おや、どうやってここに来たのか? まあいい機会だ。私から、君がヒナミちゃんに長年秘密にし続けていたことを――」
「聞きません」
「何?」
「わたしは、聞きません」
「どうして? ヒナミちゃんにとって大事なことだよ?」
「だとしてもです。メグミさんが隠し事をしていたのは初耳です。でも、メグミさんが隠し事をわたしにするということは、それなりの理由があるはずなんです。わたしは、メグミさんが話したいと思うまで、その秘密は聞きません」
「……信用しているね」
「当然です。だって、お姉ちゃんですから。わたしの、大事な家族ですから」
「……はあ、そうか。だってさ、お姉ちゃん?」
「ヒ、ヒナミ、ちゃん……」
「行きましょう、メグミさん? ここにいても何も始まりません」
「うん、ありがとう……。それと、ごめんね」
「いいえ」
「いつか、話せる時が来たら、私、話すから」
「……はっ!」
気がつくと俺は、ふかふかの絨毯の上にうつぶせになって倒れていった。
「こ、ここは?」
「儂の部屋だ」
起き上がりながら言うと、ソファの上の人物が答えた。
「ん? ソフィア? あれ、さっきまで俺、何してたんだっけ?」
なんだか頭がぼんやりとする。何か、とても大切なことを忘れているような。
「大丈夫か? 想真」
「ん? ああ、大丈夫」
気がつくと俺の背中を父さんが支えていた。
「あんた、目赤いな。なんだ? もしかして泣いていたのか?」
「うるせえ。……妙な夢を見ただけだ」
「そうか」
俺は父さんから目を離して、あたりを見回してみた。
「ごめんね……ヒナミちゃん。ありがとう」
「いいんですよ。大丈夫、大丈夫です」
すると俺の目に、抱き合う二人の姿が見えた。
その二人は、メグミさんと……。
「ヒ、ヒ……ヒナミ……!」
ヒナミは俺の方を見ると優しく微笑んで、メグミさんから手を離し、両手を横に広げた。
視界がぼやけていく。
俺の目から自然と、大量の涙があふれてきた。
俺は後ろで俺を支えてくれていたなんだか知らない中年の手を払いのけ、ヒナミのもとに駆けよった。
そして、勢いよくヒナミに抱きついた。
「ヒナミ! ヒナミ、ヒナミ……! あああ……ヒナミ……」
「久しぶりですね、ソウマ」
ヒナミは俺を優しく抱きとめてくれた。
「ごめん、ヒナミ。心配かけて、ごめん……」
「いいんですよ。ソウマの方がきっと、大変な思いをしたんでしょうから」
ヒナミは俺の頭を、背中を、腕を、その柔らかな手で撫でてくれた。それは、俺の存在をその手で確かめているようでもあった。
「でも、どうしてここに?」
「メグミさんに無理を言って、ついて来させてもらいました」
「どうやって来たんだ?」
「ユウヤさんの操縦するヘリコプターで」
「ユウヤさんまで来ているのか」
羽佐間ユウヤさん。アーデル王国軍の人で、メグミさんの恋人でもある。きっとメグミさんが無理を言ったのだろう。それにしても、ヘリの操縦までできるのか、あの人。やべえな、人間として勝てる気がしねえ。
「メグミさんとユウヤさんがこの二か月間、血眼でソウマを探して、それでついさっき、一瞬だけソウマの端末の電波を拾ったらしくて、それで急いで来ました」
「二人が……」
まさか、会ってそこそこの俺に、そんなにしてくれるなんて。
「……よかった」
「ん?」
「また会えて、よかった。……もう、もう、会えな、い、と……!」
そう言うとヒナミの目から、一気に涙があふれ出した。
「もう会えないかと思いました! 二度と会えないかと思いました! 心配でした! 不安でした!」
こらえていたものが噴き出したように、ヒナミは真っ赤な顔をして言った。
「会えてよかった。無事でよかった。あなたはいつもいつも、どれだけわたしに心配をかけたら気が済むんですか? いいかげんにしてください!」
「ご、ごめんなさい!」
「でも、本当によかった。……約束、守ってもらえないかと思いました」
「約束?」
「覚えていないんですか?」
「いや、覚えているよ」
俺とヒナミの約束。
一緒にまた服を買いに行くことと、勉強して大学に行くこと。
「覚えているよ」
「それなら、いいです」
ヒナミは俺から手を離して、そしてすっと立ちあがった。
「ではわたしは、このあたりで下がります。ソウマは今やることがあるのでしょう?」
ヒナミの目は、ソフィアを捉えていた。
「なら、今はそれをしてください。どうせ何を言ったって、どれだけ心配したって、あなたは勝手に誰かを助けるために行動するから」
「はは、わかってるじゃん」
俺も立ち上がって、ソフィアの方を見た。
ソフィアはソファに座って、その手にフードの女の子を抱きかかえて、こちらを見ている。
「ソフィア、さっきのはこちらが悪かった。ごめん」
「おぬしがしたことではなかろう」
「……つい、頭に血が上ってしまった。その、ソフィア王……本当に申し訳ありませんでした」
メグミさんがソフィアの方に向かって勢いよく頭を下げた。
「よい。儂も同じ立場なら同じことをした。ちょうど先程のようにな」
俺が意識を失っていたのは、ソフィアの目から出た、あの赤い光を見たからだろうか?
当然のことながら、気を失っていた時の記憶はない。
でも、なんだろう。心が温かくなった気がする。
忘れてしまったけれど、いい夢を見ていた気がする。
「あ、あの、私が先ほど、その、殴り倒してしまった方は?」
「大事無い。眠っておるだけだ」
ソフィアはフードの子の頭を撫でながら言った。フードの子を見るソフィアの目は、いつもと違ってなんだか優しげだった。
そう言えばさっき、あの子は『お姉ちゃん』と叫んでいた。もしかして、あの子は……。
「それで、ソウマ。おぬしら以外の人間が二人増えたな。先程のおぬしの仮説、試してみてもよいぞ?」
「ああ、そうか。そうだな」
俺の仮説。
血を、涙で代用する。
俺は二人の人間の女性、ヒナミとメグミさんに目を向けた。ちょうど二人とも目が濡れている。
「ヒナミ、メグミさん、ちょっと話を聞いてくれますか?」
「なんですか?」
「何だい?」
俺は吸血種に差し迫っている深刻な問題と、そしてその解決方法を俺が思いついて、そしてそれを試してみたいということを伝えた。
「血精が、涙に?」
「それが本当なら、吸血種の皆さんが助かるのですね?」
「ああ。だけど俺のじゃだめなんだ。だから、二人のを使わせてほしい。頼めるか?」
俺が聞くと、二人は返事をすることなくソフィアのもとに歩いて行った。頼めるかと言う俺の言葉は、どうやら要らなかったようだ。
俺もソフィアの座っているソファの横に行った。
「上手くいくといいんだが……」
「ソフィアさん、さあ」
「その眠っている子には私のを」
二人は頬を伝っていた涙を手の甲で拭って、そしてそれをソフィアとフードの子の口元に運んだ。
ソフィアは赤い舌を伸ばして舐め、フードの子にはメグミさんが指から直接口に流し込んだ。……どうでもいいけど、ものっそどうでもいいけどこの絵面、ちょっとエロい。いい。超いい。
ソフィアの真っ白な喉が、こくっと動いた。