俺、心が限界なんで
「では、また来るから。それまで、眠っていればよかろう」
「はあ……はあ……」
こんな状況で眠れるかという反論すらできないほど、俺は衰弱していた。
いつも、血を吸われると妙な倦怠感に襲われてしまう。
ソフィアはドレスを翻し、俺のいる部屋、と言うか牢屋から出て行った。
……そろそろか。もう、ソフィアは行っただろうか。近くには、誰かがいる気配はない。
なら、やっても大丈夫だ。
俺は、心のタガを外した。
「もう嫌だあああああっ! 誰かああああ! 誰か助けてくれえええ! お願いだ。お願いです。誰か……助けてください。もう、無理です。限界です!」
俺は喉から血が出そうな声で、叫んだ。
「なんで、なんで俺がこんな目に会わなきゃならないんだ! 何かしたか!? 俺が何をしたって言うんだ! ああ!? くそくそくそくそったれえええええ!」
俺は少し前から、ソフィアが俺の血を飲みに来て、そして立ち去った後、こうして叫んでいた。
こうでもしないとやっていけない。吐き出さないと心が壊れてしまう。はちきれてしまう。
ソフィアがいなくなってからって言うのは、弱みを見せたくないと言うか、まあ、変な意地みたいなものだった。
「……太陽が見たい。青空が見たい。温かい飯が、いや、冷たくてもいい。不味くても構わない。飯が食いたい」
ここには窓が無い。出入り口も一つだけ。おかげで俺は、外の風景どころか、新鮮な空気ともご無沙汰だった。
俺はここに閉じ込められてから、一口も、食べ物どころか水も口にしていない。それでも死なない俺の体は、やはり異常なのだろうな。
俺は改めて、自分が普通の人間じゃないということに気づいた。いや、こんな状況だからこそ気付けたと言うべきか。
俺は、化け物なんだな。
「でも、たとえ化け物でも、もう一度、みんなに会いたいなあ……」
俺はふと、みんなの顔を思い浮かべた。
村でみんなと話した。俺がふざけたことを言うと、みんな怒りながらも、笑ってくれた。
ああ……あの頃に戻りたい。あの村で、俺はみんなと過ごしたい。
……ヒナミ。
お前に、会いたい。
ヒナミの笑顔が見たい。怒った顔が見たい。照れた顔が見たい。困った顔が見たい。拗ねた顔が見たい。……泣いている顔はあまり見たくない。
会いたい、ただ、ヒナミに会いたい。
……それに、料理が食べたい。ヒナミの作った温かい料理が食べたい。
「……ああ、あああ、ああああああ! うわああああ! ここを出たい! ここから出たい! 出してくれ……ここから出してくれえええええ!」
「あの……」
俺が涙とよだれをまき散らしながら叫びをあげていると、どこかで聞いたような声が聞こえた。
俺は慌てて声を引っ込めて、頭を冷静な状態に戻した。心のタガを再び締めた。
まずいな……聞かれたか?
「あの、お食事を持ってきました」
しずしずと、牢屋に一人入ってきた。声を聞く限りでは女性だ。この子もアーデル語を話している。真っ黒なフードを深くかぶっていて、顔はわからない。体つきは、小柄な印象だ。
その子の大人しい声は、俺の心に不自然な安らぎを与えた。
手には大きなトレイを持っていて、そこには湯気の立つ食べ物が乗っていた。
「……この腕じゃ食えないよ。これを外してくれないかな?」
俺は自分の手足に刺さっている大きな杭を見て言った。
「それは……ごめんなさい。それは無理です」
「だよな。わかって言ってた」
「本当に、すみません」
その子は本当に申し訳なさそうな声で言った。
「いや、こっちもあれだよ、冗談で言ったから」
俺は女の子を悲しませたり、落ち込ませたりは、たとえ俺がどんな状況に置かれていてもしたくない。そう思って俺は、彼女にそんな言葉をかけた。
「そうでしたか」
「うん。それよりも飯を食わせてくれよ。腹が減って死にそうだ」
「あれ? 死なないのでは?」
「冗談だよ」
「あ、そうでしたか。すみません」
「いや謝ることはねえよ。それよりも」
「ああ、はい。わかりました。それでは、お口を開けてください」
「食べさせてくれるの?」
「だって、あなたは自分で食べられないでしょう?」
「それもそうだ」
おお、こんなところでも神は俺を見捨てなかったか。女の子にあーんをしてもらえるだなんて。……いやこの考えはおかしい。いくら何でも釣り合いが取れていない。何で女の子からあーんされるためにこんな目に遭ってんだよ。
俺は大人しく口を開けた。
「はい、どうぞ。わたしが作ったので、味は保証できませんが……」
彼女はそう言って、俺の口に優しく料理を入れてきた。
久しぶりに感じる食べ物の温度に俺はまず驚いた。
「こ、これは……」
「どうでしょうか?」
「あまり、おいしくない……」
「ええ……」
フードの子は落胆したような声をあげた。
「決して不味くはないんだ。でも、おいしくない……」
なんと言うか、金を出しては絶対に食いたくないが、人の家に行って出されたら、食えなくはないレベルの味だ。
「そんな……」
「はは、おいしくないなあ……は、ははは……」
「え? あの……泣いているのですか?」
俺の目から、どうしてか、とめどなく涙があふれてきた。
「ははっ、なんでだろう? おいしくないのに、でも、でも……おいしいな」
「あ、あの」
彼女は泣いている俺を見て戸惑ったように声をかけてきた。
「もっと、食べさせてくれないか?」
「あ、は、はい。どうぞ」
彼女はもう一度俺の口に料理を入れてくれた。
「やっぱり、あまりおいしくないなあ。でも、おいしいよ。ありがとう」
「……お礼なんて、言わないでください。わたしたちは、あなたに……」
「おい」
厳しい声とともに牢屋の外から、ソフィアが入ってきた。いつからそこにいたのだろうか? もしかしたら、俺の醜い叫びを聞かれてしまったかもしれない。
「もういいだろう。出ろ」
「あ、でも、まだ……」
「出ろ」
「……はい」
ソフィアに冷たい声で言われて、そのフードの子はしぶしぶというように返事をして出て行ってしまった。
「さっきの子、誰?」
「おぬしには関係ない」
「ソフィアよりはるかに優しかったんだけど。あの子また来ないの?」
「……あいつが来たいと言ったら、少しだけ来させてやる」
「ありがてえ」
「では、な」
ソフィアは羽織っていたマントを翻し、牢屋から出て行った。
一人になった俺は、さっきの子を思い出していた。
いったい何者なのだろう?
俺に食事をくれた女の子。
こんな状況で優しくされたら、良い人だと思っちゃうじゃないか。
なんだっけ、テロリストと人質が仲良くなるやつ。あれだあれ。
「そう言えばここに来る前に、吸血種のうわさをあれこれ聞いたんだけど」
「ほう。儂らのうわさか。どんなものがあるのか気になるな。話せ」
「各国にスパイを送って、人攫いをしているとか」
「……中らずと雖も遠からず、か。現におぬしは儂らに連れ去られたわけだからの」
「なるほど。確かにそうだ。で、本当にそんなことしてるの?」
「……血が足りないのだ。仕方あるまい」
「そうか。生きるためって言われちゃうと、何にも言えないな」
「……さて、今日の話はこれまでだ。では、今日も頂こうか」
「ったく、毎日吸いやがって。飽きないのかねえ? ……あ、ああ、ああああああ!」