俺、楽しかった時を思い出すんで
「ソウマ君がまだ会ったことのない種族は、吸血種だけかな?」
「そうですね。人間はもちろん、獣人種、森精種、水棲種にはもう会いましたね」
俺とメグミさんは以前、ガラ村で吸血種について話したことがあった。
「いずれ吸血種に会うことがあるかもしれない。一応、吸血種についての基本的な知識を身につけておいた方がいいだろう」
「そうですね。教えてください」
「ではまずは、吸血種の住む国の話をしよう。彼らの住む国はエクシア―公国と言う。人口は五か国の中で最も少ない。だが寿命は世界一だ」
「森精種よりも?」
「なにせ不死身と言っても過言ではないからな。吸血種は」
ああ、そっか。
「国の話に戻すぞ。エクシア―公国はアーデル王国の北に位置する国で、峻険な山々が国を囲んでいる。気候は、常に雲がたちこめていて日があまり差さず、とても気温が低いそうだ」
「それはやっぱり、吸血種の住む国だからですか?」
「ん? どうしてそう思う?」
「俺の元いた世界にも、吸血種伝説はあります。それによると、彼らは日の光にとても弱いと」
メグミさんは感心したようにうなずいた。
「ほほう、よく知っているな。その通りだ。彼らは日光に弱い。だからそういう土地を住みかに選んだのは自然と言える。他に何か知っていることはあるか? 元の世界の吸血種のことで」
「あとはそうですね……ニンニクに弱いとか、あとは鏡に映らないとかですかね」
「それもこちらと共通のようだな。なぜかはわからないがまあ、わかりやすくていい。恐らく他も同じだろう」
メグミさんは満足そうに、うんうんとうなずいた。
「と言っても、吸血種に関してわかっていることは少ない。今吸血種についてわかっていることのおよそ八割が、根も葉もあるが不確かなうわさでしかない」
しかしメグミさんは頭をぽりぽりとかいてそう言った。
「そうなんですか?」
「ああ。はっきりとしているのは他の生き物の血を吸ってそれを『血精』というエネルギーにして生きているということと、幻惑魔法が得意であるという二つのことだけなのだ」
「え? そんだけですか?」
二つだけ?
「ああ。吸血種は他の種族に比べて、わかっていることが非常に少ない種族なのだ」
「そうなんすね」
「だがうわさの数は桁違いだ」
「うわさ、ですか……」
「ああ。軍内部だけでない。一般の人々の間でも数多くの吸血種に関してのうわさが流れている」
「たとえば、どんなのがありますか?」
「そうだな……。あくまでもうわさだぞ?」
メグミさんは念を押すかのように言った。
「それはいいですよ。って言うか、どんなうわさがあるのか知りたいんですから」
「では、まず吸血種は、世界中に、至るところに、誰に知られることもなく存在している」
「世界中に?」
「体を霧にしたり、蝙蝠に変えたり、ひどいものでは他種族に体を変えて、その国に溶け込んでいる者もいるらしい」
メグミさんは不快そうな顔をして言った。
「それはすごいっすね」
「反応が薄いな」
対して俺はそこまで深刻にとらえてはいなかった。
「だって、うわさでしょ?」
「まあ、そうだが……」
メグミさんは、はあと、ため息を一つついた。
「君は事の大きさがわかっていないようだな。これは本当だとしたら大変なことなのだぞ? 言うなら、世界中に自国のスパイがいるということなのだから」
「今までアーデル王国やほかの国で、吸血種の国からの攻撃と言うか、被害はあったんですか?」
「それは……」
「無いんでしょ?」
「……まあ、無い」
「なら、大丈夫じゃないんですか」
「まあ、それはそうだが……」
俺の反応が気に入らなかったのか、メグミさんはなんだか不満そうにそう言った。
俺はそんなメグミさんを見て、少々申し訳なくなった。俺のために吸血種の話をしてくれているのだ。俺もそれ相応の、聞く姿勢を見せるのが礼儀だと思う。
「他には、他には何があるんですか?」
俺は興味津々の様子に見えるように、前のめりで聞いてみた。
「他? そうだな……さっきの話とも関係があるのだが、吸血種は戦後、自分たちが血を確保するために、他種族の者をさらっていると」
「まじっすか!?」
我ながら大げさな反応を示してしまったと思ったが、メグミさんは俺の反応が嬉しかったようで、ずいっと体を俺の方に寄せてきた。
「ああ。実際に戦後、行方不明者が各国で、ほんの少しだが出ている。そう、ほんの少しなのだ。だから各国も大して大事にしていない。そこが私は、怪しいと睨んでいる」
「なるほど。睨んでいるのですか」
俺も今ちょうど、前のめりになったことでシャツが重力に従って下がり、ちらりと見えそうになっているメグミさんの胸元を何とかしてその一瞬を逃すまいと睨んでいたので、同じようなものだろう。うん。
「どこを見ている?」
「がふっ!」
メグミさんはかたわらに置かれた杖で、俺のあごを打ち上げた。
「言い訳の余地をください。ノータイムで殴ったら冤罪発生の可能性が高まります」
「その心配はない。なぜなら、私が怪しいと思えばそいつは犯罪者だから。この場では、私がルールブックだ!」
「何を言っているんですかメグミさん……。ソウマをあまりいじめないでください」
呆れた声とともに、ヒナミが部屋に入ってきた。
「そうだ! もっと言ってやってくれい!」
「ソウマもですよ」
「なぬ!?」
「明らかにメグミさんの胸元を見ようとしていたじゃないですか。だめですよ。まったく、いつもいつもあなたはそんなことばっかり」
「何! 心外だ! 俺がいつもそんなことばかり考えていると思うなよ!」
「じゃあほかに何を考えてるんですか?」
「それは……ほら、あれだ。なんだ。そう、あの……」
「ほら」
「いや待て。結論を急ぐな。俺の頭はそんなピンクピンクしていない。……今考える」
俺は一休さんよろしく頭の横をぐりぐりして考えていた。
「ああ、あった!」
「なんですか?」
「リーリャの下着のことなら考えている。リーリャの下着はピンクじゃなくって白だからな。ほら、俺の頭はピンクじゃなかっただろ? 見たか!」
「見たかじゃないこの腐れ下郎が!」
「はばほうっ!?」
俺の肩口を弓矢が飛んでいき、通過した部分のシャツがじゅうじゅうと音を立てていた。見ると、ちょっぴり焦げている。
「な、な、なんばすっとね!? リーリャ!」
「うるさい下郎。脳を貫かれなかっただけ、ありがたいと思え」
リーリャはそう言って、もう一度弓矢を構えた。矢じりがきらりと光った。
「すんませんでした。いやまじで」
俺はリーリャに向かい五体投地した。やっべ超こえ―。
「謝ればすむ話ではないが、まあ、いいだろう」
「ごめんなさい。俺は嘘をついてしまった。すみません」
俺はなおも頭を床にこすりつけていた。
「すまなかったあ……ごめんなさい……」
「お、おい貴様、そこまで謝らなくても……」
リーリャはいつまでも頭を下げている俺を見て、いささか狼狽した声で言った。
「嘘をついていた。俺は、俺はオルカの青色の水着のことも考えていた! ああなんてことだ俺はリーリャ、君に嘘をついた。それに、オルカにもこれは失礼なことだ! ああ本当にすまない!」
改めて頭を下げていると、開け放たれた窓から冷たい水が飛んできて俺の頭にかかった。
「冷たっ!?」
「な、なにを……言って、いるの、ですか?」
外から、かけられた水よりも冷たい声が聞こえてきた。
「オルカ?」
「何を、ふざけた、ことを……言って、いるの、ですか……?」
「すすすいません……!」
俺は姿の見えないオルカの声に怯え、窓の方に向かって再び頭を下げた。
オルカは外に大きな桶を用意してもらい、そこで水浴びをしている。今日は残暑が残っているから、気持ちがいいことだろう。
俺も一緒に水浴びにと行こうとしたらヒナミにレスリングばりのタックルをされた。警備会社にスカウトされるぞ。
「まったくソウマは……しょうがない人ですね」
ヒナミは呆れたように、でも優しげな微笑みを浮かべてそう言った。
ああ。こんな時間がいつまでも、いつまでも続けばいいのに。
この時の俺は、お花畑のような頭でそんなことを考えていた。
「儂ら吸血種は戦前、他の国からの献血によって生活を維持していた」
ソフィアは俺の前をゆっくりと歩きながら、見た目とは裏腹な重々しい口調で話していた。
「その見返りとして、儂らは病気を治していた」
「病気?」
「精神病だよ」
ソフィアは一瞬表情を暗くした。
「人は、人の心は脆い。まるでガラスだ。どんなささいなことでも割れる。それを治してやるのが、儂らの、言わば仕事だった」
吸血種の戦前の話を聞いたのは、初めてだった。メグミさんは戦後の吸血種の話しかしてなかった気がする。
「儂らは人の精神に干渉する魔法を得意としている。儂らは、壊れてしまった人の心に干渉し、本人の意志とは関係なく、治した」
ソフィアは立ち止まると、足元をじっと見下ろした。
「それは、無理矢理立ち直らせるものだ。心の傷口を覆い隠し、忘れさせ、また普通に生きられるようにする。……なあ、儂らは、正しかったと思うか?」
ソフィアの声から、俺はソフィアが求める回答がわかった。だが、そう安易に俺は、お前の求める答えは言ってやらない。
「知らねえよ。その時のソフィアが正しいと思っていたのなら、それは正しかったんじゃねえの? 知らねえけど」
「おざなりな意見だ。中身がまるでない」
「手厳しいな……」
俺が囚われの身になってからどれだけ経っただろう。この部屋は窓が無いから、わからない。朝日を、日光を浴びたいぜ。ビタミンが作れねえよ。お肌が荒れちゃう……。
ソフィアは毎日、と言っても日付感覚がないから毎日かどうかわからないが、ともかく何度も、定期的に俺の血を飲みに来た。
ソフィアは俺の血を飲みに来ると、しばらく俺と話をしようとする。
話の内容はまちまちで、今のように戦前の吸血種の話をしたり、現在の吸血種の話をしたり。それに、現在の他の国の状況を質問されもした。たまに、ただただ罵倒されたりもする。俺がМだったら喜べたんだが、あいにく違う。罵倒されながら俺は、そのままちょっと踏んでほしいなあ、とか思ったくらいだ。
最初は俺がソフィアを呼び捨てにしていると、すぐさま鳩尾に蹴りを入れられたが、もう諦めたのか、何もしなくなったし、言わなくなった。
「まあおぬしごときに答えが出せるような問いなら、儂は何も思わないが。さて、では、今日も頂こうか」
「好きにしろよ」
俺が首を差し出すと、ソフィアはいつもと同じようにその牙を突き立てた。
「ぐ、あ、あああああ!」
「……んね……ご……ね」
そしていつもと同じように、ソフィアは何かをつぶやくのだ。それが何なのか。俺は何度も何度も聞いたおかげで、ある程度分かるようになっていた。
だけど、何を言っているのかがわかっても、どうしてそんなことを言うのかは、わからない。