俺、もちをやかれるんで
「へえ、ラントさんはこのままこの船に残すんですね」
「ああ。俺がしっかりと、性根から叩きなおしてやるのである」
シュトルツさんは気持ちのいい笑顔でそう言った。
シュトルツさんの右目には真っ黒な眼帯がかけられていた。様になっているからずるい。どうやら九条さんが夜なべして作ったそうだ。いいね。いいよ。おじさんそういういじらしいの好きだよ! がんばって!
「海が汚染されている問題については任せてほしいのである。こちらで海の浄化の準備を整え、さらに関わった企業を片っ端から潰していくのである」
「頼みます」
俺はシュトルツさんに頭を下げた。
「それで、俺たちは……」
「あと五日ほどで一度マーレ連邦の港に寄る予定である。その時にこっそりと降りればよいのである」
「わかりました。じゃあ、あと五日お世話になります」
俺はもう一度頭を下げた。
「うむ。しかしただで飯を食おうというのはあまり歓迎できないな」
「まあ、そうですね。何かできることは」
「わたくしに外国語を教えてください!」
するとシュトルツさんの横にいたアウラ王女が食い気味に言った。
「わかりました。シュトルツさん、それが俺の仕事ってことでいいですか?」
「もちろんである。こぞ……いいや、ソウマ君。頼んだのである」
「では早速わたくしの部屋にいらしてください」
「王女の部屋!」
「お嬢様、勉強のためのお部屋は別にご用意させていただきます。そちらをお使いください。あと殿方をそのように軽々しくご自分のお部屋に呼ばないでください」
「あら、そうですか。ではマソウさん、そちらの方で教えてくださいね」
「……わかりました」
くそぅ……王女と個室でウハウハかと思ったけど、よく考えたら葛城さん絶対いるじゃん。まあ葛城さんもなかなかの美人だからいいけどね! ウェルカーム!
「ところでマソウさん?」
「なんでしょうか?」
「わたくし以外の皆さんはマソウさんのことをソウマとお呼びしておりますが、そちらはミドルネームか何かですか?」
「オルカ、もう、大丈夫なのか?」
「は、はい……もう、大丈夫です。ありがとう、ございました……」
「俺は何もしていないよ。礼を言うならヒナミに言え。まあ、今はいないけどな」
俺はオルカが全快したということをヒナミに聞いて、オルカのもとを訪れていた。
少しばかり、聞きたいことがあったから。
「なあ、オルカ……」
「な、なんで、しょう……」
「オルカは、人間を、戦争で亜人種をたくさん殺した人間を、恨んでいないのか?」
「え……?」
オルカは、俺たちを命がけで守ってくれた。
戦争でオルカの仲間を多く殺した人間を、助けてくれた。
オルカは、俺たちを恨んでいないのか。それが気になって、俺はオルカのもとに来た。
聞くのは怖かったけど、聞かなきゃいけないと思った。
俺は、聞かなきゃいけない。
ヒナミには、二人で話したいことがあるとだけ伝えた。俺とオルカを二人きりにすることに、ヒナミは初め難色を示したが、俺の目を見ると、うなずいてくれた。
「人間って、ソウマさんや、ヒナミさん……の、こと、ですか?」
「ああ。……どうだ? 正直に言ってくれ」
「……正直、少しは、そういう気持ち……あります」
「やっぱり、そうか」
「で、でも!」
オルカはいつもよりも声を大きくして言った。
「ボ、ボクは、それは……違うと思います。何が、違うのか、よくわかりません。……けど、違う、です! 過去のことで、未来に、進めないなんて……そんなの、違うと、思います!」
オルカはそう、はっきりと言った。熱のこもった声で、はっきりと。
「ボ、ボクたちは、ボクたち水棲種は……勇気を、重んじます」
「勇気?」
「はい、勇気です。……ボクたちは、赦す勇気を、持つことにしたのです……。戦争が、終わった時に……」
「赦す、勇気か……」
「ボクたちは、対話の、できない……獣じゃ、ありません。理解しあえる、人、です。人と人は、心と心で……対話が、できます」
オルカはその大きな瞳で、俺を見つめた。
「ボクは、戦後に生まれたので……知らないですけど、戦前は、みんな……仲がよかったって、おばあちゃんから、聞きました。ですから、みんな、また……仲良くなれるはずです!」
「……ああ、その通りだ」
俺はそのために、闘っている。
「いつか、きっと、人種という垣根を乗り越えて、世界中が助け合えるような、そんな世界を俺は実現してみせるよ」
「ソウマさんが……ですか?」
「ああ。おかしいか?」
「……いいえ。いいえ! おかしくなんて、ありません」
「ありがとう」
「あの……」
「ん?」
「世界を平和にしたら、ヒナミさんたちと、一緒に、マーレ連邦に……来てくださいね。案内します」
「ああ。よろしく頼むよ」
「待って、います」
「アウラ王女は理解がとても速いよ。あの調子ならすぐにリェース語を習得するんじゃないのかな」
「ふーん、そうですか」
「リーリャ、今度リーリャも一緒に来て王女に教えてよ。ほら、本場の人のはやっぱ違うっていうか。ネイティブの発音って参考になるじゃん」
「……気が向いたらな」
「え、あ、そう? オ、オルカはそう言えばどうやってリェース語を勉強したの?」
「同じ、州の方に……教えていただきました」
「ああ、そうなのか。へえ……」
三人は一緒に食事をしているというのに、俺と目をまったく合わせてくれなかった。
「な、なんでしょうかこの雰囲気……」
「別に、普通じゃないですか」
「いやなんか、三人とも少し冷たくない? 何、俺なんかしたかな」
「知りませんよ。アウラ王女に鼻の下を伸ばしている人なんて知りません」
「貴様は一日中王女とべったりしておればいいだろう」
「特に、何か用事は……あり、ませんし」
三人はそう言ってそっぽを向いた。
……なるほど。
「やきもちだな」
俺が一言そう言うと、三人とも真っ赤な顔をしてこちらを向いた。
「お、やっと目が合った」
「な、な、なにがやきもちですか!」
「いやいやいいよ。じゃんじゃん妬いてよ。ああそうかあ。俺が王女に取られて三人とも寂しかったのかあ! ごめんね気がつかなくてえ。明日からは三人の相手もしてあげるから! ってあれ? だめだよ三人とも食事中に立ったりしたら。ってかオルカどうやって立ったの? ああリーリャが支えているのか。ん? ああだめだよフォークは人に向けちゃいけないし熱々のスープもだめっていうかごめんなさい調子に乗りましたすいませんやめてえええ!」
「えらい目に合った……」
俺は夕食を終えてから一人で甲板に上がってきた。
夜風が熱々のスープで温められた頭を冷やして気持ちがいい。
「……今日は満月かあ」
俺は一人呟いて月を見上げた。
「どこの世界も夜空はきれいなんだなあ」
「最後の夜空。存分に楽しむがよい」
「あ? 誰?」
俺が振り返った瞬間、首の後ろを強く打たれた。
「がっ……!」
俺はその場でうつぶせに倒れた。体に力が入らない。
「内東、ソウマ。見つけた」
薄れゆく意識の中最後に見えたのは、月光にきらめく鋭い牙だった。