俺、戦友のために泣くんで
「ク、クゥー、カラ……」
俺は甲板に落ちてきたクゥーカラを両腕で抱きかかえた。
クゥーカラは、着ていたマントはもはや原形をとどめていないほどにぼろぼろで、そしてクゥーカラの左手と右足が付け根からちぎれていた。
身体中いたるところが黒く焦げている。遠くからは簡単そうに砲弾をはじき返していたように見えたが、本当はこんなふうにぼろぼろになるくらい大変なことをしてくれていたんだ。
俺はクゥーカラの痛々しい姿に、涙をこぼした。
……ああ、たしかにこいつは人形だよ。
命のない人形だ。
痛みがあるわけじゃない。死んだわけじゃない。……そんなことはわかってんだよ。
だから、泣いている俺はおかしいのかもしれない。
でも俺は泣く。
こいつのために俺は泣く。
俺の友のために俺は泣く。
俺はこいつとリングの上で拳を交えた。全身を使って、言葉を使わない会話をした。
だからわかる。
こいつの技には、メグミさんの想いとクゥーカラの想いが両方とも含まれているように俺は感じたんだ。
こいつは戦っている瞬間は、生きていたんだっ!
「……お疲れ様、クゥーカラ」
俺はクゥーカラの顔を優しくなでた。
「もう、ゆっくり休め。な?」
俺はそう言ってクゥーカラを横から抱きかかえ、持ち上げた。
……お前、こんなに軽かったんだな。
試合ん時は、もっと重たかったぜ?
俺が甲板から船内に戻ろうとすると、歩く先に蒼い龍の頭が落ちてきた。
「オ、オルカ!?」
オルカが苦しげに一つ大きく息を吐くと、オルカの大きな体が徐々に水となって流れていき、やがて元の小さな体のオルカになった。
元に戻ったオルカの体は傷だらけで、呼吸はひどく乱れていた。
「おいオルカ! しっかりしろ!」
リーリャがオルカに駆け寄り、その小さな体を抱いた。
「オルカ! なんて無茶をしたのだ……」
「ボ、ボク……役に、立て、ましたか?」
オルカはとても小さな声で、弱々しい声で言った。
「役に立ったなどというものではない! オルカは、我らの命の恩人だ」
「よ、かった……。ボク、皆さんの、こと……大好きです、から」
「オル、カっ……ありがとう。ありがとうっ……」
「リーリャ、オルカを早くヒナミに診てもらおう。オルカを連れていってくれるか?」
「ああ、任せておけ」
リーリャは一度目元を腕で拭うと、はっきりとそう言った。
リーリャはオルカを背中に担ぎ、船内に歩きだした。
「オルカ、お前はすごいよ。本当に。俺からも礼を言う。ありがとう、オルカ」
「は、はい……」
俺がオルカの顔を覗き込んで言うと、オルカはうっすらと微笑んで、そしてリーリャの背中に顔を埋めるようにして眠った。
「オルカちゃんもシュトルツさんも、命は大丈夫です。今はシュトルツさんの方は九条さんが見てくれていますし、オルカちゃんはよく眠っています」
「そうか。ありがとう、ヒナミ。やっぱりすごいな」
医務室から出てきたヒナミに俺は素直にそう言った。
「いいえ、わたしは依上ですから」
ヒナミはそう言って少し微笑んだが、そのあと顔に影を落とした。
「でも、シュトルツさんの右目はもう……」
「そう、か……」
シュトルツは俺を庇ってその身に、その目にナイフを受けた。
それは、つまり……。
「俺のせいだ」
「ソウマ?」
「俺があの時、もっとうまく動けていたらシュトルツさんは目を失うことはなかった。俺が……!」
パンと、廊下にほほを叩かれた音が響いた。
「九条、さん……?」
九条さんは医務室から出てきて、突然俺のほほを張った。
「艦長は、そんなことを言われるためにあなたを守ったのではありません。艦長はあなたを守ったことで、たとえその命を落としていたとしても決して後悔をしなかったでしょう」
九条さんは静かに、でも熱のこもった声で言った。
「……すいません。俺も、シュトルツさんに守られたことを後悔しません。誇りに思います」
「そうして頂けると、ありがたいです」
九条さんはそう言って頭を下げた。
「でも、シュトルツさんもさすがに片目では生活がいろいろ不便でしょうね」
「ええ、そうですね」
「……九条さんが片時もそばを離れずにシュトルツさんと一緒にいてあげればいいんじゃないですか?」
「……は!?」
「それがいいですよ、絶対。そしたらほら、九条さんもシュトルツさんのそばにずっといられてどっちも得と言いますか、ウィンウィンと言いますかって危ねっ!?」
九条さんは突然懐からナイフを取り出し俺の口めがけて振りぬいた。
「はあっはあっ、その口閉じますよ?」
九条さんは顔を真っ赤にして肩で息をしていた。
「怖い! この人もやっぱり怖い! 俺が異世界で会う女性基本怖い人ばっかりだ!」
「なんですかそれ失礼ですね!?」
ヒナミが横で不満げにほほを膨らませた。
「あなたが、何か的外れなことを言うので、つい。どうして私が艦長のそばにずっといると嬉しいのですか」
「いやいや~九条さんの様子見たらわかりますよ~。倒れたシュトルツさんを見る目は、単なる軍の上司に向けられる目じゃなかったですよ」
「この……! 子どものくせにっ」
「いいんじゃないですか? 応援しますよ?」
「あ、あまりふざけないでください! 私は仕事がありますのでこれで!」
九条さんは肩を怒らせてスタスタと歩いて行ってしまった。
「ソウマ、あまり女性をからかってはいけませんよ? 特に大人の女性のそういうことはいろいろ複雑なんですから」
「わざわざ複雑にしなくても、好きなら好きでいいじゃないか」
「人の気持ちはいろいろ複雑なんです。まあ、ソウマは単純そうですけど」
「なんとなく馬鹿にされている気がするぜ……」
そこはかとなくバカにしているね! っと危ねえ、一瞬シスターになっちまった。
「わたしだって、いろいろ抱えているんですよ。それこそ、胸が苦しくなるくらいに複雑なことを」
ヒナミは胸に手を当てて静かに言った。
そんなヒナミの横顔に、俺は一瞬見惚れてしまった。
「クゥーカラはどうすればいいでしょうか?」
『ううむ、そうだな。あれには私も思い入れがある。村長、何とかなりませんか?』
『そうじゃのう……』
端末の向こうから村長さんのうなり声が聞こえた。
『一度持って帰ってきてもらえれば、治すことはできるかもしれんのう』
「じゃあ俺連れて帰りますよ。その時に、治してやってください」
『わかった。わしももう一度試合が見たいからの。やれることはやってみるよ』
『それでは気をつけて帰ってきなさい。待っているよ』
「はい。ありがとうございます。それでは」
『ああ、ちょっと待った!』
「なんですか?」
『ヒナミちゃんの写真をいいかげん送ってくるんだ! 君はいつまでたっても送ってきてくれない! 早くしろ! こんなのいじめだ! ハラスメ』
俺は端末の電源を切った。
「オルカ、具合はどうだ?」
「だ、大丈夫、です。ヒナミさんの……おかげ、です」
あの戦いから三日が経っていた。
俺は医務室のオルカのもとにお見舞いに来ていた。
「でもまだ全快というわけではありませんから、安静にしていてくださいね」
オルカが横になっているベッドの隣から、ヒナミがオルカの頭をなでながら言った。
「は、はい……」
オルカは照れと嬉しさがないまぜになったような顔をして返事した。
三日経ってオルカの体からはほとんどの傷が消えていた。
しかしまだヒナミから安静を言い渡されているのは体力がまだ完全に戻っていないからだ。
オルカが大きな龍になった海龍化というのはものすごく体力を消耗するらしい。海龍化は一度ですら、下手をすれば命を落とす危険があるほどだそうだ。
それなのにオルカは短い期間に二度も海龍になったのだ。
どちらも、出会って間もない俺たちを助けるために。
オルカは命を懸けて俺たちを守ってくれた。
この小さな体に、大きくて強い魂が宿っているのだ。
ヒナミはまだオルカの頭を優しくなでている。
俺はオルカを挟んでヒナミの正面に移動した。
そして俺もオルカの頭に手を伸ばし、オルカの頭をなでた。
「へうっ!? ……あうあうあうぅぅぅ」
オルカは突然の出来事に驚き、目をぐるぐると回していた。
ヒナミは俺がオルカの頭をなでているのを止めずに、一緒になってその綺麗な青い髪をなでまわしていた。
「な、なんだか……お二人の、子どもに……なったみたい、です」
「へえ、俺とヒナミの……」
俺はちらりとヒナミの顔を見た。
するとヒナミも同じタイミングでこちらを見ていたのか目が合った。
ヒナミは俺と目が合った瞬間、ぼふっという音が出そうなくらい一気に顔を赤くした。
そして潤んだ瞳で俺をにらみつけてきた。……なんで?
「ソウマ……何を、想像しているんですか?」
「な、な、何もしてねえよ! っていうかオルカなんてこと言うんだ!」
オルカはそんなことを言っても平気かもしれないが俺が代わりに被害を受けてしまう!
「ボ、ボク何も、おかしなことは……言って、いませんよ?」
オルカはキョトンとしてそう言った。
「ええい! この純粋無垢ちゃんめ! コウノトリがキャベツ畑でナニをするっていうんだ!」
「な、何を言っている、のか……よく、わかりません」
「ソウマ! 変なことをオルカちゃんに教えないでください!」
「……へえ、ヒナミは俺が言ったこと理解できるんだ。へえ」
「な、なんですかその意味ありげな『へえ』は……」
「べっつにー。つかヒナミ、さっき俺と目が合ったとき何を想像して顔を赤くしていたの? ねえねえ何をヒナミは考えちゃったのかなあ? おじさんにちょっと言うてみい?」
「こ、こ、この……!」
ヒナミはこぶしを握り締めた。やべえやっちまった。
「ヒナミ、ここは医務室だ。ここで暴れたりなんかしたらいけねえよ。だからほら落ち着けって冷静になろうぜうわお投擲!? ヒナミだめだ薬の瓶は当たったら俺の頭か瓶が割れるっていうかこれなんか注意書きいっぱい書いてあるけどええ劇薬ぅ!? 待て待てそれは無理だ俺死んじゃう!」
俺は医務室から逃げるように出た。
危なかったぜ。危うく溶けるところだった。
俺は廊下の壁に体を預け座り込んだ。
……なんかどっと疲れたぜ。
まったくオルカはなんてことを。……ヒナミとの子、か。
って俺は何を考えているんだ。頭悪すぎるぜこんなの。
俺は頭を振って妙な妄想を追い出した。
別なことを考えよう。真面目なことを考えよう。
……名前は何がいいかな? じゃねえよ!
俺は自分のほほを両手で張って、目を覚ました。
まじで考えるぞ。
一つ気になっていた。
どうして亜人種は戦争に負けたんだ?
ヒナミは、自然は科学に敵わないから人間側が勝ったと言っていた。
果たしてそうだろうか?
俺が今まで一緒に戦った亜人種。森精種と水棲種。
その二つの種族は驚くべき魔法や能力を持っていた。
森精種のあの木を操る魔法は、物資を戦線に効率よく届けられるのではないか? あの綿毛の魔法は敵の背後をとるのに使えなかったのか?
水棲種の水中を高速で移動する魔法は敵から逃げたり、敵を奇襲したりするのに活かせなかったのか? 海龍個体は戦時中活躍しなかったのか?
彼ら彼女らの戦闘能力は、決して低くはないんじゃないのか?
……もう一度、あの大戦を見直してみる必要がありそうだ。