俺、楽しくて嬉しいんで
シュトルツは俺が手も足も出ないと見たか、立ち上がることなく床に寝たままだった。
「寝技に持ち込もうってか?」
「得意であるのだよ」
「なるほど。そりゃ道理だな」
「さあ、いくらでも攻撃してくるといいのである。すべて掴まえてみせよう。そして君の関節を、壊す」
「怖いなあ。怖いよ。でも……」
俺はシュトルツのもとに駆けた。
「俺が、関節技が苦手だって、誰が言った!?」
それじゃあ寝技に付き合ってやるよ。どちらが強いか、真っ向勝負と行こうじゃねえか!
「来るか!」
「おおらああっ!」
俺は寝ているシュトルツの真上に飛び、そのまま踏みつぶそうとした。
「甘いのである!」
その足をシュトルツは掴もうとした。
「どっちが!」
俺は掴まれる直前に体を反らし、その場で強引にバク宙をした。
「なっ!」
視界が回転する中、シュトルツの驚いた顔が見えた。
俺は全体重をかけてシュトルツをプレスした。
「がはっ!」
「まだまだ!」
俺はシュトルツを体で押さえつけたまま、シュトルツの左腕を取り、肘関節を極めた。
「ぐっ、くう! やるな!」
「だろ?」
俺はぎりぎりと腕を締めあげた。
「この技知ってるだろ? キムラロックだ」
「キムラ? 誰だそれは。アームロックであろう」
「確かにそうとも言うな。まあ知っているなら、この技が腕を簡単に折ることができる技だってのも知ってるだろ。……降参しろ」
「ふっ……この程度で、勝った気にならないのである、小僧!」
シュトルツは叫ぶと共に腕に力を入れて強引に伸ばそうとしてきた。
「こ、この……!」
くそっ、なんて力だ! やはり見た目通りパワーもある。俺もそれなりに腕力はあるつもりだが、シュトルツはきっと、俺の倍以上の力がある!
シュトルツは俺が両手で極めているにもかかわらず、左腕の力だけで腕を伸ばした。
「ふんぬああっ!」
そして俺を左腕一本で投げ飛ばした。
「おわっ!」
俺は慌てて受け身を取って着地した。
「馬鹿力め」
「褒め言葉であるな」
シュトルツは左肘を押さえながら口を歪めた。
「しかし、今のは背筋が凍ったのである。もう少しで腕を折られるところであった」
「あんたのアキレス腱固めも、足が引きちぎられるかと思ったぜ」
俺とシュトルツはそう言ってにらみ合った。
「なあ、聞いていいか?」
「何であるか?」
「あんた今、楽しんでるだろ?」
「なぜ、わかる?」
「あんた、笑ってるじゃねえか。楽しそうに、嬉しそうによ」
「ふっ、そうであるか。俺は今、笑っているのか。……しかし小僧」
「あ?」
「君も、笑っているのである」
俺は手で口元を触ってみた。
口角は、上がっていた。
「仲間の生死がかかっているにもかかわらず笑えるとはな」
「仕方ねえよ」
だって。
「あんたみたいな強いやつと、戦っているんだから」
「俺も、久しぶりに全力が出せそうで心が震えているのである。このような感情、軍人としては失格だが、止められないのである!」
「いいんじゃねえの? それでこそ、柔術家、格闘家だ」
「そうであるか。……フ、フフフ、フゥハハハハハッ!」
シュトルツは突然、大きく笑い声をあげた。
「は、はははっ、はははははっ!」
俺もつられたように笑った。
あんた、俺と同類だ。
根っからの格闘家だ。
自分と同じくらい、いや、自分より強いかもしれない相手がいると嬉しくなって楽しくなる。
全力が出せることに感謝する。
必死で習得した技を受けてくれる相手がいることに、感謝する。
俺とシュトルツは、似た者同士の馬鹿野郎だった。
シュトルツが柔術家なら、俺は……。
「来い小僧! 君の技をもっと俺に見せるのである! 俺も君の体に俺の持てる技すべてを与えるのである!」
「言われなくてもやってやるさ。しっかり相手してくれよ!」
そして俺たちは三度、ぶつかった。
「か、艦長……」
「ソウマ……」
九条さんとヒナミの心配そうな声が聞こえた。
「ふん、はあ、はあああ!」
「はあ、はあ、くそっ、だらああ!」
しかしそれらを打ち消すかのように、男二人は咆哮した。
ちらりと部屋の壁に掛けられた時計が見えた。
俺とシュトルツの戦いは、どうやら三十分以上経っているようだ。
感覚的には、もう何時間も戦っているようにも思えたし、しかしまだ五分もたっていないようにも感じた。
体中の骨や関節がぎちぎちと悲鳴を上げている。
俺とシュトルツは示し合わせているわけではないのに、関節技しか使っていなかった。
俺がシュトルツの脚を捕らえサソリ固めをしようとすれば、シュトルツは強引に前転して俺の脚を捕らえ膝十字固めをしようとする。
シュトルツが俺の左腕をとって腕ひしぎ十字固めに持ち込もうとすれば、俺はその場で後転してシュトルツをうつ伏せにしつつ逃れ、うつ伏せになったシュトルツにすかさずキャメルクラッチをくらわそうとした。
頭部や鳩尾に打撃を加えられるチャンスはあった。でも、俺はしなかった。
無意味な意地や矜持だ。我ながら呆れる。でも、なぜかそうしないと俺は勝ったとしても喜べない気がした。
相手の技をすかすな。
これはある伝説のレスラーの教えだ。
俺も、馬鹿馬鹿しいとわかっていながら、シュトルツの関節技に真っ向から付き合っていた。
俺の体は治るのだから、多少手足を折られることを許してもいいのかもしれない。しかしメグミさんに言われたように、俺の体のことを軍の人間に知られるのはあまりよくない。
それに、骨折は果たして内のダメージなのか、外のダメージかわからないためうかつに折られることを許すわけにいかない。治らなかったら終わりだ。
だが、それ以上に、極められて、折られたら、負けな気がする。
そんなことは一言も言っていないのに。
シュトルツとの戦いは、一瞬の気の緩みも許されなかった。
少しでも気を抜いたら手か足どちらかを完全に極められ、そして折られてしまうだろう。
限界まで引き出された集中力。
極限の緊張感。
その二つが俺の脳を燃やし尽くそうとする。
何度も何度も危ない場面があった。
俺にもシュトルツにも。
あと一コンマ秒対応が遅れていたら手足が折られていただろう場面が、この三十分のうちに何度も何度もあった。
しかしギリギリで俺たちは躱し続けていた。
つまりどちらとも決定打を決めきれずにいたということでもある。
「どうしたシュトルツ! もう打ち尽くしたか!?」
「ふざけたことを言うのではないのである! 君ももう限界だという顔をしているぞ」
「ま、全く平気だね。余裕すぎるぜ。もっと来いよ」
「言うではないか!」
「あっ! まずっ!?」
「……獲った」
俺は一瞬の隙を突かれシュトルツに後ろから首を絞められた。
「ここにきて……絞め、わざ……がはっ!?」
ここまでシュトルツは一度も絞め技は出さなかった。すべて関節技、締め技だった。
「裸絞、チョークスリーパーである。このまま俺が力を入れれば、七秒後に君は落ち、安らかな眠りにつくであろう」
耳元でシュトルツのささやく声が聞こえる。
七秒後っていうのはたぶん頸動脈洞反射のことだろう。いわゆる落ちるというやつだ。
「君はよくやった。君のような人材を殺すのはとても惜しいのである。だから、君が今負けを認めれば、君たちを殺さなくてもいい方法を共に考えるのである」
「はあっ、そ、れは、命令に背くんじゃ?」
「そうまでして、俺は君たちを救いたいのである」
シュトルツの声に、嘘は混じっていない気がした。
「さあ、決めるのである」
「あ、ああ……」
脳への酸素の供給が少なくなり、俺は薄れ始めた意識の中考え始めた。
どう、するか……。負けを認めれば、みんな助かるのか。それはいいな。願ってもいないことだ。俺が負けを認めればいいだけか。それならもう戦う理由が無いなあ。だって勝っても負けても一緒だろ。むしろ認めずに負けたらみんなが死ぬ。この状況から勝つのは無理だ。総合格闘技でも、スリーパーは最きょうの技としてしられている。総合では脱出不か能の技、決まったら終わりのわざと言われている。ここでおれがまけをみとめたらみんなたすかるんだ。もうつかれたし、くるしいし、せんたくしはひとつだな、これは。
「負けを認めるのなら、手で俺の腕を叩くのである」
「あ……あ……」
俺は言われた通りに、右手を上げてシュトルツの腕を叩こうとした。
「……あっあ」
「そうだ。そのまま叩くのである」
「だめです! ソウマが負けるなんてだめです! 嫌です!」
「……え?」
目を横にやると、視界の端にヒナミが見えた。
ヒナミは顔を真っ赤にして、目に涙をためていた。
「ソウマが負けるなんてわたしは嫌です! 自分から負けを認めるところなんて見たくありません! わたしは、わたしはそんなことで生き延びても嬉しくありません!」
「ヒ、な……あ、あ」
「わたしにとってソウマは、年下の少し生意気な男の子で、ちょっとかわいいところもあって、でも全然かわいくないところもあって、ときどき変態で、おバカで、でも、でも……」
ヒナミは俺の目を見つめて叫んだ。
「ソウマは、わたしの、ヒーローなんです! とってもかっこいいヒーローなんです! いつも、どんなことからもわたしたちを助けてくれる、守ってくれる、強くて優しくて、かっこいいヒーローなんです!」
それは、薄れた意識を取り戻すのに十分すぎる言葉だった。
鼻の奥がツーンとしてきた。
「そんなヒーローの負ける姿なんて、自分で負けを認める姿なんて見たくないんです! ですから、ソウマ!」
「は……い」
「勝ちなさい! 勝って……勝ってください! 勝って、わたしたちを助けてください!」
「ま、か……」
任せろ。
まともに声が出せない俺は、口の形だけでそう言った。
それだけでも伝わったのか、ヒナミは満足げにうなずいた。
そうだ。なんで忘れていたんだろう。
負けたくない。ただ、勝ちたいという欲求を。
諦めたくないという想いを。
ヴァンジャンスの時のこと、忘れたのか?
絶対に諦めないのがレスラーなんだ。負けてたまるかと歯を食いしばるのがレスラーなんだ。
シュトルツが柔術家なら、俺は……。
俺は、プロレスラーだ!