俺、妹ができた気分を味わうんで
「体調はもうよいのかの?」
「は……はい。ヒ、ヒナミさん、の、おかげで」
「それはよかった。では改めて。わしはヴィーゾフ・クラッシィーヴィ。ガラ村の村長じゃ」
「我の名はリーリャ・クラッシィーヴィ。このじじいの孫だ」
「私は城之崎メグミ。人間だが、君の敵ではないよ。安心してほしい」
どうにかこうにかヒナミに許しをもらったあと、俺とヒナミとオルカは村長の家に行った。
一応診療所でオルカからある程度話は聞いたのだが、俺とヒナミではちょいと手に余る話だったので、村長さんとリーリャ、それにメグミさんにも話を聞いてもらおうと思ったのだ。
ちなみにオルカは足が魚のひれのようになっているので陸は歩けない。
だから俺が負ぶっていこうとしたら、ヒナミにものっそい形相でにらまれた。……何もしないよぅ。信用してよぅ。
結果ヒナミがオルカを抱きかかえて、村長さんの家まで行ったのだ。
なんかアレだな。妹ができた長男の気分だ。
母親が下の子につきっきりになって、上の子に厳しくなるやつである。
俺グレちゃう、グレちゃうよ? あ、でもオルカが妹なら俺も、うっとうしいくらいに妹を甘やかすお兄ちゃんになるだろうから、別にいいか。
「み、み、みなさん。はじ……めまして。ボ、ボクは、オルカ・フォルトゥーナ、です。ご、ごめ、なさい。リェース語……難し、くて、まだ上手く、話せません」
「それだけ話せれば立派なもんじゃわい」
出会った当初から驚いたことに、オルカはリェース語をしっかりと話すことができていた。ところどころつっかえたりするのは、性格からなのだそうだ。
よってこの場での公用語はリェース語になっている。メグミさん以外は全員話せる言葉だからだ。それにメグミさんは、ヒナミにつきっきりで通訳をしてもらうということでホクホク顔だった。この場にいる誰も損をしない構図になっている。
「それでじゃ。おぬしはどうしてこの村に……いや。正しくは、どうして村の近くの川に流れ着いたのじゃ?」
オルカは今朝、村の近くの川に流れ着いたのだ。
「そ、それは……ここに、とっても優れた……腕を持つ、魔法……使いがいると、聞いたので……」
「ん? つまり川に流れ着いたのは事故とかじゃなくって……むしろ成功?」
「は、はい。本当は……ちゃんと、たどり着く……予定、だったですけど、海水から、淡水に、変わる……とこで、魔法の操作、まちがって……そこで、気を、失って……」
俺が聞くと、オルカはおどおどしながら答えた。
変だなと思っていたんだ。
川から海に流れるのはわかるけど、海から川に流れるのはちょいと不自然だと思っていた。
「魔法とは、どういったものを使ったのだ?」
リーリャは森精種らしく、魔法のことについて聞いた。
「水の、中を……超高速で、移動……する魔法、です」
「水の中を、移動?」
リーリャは首をかしげてそう言った。
「ああ、聞いたことがあるわい。それは水棲種特有のものじゃわい」
「は、はい、そうです。ボク、たちしか、使えません」
オルカは声の調子こそ相変わらずだが、はっきりとそう言った。
「わしら森精種だけが植物を自在に操ることができるのと同じことじゃな」
「種族によって使える魔法は違うんですか?」
俺が聞くと、村長がうむとうなずいた。
「そうじゃよ。わしら森精種は植物に関係する魔法が得意じゃ」
「ハ、水棲、種は……水とか、そういうのが、得意です……」
「吸血種は幻惑魔法など、人の心に介入する魔法が得意だ」
「獣人種は私たち人間と同じく魔法は使えない。しかしその代わりに、人間をはるかに凌駕する膂力を持ち、さらに一部個体は自らの力を、限界を超えて引き出す『獣化』という能力を持つ」
「はあ、なるほど。得手不得手があるんすね」
「そういうことじゃ。……これは単にわしの興味なのじゃが、その魔法を説明してくれんか? どういうふうに水の中を移動するのじゃ?」
「わ、わかりました。……えっと、み、水って、どこから、どこまでが、『一つ』の水って、わからない……ですよね」
いきなりなんか概念的というか、哲学っぽい話だな。
「水は、個々に……わけられません。あるのは、大きな、同じ水の、固まり……。ボク、たちは、そこに……自らを、溶け込ませ、ます」
「ほほう。それで?」
村長さんは興味深そうにうなずき、続きを促した。
「溶け込んだ、体は……距離という、概念から、解放されます……。そし、て、体を、溶け込ませた、水が……つながっている、ところなら……どこにでも、体を移動、させられます」
「それはすごい魔法じゃ! それを使えばこの世界のどこにでも、自在に行けるようなものじゃろう」
「でも、これには、いくつか……欠点が」
「ほお、欠点とな?」
「は、い。まず、これは、自分にしか……使えません」
「誰かに、例えば我にその魔法をかけて我をどこかに送るということはできないということか」
「そ、そうです……。それと、もう一つ。海の水から、川の水に、行くとき、ちょっとしたコツが、要るんです……。それで、さっきボク……失敗して、気絶、しちゃいました……」
オルカはうつむいて恥じるようにそう言った。
「ふむ。たしかに万能とはいかないようじゃが、それにしても優れた魔法じゃ。いやはや恐れ入る」
「そそそそそんな! ボク、なんて……まだまだ、です。ヴィーゾフさんのような、高名な、魔法使いの、方に、そんな、言われるなんて……もったいない、です……」
「ん? もしかしてさっき言ってた、用がある高名な魔法使いって……」
「はい。……ヴィーゾフ、大魔導士に、御用があって……来ました」
「ほっほっほ。そうかそうか」
「え、村長さんってそんな有名な人なの?」
「我らのように魔法を使う種族の中では、そこそこ有名だ。戦前は世界中を飛び回って魔法の研究をしていた。じじいの書いた魔法に関する論文は、今でも各国の魔法研究の基礎になっている」
「いやいや、昔のことをあまり言われると照れるわい」
村長さんは頭の後ろをぽりぽりとかいた。
「まあ、今や見る影もない老いぼれじじいとなっているがな」
「これリーリャ! 世界の大魔導士に向かってなんてことを言うのじゃ」
「何が世界のだ。それならまずは自分の部屋の書物を整理しろ。足の踏み場もない」
「あれはわしにとっての最適な配置じゃ」
「書物も大事に整理できないじじいが、何が大魔導士だ」
「あ、あの……ボクの、話を……」
リーリャと村長さんの言い合いの間を、オルカがおどおどしながら割り込んでいった。
「おお、すまぬの。さて、ではわしに何の用じゃ」
「ボクの住む、海の……浄化を、手伝って、ほしい、です」
これはさっき診療所で、オルカに聞いた話だ。
「はて、浄化とな?」
「はい……。ボ、ボクたちの、水棲種の国、マーレ連邦の……アサナト州に、アーデル、王国軍の、船が……夜に、やってきて……汚れた、水とか……害のある、液体を……捨てていく、です」
そう。診療所でオルカが、助けてほしいといったのはこのことだ。
しかし俺とヒナミだけでは正直どうしようもなかったし、オルカが魔法に詳しい人と話したいと言ったので、村長の家に来たというわけだ。
「王国軍の船……。それはおそらくマーレ連邦特別派遣部隊の船だろう」
オルカの話を聞いて、メグミさんが腕を組んでそう言った。
「戦後、亜人種の住む各国にはそれぞれ、監視等の役割を持った部隊が置かれるようになった。それが特別派遣部隊だ」
たしか、先日この村からリーリャをさらったファイクは、リェース皇国特別派遣部隊の隊長だったはずだ。
「そ、それで、ボクたちは……魔法で、海を……浄化しようと、して、います。だけ、ど、毎日のように……軍の船が来る、から、ボクたちだけでは……追いつかなくて、そ、それで、森精種の方、にも……手伝って、もらいたくて……」
「なるほどのう……。事情はわかった」
「じゃ、じゃあ!」
オルカが期待の声を上げたが、村長さんはゆっくり首を横に振った。
「なんとかできるのならしてやりたい。しかしわしは見てのとおりもう歳じゃ。最近では、この村を出ることすら難しい……。申し訳ないが、わしは手伝えない」
「……っ」
オルカは村長さんの言葉を聞くと、ぐっと口を引き結んで下を向いた。
「まあ、わしは、手伝えないが……」
村長さんはそう言ってちらりとリーリャを見た。
「む、なんだ? まさか、我に行けとでも……?」
「だめかのう?」
「だめではない。困ったときはお互い様だ。オルカよ」
「は……はい……?」
「我では……じじいほどのことはできないが、それでもいいか?」
「は、は、はい! あ、あり……ありがとう、ございます……!」
リーリャが優しく言うと、オルカは目尻に涙を浮かべながら頭を下げた。
「うーむ……」
「どうしたんですか? メグミさん」
うなっているメグミさんにヒナミがそう聞くと、メグミさんはあごに手を当てながら言った。
「いや、さっきオルカちゃんの話を聞いてから考えていたんだ。……マーレ連邦特別派遣部隊の隊長は、そんなことをするようなやつではないと、私は思う」
そう言ったあとメグミさんは、はっとしてオルカに言った。
「ああ、勘違いしないでほしい。何もオルカちゃんが嘘をついていると言っているわけではないんだ。ただ、妙に引っかかってな……」
「その隊長を、メグミさんは知っているんですね?」
「ああ。マーレ連邦特別派遣部隊の隊長の名は――」
とメグミさんが言おうとしたとき。
ぐうぎゅるるるうごぎゅるりぃぐごごごぅぅぅ、というとてつもない音が部屋中に鳴り響いた。
「な、なんだ?」
俺が問うても、皆一様に首を横に振った。
一人、顔を真っ赤にしてうつむいているオルカを除いて。
「オ、オルカ……?」
「ごごごご、ご……ごめん、なさい!」
ぎゅるううりぃごぎゅぅ。
「きゃあ!」
オルカは音が鳴ると同時にかわいらしい悲鳴を上げ、自らのお腹を両手で押さえた。
「あ、もしかしてオルカちゃん……お腹すきました?」
「ぅぅぅ……う、は、はい……」
オルカは顔中真っ赤にしてそう言った。
「ああ。そういえば朝ごはん、まだ食ってなかったな」
ばたばたしていてすっかり忘れていた。
「それじゃあ、続きはご飯を食べた後にしましょうか」
「ううう……、ごめんなさい……」
「謝ることじゃありませんよ」
「そうだよ、オルカちゃん。腹が減るとは生きている証だ」
何度も謝るオルカにヒナミとメグミさんが優しく言った。
「では、用意しようか」
「あ、手伝いますよ」
そう言ってリーリャとヒナミは俺たちのいる部屋から出て行った。