俺、あまりのことに吐き気がするんで
「はあ……。リーリャさんたちが、あんなふうに思っていたなんて」
「まあでも気持ちはわからんでもないな」
俺とヒナミとメグミさんは昨日と同じ診療所代わりの家にいた。
今はいったん昼休憩で、もうすぐリーリャがここに昼食を持ってきてくれるそうだ。
「メグミさん。どうしたらいいと思います?」
俺は壁にもたれて腕を組んで立っているメグミさんに聞いた。
「……私はこの件に関しては、何か言えるような立場ではないな」
ん? どういう意味だ?
「ヒナミちゃんのご両親は――」
ぽそっと聞こえるか聞こえないかの音量でつぶやかれたその言葉は、途中で外から聞こえてきた騒々しいエンジン音にかき消された。
「なんだ? この村にあんな音のするものあったっけ?」
「いいえ、無いと思いますけど……」
「見てみよう」
メグミさんはそう言って窓を開けた。
「はっ……!」
窓を開け外を確認した瞬間、メグミさんは息をのんで窓を閉めた。
「え、メグミさん、どうしたんですか?」
「村長の家の前に、王国軍の車が二台止まっている」
メグミさんはぐっと眉間にしわを寄せた。
「わたしたちがここにいるのがばれたんでしょうか?」
ヒナミが不安そうに聞いた。
「いやそんなはずはない。移動するとき、私は念入りに尾行に気を使った。しかし絶対につけられてはいない。断言する」
「じゃあ、いったいどうして?」
「わからない。とりあえず、今は様子見だ」
メグミさんは窓を少しだけ開けた。
俺はメグミさんの後ろに回り、外の様子を確認した。
たしかに村長さんの家の前に二台、OD色の車が止まっている。
二台ともジープのような形をしていて、しかもそのうちの一台には、銃座がついていた。
しばらく見ていると、村長さんが家から出てきた。
すると、銃座がついていない車の助手席からOD色の軍服を着た男が一人下りて、後部座席のドアを開けた。
「まったく村長さん。遅いですよ、出てくるのが」
開けられたドアから、耳にねばついてくるような嫌な声とともに、軍服を着た長身の男が下りてきた。
その軍服にはこれでもかと肩章がつけられており、またその胸にも目がちかちかするほどの勲章がつけられていた。
年は四十代半ばくらいか。鼻の下に蓄えられたひげが印象的だ。
「これはすいません。ファイク殿」
村長さんが男に頭を下げた。
「こちらは、あなた方ほど暇ではないのですよ」
その軍服の男はリェース語をしっかりと話していた。
「あの男……」
「メグミさん、知ってるんですか?」
メグミさんはうむとうなずいた。
「あいつの名は、ファイク・グラウザム。階級は、大佐だ」
大佐……。メグミさんは大尉だから、階級で言えばかなり上ってことか。
「グラウザム家というそこそこ有名な家の人間だ。今はリェース皇国特別派遣部隊の部隊長をしているはずだが、どうしてこんなところに?」
ファイク……まあ、あんまし人を見た目だけで判断するのはよくないのだが、なんだかいけ好かないやつだ。
すると、そのファイクに近づいていく一人の女性の森精種が見えた。
「あ、あのファイク様」
「はい。なんでしょうか?」
「あの、先日ファイク様が連れていかれた私の娘は……」
「はて? 先日……?」
ファイクは顎に手をやってしばらく考えると、パンと手を打った。
「ああ、はいはい、あのかわいらしい娘ですね。ああ、あなたはあの娘の母親ですか。確かに似ています。それは先月の話ですね?」
「はいそうです! それで、娘は……」
「私が二、三回ほど使ったら使い物にならなくなったので、部下に譲りました」
「え……?」
その森精種の女性は、何を言われたかわからないというような顔をしていた。
正直、俺もファイクが何を言ったのかわからない。
使った? なにに? 譲った?
「やはりクスリを使って無理矢理やるのはよくないですね。すぐにラリってしまって、やっていても気持ちよくもないし楽しくもない。それで、部下たちの慰み物にと思って譲ったのです」
「……は? わ、たしの、む、すめ、イーヴァ……」
その女性はその場で膝から崩れ落ちてしまった。
俺はファイクのその言葉を聞いた瞬間、吐き気が込み上げてきた。
「……クソ野郎がっ!」
メグミさんは歯をむき出しにして、怒りをあらわにしていた。
「そういえば、イーヴァさんが見当たらないと思っていたんです。それが……そんなっ!」
ヒナミは両手で口を押さえ、なんとか嗚咽が漏れないようにしていた。
「おねえちゃんをどこにやった!」
突然、タタタッと少年が駆けてきて大声でファイクに言った。
「あの子、昨日メグミさんと一緒に遊んでいた……」
「イーヴァさんの弟のブラート君です。でも」
「ああ。あれはまずい」
「あ? なんですか? このガキは。あの娘の弟か」
ファイクの声からはいらだちがうかがえた。
「おねえちゃんはどこだって言ってんだ! こたえろよ! このヒゲ!」
そう言われた瞬間、ファイクはブラートの腹を思い切りつま先で蹴った。
「がっげほっ!」
ブラートのその小さい体は地面をころころと転がっていった。
「この、ガキが!」
顔を真っ赤にしてファイクはブラートを追いかけると、その腹を踏みつけるようにして執拗に蹴りを入れた。
「ガキがガキがガキがっ! この私をっなめているのですかっ! ああっ⁉」
「がふっげほっあああっ……」
「やめてください!」
そのファイクの足に、イーヴァとブラートの母親がすがりついた。
「やめてください! その子はまだ幼くて、わからずにやってしまったことなんです! どうか、どうか許して!」
すると、ファイクはブラートを蹴る足を止め母親の方に向いた。
「わからずにねえ。まあ、幼い子どもですからねえ」
「ええ、そうなんで――」
「それをわからせるのがあんたら親の仕事でしょうがっ! ええ⁉ どうなんですか⁉」
ファイクは、今度はその母親の顔を思い切り蹴飛ばした。
「……っ!」
「まったく、子が子なら、親も親だなあ! おいこらっ! 聞いているのですか!」
「がっ……! はっ……!」
ファイクは倒れた母親の体の周りを歩きながら、足から腹から頭から次々と蹴りを入れていった。
俺はもう我慢できなくなり、窓から飛び出そうとした。
しかし、俺の腕をメグミさんがつかんで止めた。
「なんで……なんでとめるんですか」
「ここで私たちが見つかっては、ダメなんだ」
「俺たちが不法に国外に出たからでしょ。だったらその程度の罰くらい俺は……」
「違う。ここで私たちが見つかれば、この村の方が人間とつながりを持っていることがばれてしまう。そうなれば、この村に住むすべての人が処罰の対象になってしまう」
「……つまり、ここに住む人たちのために、あそこにいる二人を見捨てろと?」
「そうだ」
メグミさんは俺の目をじっと見て、そう言った。
「大のために小を切り捨てろと、私は言っている」
メグミさんがそう言うと、俺の腕をつかんでいるメグミさんの手により一層力がこもった。俺の腕が、折れてしまうんじゃないかと思うほどに。
「はあっはあっ。クソがっ! 気分が悪いですよ!」
ファイクは蹴る足を止めて、大声で怒鳴り散らした。
「これはもう、女抱かなきゃ治らないですねえ。この気分の悪さは! 今回はたまたま近くを通ったので視察に来ただけだったんですが、まあいいでしょう。おい」
ファイクは俺たちのいる家とは別の家を指した。
「あそこに一人、上玉を残しておいたはずです。さあ、連れてきてください」
ファイクがそう言うと車から軍服を着た男が四人出てきて、ファイクが指した家に向かった。
彼らはドアを蹴破って中に入り、一人の女性を連れだしてきた。
「いやっ! 離して!」
女性はそう言って抵抗するが、鍛えられた軍人相手にはどうすることもできないようだ。
「ほほう、やはり美しい。今夜はあなた以外には考えられませんねえ!」
ファイクはそう言うとその女性の首を、べろりとなめた。
「ひいっ! いや、いやあ! 助けて! 誰か! 助けてえええっ!」
「いいかげんにしろ、この下郎どもがっ!」
怒気をはらんだその声とともに村長さんの家から、リーリャが出てきた。
「おや? これはこれはリーリャ殿。あいかわらず美しいですねえ」
「貴様、そんなに女が抱きたいか?」
「はい? ええ、もちろんです」
「そうか。だったら、その娘の代わりに我を連れてゆくがいい」
リーリャ⁉ お前、なに言ってんだ!
「おや、そうですか? あなたは最後にしようかと思っていたのですが……まあ、本人が言うのですから、そうしましょう」
「リーリャ! お前何を言っておるのだ⁉」
「うるさいじじい。我が決めたことだ」
「そうですよ村長さん。お孫さんの自立は認めないと。さあリーリャ殿、こちらの車にどうぞ。ではガラ村の皆さん、またいずれ。はっはっは!」
ファイクは最後に下品な笑い声を残し、去っていった。
王国軍の車両が走っていき見えなくなった瞬間、ヒナミは医療器具の入ったカバンを持って家から飛び出した。
「ブラート君! ピシェーラさん! 待っててください。今、治療します」
ヒナミは倒れている二人に駆け寄り、容体を確認し始めた。
「ヒナミ……ちゃん。私はいいから……ブラートを……」
「だめです、ピシェーラさん。二人とも助けます。依上の名に懸けて。ソウマ! メグミさん!」
突然呼ばれ、俺とメグミさんは慌ててヒナミに駆け寄る。
「メグミさんは王国軍で、外傷の治療の訓練をしたって言ってましたよね」
「ああ。戦場で負った傷は自分たちで治さなくてはならないからな」
「でしたら、ピシェーラさんを診てもらっていいですか。ピシェーラさんのほうが、ブラート君に比べたら軽傷ですから」
「ああ、わかった」
「わからないことがあったらすぐに聞いてください。ソウマはありったけのお湯を沸かして持ってきて下さい。わたしのカバンの中にガスコンロとやかんがあります。水はそこの井戸のものを」
「ああ、わかった」
俺は必死で井戸から水を汲み、火にかけて、それをヒナミのところに持って行くことを、延々と繰り返した。
「絶対に、助けます。助けてみせます。わたしは、依上です」