俺、一緒の布団で寝たかったんで
「ふう……美味かった。ごちそうさまでした」
「スミさん、ヒナミちゃん、ごちそうさま。特に野菜がおいしかった」
「そうかい。野菜は家で採れたのを使ってるからのう」
「さっきまで畑にあった新鮮なものばかりだったからですね」
「ユイがね、ユイがとってきたの! はたけから! 土もね、土もユイがあらって落としたの!」
「そうだったのか。ユイちゃん、ありがとう」
「ユイちゃんは今日たくさんわたしのお手伝いをしてくれたんです。ありがとう、ユイちゃん」
メグミさんとヒナミに褒められて、ユイはとても嬉しそうに笑っていた。
「じゃあヒナミちゃん、ユイちゃん。一緒にお風呂に入ってきんしゃい。もう沸いているはずじゃ」
「え、いいんですか? 先に頂いてしまって」
「いいんじゃよ。それにほれ、ユイはまだ小さいから早く寝なくちゃいかんじゃろ?」
「おねえちゃん、行こ!」
「はい、わかりましたよ。それではお先に」
「ゆっくり浸かってらっしゃい」
ヒナミとユイは手をつないで風呂に向かった。
部屋には俺とメグミさんとスミさんが残った。
「メグミさんよかったんですか?」
俺はまた小声でメグミさんに話しかけた。
「……なにが?」
メグミさんもまた小声で答える。
「いや、メグミさんも一緒にお風呂に入りたかったんじゃないかなって」
「ふっ……」
俺が至極まっとうな疑問を言うと、メグミさんは乾いた笑みを浮かべた。
「私だっていつもいつもそんなことを考えているわけではないよ。あの子たちはあの子たちで、ゆっくりすればいいだけさ」
「メグミさん……」
口ではそう言っているが、俺は見えてしまった。
メグミさんが膝の上で両手を握りしめているのを。それは爪が手のひらに食い込むほどで、まるで自分を戒めているかのようであった。
メグミさん……あんたって人はぁ。
なんて、なんていい人なんだ!
心中で葛藤に葛藤を積み重ね、自分の欲望を自らの内に押し込み、少女たちの笑顔のために身を引くだなんて、並の人間にはできないことだろう。
しかし彼女はできた。少女たちの二人っきりのお風呂の時間の邪魔をしないために身を引くことができたのだ。
ああそうだ阿呆だと思うだろう。そんな彼女の葛藤などわからないだろう。くだらないと笑うことだろう。
だが! わからなくていい理解しなくていい。むしろわかられてたまるか。
血の涙をも流しかねない彼女の心の中など、簡単にわかられてたまるかあ!
「では、さっきの話の続きでもしようかの」
俺が心の中でメグミさんのあまりに切ない覚悟に号泣していると、スミさんがそう言った。
「たしか……ユイちゃんはお孫さんではないと」
「引き取った、というお話でしたが」
俺とメグミさんが聞くと、スミさんはうむとうなずいた。
「そうじゃ。あの子はあたしの本当の孫ではない。あの子が三つのころかのう、あの子の母が事故で亡くなったんじゃ」
事故で、母親をか……。
「父親や親せきは?」
メグミさんがそう聞いた。
「母親に近しい親戚はいなかったし、遠縁の親せきはいても遠くで暮らしておった。そして父親は、わからんのじゃ」
「わからないんですか?」
「そうじゃ。といってもあの子の母親が遊び歩いていたわけではない。真面目ないい子じゃったよ」
「じゃあどうして?」
「大戦中にのう、ふらっと一人の人間の男がこの村にやってきた。ほれ、この村は国境に近いじゃろ? じゃからここは大戦中に一度、攻め込まれたことがある」
「え! そうだったんですか」
「そうじゃ。じゃがどこかの種族の正式な軍隊ではなかった。人間側の攻撃で土地を焼かれ、国を追われ、賊となってしまった亜人種の集まりじゃった。彼らは食べ物を求めあたしらの村を襲った。そこを救ってくれたのがその男じゃった。彼は十人ほどいた亜人種の賊たちを一人で撃退した。その男こそがユイちゃんの父親じゃ」
「どうしてその人がユイちゃんの父親だと?」
「ユイちゃんの母親自身がそう言っておったのじゃ。じゃからまあ、父親がわからないというより、父親の行方が分からないと言うのが正しいのかもしれんのう」
俺とユイは似た者同士かもしれない。両親のことに関しては。
「どこに行ったか、全くわからないのでしょうか?」
メグミさんがそう聞くと、スミさんはゆっくりうなずいた。
「全くわからんのじゃ。ある日消えたようにいなくなっておった。母親なら知っているかもしれなかったのじゃが、もうこの世にはおらんしのう」
俺はその見たこともない男の人に、ちょっとばかり怒りを覚えた。
身ごもらせといていなくなるとはどういう了見だ。責任感がないのか。
あるいはそれよりも重要なことがあったのか。なんだそれは。よっぽどのことじゃねえと俺はお前を殴るぞ。見たことない知らん人だが。
「うーむ、さすがにユウヤでも、ヒントが何一つないとなると見つけることは難しいだろうな」
ああそうか。ユウヤさんなら人探しはお手のものかもしれない。しかし手がかりが一つもないとなると困難だろう。
「別に今はもう探そうなどと思うてはおらんよ。村のみんながあの子を孫だと思って大事に思うているしのう。あの子が元気に育ってくれるなら、あたしらはそれでいい」
……たしかに元気に育つならそれが一番だ。怪我もなく病気もなく、優しい村の人たちに囲まれて育つ。とてもいいことだ。
でも、でもさあ。
「でもスミさん。親がいなくてもいいかどうかを決めるのはあなた方じゃない。ユイちゃんです」
「ソウマ君、いきなりどうした?」
メグミさんが怪訝そうな顔をして聞いてくるが、俺の言葉は止まらない。
「子どもは親を選べません。でも親に、一緒にいてほしいと願う権利はあるはずです。ユイちゃんは言いませんでしたか。自分のお父さんはどこだって。もしも、一度でもユイちゃんがそう言ったことがあるのなら、あなた方は諦めるべきではなかった。どんな手段を使ってでも、この世界にたった一人しかいないあの子の父親を探すべきだった。あの子が父親に会いたがっているのなら、会わせてあげなきゃいけないわけで――」
「ソウマ君。そこまでにしておきなさい。ついさっき事情を知った私たちが、軽々に言っていいことではないよ」
メグミさんに制されて、俺は椅子に座りなおした。知らない間に立ち上がっていたようだ。
「村の方たちだって諦めたくて諦めたわけじゃないと思う。ただ、現実的な判断をしたんだ」
きっと、そうなのだろう。
今話を聞いたばかりの俺ですら思うことを、ユイのことを心から大事に思っている人たちが考えていないわけない。
でもみんな、大人だから。
現実的な判断ができる大人だから。
行方不明の人間を探すことよりも、ユイに自分たちで愛情を注いで育てることにしたのだ。
俺は結局子どもなんだ。
理想論を振りかざして、知った気になるただの子どもなんだ。
「ただ、君のいうことは間違ってはいないな」
そう言うとメグミさんは、着ている上着からおもむろに手帳とペンを取り出しどこかの電話番号を書いて、そしてそれをちぎりスミさんに渡した。
「もしもあの子が本当にお父さんに会いたいと願ったなら、ここに連絡してください。羽佐間ユウヤという男が電話に出ますので、彼に事情を説明してください。時間はかかるかもしれませんが、きっと力になってくれます」
「メグミさん……どうして?」
「私には少々大人になりきれないところがあってね。理想論が好きなのだよ。いいじゃないか、行方不明の父親と娘との再会。実に現実的でなく、そして実に理想的だ」
「……あんたらは、やっぱりヒナミちゃんの知り合いじゃのう」
スミさんは深く息を吐いて、納得したようにそう言った。
ヒナミとユイが風呂からあがってきたので、メグミさん、スミさん、そして俺の順で風呂に入った。
俺が風呂からあがってくると、女性陣四名が台所の隣にある部屋で布団を敷いて、その上で和やかな談笑をしていた。
「あ、ソウマ。あがりましたか」
「おにいちゃん、おかえり!」
「うん、ただいま」
「さて、ユイちゃん。もう遅い時間じゃ。そろそろ寝ようかの」
「えー、やーだ。もっとおねえちゃんたちとおはなししたい」
「じゃあ、ユイちゃん。わたしと一緒のお布団に入って、電気を消して、そこでお話ししましょうか」
「な、なな、なんだったらわわ私も一緒に寝てあげようか? ふ、布団をくっつければできそうだぞ? ど、ど、どどどうする?」
「うん! みんなでいっしょにねよう!」
そ、そ、そのみんなに僕は、僕は含まれていますか⁉
「ソウマ君の布団は二階に用意してあるからの。ゆっくり休んでおくれ」
「はい……ありがとうございます。ではみなさん、おやすみなさい」
そう言って俺は一人、とぼとぼと二階に上がっていった。
二階に上がると右側にドアが一つあった。俺に布団が用意されているのはこの部屋だろう。
ドアを開けると、中には本棚や勉強机があり、部屋の真ん中に布団が一つあった。
この部屋は、スミさんのお子さんかお孫さんが使っていたものだろうか。
特にすることもなく、俺は布団で横になった。
すると階下からひそひそと楽しげな会話が聞こえてきた。
俺は枕を熱い水で濡らしながら、どうにか眠りについた。