俺、幼女の笑顔は犠牲にできないんで
「ここが、ボッカ村か」
「ああ。ここが、ヒナミちゃんが生まれ育った場所だ」
「…………」
歓迎会から三日後。
俺たちはリェース皇国につながる地下道に向かうため、そこから最も近い村、ボッカ村に来ていた。
午後一時にヒナミの部屋を出て、電車に揺られ、バスに揺られることおよそ五時間。疲れた。
夏のため日はまだ高く、村の様子ははっきりわかる。
ボッカ村はほのぼのというか、穏やかな雰囲気が漂うところだった。
通りはコンクリで固められていない土の道で、木造の家が立ち並ぶ。家々の間には畑があり、ナスやトマト、キュウリといったこの時期にふさわしい夏野菜が青々とした葉を茂らせていた。
通りを歩く人は少なく、ときおり荷車を引いたヤギや馬を連れて歩く人が通るくらいだ。
郊外にあるこの村にはまだ、科学技術が普及していないようだ。
ここは、ヒナミが生まれ育った場所であり、ヒナミの両親が診療所を営んでいた場所である。
そして、ヒナミに両親の死が告げられた場所でもある。
ヒナミの目は、ただまっすぐ村を見ている。
ヒナミはバス停でバスを降りてから、口数がだいぶ少なくなっていた。何か思うところがあるのだろうが、それは他人が容易に踏み込んでいいものではない。
人には人の事情がある。あと、人には人の乳酸菌もある。
「ヒナミちゃん。生家を、見に行くかい?」
しかしそこに踏み込める人もいる。
ただ単に人の気持ちがわからない人か、踏み込まれても許されるほどに親しい人。
メグミさんは後者だ。
「いえ、大丈夫です」
「そうか」
「それよりも、どこかで夕食を食べた後一休みして、それから地下道に向かいましょう」
ヒナミはそう言って、歩き出した。
「あんれま、ヒナミちゃん?」
すると、道ですれ違った八十代くらいのおばあさんがヒナミに話しかけてきた。
「あ、スミさん?」
「やっぱりヒナミちゃんじゃわあ。ひさしぶりじゃのう。二か月ぶりかい? あらあらおおきゅうなって。あ、そうだ。うちでご飯食べていきんしゃい。あら、そちらはお友だちの方? いつもこの子がどうも~。これからも仲良くしてくださいね。そうだ、お友だちも一緒にご飯食べていくでしょ~」
「おひさしぶりです。あ、あのスミさん。えっと……」
「ちょっとみんなー! ヒナミちゃんが来とっけたよー!」
立て板に水の勢いでしゃべるおばあさん、スミさんが大きな声で言うと通りの家からぞくぞくと村の方が出てきた。
「おお、ヒナミちゃん! 元気しとるか! 大きくなったな!」
「ヒナミちゃんこんにちは。ご飯しっかり食べとるかい? もっと大きくならんと」
「この間作っとくれたお漬け物、いい味になっとるわ~。ありがとね~。それにしてもまたおおきゅうなったの~」
「み、みなさんもお元気そうで。よかったです。えっと……二か月前にお会いしましたよね? わたしそこまで大きくはなっていないと思いますけど……」
家から出てきた人たちは、ほとんどが七十を超えたように思われるお年寄りの方々だった。
ヒナミに話しかける人たちはみんな笑顔で、心からヒナミに会えたことを喜んでいるようだった。
あとたぶん大きくなったのは背じゃないと思うぞ。いや、二か月前がどんなんか知らんし測ったわけじゃないから何とも言えないけど。
「ヒナミおねえちゃん!」
すると、村人の方々の足の間から幼い女の子が飛び出してきた。
「あら、ユイちゃん!」
ヒナミがしゃがんで両手を広げると、女の子はぱあっと顔を輝かせてヒナミの胸に飛び込んでいった。
「ユイちゃん、こんにちは」
「こんにちは、おねえちゃん!」
抱き合う二人は、本当の姉妹のようだった。
「ヒナミ、その子は?」
「この村で生まれた、羽見ユイちゃんです。ユイちゃん、ご挨拶できますか?」
「うん!」
その女の子、ユイは元気に返事した後俺とメグミさんに体を向けた。
「えっと、わたしの名まえは、羽見ユイ、です。九才です」
「お、よく言えました。ユイちゃんか。いい名前だな」
「えっへへー」
メグミさんはユイの頭をなでながら言った。えっ、メグミさんそんなことできるんだ!
ユイは頭をなでられて嬉しそうにはにかんでいた。
「私の名前は城之崎メグミだ」
「メグミおねえさん?」
「ああ、そうだ。ほらソウマ君、君も」
メグミさんにそう促されたので、俺も自己紹介をすることにした。
「俺の名前は依上ソウマ。よろしくね、ユイちゃん」
「ソウマおにいちゃん?」
はぐっ、な、何だこの衝撃は! ちっちゃい女の子に『おにいちゃん』と呼ばれることがこんなにも衝撃的だとは!
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせ深呼吸をし、冷静になることができた。
ふう……危なかった。俺がもし妹とかロリとかに目覚めていたら、白目をむいて気絶してこの子を怖がらせていたことだろう。
だが俺はそっち方面に目覚めてはいないので、ちょっと嬉しいな、かわいいな、もう俺の妹になっちゃえよ、というかお持ち帰りしたいんだけどお問い合わせはどちらまで? くらいしか思わなかった。危なかった。
「あれ?」
ユイは首をかしげて俺の顔をまじまじと見てきた。
「どうしたの?」
「おにいちゃん、依上っていうの? おねえちゃんと同じみょうじ?」
「うん、そうだけど……」
そうだけどっていうかそうじゃないんだけど……。
「ヒナミおねえちゃん」
すると今度はヒナミのほうを見て、言った。
爆弾のような一言を。
「けっこんしたの?」
「「「はあ!?」」」
俺とヒナミとメグミさんが同時に声を上げた。
「ヒナミちゃん結婚したんかい!」
「早く言いなさいよー」
「君、ヒナミちゃんをしっかり頼むぞ」
「子どもはいつなの?」
「式はいつ挙げるんじゃ?」
「そんなことより、祝ってやらんと」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「ご結婚おめでとう!」
周りで話を聞いていたお年寄りの方々が、口々に祝福の声を上げていた。
「ち、違いますみなさん! ソウマは弟です!」
真っ赤な顔でヒナミは叫んでいた。
「なんじゃ、弟?」
「むこうに越してからできたのかい?」
「先生方もまだまだ元気じゃのう」
「そう言われたらどことなく面影があるわい」
「そうじゃ、ヒナミちゃん。お父さんとお母さんは元気かの?」
「先生方が引っ越してから、わしらさびしくての。たまには顔を見せてくれと、そう伝えておいてくれんかの?」
「はい……ちゃんと、伝えておきますね」
そう言うヒナミは笑顔だったが、どこか無理のある笑顔に見えたのは気のせいだろうか。
というか、引っ越した? ヒナミの両親が?
「ねえねえおねえちゃん」
するとユイがヒナミの手をくいくいと引いた。
「ん? どうしましたか?」
「今日は、ユイのところにおとまりしにきて」
「えっと……それは」
ヒナミは困ったようにメグミさんを見た。
本来ならば、この後地下道に行く予定だ。この村で一晩泊まるのは予定にない。
「どうします? メグミさん」
「どうしますって……それは」
俺とメグミさんは小声で相談した。
「おねえちゃん、いっしょにごはんたべよ? おふろはいろ? いっしょのおふとんでいっしょにねよ?」
「メグミさん、世界を平和にするのに幼女の笑顔を犠牲にしていいんですか?」
「君、それはもう相談ではないだろう……主張じゃないか。というか幼女って……」
「うーん、えっとねユイちゃん。このあと実は予定があって」
「だめ……なの?」
しゅんとうなだれたユイの姿が、俺とメグミさんに決断させた。
「ヒナミ。一晩くらいいいだろ」
「ヒナミちゃん。一度体を休めてから向かっても、遅くないんじゃないか?」
「え、二人とも?」
「いいの? おねえさん、おにいちゃん」
「ああ、いいとも。ヒナミお姉ちゃんと、たくさんお話をするといい。ただし、明日には私たちはこの村を出発するよ。それでも、いいかな?」
「うん! ありがとう、おねえさん!」
「ぐはっは! な、何だこの気持ちは。ち、違うんだ! 私はヒナミちゃん一筋なんだ。これは違う。違うんだ……」
ユイのキラキラした笑顔がメグミさんの心を貫いた。こうかはばつぐんだ! メグミさん、ゲットされてしまったな。
「じゃあこっち! こっちだよ!」
「あ、ちょっと待ってユイちゃん、引っ張らないで! あ、あのみなさん、また!」
「またねえヒナミちゃん」
「今度は旦那さん連れて来るんだよお」
ユイに手を引っ張られ、ヒナミは行ってしまった。
「あ、俺たちどうすれば……」
ヒナミとユイは、ユイの家に行ったのだろうがそこがどこだかわからない。
「あたしが案内するよ」
そう言ったのはヒナミに最初に声をかけたおばあさん、スミさんだった。
「あたしは羽見スミ。ユイちゃんと一緒に住んでいるんじゃよ。では案内するから、ついてきんしゃい」