俺、純潔捨てる覚悟決めるんで
「ようこそ、内東ソウマさん! アーデル王国へ! わたしたちの世界へ!」
チン、とコップを当てた音が鈴のように部屋に響いた。
「なるほどね。一か月前できなかったってのはこのことか」
「はい! どうしても出発する前にしたかったんです」
ヒナミは太陽のような笑顔で言った。
「ソウマの、歓迎会を!」
一か月前、ヒナミは俺の歓迎会を開こうとしてくれた。
しかし獣人種との一件があったせいで、うやむやになってしまっていたのだ。
「さあ、どんどん食べてください。長い旅になるんですから体力をつけないと。さあ、メグミさんも」
「ありがとう、ヒナミ。いただきます」
「では私も。いただきます」
部屋の中央にある丸机には、豪華な料理が数多く並んでいた。
一か月前と同じシチューにミートパイ、グラタンにピザ、それに前回はなかったローストビーフに……えっと。
「ヒナミ、これは何? これもパイ? グラタン?」
それは丸い形でチーズの匂いがする料理だった。
「キッシュです」
「キッシュ?」
もう見た目ではパイとどう違うのかまったくわからない。どのくらい見分けがつかないかと言うと、ヤングバックスくらいわからない。なんならヤングバックスのほうがまだわかる。もみあげの濃さでわかる。
「んじゃ、食べてみようかな」
「じゃあ切り分けますね」
ヒナミはキッシュを三角形に切って、俺の皿にのせてくれた。
「ありがとう。では、あむ……ん!? なんだこれ!?」
「え……もしかして、おいしくなか――」
「超うめえ! まじか! おいまじか! ヒナミあんたすげえなおい! いやもう一回言わせてくれ。ヒナミすげえな!」
パイともグラタンとも違うなんかよくわからんがとにかくうまい。やばい。
「そ、そうですか。よかった、喜んでくれて」
ヒナミはほっとしたように微笑んだ。
「はっはっはっ! いい食いっぷりじゃないか。さすが男の子だ!」
メグミさんはお酒の入ったグラスを片手に笑っていた。
「ヒナミちゃんも食べなよ。早くしないと無くなっちゃうよ」
「そうですね」
そう言ってヒナミもメグミさんも食べ始めた。
「うん、上手にできました~おいしい~」
「ヒナミちゃんの料理はいつもうまいが、今日は格別だな」
「腕によりをかけましたから、そう言ってもらえると嬉しいです」
ヒナミはメグミさんのほうを見て話しながら、机の上のグラスに手を伸ばし、一口飲んだ。
「あ、待ってヒナミちゃん! それは私のお酒――」
ひっく。
メグミさんが慌てた様子でヒナミを止めようとするのと、かわいらしいしゃっくりが部屋に響いたのは同時だった。
「あ~しまった……」
「ど、どうしたんですか?」
俺はうなだれてしまったメグミさんに聞いた。
「実はね、ヒナミちゃんはお酒にものすごく弱いんだ。一口飲んだらもうアウト」
「へえ、そうなんですか。でもそこまで慌てるようなことじゃ……」
ヒナミは今、なんだかうつろな表情でぼんやりとしている。
「もう一つあるんだ。ヒナミちゃんは酔うとものすごくからんでくるんだ。正直私でも耐えられるかどうかというくらいに」
あのヒナミ大好き人間が耐えられないくらいですと!?
「え、それって結構やばいんじゃ……」
「メ~グ~ミ~さ~んっ!」
突然、ぼーっとしていたヒナミがメグミさんに向かって、まぶしいほどの満面の笑みで勢いよく飛びかかった。
「うぎゃっ!」
メグミさんはヒナミを受け止めきれず、そのままヒナミごと床に倒れた。
ヒナミがメグミさんに覆いかぶさるような形になっている。
「メグミさ~ん、メグミお姉ちゃ~ん、好き好き大好きー!」
ヒナミはメグミさんの首元に腕を回して抱き着いて、メグミさんのほほに頬ずりをしていた。
「うっひょ~ご褒美だ~死ぬ~幸せすぎて死ぬ~だめ~耐えられない!」
おいこら。
「耐えられないくらいってさっき言ったじゃないですか。なに普通に喜んでるんですか」
「この幸せに耐えきれなくなって、私の精神がおかしくなってしまうという意味だ。だから私はヒナミちゃんにお酒を飲ませたくなかったんだ。自分がだめになることがわかっているからな! でももうだめだ~これはもう抜けられない~あはぁ」
「お姉ちゃ~ん、メグミお姉ちゃ~ん! あはっ、いい匂いする~。わたしの~わったしだけの~メグミお姉ちゃ~ん!」
ふむ……悪くないな。
俺はしばらく百合百合しい光景を眺めながら、キッシュを食べていた。うめえ。
「あ、メグミお姉ちゃんのかわいいお耳みつけた~たべちゃえ~はむっ」
「はう、ほっ! うほほはあはあはは~!」
メグミさんは悦びの声を上げていた。ってか近所迷惑だ。
「あふっ、ああぁぁぁ、ソ、ソウマく、んっ」
「ん? なんですか?」
メグミさんはヒナミに抱きつかれて、耳をなめられたまま俺のほうを見てきた。
「ざん、念だが、私はどうやら、はうんっ! こ、ここまでのようだ。ヒナミちゃんのっ、魅力が強すぎる。はあ……はあ、私は、もうすぐ、落ちはあうはあうんんんっ! あっ、んああ、あと、は、た、のん、だ……っっっ!」
そう言い終わった瞬間、メグミさんはビクビクッっと痙攣したかのようにのけぞり、そのあと全身から力が抜けたようにくたっとなった。っておいまじかよ。
メグミさんの表情は……いや、細かい描写はしない方がメグミさんのためだ。もうこれ絶対放送できないだろ。恍惚とか超えてる。イラスト化もあやしいレベル。
「あれ~? お姉ちゃん寝ちゃった」
む~、と不満そうにうなると、ヒナミは赤い顔で目を半開きにして周りをきょろきょろしていた。
そして俺と目が合った。……合ってしまった。
「あ~ソウちゃんみ~つっけた~」
あらやだ見つかっちゃった! ってかソウちゃん!? 誰!?
ヒナミはにへらっとだらしのない笑みを浮かべると、四つん這いで机をまわりこんで俺のほうにやってきた。
「ま、待て。お、俺は男だから。くっつくのとかそういうのは」
「いまさらなによ~わたしのおっぱいもんだりかいだりしたくせに~」
「あ、あれは事故だ!」
「じゃあ~これもじこ~!」
ヒナミはメグミさんにしたように、俺に飛びついてきた。
「ほ、ほわああ!? う、ううおういおいおい!」
ヒナミは馬乗りのような形で俺に覆いかぶさって、俺の頭を両腕で抱え込んできた。まあつまり両腕で頭を抱え込まれるということは必然的に顔が胸元に行くわけでということは俺の顔がヒナミの大きなメロンに押し付けられるということで、って。
「ちょおいちょいちょい! 当たってる当たってるうわ柔らけやっべ、じゃなくて! うっぷ息ができなっ!? もごもごもご!」
「ソウちゃん、ソウちゃん、ソウちゃ~ん! わったしの弟ソウちゃ~ん!」
「むごぐっ、ぷはっ! なに弟!? それは設定だ! 俺はヒナミの弟じゃない! だから離してまじでお願い元気になっちゃうからいろんなとこが!」
俺がそう言うと、ヒナミは俺の頭を離して上体を上げた。
よ、よかった。解放された。あ、でも馬乗りなのは変わらないんだ。
「なんでそんなこというの?」
ぽたりと、俺の額に水滴が落ちてきた。
「え、あの、ヒナミさん?」
「弟じゃないなんて……なんでそんなこというの?」
俺に馬乗りになっているヒナミの目から、大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。
「ひぐっ、ソウちゃんはっわたしのことが、お姉ちゃんのことがきらい? だから弟じゃないなんていうの?」
「い、いやあの、えっと……」
「えぐっいやだよ……きらいにならないでよ。ぐすっわたしたち姉弟でしょ。メグミお姉ちゃんもいれて、三人家族でしょ。ずっと、ずっとずっといっしょにいようよ……もうだれとも、離れ離れになんてなりたくないよ!」
ヒナミは両手で目をこすりながらしゃくりあげて泣いている。
嗚咽交じりにわんわんと泣いている女の子の発言を、それでも否定しようなんて、そんなの思えるはずがなかった。
「あ、あの、ごめん……なさい。ね、姉さん。お、俺は姉さんのこと嫌いじゃないよ」
「じゃあ……すき?」
「っっっ! あ、ええっとその」
「や、やっぱり……ぐすっ、きらいなんだ」
「いやいやいやいや!」
「じゃあ……どうなの?」
「ま、まあ……その、好き、ですよ」
「じゃあちゅーして」
「ちっ……ちゅーですと!?」
ちゅーってあのちゅーか!? ってかどのちゅーだ! てめーどこちゅーだ!?
「姉弟ならふつうだもん。ほら、すきならちゅーして」
ヒナミはそう言うと、目を閉じて、顔を近づけてきた。
う、うわうわわわどうすんだよ! どうすんだよ! ってかこの状況なに!? 俺なんかした!? 前世か! 前世でなんかしちまったのか、俺!
考えている間にも、徐々に顔が下りてくる。
こ、こうなったらするしかないのか……。
覚悟を決めろ、内東想真十七歳! 据え膳食わぬはなんとやら!
俺は意を決して目を閉じた。
さあ、いつでもこい!
しかし胸に軽い衝撃があっただけで、いつまでたっても唇に感触は来なかった。
あれ、どうなった?
俺は恐る恐る目を開いてみた。すると。
「くぅ……くぅ……」
俺の胸の上で寝息を立てているヒナミが見えた。
「ね、寝たのか……」
よ、よかった。いや馬乗りのままだからあまりよくないけど。俺動けないけど。でも危なかった。もう少しで一線超えるところだった。
それにしても、さっきのヒナミ。
『もうだれとも、離れ離れになんてなりたくないよ!』
……ヒナミもきっと、両親を亡くして寂しかったんだろう。家族を、求めていたんだろう。それこそ俺とメグミさんを、弟と姉にしてしまうくらいに。
周りに心配かけないように、寂しそうなそぶりを一つも見せないくせに、心の中ではやっぱり家族を失った悲しさや寂しさを抱えている。
俺はこの子の優しさに、なぜか涙が出そうになった。
せめて何かさせてほしいと思い俺は一晩中、俺の上で寝ている、強くて優しくて、少し悲しい女の子の頭を、なで続けた。
「んあ? まぶしい……」
俺の顔に日光が突き刺さってきて、俺は目を覚ました。
いつの間に寝ちゃったのかな? たしか昨夜はヒナミの頭をなで続けていて……ああ、そのまま寝落ちしたのか。
体を起こして部屋を見回すと、キッチンで片づけをしているヒナミが見えた。メグミさんはいなかった。復活して帰ったのかな?
「おはよう、ヒナミ」
「あ、お、おはようございます……」
ヒナミの酔いはもう醒めているようだ。
「メグミさんはもう帰ったんだな」
「え、ええ、ついさっきです」
「そうか。ところで、昨日の夜のこと覚えてる?」
「い、いえ、いえいえ全然全然! まったくこれっぽっちも!」
まあ酔っていたし、そりゃそうか。
「そっか。いや覚えてなくても別にいいんだ」
むしろ覚えていられたら困る。
「ああそうだ。改めて昨日はありがとう」
「いえいえ。でもあまり歓迎会らしくなかったかも……」
「そんなことないよ。料理美味かったし。そう、キッシュだよ。あれは美味かった」
「き、キッスが上手かった!? 嘘……わたし本当に……」
「うん。キッシュ美味かった」
「あ、キッシュですか。あ、ありがとうございます」
「ん? なんか様子がおかしいけど、大丈夫か?」
顔も少し赤いし、まだ酔っているのか?
「い、いえなんでもないです。大丈夫です」
「そうか? ならいいんだが」
「そんなことより、昨夜の残りがあるので、朝食はそれを食べちゃってください」
「ん、わかった」
さて、今日明日で体調を整えておいて、旅に備えるか。
そういやヒナミが今朝俺の上で目を覚ましたとき、どんな反応をしたのかな。
想像すると、ちょっと楽しい。




