俺、女の子の涙は見たくないんで
「母さん……? なあ……。しっかりしろよ!」
「ごめんね、想真。独りにさせちゃうね……。ごめんね」
母さんはそう言って、薄い微笑みを浮かべた。
「そんなこと言うなよ! そんなこと……言わないで」
「ねえ想真。お母さんは幸せだよ。想真がこんなに大きくなってくれて……嬉しい。とっても嬉しい。ありがとうね」
「母さん……。ぐっ……。ああっ……!」
「泣かないで、ねっ。最期はあなたの笑顔が見たいな」
「これからいくらでも見りゃいいじゃねえかよ! だから……だから最期なんて言うんじゃねえよ、母さん! 母さん……? 母さん……!」
「母さん!」
「きゃあ‼」
ん? 知らない天丼だ。天井な。
なんてふざけている場合ではない。まじで知らない部屋だ。事態が飲み込めん。
それになんだか記憶があやふやだ。自分の部屋で目を覚ましたことは覚えているんだが、そこから今につながらない。
とりあえず状況を確認してみよう。
どうやら俺は今、寝かされているらしい。やたらピンクピンクした女の子っぽい布団だ。ちょっと高さがあるからこりゃベッドだな。
体を起こして周りを見てみる。
部屋全体の雰囲気も女の子っぽい。それ何に使うんだよ? っていう小物とか置いてあるし。判断基準が偏見すぎる。
そうして部屋を見回していると、しりもちをついている知らない女の子と目が合った。
それにしても、『しりもち』という言葉を考えた人は尻大好き人間だと俺は思う。だってさ、尻が餅みたいにもっちもちってことでしょうよ! しかも『しりもち』を『つく』んですよ! ぺったんぺったんと。そこんとこどうなってんだ! すいません、なんでもないです。あ、はいお薬ははい、朝食の時に、はい。ですから黄色い救急車を呼ばないで!
「び、びっくりしました。急に大声を出すから」
そう言いながら女の子はベッドのそばに座りなおす。
「ああ、ごめん。ちょっと夢を見ていたから」
「お母さんの、ですか?」
「まあ、うん」
てか、普通に会話してるけどこの子誰だ?
肩まであるふんわりとした栗毛の髪とたれ目から、ふんわりほんわかおっとりぽやぽやした印象を受ける。ちなみにかわいい。
一部女性らしい部分が大きいが全体的に細身な子だ。
待てよ……?
知らない女の子が俺の寝ているそばにいて、俺は多分この子のものであろうベッドの上?
まさか……!
「なんてこった! 俺は君と一夜を共にしちまったのか! くっそ、初めてだったのに! まったく覚えてない……」
ちくしょう、初めては亜人種に捧げるはずだったのに……。僕汚れちゃった、汚されちゃった……。しかも覚えてないなんて。
「ちっ、違います!」
と言って放ってきたパンチが鼻先を過ぎる。
「うわ! あっぶね!」
当たってたらまじで気失ってたぞ、今の。
あれ? なんか最近似たようなことが。
あ、思い出した。
異世界だひゃっはーってテンション上がって自分の部屋のタンスに飛び込んでなんかやわらかいものに受け止められて、それで。
この子に殴られて気を失ったのか……。男ノしてしまうとか、ハルク・ホーガンもびっくりだぜ。
でも殴られる覚えなんて……。
あ、もしかして。
あのやわらかいものって……。
思い当たる節があるのでその子の胸を見た。ほかの部分が細いので余計強調されてしまっている。
するとその子は顔を真っ赤にして胸を両腕で隠した。
うわ、超にらんできてる。
「いやまあそのなんつうか、わざとじゃないんだよ。まさか女性の胸だとは思わなくて。すぐに顔を上げればよかったんだけど、やわらかいなあ、いい匂いだなって思ってよ。顔を離すのが惜しかったんだ。いや君いいもの持ってるよ、うん。あとは、その……。なんだ。ありがとう?」
「どうして謝罪の言葉が一つも出てこないんですか! なんですかありがとうって! それに、い、い、いい匂いとか! ふざけてるんですか!」
「まあまあ落ち着けよ。怒ったって何も始まらないぜ。だいたい俺と君は初対面だろ? 先に名前を言うのが礼儀じゃねぇの?」
「あ、その、すみません……。わたしは依上ヒナミと言います。……って何目線なんですか! どんな立場から言ってるんですか!」
「俺は内東想真。よろしく、ヒナミ」
「よろしくお願いします、ソウマさん。……そうじゃないんです!」
……この子はアホの子なのだろうか。扱いやすいけど逆に心配だ。危なっかしいな、悪い人に振り回されそうだ。ホント、気を付けてほしいものである。
「いきなり人のタンスから飛び出してきて押し倒してきて謝罪の一言もないなんて。それにいつの間に忍び込んだんですか。まったく……」
なんだかブツブツつぶやいているがこの子、ヒナミは気になることを一つ言った。
タンスから飛び出してきた?
俺が自分の部屋のタンスに飛び込んだらヒナミのタンスから出てきた。
つまり俺のタンスとこの子のタンスがつながったっていうことか?
「なあちょっと。俺はタンスから出てきたのか?」
「自分がしたことのくせになにを」
「いいから」
おっと、つい口調がきつくなってしまった。
「ひっ! そんな……。絶対わたし悪くないのに、なんで、怒られなきゃ……」
ヒナミはそう言うと、すこし涙ぐんでしまった。
……なんかまあ、俺も焦ってしまっていたのかもしれない。なんてったって、異世界に来てしまったのかもしれないのだ。
ふう、少し冷静になろうか、俺。
いくら焦っててもさ、なんていうかさ、こんなふうに女の子泣かすのはちょっと違う気がする。
いくらこの子が亜人種じゃないただのノーマル人間だからって、女の子の涙は見たくない。
だいたい俺は女の子が悲しくて流す涙は苦手なのだ。だから俺はDVDも、無理矢理系ではなく、仲良し一緒に楽しく系を借り――ってうわ何言おうとしてんだ俺は! いかん、まだ焦っているようだ。
落ち着くために深呼吸をしよう。すう……はあ……。よし、落ち着いた。
深呼吸をして冷静になって気がついたんだが、ヒナミはとても優しい女の子なのではないだろうか。
いきなり変態的行為をかました俺を、いくら自分が気絶させたとはいえベッドに寝かしてくれたのだ。あの細腕で気を失った男を運ぶなんて、なかなかの重労働だろう。
「いや、違うんだ。怒ってない。つい言い方がきつくなってしまった。ごめん……。君は全く悪くない。悪いのは全部俺だった。……本当にごめんなさい。無自覚だったとはいえ君を押し倒す形になってしまった。それに勢いよくぶつかったはずだ。怪我はないか?」
「え……? い、いえ、怪我は何も……」
「そうか、よかった。それと、ありがとう。気を失った俺を看てくれて」
「いえ、そんな。わたしこそ、殴ったりしてごめんなさい……」
「いや、殴ったことは間違っていない。むしろあんな変態殴るべきだ。俺でも多分殴る」
変態とか社会の敵だ。駆逐してやる!
「なんですか、それ。もう、おかしな人……。ふふ……。ふふふっ」
ヒナミの笑顔を、俺はこの時初めて見た。
それはまるで癒しという言葉がそのまま具現化したような。そんな、温もりのある笑顔。
やばい……。なんか、胸が苦しい。
……いや待て違うこれはそういうんじゃない。俺はエルフとか獣人とかが好きなのであって普通の人間とか興味なくて本当にまじで気の迷いなのであって。
このままだとアイデンティティクライシスなので話を戻す。
「それで、さっきの話なんだが。俺は君のタンスから出てきたんだな?」
「はい。私が着替えを取ろうとしてタンスの戸を開けた途端にあなたが、ソウマさんが、ソウマが出てきて。そ、それで、押し倒されて」
「本当にごめんなさい」
「さっき謝ってくれたのでもう怒ってませんから。大丈夫です」
なんなのこの子? 天使? 優しすぎるでしょうよ。
「それよりも説明をしてください。どうしてわたしのタンスから、ソウマが出てきたのか。場合によっては、王国軍に連絡を……」
「正直に話すのでそれだけは勘弁してくださいお願いします」
まあ普通、変質者が部屋にいる時点で連絡するけどな。どんな説明をされようが変態は変態だ。
でも、ヒナミは俺が寝ている間に連絡できただろうにしなかった。優しいのか、アホなのか……。不思議な子だ。
「じゃあ今から正直に話すから、どうか信じてくれ」
そして俺は自分の部屋で起こったことを話した。
タンスの奥に暗闇があって、そこに飛び込んだらここに来たということを。
そして、俺がおそらく異世界に来たんだということを。