俺、まだ諦めたくないんで
「傷口は……? は、早く傷口を見つけてし、止血しなきゃ……」
ヒナミは俺の服をまくって、傷口の治療をしようとしているようだった。
無駄だよヒナミ。人間普通心臓蹴破られたら死ぬから。
逃げろよ。そんなことしている間に。俺なんかにかまっている間に。自分が危険なのは変わっていないってことに気が付いていないのか? いや、たぶんこいつは、気がついていようがいまいが同じことをするだろう。そういうやつだ。
……そういやこんな子、元の世界には、少なくとも俺が知っている中にはいなかったな。クラスメイトにも、近所にも。
こんな子がいたら、俺の人生もうちょっとましになってたかもな。できれば幼なじみか、委員長ポジション希望。
こんな子を、見殺しにするのか?
仕方ないじゃないか。もう俺は殺されたんだから。
諦めるのか? 後悔したまま死ぬのか?
だってもう……こんなの、諦めるしか……。
そう思った瞬間、俺の脳内に、今まで見てきた『彼ら』の勇姿がいくつも浮かんできた。
自分より大きな体の相手に立ち向かう姿、人数的不利を意地ではねのけようと
する姿、強烈な大技をくらっても立ち上がる姿。
絶対に。
絶対に負けてたまるかと、諦めてたまるかと、立ち上がる姿。
これがいわゆる走馬燈か。初めて見た。そりゃそうか。
俺はこの走馬燈を見て、思い出した。
俺が憧れたあの人たちは、どんな状況でも諦めてなかった。
どんなに絶望的な状況でも、決して諦めなかった。
自分の力を信じて、何度も、何度も、立ち上がっていた。
俺はどうだ?
今の俺はどうだ?
こんなんじゃ、こんな簡単に諦めていたんじゃ、あの人たちには到底及ばないよな。
俺が憧れたあの人たちには、到底及ばない。
俺はまだ、三つめのカウントを聞きたくない! ギブアップもしたくない!
俺は、俺はまだ、諦めたくない!
「あれ……? 傷口が……」
それにしても周りの声がやたらクリアに聞こえる。ヒナミの声はもちろん、工場の屋根に当たる雨音さえも聞こえる。人間死んだら聴覚が最後まで残るとか言われてるらしいが、どうやら本当だったようだ。
「え? どういうこと……」
でも聴覚だけじゃないな。触覚もバリバリ冴えてる。ヒナミに体触られてる感覚がすごく伝わる。おうっふ……そこはだめっ。
つーか、意識そろそろ薄れろよ。映画とかドラマで『こいつ死ぬ間際のセリフくそ長えな』とか思うことあるじゃん。あんな感じになっちゃうから。『くどいんだよ。早く死ねよ』とか思われちゃうから。
「傷口が……無い⁉ いったいどういうことですか! ソウマ!」
「無いわけあるか。ちゃんと探せよ。胸のあたりだよ。あんだけ派手に蹴られたんだからえぐいやつあるだろ」
まったく人様の体まさぐっといて無いとか、何言っちゃってんだ。……って。
俺はカッと目を見開いて、上半身を跳ね起こした。
「おい俺しゃべれてんぞ! 目も見えるし、体動くし! はあ⁉」
おいこら異世界どういうことだ。
俺は自分の胸元に、シカ型に蹴られた部分に触れてみた。
シカ型の足サイズにくりぬかれたであろう俺の胸元は、服は破れていたが、それ以外は何もなかった。
確かに蹴られたはずなのに、蹴破られたはずなのに、傷一つなかった。
俺の様子に獣人種達もおかしく思ったのだろう。彼らは動揺しているようだった。
「銅言事ダ! 此奴ハ誰ダ! 其レ頼モ何故此奴ハ生キテイル!」
「俺ガ殺ル!」
すると今度は突然クマ型が突っ込んできた。
「ヒナミ! 離れてろ!」
ヒナミが少し俺から離れたと同時に、クマ型は俺の顔を思い切り殴りつけた。
ただ手を振り回すだけのパンチだったが、俺の首からはゴキリという嫌な音が聞こえ、俺はその場に倒れた。
しかし、まばたきをするかしないかのうちに首は元に戻り、また俺は立ちあがった。
なんだかよくわからないが、俺はまだ、ヒナミとメグミさんを助けることができるかもしれないってことか。
まだ、俺は終わりじゃない。
できることがある。
その事実が、俺を奮い立たせる。
俺はもう、あんな無力感を味わうのはまっぴらなんだよ!
俺はぐっと、自分の胸元に手を押しつけた。
母さん、俺に、力を貸してくれ。
「何何ダ……。オ前ハ、何何ダァァァ⁉」
クマ型が何かを叫んだかと思うと、今度はもう一度シカ型が同じように突っ込んできた。
さっきと同じケンカキック。
だが、素人同然のケンカキック。
黒の帝王とは比べ物にならないぜ。ガッデム!
そんなものを読んでよけることなど、俺にとっては造作もなかった。
俺はぎりぎりまで引きつけて蹴りをかわすと、軸足を水面蹴りで払った。
「グハッ……!」
シカ型はろくに受け身をとれずに背中から落ちた。頭と背中をしたたかに床に打ち付ける。
そして大の字になったシカ型の横に俺は背を向けて立っていた。
俺はその場で飛び上がって後方に二百七十度回転し、そのままシカ型を全体重をかけプレスした。
「ゴガハッ……」
シカ型は大きく息を吐いた後そのままのびてしまった。
「ソウマ……今のは一体?」
ヒナミは少し離れたところで驚いた顔をしていた。
「ムーンサルトプレス。その場飛びバージョン」
「ムーン……さる?」
「巫山戯ルナァァァッッッ!」
次はクマ型がやってきた。
やはりさっきと同じパンチ。
素人のパンチ。
そんなテレフォンパンチ、誰がくらうか。さっきは突然のことだったのでよけられなかっただけだ。なめるな。
俺はパンチをくぐるようにしてよけると、勢い余って俺の横を通り過ぎたクマ型の真後ろに立ち、その場で飛び上がり後頭部に向けて両足をそろえた蹴りをくらわした。
「ゥグ……」
クマ型はうめき声を上げてその場で膝をついた。
俺は前受け身をとって着地したあとすぐに起き上がり、膝をついているクマ型の胴体に両腕を回し、引っこ抜くようにして持ち上げた。
「何ヲ!」
クマ型は両手足をばたつかせてもがいたがもう遅い。
俺はクマ型を抱えたままブリッジをするようにして、クマ型を勢いよく後頭部から地面に落とした。
ズドンというすさまじい音がした。
「後頭部へのドロップキック、及びぶっこ抜き式ジャーマン・スープレックス」
そうつぶやきながら起き上がってクマ型を見ると、頭を押さえてうめいていたが、まだ立ち上がろうとしていた。
さすがクマ型、しぶといな。
俺はちょうど近くにあった脚立にクマ型が起き上がる前に急いで登り、天板の上でクマ型に背を向けて立ち、後方に離陸した。
そして空中で体を九十度後方に回転し、さらにそこで横に百八十度、縦に三百六十度同時に回転しクマ型をプレスした。
「ゴフッ!……ガアッ」
クマ型は今度こそ大の字になって動かなくなった。
「な、な、何ですか? 今の動き……」
「フェニックス・スプラッシュって言う技だ」
目を丸くして聞いてきたヒナミに俺はそう答えた。
ライオン型のほうを見ると、怒りと疑念が混じり合ったような複雑な表情をしていた。
「お前は何者ダ。その身体能力……とても人間とは思えン。俺たち獣人種が二人もやられるなど考えられん」
「俺は人間だよ。こんなのはただの技術だ。お前たちが持っていない技術だ」
「何?」
「だいたいお前らは、というか今の二人はまるで動きが素人だったぞ。力にものを言わせているだけの動きだった。はっきり言って雑魚だな」
そう。こいつらの動きは、スピードやパワーに騙されそうになるが、どれもこれも素人の動きだった。牽制も何もないキックに大振りのパンチ。それに、まともに頭から落ちるほど受け身が取れていない。
それに俺が一人を相手にしているとき、他のやつは誰も手を出そうとしてこなかった。連携が取れないのだろう。タッグマッチってのはかなり高度な技術が要求される。
彼らからは、技術の『ぎ』の字も感じられなかった。
きっと彼らは技術を磨く必要がなかったのだろう。元から持っている膂力だけで、それなりに強いから。だけどな。
「それなりの強さじゃ、俺には勝てないぜ」
「何だと……」
「お前はどうかな。お前はちゃんとした技術を、知っているのかな? ほらほらどうした? お仲間が二人もやられちゃったぜ? かかって来いよ。お前に俺の技ってやつを見せてやる」
「……黙レ愚図ガ! 殺ス! 殺シテ殺ル! 人間如キガ嘗メ腐リヤガッテェェェ!」
ライオン型は雄叫びを上げながら突進してきた。
確かにリーダー格なだけあって、さっきの二人と比べたらスピードが違う。
だがそれだけだ。
俺は、ライオン型に背を向け近くにあったドラム缶に向かって走り、それを足場に再びキャットウォークに戻った。
「逃げる気カ!」
そう言ってライオン型は、俺のいるキャットウォークの下に来た。
「逃げるわけないだろ! もう、俺は逃げない! 諦めない!」
俺はそう言って真下にいるライオン型に、ちょうどいい位置にいるライオン型に向かってキャットウォークから飛び降りた。
「ソ、ソウマ!」
「ナ、何ヲ⁉」
俺は空中で体を前方に二百七十度回転させ、背中からライオン型に体当たりをした。
「ガッ!」
自分の背よりも高い位置から、人間が勢いをつけて落ちてくるのだ。並大抵の衝撃ではない。ライオン型は受け止めきれず、背中から床に倒れた。
俺は受け身を取って背中から着地すると同時に、すばやく立ち上がった。
「ソ、ソウマ……」
ヒナミが心配そうな声色で俺の名前を呼んだ。
「ん? ああ、心配しなくていい。見た目は派手だけどちゃんと受け身を取れば大丈夫なんだ。セントーンって技は」
「セン……トーン?」
「セントーン。スペイン語で『しりもち』って意味だ」
まあ、俺の『しりもち(セントーン)』はもっちもちなどと言っていられる威力ではないがな。
ちなみの俺のセントーンは、まだまだ未熟だ。もっと美しい『スワントーン』になれるようになりたいものだ。何言ってるかわかんないか。
「ス、スぺ……? なんのことですか?」
「ク……疎ガ……」
声が聞こえた瞬間俺は、ヒナミのほうからライオン型のほうに目を向けた。
すると、ライオン型がまだ立ち上がろうとしていた。
「俺だって……諦めるわけにはいかんのダ」
そう言うライオン型の目は、まだまだ死んではいなかった。
「あの子たちのために! 俺はああアアァァァァァ!」
ライオン型は必死の形相で、俺に両手でつかみかかろうと突進してきた。
「お前にも、いろいろ事情とかがありそうだな。だけど……!」
俺は腰を落としただけでその両手をかわすと、ライオン型の手と足をクラッチし、突進してきた勢いを利用してライオン型を捕らえたまま後方にバク宙し、背中を床に叩きつけた。
変形のキャプチュードである。
「ガァッハッ……!」
ライオン型の口から空気が漏れた。
俺はそのまま足から着地し、上体だけを起こしているライオン型の正面に立った。
「俺は今、とても、怒っている」
左側頭部に蹴りを入れる。
「俺と亜人種との初対面をこんな形にしたこと」
右側頭部に蹴りを入れる。
「俺の憧れの存在のお前らがこんなしょうもないことをしていること」
脳天にかかと落としを決める。
「そして」
俺はライオン型の顔に狙いを定めた。
「ヒナミとメグミさんを、こんな目に合わせたことだー!」
叫ぶと同時に俺はライオン型の顔面にトラースキックを叩き込んだ。
パーンと乾いた音がして、ライオン型は仰向けに倒れこんだ。
※先に本文をお読みください。
このお話でソウマはクマ型の獣人種に『フェニックス・スプラッシュ』という技を出しました。この技は、2016年3月3日にくも膜下出血で現役のままこの世を去ったプロレスラー、ハヤブサの代名詞ともいえる技です。当初クマ型はジャーマン・スープレックスをくらって終わりのはずでした。ですが彼の訃報を聞いた僕はなんとしてでもソウマにフェニックス・スプラッシュをしてほしいと思い、クマ型との戦いのシーンを変えました。
僕はこのシーンを、迷惑かもしれませんが、いやきっと迷惑でしょうが、ハヤブサさんに捧げます。あなたの技は、一人の少年が、一人の少女を救うために使われました。
これを見てハヤブサというレスラーに興味を持った方は、ぜひ調べてみてください。彼の生きざまに感じるものがあると思います。