俺、もうこれ無理だと思うんで
どこだ……どこだ。
俺はアパートを出た後、とりあえずメグミさんが去っていった方角に向かっていた。
そういや戸締り忘れたな。でもそんなこと気にしている場合じゃない。
ってか北ってどっちだよ! なにが、『北の廃工場に向かって』だよ。かっこつけた表現使いやがってふざけんなよ。
俺の体を冷たい雨が濡らしていく。
焦りが俺の思考を徐々に支配していく。
「どこだよ、くそったれ……ん? あれは」
俺は暗がりの先に、赤い傘を見つけた。
「これは、ヒナミのっ!」
それはヒナミが出かけるときに持って行った傘だった。
「ここで、ヒナミが襲われたのか?」
そのとき、ダンッ! と大きな音が一つした。
「今の音は? もしかして」
俺はその音が聞こえた方に走り出した。
「ここか?」
その廃工場はかまぼこのような形をしており、学校の体育館のくらいの大きさで、周辺に民家はなかった。大きな音がしてもなかなか気づかれにくいかもしれない。俺が気付けたのは外にいて、さらにどんな情報も逃すまいと聴覚や視覚を集中させていたからかもしれない。つまり偶然とか奇跡に近い。
さて……まずは中を確認したいところだが、どうすっかな。見たところ窓が無いので中はよくわからない。
正面に大きな鉄の扉があり、それがおそらく入り口なのだろうが、さすがに真正面から行くわけにはいかない。
工場の周りをうろうろしていると、中二階くらいの高さに届くはしごが見えた。どうやら工場内のキャットウォークにつながっているようだ。
そのはしごを音がしないように上がると、工場の中に入ることができた。
外からは確認できなかったのだが、工場の中心に明かりが見えた。懐中電灯でも持ち込んでいるのだろうか?
工場の中には大きな機械などはなかったが稼働していた時の名残か、段ボールやドラム缶、脚立などが置かれていた。
キャットウォークを音がしないように歩いていくと、そこには五人分の人影が見えた。
目が慣れてくるとそれらの人影がよく見えるようになってきた。
一人はヒナミだ。やはりここで正解だったんだ。俺は内心ほっとした。ヒナミは地面に直接座っていた。
そしてヒナミの右前方に、両側から押さえつけられているメグミさんが見えた。押さえつけているのはどちらも屈強な男だ。メグミさんの前方にもう一人男が立っていた。
その男二人と、メグミさんの前方にいる男には共通点があった。
まず和服のようなものを着ている。服には詳しくないからはっきりとはわからないが。
それに長い髪と、腰のあたりから生えている尻尾、そして頭から角や獣耳が生えていた。
まちがいない。獣人種だ!
元の世界で蓄えた俺の中の獣耳フォルダによると、メグミさんの右にいるのは、大きな角が印象的なシカ型の獣人種だ。左にいるのは、一際大きな体と小さな耳のクマ型の獣人種。
そしてメグミさんを見下すように前方に立ち、腕を組んでいる男。とがった耳と立派なたてがみのような金色の髪を持つこの男は、ライオン型だろう。
まったく、初お目見えがこれとは。もっと違った形で見たかったぜ、本当に。
彼らの様子を見るとおそらく、ライオン型がリーダー的な存在なのだろう。
そのライオン型が口を開いた。
「王国軍内でも名のある隊員の城之崎メグミがこのざまカ」
その声は電話で聞いた声と同じようだった。
「はっ、人質取っといてよくもまあぬけぬけと」
おそらくメグミさんはこの工場に着いたものの、ヒナミが捕えられているため抵抗できず、そのまま今のように取り押さえられたのだろう。さっきの音は、床に押さえつけられた時の音かもしれない。ショットガンを持って行ったが、ヒナミがいる室内では使うことなどできなかっただろう。
「私を捕えて何が目的だ? 残念だがこの国は一人の隊員に金を積むような国じゃないぞ」
「そんなことはわかっていル。俺たちは、王国軍の人間を殺すこと自体を目的としている」
なんだって? そんなことに何の意味が……
「そんなことをして何の意味がある? あいにくだが私一人死んだところでこの国の防衛に影響はない」
メグミさんは俺が抱いた疑問と同じことを言った。
「意味はあるさ。俺たちは先日オスト地方の王国軍の施設を襲ったのだガ、失敗に終わってしまった」
やはり彼らがまだ見つかっていないテロリストのメンバーか。
「だがこのまま帰るわけにはいかないのダ。何の戦果も挙げずただ国に変えるわけには。それではあの子たちは救われなイ。そこで俺たちの仇である王国軍の人間か、もしくは関係者を探していた。王国軍の人間の首を持ち帰ると金が出るのダ。それをせめてもの足しとすル」
そしてヒナミが狙われたのか。いや、彼らに狙われたのはヒナミだけじゃないはずだ。携帯電話などから隊員への手がかりが見つかるまで、手当たり次第に人間を襲っていたのだろう。
そしてとうとうヒナミの携帯電話からメグミさんの名前を見つけたのだ。今の会話を聞くと、メグミさんは王国軍の中でも有名なようだから名前だけで分かったのだろう。
「……そういう行為が自分たちの国の人たちを、同じ獣人種の人たちを困らせているって、どうしてわからないんですか⁉」
二人の会話に集中していた俺は不意の発言に驚いた。
それは俺だけじゃなく、メグミさんやライオン型たちも一緒だったようだ。
「そういうことをする人がいるから、ほかの獣人種さんたちが、ほかの種族の方たちまでもが、偏見の目で見られるんじゃないですか!」
ここまでじっと座っていたヒナミが、突然立ち上がり、大声で話し始めた。
「あなたたちみたいなことをせずに、自分たちの国を復興させようとしている方たちはいっぱいいるんです! 平和な暮らしを取り戻そうと頑張っている方はいっぱいいるんです! それなのにあなたたちのやってることのせいで、アーデル国内の他種族へのイメージは悪くなる一方です! いいえ、もう底辺まで落ちています! あなたたちが本当に故郷のことを思っているのなら、その無駄に鍛えられた筋肉で、町の一つでも復興させてみたらどうなんですか⁉」
はあはあとヒナミは肩で息をしていた。
ヒナミは怒っている。
暴力という簡単な道に逃げた彼らに対して怒っているんだ。
するとメグミさんが血相を変えて叫んだ。
「やめるんだ! 刺激するようなことを言っちゃ¬――」
突然、クマ型がメグミさんの顔を殴った。うつ伏せになったままメグミさんはピクリとも動かなくなり、クマ型とシカ型はライオン型のそばに行った。
「小娘ガ、人間ノ癖ニ知ッタ様ナ口ヲ! 此奴ハ此ノ儘帰ス心算ダッタガ……」
ライオン型の言葉はとても聞き取りにくくなっていた。獣人種語なのだろうか?
いや、そんなことはどうでもいい。ほとんど聞き取れなかったが、なんだかヤバい気がする。
「潰セ」
ライオン型はヒナミを指さしてたった一言そういった。
その瞬間、シカ型がヒナミに向かって走り出し、その勢いのまま前蹴りを放った。
そして、鮮血が舞った。
だがそれは、ヒナミのものではない。
「っ! ソウマっ!」
「ぐあっ! ああ……」
ライオン型が何か言う前に俺は、ヒナミのもとに走り出していた。
そしてヒナミとシカ型の間に割り込み、俺が前蹴りをくらったということだ。
まあ、見たところ前蹴りというよりも、素人のケンカキックだったようだが。
それにしてもさすがシカの脚力だ。蹴られたのは心臓のあたりで、どうやら蹴った足はそのまま背中から飛び出したようだ。背中を突き破る感覚があった。
シカ型はバックステップをして元の位置に戻った。
「誰ダ、此奴ハ? 何処カラ来タ?」
ライオン型の不審そうな声が聞こえる。
俺はその場で、仰向けに倒れた。
……あ~こりゃだめだな。死んだ死んだ。まったく短い人生だった。
俺は目を閉じて自分の人生に思いを馳せる。
まあ、いい人生だったんじゃないの?
それなりに俺は楽しかったよ、うん。
童貞のまま死ぬのは少し残念だが、きれいな体で死ぬっていうのも粋でしょ。
後悔は……後悔は。
「ソウマ! しっかりしてっ!」
ああそうだ。後悔は、あるな。
ヒナミとメグミさんを、あの部屋に無事に返さなきゃいけなかったんだった。助けなきゃいけないんだった。
それなのに、俺は死んでしまった。
二人はどうなってしまうんだろう。
無事ではすまないかな?
俺と同じように殺されるのかな?
……いやだ。この人たちがひどい目に合うなんて、それを止められないだなんて。
くっそ情けねえな俺。来たところで役立たずじゃねえか。
自分の無力さに、涙が出そうになる。
ちくしょう……ちくしょう……。