俺、嫌な予感がするんで
翌日。
俺は起きてから本を読み漁り、気づけば昼になっていたのでヒナミとスーパーに行き、昼食を食べ、少し休憩し、再び読書に戻った。
スーパーでは昨日の倍ほど買い込んでいたが、なんなんだろね。
ヒナミはヒナミでキッチンのほうでなんかしてる。目は文字を追っているため音しか聞こえず、なんかしてるとしか言えない。
そして俺はふとあることを思いついた。
「ごめんヒナミ。ちょっといいか?」
「はい。なんですか?」
ヒナミはエプロン姿のまま、手を拭きながらこっちに来てくれた。
「ヒナミってリェース皇国に行ってるんだよな」
「ええ。たまにですけど」
「だったらさ、森精種の言葉使えるのか? その前に言葉は違うのか?」
「ええ、種族ごとに言葉は違います。わたしは、完璧にとは言えませんけどリェース語は話せます」
「俺も話せるようになっときたいんだけど。今度行くまでに」
やっぱ話せるのと話せないのじゃけっこう違うだろう。
「そうですか。わかりました。ちょっと待ってくださいね」
そう言うとヒナミは本棚から本を一冊持ってきた。
「これは戦前に出版された人間向けのリェース語の教科書です。今はもう出版はされていません。他種族の言葉を人間が覚える必要はないということらしくて」
「ふーん。じゃけっこう貴重なものなのかな。ありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」
ヒナミはそう言ってまたキッチンのほうへ戻っていった。
さて。それじゃ俺はリェース語を覚えるとしますか。
まあアーデル語が意外と楽勝だったから、こっちも余裕でしょ。
そうして一時頃から勉強していたら、あっという間に六時になっていた。
「ま……まじか」
俺はそう言ってテーブルにつっぷした。
このリェース語っていう言語、くそムズイ。
少しは手間取るかなぁ、と思っていたがまさかここまでとは。
「たった数時間で一言語を習得するほうがよっぽどおかしいでしょう」
ヒナミはそう言ってくれた。
「まだ行くまでに時間はありますし、ゆっくり勉強すればいいですよ。それよりも……」
ヒナミが何かを言いかけるとヒナミの部屋のドアがノックされた。
「あ、はいはい。今開けます」
そう言ってヒナミがドアを開けるとメグミさんが入ってきた。
「来てくれてありがとうございます」
「あいよー、ヒナミちゃん。ソウマ君、こんばんはー」
「あ、どうも」
なんでメグミさんが来たんだろう?
「ソウマ、机の上、片づけてください」
「お……うん」
俺は状況が飲み込めないまま、いそいそと教科書等を片づけた。
「で、何が始まんの?」
俺がそう聞くとヒナミは得意そうな顔をして答えた。
「ふふん。なんだと思いますか?」
他の奴が言ったら、質問を質問で返すなあー‼ というところだが、ヒナミの得意そうな顔を見たらそんな気は失せた。
「わかんねえよ。教えてくれよ」
「実はソウマの歓迎会のようなものをしようと思って」
歓迎会?
「ソウマは一応異世界からの来訪者ということなので、この世界にようこそ。そしてわたしたちのところにようこそ、ということです」
ヒナミは迎え入れるように両腕を大きく広げ嬉しそうに言った。
「二人だけじゃ寂しいからって、私も呼ばれたんだ」
メグミさんはその横で微笑んでいた。
……まあ、その、こういうの、歓迎会とか新年会とかそういうやつ、ちょっと慣れてないというか、なんというか。
口角が少し上がりそうになったのが気恥ずかしくて、手で口元を覆った。
「じゃあ、早速始めましょう。……あ! 飲み物を買うのを忘れました。ごめんなさい。今買ってきますね」
そう言うとヒナミは財布を持って急いで外に行こうとした。
「お、おいヒナミ。ちょ待てよ」
俺はヒナミをどっかの検事みたいに呼び止めた。ん? 機長だっけ? あ、副機長か。
俺は窓の外に目をやった。
今は六時半頃なのだが、空を墨のように真っ黒な厚い雲が覆っているため、そこそこ暗い。一雨きそうだ。
「けっこう外が暗いしさ、それにニュースでやっていたテロリストまだ捕まってないだろ。危ないから俺も行くよ」
「……心配してくれてるんですか?」
「ま、まあな」
つか、いちいちそういうこと言うな。恥ずかしい。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。すぐそこですし」
俺はメグミさんに目をやった。
「ん? 大丈夫じゃないのか。そこのコンビニだろ? 往復十分くらいだ。なんだったら私が行くが」
「いえいえ。二人ともお客さんなんですからわたしが行ってきます」
まあ、ここで押し問答していてもますます暗くなるだけだな。
「わかったよ。気をつけてな」
「はい。行ってきます」
そう言ってヒナミは赤い傘を持って出て行った。
部屋には俺とメグミさんが残った。
……この人と二人か~。またなんかからかわれんのかな~。
俺の心配は杞憂で、メグミさんはしきりに時計とドアを気にしていて俺にはからんでこなかった。
ヒナミが出て行って三十分がたった。
往復十分にしては、ちょっと遅いんじゃないか?
「遅いな……」
同じことを考えていたのだろう。メグミさんは時計をじっと見てそう言った。
「なんかあったんですかね?」
俺がそう言ったと同時に机の上にあったメグミさんの携帯電話が鳴った。
「ヒナミちゃんからだ……」
ヒナミから?
なぜだか少し、嫌な予感がする。
メグミさんはボタンを押し、電話を耳に当てた。
俺は電話からの声が聞こえるように少しメグミさんに近づいた。
「もしもしヒナミちゃん? ちょっと遅いんじゃないのか? どこまで行っているんだ」
『……城之崎だナ?』
電話からはヒナミの声とは似ても似つかない、低い声が聞こえた。
「貴様誰だ。……ヒナミちゃんをどうしたぁ⁉」
『落ち着けよ。この子に危害を加えようとは思わなイ。これから言う場所にお前が来ればナ』
「……お前、アーデル語に獣人種特有のなまりがあるな。イントネーションが少し違う。さてはヴァンジャンスの奴か」
獣人種? ヴァンジャンス? ……あっ!
「もしかして、まだ見つかってないテロリスト?」
俺が小さい声でメグミさんに尋ねると、メグミさんは小さくうなずいた。
『さすが、大戦時に我らの同胞を上空から多く殺した爆撃機のエースパイロット、城之崎テツジ准将の娘で、王国軍オスト地方方面隊第三特殊部隊隊長の城之崎メグミ大尉だナ。すぐに正体を見抜くとは』
「私の個人情報を丁寧にどうも。で、用件は?」
『さっきも言っただろう。お前のいるアパートから北に行ったところに廃工場があル。そこに俺とこの子はいる。今から十分で来い。もちろん一人でダ。お前が来なければこの子がどう――』
そこでメグミさんは電話のボタンをつぶすくらいの力で押した。
「メグミさん……」
「君はこの部屋にいなさい。最低でも、ヒナミちゃんだけはこの部屋に帰らせる。これはヒナミちゃんを一人で行かせてしまった私の責任だ」
そう言ってメグミさんは部屋を出て行った。
メグミさん……どうするつもりなんだ。
しばらく俺はあまりの展開に呆けたように座り込んでいたが、やはり気になって外に出てみた。
外は雨が降っていた。
その雨の中メグミさんは傘もささず、肩に長く黒い何かを担いで、アパートの敷地を出て行こうとしていた。
「メグミさんっ!」
俺は思わずその背に声をかけていた。
メグミさんはゆっくりと振り返った。
「ソウマ君。君は絶対にそこにいなさい。絶対に出てきてはだめだ。ここは素人の出る幕ではない」
その時、ついていなかった街灯がぼんやりとついた。
すると浮かび上がったメグミさんが何を担いでいるのかがわかった。
ショットガン。
一目でモデルガンではなく、まさしく軍が使うようなものだと分かった。命を奪うための道具だという凄みがそれにはあったから。
俺が何も言えないでいると、メグミさんはそのまま何も言わず走って行ってしまった。
俺はヒナミの部屋に戻った。
さっきまではなんだか温かな雰囲気があったこの部屋も、今はとても寂しく見えた。
……俺には何もできないのかな。
……メグミさんの言う通り、俺はここでじっとしていればいいのかな。
母さんが死んだときの、あの無力感が、俺の体を貫いた。
くそったれ……何も、俺は何も変わっていないじゃないか。
そんなことを考えながら、俺はふとキッチンのほうを見た。
するとそこには、ヒナミが丹精込めて作ったのであろう豪華な料理の数々があった。
シチューにミートパイ、グラタンにピザ、他にもいっぱい、いろいろ……。
ったく、何人で食うつもりだよ。多すぎんだろ。
俺は少しばかり呆れながらピザを一切れ取って食べた。
……うめぇなぁ。店出せるぜこれ。
本当だったら今頃三人でこれ、食べていたんだろうな。
話しあいながら、笑いあいながら。
俺の中にふつふつと何かが、湧き上がってきた。
ヒナミの想いを、なんだと思ってやがる。
俺なんかのためにここまでしてくれる女の子の想いを、なんだと思ってやがる。
いくら獣人種だからって、許せることと許せないことがあるぞ。
それに俺も俺だ。
無力だなんだと言って何もしないうちに諦めようとしている。
悲劇のヒーロー気取りのくそ野郎が。
まだ、間に合うかもしれないだろうが。
何かできることが、あるかもしれないだろうが。
母さんの死を、無駄にする気か。
俺はもう一度部屋を出た。
もう一度帰ってくるときは、三人で帰ってくる。
「メグミさん、すいません。言うこと聞けないです」
俺は一人呟いた。
「日本人に生まれた俺は、絶対だめだと言われると、やりたくなっちゃうんです。日本人の遺伝子にはダチョウが住まうんです」
そうやって冗談を声に出して、気持ちを落ち着け、俺は雨の中を走り出した。 電話で聞いた、北の廃工場に向かって。