俺、大学に興味あるんで
俺たちはさっきの服屋から出た後、ショッピングモール内をうろうろしていた。
「あの、ソウマ?」
するとヒナミが探るような声で俺を呼んだ。
「ん、なんだよ?」
「その……わたしとメグミさんの服も見ていいですか?」
「別にいいけど」
なんせこちらは連れてきてもらっている身である。てか、メグミさんの服も?
「ありがとうございます」
ということで俺たちは婦人服のフロアに来た。
……なんか、居づらい。
昔、たまに母さんと買い物に行ったときこういうところに来るといつも、俺がこんなところにいていいのか? と思ってしまっていた。今でもそうだ。むしろ今の方がより一層そう思う。
まあ、だからといってヒナミを一人にして、俺は他のところに行くっていうのもそれはそれでどうかと思う。
結局俺は中途半端な気持ちを抱えたまま、ヒナミが服を選んでいるのを近くで見ていた。
なぜ近くかというと、ヒナミと離れたところにいると服屋の店員さん(女)が警戒に満ちた目でこちらを見てくるのである。……怪しいものではないのことですよ?
まあ、婦人服売り場に男がいたら不審に思うのも無理からぬことである。
よって俺はヒナミの近くに立つことで、店員さん(かわいい)の目から逃れようとしているのである。
ほら、女性と立っていれば頭の軽いおめでたい勘違いをしてくれるし。さっきの服屋の店員さん(濃い)も俺とヒナミを見て……その、なんだ、そういう勘違いしてたし。
だから俺はあえて仕方なくやむにやまれぬ事情で、ヒナミの彼氏面をしているのである。
いや俺ホント亜人種しか興味ないんすけどね。これはもう仕方ないっすよね。ホントまじで全然嬉しくないし、にやけてないし。
「あ、これいいかも」
ヒナミは服を手に取ると、自分の体にあてがっていた。
「ねえ、ソウマ。これ、どう思いますか?」
ヒナミは服をあてがったまま俺の方を向いてそう聞いてきた。
「えっ! ああ、うん……。えっと、いいんじゃないでしょうか。似合ってる、と思うけど……」
「そ、そうですか。えと、あ、り、ありがとう、ございます……」
ヒナミはそう言ってくるりと後ろを向いてしまった。
それで顔は確かに隠せているだろうが、後ろからでも真っ赤な耳が見えている。
……恥ずかしいなら聞くなよ。こっちまで恥ずかしくなるだろ。それにしてもこの店、空調壊れてんじゃないの? 暑くて顔が赤くなりそうなんすけど。
「これ、買っちゃおうかな……」
ヒナミが何かぽしょりとつぶやいたが恥ずかしくてよく聞こえなかった。
「あ、そ、そうです。メグミさんの服も選ばないと」
ヒナミはとっさに思いついたように言った。
「さっきも思ったんだけど、何でヒナミがメグミさんの服買うんだ?」
あの人だって大人の女性だ。服くらい自分で買うだろう。
「メグミさんは、その、なんというか、センスがあんまりよくなくて……。わたしが選ばないと変な服ばっかり買っちゃうんです」
ヒナミは言いにくそうに顔を俯かせてそう言った。
「このあいだもメグミさん、Tシャツを四枚買ってきたんですけど、それぞれTシャツの前に大きく『金の雨』とか『鬼殺し』とか『邪道』とか『外道』とか書かれたものを買ってきましたし……」
どこに売ってんだよそれ……。メグミさんのセンスがCHAOSすぎる。
「ですからわたしが選んであげないといけないんです」
「そうだったのか」
「ええ。それに、わたしが服を買って帰るとメグミさん、泣くほど喜ぶんです。そんなに喜んでもらえると、わたしも嬉しいですし」
「ああ、なんか想像つくわ」
あの人だったら多分、ヒナミから何もらっても喜ぶだろうな。
「あ、これメグミさんに似合いそう。どう思いますか?」
「うん、いいんじゃないか。お、あれは?」
俺は壁に掛けられているジャケットを手に取った。
「これ、メグミさんに似合うと思うんだけど。なんかかっこいい感じじゃん、あの人。それに薄手だから今からでも着れるし」
「え……? ソウマ、もしかして選んでくれるんですか?」
「ま、まあな。だめか?」
聞くとヒナミは首を横に振った。
「いいえ、いいえ! だめじゃないです! じゃあ一緒に選びましょう!」
「おう」
「じゃあ、これはどうです?」
「いいな、それ。絶対似合うと思う。……なあ、これはどうだ?」
「いいですね! ソウマ、見る目ありますよ」
「ありがとう」
そして俺たちは昼食を摂るのも忘れ、昼過ぎまでずっとメグミさんの服を選んでいた。
最初は服選びなんてと思っていたけれど、ヒナミと話しながら一緒に選ぶのは、とても楽しかった。
「さて、そろそろ帰りましょうか」
「そうだな。必要そうなのは全部買ったし」
日が傾き始めたので、俺たちはアパートに帰ることにした。
ヒナミは服の他にも歯ブラシなどの、生活する上で最低限必要なものを買ってくれた。
おかげで俺の両手には大きな袋がいくつもぶら下がっている。
「重たくないですか? 持ちますよ?」
「いやいいよ。気にすんな」
俺たちはショッピングモールを出て、近くのバス停に行った。
「なんか、その、ありがとな。いろいろ世話になって」
「何を言っているんですか。弟はお姉さんに甘えていればいいんです」
「ああ、そういえば俺はヒナミの弟だった。ありがとう、姉さん」
「どういたしまして。……あ、そうだ!」
ヒナミは何かを思いついたようにポンと手を打った。
「少し回り道ですけど、わたしの大学に寄ってみませんか?」
「大学……?」
「興味、ありません?」
まあ、無いことはないな。異世界の大学だし、ヒナミが通っている大学だから興味はある。
「まあ、見てみたいな。連れてってくれ」
「わかりました。では、次来るバスに乗って、途中で降りますよ」
ということで俺たちはバス停でバスを待ち、大学の方に向かうバスに乗り、大学前のバス停で降りた。
「ここが、ヒナミの大学か……」
バスを降りるとそこには、まっすぐのびる石畳の道があり、それを両側に並ぶ木々が茂らせた深い緑の葉で覆っていてトンネルのようになっていた。
そしてそのトンネルの向こうに、大きな時計台が一つぴょこっと頭を出しているのが見える。
「中、入ってみますか?」
「え、いいの?」
「今日は日曜日ですし、大丈夫でしょう」
そう言ってヒナミはそのトンネルの道に歩いて行ってしまった。
いいのかな? でもまあ、誰が学生で誰が学生じゃないかなんてわからないか。
「ま、いっか」
俺はヒナミの後ろをついて行った。
木のトンネルの中は涼しくて、気持ちのいい風が通り抜けていった。
風が吹くと木の葉が揺れ、さーっという静かな音が俺たちを包んだ。
「この木々は戦前にリェース皇国から贈られて、植樹されたものなんです」
「へえ……」
「戦時中や戦後にこの木々をすべて切り倒そうという話があったそうですけど、学生が猛反発して、なんとかこの木々を守ったそうです」
「なんか、いい話だな」
「ええ。わたしがこの大学に決めた理由の一つです」
俺とヒナミはトンネルの中ほどで立ち止まり、そろって上を見上げた。
「この木々は季節によって顔を変えながら、わたしたち学生を見守ってくれているんです」
俺はどうして当時の学生がこの木々を守ろうとしたか、なんとなくだけどわかったかもしれない。
「このトンネルを抜けて正面が共通講義棟です。大きな講義室がいくつも入っています」
俺たちがトンネルを抜けるとそこには、壁面をきれいな茶色のれんがで覆われた大きな建物が建っていた。
「ほお……」
初めて見る大学の講義棟に、俺は無意識に息を漏らした。
「この右奥に看護福祉学部の研究室が入った建物があります」
「ヒナミの学部だっけ?」
「ええ、そうです。……どうですか? 大学っていうところに来てみて」
「そうだな……」
俺は元の世界で、充実したとはとても言えない学生生活を送ってきた。
小学校も、中学校も、そして高校も。
俺は、学校が嫌いだった。
俺に苦痛を与えて来るから。
正解を押し付けてくるから。
……でも、勉強は嫌いではなかった。
自分の知らないことがこの世にまだまだあるという驚き。
知らなかったことが自分のものになっていくという感動。
正しいと思っていたものが覆されてしまう衝撃。
それらの感覚は、嫌いじゃなかったから。
だから俺は学校が嫌いというよりも、学校にいる人間が、苦痛やそいつらの正解を押し付けてくる人間が嫌いと言った方が正しいのかもしれない。
「なあ、ヒナミ」
「はい?」
「大学っていうところは、クラスっていうのが無いんだよな」
「ええ、そうです。まあ、似たようなものにゼミっていうのがありますけど」
「でもそこは、クラスっていうのとは違って、本気でその分野に興味のあるやつらが集まる場所なんだよな」
「まあ例外はありますけど、ほとんどそうですね」
「大学の勉強って、答えがこれだけって決まっているわけじゃないんだよな」
「そうですね。自分たちで考えて、自分たちの答えを出す勉強の方が多いですね」
「俺、大学で勉強してみたいな……」
俺はぽそっとそうつぶやいた。
「え……? 本当ですか?」
「まあな」
「いいじゃないですか! 行きましょうよ!」
するとなぜかヒナミがテンションを上げてそう言った。
「でも俺異世界から来たから、入学できないだろうな……」
俺はこの世界の高校にも通ってないし、何より戸籍とか何も持っていない。
これでは入学どころか受験すらもできないだろう。
「大丈夫です」
「なんでそんなはっきり言えるんだよ」
「メグミさんに言えば、大丈夫ですよ。メグミさんならなんとかしてくれます。きっと」
そう言うヒナミの声には、メグミさんへの信頼がはっきり見えた。
「なら、頼んでみようかな」
「いいと思います。勉強は手伝いますよ」
「ああ。頼むよ。ありがとう」
「いえいえ。……じゃあ、これも約束です」
ヒナミはそう言って、さっきと同じように小指を出してきた。
「ソウマが、大学に行くこと」
「それ約束してどうすんだよ」
「細かいことはいいんです。ほら」
ヒナミは催促するように指を揺らした。
「わかったよ」
俺はまた、自分の小指をヒナミの小指に絡めた。
「こんばんは、メグミさん」
「……こんばんは」
「お? どうしたんだ、二人して」
俺たちは大学からアパートに戻ってきて、メグミさんの部屋に行った。
さすがに女性の部屋の中を見るのははばかられたので、俺は部屋の外から挨拶だけして、部屋の外で待機していることにした。ヒナミの部屋はいまさら感があるのでもうしょうがない。不可抗力ですよ! プロデューサーさん!
ヒナミが服の入った紙袋を抱えてメグミさんの部屋に入っていった。
「実は今日買い物に行って、メグミさんの服を買ってきたんです」
「え……? わ、わわ、私の服をっ!?」
「ええ。ちょっと着てみてくれますか? ……って、また泣いてるんですね」
「ふぉっふぉっふぉっ! おぐおぐぐぐうううっ! ああありがとうヒナミちゃん! 大事にっ……大事に着るからね!」
部屋の外にいるため二人のことは見られず、俺は開きっぱなしのドアから漏れてくる声だけを聞いていた。
しかし声からだけでもメグミさんが喜んでくれているっていうのはわかった。つかメグミさんその嗚咽ナニタン星人だよ。
「喜んでもらえて嬉しいです。今日はですね、ソウマと一緒に行ってきたんです」
「何……?」
「一緒にあのショッピングモールに行って、ソウマの服も一緒に買ってきたんです」
「一緒に……一緒に……」
メグミさんがうわごとのようにつぶやくと、静寂が訪れた。
……なぜだろう。とても嫌な予感がする。
そして、風を切る音がした瞬間、俺の目の前にメグミさんがいた。っていつの間に⁉
メグミさんは腰の引けた俺を、すべての感情が抜け落ちたかのような目で見ていた。
こっこここ怖い!
「……トか」
「え?」
「デートか……」
「ちっちちち違いますぅ!」
低い声で聞いてきたメグミさんに、俺は上ずった声で返した。
「ではなんだ? 年頃の男女が二人で出かけることを他になんと呼ぶ?」
「あーえーとその、なんでしょうね?」
俺がひきつった笑みを浮かべてそう言うと、メグミさんは一歩俺の方に近づいた。
「やはり……デートか……」
「……そ、そうなっちゃうかもしれなくもないことはないような気がします、はい」
俺がそう言うと再びメグミさんは一歩近づいてきた。
「挙句に居候の分際で自分の服まで買ってもらうとは……覚悟は……いいか?」
なんの覚悟でしょうか? と言おうとしたのだが、恐怖で歯が震えてかみ合わずただ口を開いたり閉じたりするだけだった。
「メ、メグミさん! 待ってください!」
するとメグミさんの部屋からヒナミが飛び出してきた。って、おっそーい!
「このジャケットを見てください!」
出てきたヒナミは手に黒いジャケットを持っていた。
あれは……。
「これ、ソウマがメグミさんに似合うだろうって選んでくれたものなんです!
ソウマも一緒に、メグミさんの服を選んでくれたんです!」
そう言ってヒナミはメグミさんにそのジャケットを渡した。
ヒナミがメグミさんの部屋からなかなか出てこなかったのは、あれを探していたからか。
「これを、ソウマ君が……?」
「まあ、お金払ったのはヒナミですけれど……」
俺がメグミさんから少し目をそらして言うと、メグミさんはふむ、とうなずいてそのジャケットを羽織った。
「どうだ?」
「……まあ、似合ってると思います」
「わあ! いいですよ! とても似合ってます!」
「む、そ、そうか……」
メグミさんは照れたようにそう言うとジャケットの襟に顔を寄せた。どうやら顔を隠そうとしているらしい。
見た目とは不釣り合いなそのしぐさに、俺は一瞬目を奪われた。
「ほ、ほら、もうこんな時間だ。早く部屋に帰りなさい」
メグミさんはそう言ってさっさと自分の部屋に戻ってしまった。
「わかりました。それじゃあ、おやすみなさい」
「あ、えっと、おやすみなさい……」
「うむ、おやすみ。……ありがとう、二人とも」
メグミさんはぽそっとそう付け足して部屋のドアをぱたんと閉めた。
俺とヒナミは一瞬顔を見合わせたあと、同時にぷっと吹き出した。