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第三話 包帯デスマッチは一人でやってください

 気絶した瑠璃ちゃんを抱きかかえ、僕はとりあえず一番近くにある部屋に入った。

 扉を開けた途端、埃に混じってツーンと来る、独特の薬品の匂い。年月が経っても抜けない匂いから察するに、どうやら保健室らしい。

 手探りで壁の電気スイッチを探し当てると、幸いにも暗いながら明かりがついた。部屋の奥まった所にベッドがひとつ。見るとシーツは真新しいものに換えられていて、清潔そのものだった。

 僕は瑠璃ちゃんをベッドにゆっくりと横たえる。

 瑠璃ちゃんはすやすやと静かな寝息を立てていた。

 

 彼女と出会ったのは今年の春。

 新入生への勧誘活動も空しい結果に終わり、ひとり寂しく部室でカメラを弄っているところへ、彼女が「すみませーん、入部したいのです!」と元気よくやってきた。

 正直、最初は変な子来ちゃった、と思った。

 なんせ空手着に身を包み、顔には暗視スコープ、腰にはコルクで栓をした試験管が何本も顔を覗かせるポーチを付け、おまけに膝から下はアイスホッケーのゴールキーパーが装着するような防具で固めているのだ。

 どう見ても変人であり、変人は上須賀先輩で懲りていた。できれば遠慮したいところだ。

 が、せっかくの入部希望者、彼女を逃すと獲得した新入部員がゼロになり、間違いなく次の予算割り当てに響く。それはなんとしてでも避けなければならない。

 僕は変人に巻き込まれる自分の気苦労と、部の将来を天秤にかけて心の中でうんうんと悩んだ。瑠璃ちゃんには聞かせられない、とても失礼な話である。

 そして結局僕は、写真部の未来の為にあえてストレスを甘んじて受け入れる決断を下した。英断である。褒めてくれていい。

 暫しの葛藤後に入部歓迎を告げると、瑠璃ちゃんは八重歯を見せてにっこりと笑った。


 しかし、入部したと言っても、彼女は毎日顔を出すわけでもなかった。

 と言うのも瑠璃ちゃんは「日々鍛錬なのですっ!」と子供の頃から通っているらしい道場での稽古があったり。「薬草は現地調達が基本ですっ!」とサバイバル部にも入っていたり。「もしかしたら隠し部屋を見つけるのに必要かもしれませんからねー」とゲームのやりすぎとも言える発想でピアノを覚えたりと、十を越える部活動や稽古で忙しかったからだ。

 おかげで瑠璃ちゃんが写真部に顔を出すのは一週間に一度くらいだった。

 でも、何かと熱心で人懐っこい彼女と過ごす時間は楽しく、そのうち僕は瑠璃ちゃんに会えるのが待ち遠しくなるようになった。

 自分の中に生まれた甘酸っぱい感情。この青春の脈動に素直に従うことができれば、どれだけ毎日は楽しいのだろうか。うん、多くの人がそうであるように僕もまた恋心を抱きつつも、告白して嫌われたらどうしようというありきたりで、しかし未だ特効薬が開発されていないこの難病に苦しまされてきた。

 しかし、悶々とする日々も今日で終わり。めいっぱいの勇気を出して今回のお化け屋敷アトラクションに誘ったら、瑠璃ちゃんはとても喜んでくれた。

「本当に、本当に私でいいんですか? わぁ、嬉しいです!」

 僕に抱きついてくる瑠璃ちゃん。これはキタ! ついにハッピーエンドルートへのフラグが立った! 

 あとはこの記念すべき今日、僕は瑠璃ちゃんに格好良いところを見せて告白するだけだ。

「僕のDNAと君のDNAを掛け合わせてみないか?」と。


「うー、栗栖センパイがなんだかとてもイヤらしい顔をしているのです……」

 不意に耳に届いた瑠璃ちゃんの声で、僕はスバラシキ妄想の世界から現実に呼び戻された。見ると瑠璃ちゃんはすでに意識を取り戻し、ベッドの上でちょこんと正座して僕をじーと眺めていた。

「あ、起きたのかい?」

「センパイ、涎が出てるです」

「おっと」

 僕は慌てて口元を拭う。でも、べつに涎は出ていなかった。

「あー、やっぱりイヤらしいこと、考えてたのですね?」

「しまったっ、ワナにかけられた……って、そんな場合じゃないよ、瑠璃ちゃん。どうやら俺たち、もっと悪質なワナにかけられてしまったらしい」

 僕はすかさず機転を利かして、化け物がひしめくこの旧校舎に閉じ込められた状況を説明した。話を聞いているうちに、先ほど倒したゾンビの事を思い出したのだろう。瑠璃ちゃんの顔色がどんどん青ざめていった。

「ど、ど、どうしましょうか、センパイ?」

 いきなり見せ場がやってきたっ!

「大丈夫、僕に任せて。瑠璃ちゃんは僕が命に代えても守ってみせる!」

 決まった!

 我ながら恐ろしいほど格好良く決まった。

 あとは瑠璃ちゃんの両肩に手を掛けて、優しく抱きしめてやればいい。ただしキスはまだ早いだろう。キスはこのアトラクションを見事に制覇し、感動のクライマックスシーンで決めるのがベストだ。

 が、あくまでそれは理想の話であって、現実はもっと臨機応変に対処すべし。

 もし仮に瑠璃ちゃんが今ここでキスをせがんでくるのであれば、その時はこの男・栗栖、応じるにやぶさかではない。

 僕は少しドキドキしながら愛しい彼女に手を伸ばし……そして。


 瑠璃ちゃんがまったく僕の方を向いていないのに気が付いた。


「あ、あれ? 瑠璃ちゃん?」

「センパイ、静かに! 何か聞こえるのですっ」

 言われてみれば、確かにどこからかジリジリといったノイズのような音が聞こえる。

「「校内放送!」」

 二人して音の正体を突き止めると、まずは瑠璃ちゃんがベッドから飛び降りて音の発信源へと急ぐ。続いて僕も、天井に取り付けられたスピーカーへと駆け寄った。

 スピーカーからはノイズに混じって、女の子の声がかすかに聞こえてくる。


 助けて。

 こちら放送室、誰か助けて、と。


 実にそれらしい演出である。

 でも。 

「センパイ、助けに行くのです!」

「え? ああ、そうだね」

 さっきまではこの場から一秒でも早く逃げ出したいって表情だったのに、校内放送のSOSを聞いた途端、瑠璃ちゃんの頭の中は「なんとしてでも助け出す」の一点で埋め尽くされたようだった。

 その切り替えに驚くものの、僕は瑠璃ちゃんらしいなと微笑む。

 正義感とかそういうものではない。

 困っている人がいれば助けるのが当然という、人として当たり前のことを当たり前のようにやろうとする純粋さが、天然な瑠璃ちゃんらしかった。

 よし、ここは僕もこの流れに乗って……

「って、放送室ってどこなんだろう?」

「ですです……あ、もしかしてアレって校内地図じゃないですか?」

 瑠璃ちゃんが指差したのは、保健医が使っていたのであろう机の上だった。そこにご丁寧にも校内の地図が置かれてある。おそらくはこのアトラクション用に作られたのだろう。真新しい紙に印刷されたそれは、とても見つけやすかった。

「この地図によると放送室は三階か。よし、早速助けに行こう、瑠璃ちゃん!」

 勢いよく振り返る。しかし、いつの間にやら瑠璃ちゃんの姿がない。きょろきょろと辺りを見回すと、ガラス扉が開かれる音がした。音のした方向、部屋の反対側にある衝立の先を覗き込むと、瑠璃ちゃんが薬棚をがちゃがちゃと検分している。

「何してるの?」

「はい。その、いざという時の為に、お薬とか、湿布とか、簡単な医療キットを探してるんですけど……うーん、包帯がどこにも無いのですよ」

 さすがはサバイバル部にも所属するだけのことはある。こんな時にも備えを怠らない。

 僕はとても頼もしく感じた(と言っても、所詮は学祭のアトラクションだけどナっ!)


 瑠璃ちゃんが薬類を探している間、僕は先ほど地図を見つけた机を調べてみた。

 カメラを上に置き、引き出しを開ける。どこかの扉を開くカギとかあったらラッキーなんだけどな、と思っていたら一冊のノートが見つかった。

 僕は何気にぺらぺらとめくってみる。


「○月×日 生徒が怪我をした。応急処置をして包帯を巻く。薬は少ないが、包帯は異常なまでに在庫がある。おそらく前の担当医が多めに発注したのだろう。包帯だけこんなにいっぱいあっても仕方がないと言うのに」


「△月□日 それにしてもこの学園の生徒はよく怪我をする。そしてみんな一様に包帯を巻いてくれと言ってくる。たかだか頭痛にも包帯を欲しがる生徒までいる。なんなんだ、一体?」


「◎月×日 生徒達が包帯を欲しがる理由が分かった。すごい、すごいぞ、これは。おそらく包帯に何か特殊な薬品が染みこまされているのだろう。とんでもない勢いで怪我が治ってしまう。これを自分の発明品として学会に発表すれば私は……」


「◎月○日 生徒達のおかげで包帯が少なくなってきた。これ以上の使用はマズい」


「◎月△日 この包帯は私のものだ。誰にもやらん。私は誰にも取られないよう、私の体に包帯をぐるぐると巻きつけた」


「◎月□日 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる」


 これまた実にうさんくさい内容だ。

 とゆーか、その癖のある筆跡には見覚えがある。

「上須賀先輩があの時書いてた日記じゃないかっ! まったく、こんなの書く暇があったら、ちゃんと受験勉強すればいいのになぁってうわぁ、びっくりした!!」

 不意に首筋へぬるーい息が吐きつけられた。

 一瞬、瑠璃ちゃんの悪戯かなと思った。だけど小柄な彼女の背はせいぜい僕の胸の高さぐらいだ。首筋に息を吹きかけられるはずがない。そもそも、こんな生温く、臭い息のはずがないだろう。瑠璃ちゃんの息はもっとスィートでブリリアントでスペシャルなものなんだ。

 と、瑠璃ちゃんの息の素晴らしさを語る余裕なんてなかったことを、次の瞬間、僕は思い知らされた。

 突如後ろに現れたそいつはいきなり僕の首に白い布を巻いたかと思うと、あろうことか、それを引っ張って僕の首を締め付けにかかったのだ。

 ちょ? なんだそれ?

 マジか?

 マジなのか、これ?

 とてもお化け屋敷の演出とは思えない危険な締め落としは、僕を驚かせるに十分だった。いや、驚くどころか、あまりの締め付けの強さに半狂乱になりかけている。

 でも、瑠璃ちゃんに助けを求めようにも声は出ず、何かを掴んで殴ろうにも両手は宙を彷徨うばかりで何も出来ない。そうこうしているうちに意識が朦朧としてきた。視界も、まるでトンネルに入り、入り口がどんどん小さくなっていくのを眺めるように狭まっていく。

 おいおい、死んじゃったりしないよな?

 締め落とされても、ちゃんとすぐに意識を取り戻してくれるんだろうな?

 だらんと体から力が無くなっていく中、そんな心配が頭に浮かぶ。

 不安を打ち消すように大丈夫、大丈夫なはずだと自分に言い聞かせると、今度はさっきまで夢見ていた僕と瑠璃ちゃんのキスシーンが頭をよぎった。

 ああ、しくじった。くそう、瑠璃ちゃんを守ると言っておきながら、いきなりこのザマか。格好いい所を見せるどころか、いきなりゲームオーバーなんて。

 と、そこで再び怖い考えが湧き出てくる。

 もし、これが演出でもなんでもなく、本当に自分が殺されてしまったとして、その場合、瑠璃ちゃんはどうなってしまうのだろう?

 いくら年上の男性を一発でKOしてしまうほど強い瑠璃ちゃんと言えども、本気の殺意を浮かべるヤツに勝てるのだろうか?

 血まみれの床に、見開いた目で倒れて絶命する瑠璃ちゃんを想像してぞっとする。

 死んでる場合じゃない!

 なんとかしないと。

 僕は残った力を結集して、必死の肘打ちを背後の襲撃者に見舞った。


「ぐはっ!」

 突然、首を絞める力が弱まった。僕はここぞとばかりに、喉に巻き付いた布を振りほどく。そしてゼーハーゼーハーと新鮮な空気を肺に送り込みながら、襲撃者に振り返る

 そいつは体中に包帯を巻きつけたミイラみたいなヤツだった。かろうじて目と鼻と口の部分だけ剥き出しになっている。が、目は白目で、それはとても特殊メイクには見えなかった。

 さっきの殺意といい、やはりホンモノ?

 ぞわぞわと形容し難い戦慄が背筋を駆け抜ける。

 すると、不意にそいつがまた僕に抱きついてきた!

「うわぁ!」

 僕は慌てて体を捻って避けようとした。

 って馬鹿か、僕は!? こんなの、相手にちょっと方向を修正させられたら、簡単に捕獲されてしまうじゃないか。逃げるんだったら横っ飛びだ。それが出来ないなら迎撃しろ。

 と思うのは簡単。が、行うは難し。咄嗟のことに、僕の体はほんの一捻りしか反応しなかった。

 しかし、そんな危機感に反して、ミイラ男はそのまま方向も変えず、僕が居た場所に突進する。当然僕に抱きつくことは出来ず、突進した先の机で膝を打ち、頭をがつんと壁にぶつけた。

 そしてそのまま机に倒れこみ、ずるずると床に力なく崩れ落ちる。

 呆気に取られる僕は、そこでようやくミイラ男が立っていた後ろで瑠璃ちゃんが片足を僕の首もと辺りまで上げて、立っているのに気が付いた。

 ああ、なるほど。

 どうやら僕の肘打ちがクリティカルヒットしたわけではなく、瑠璃ちゃんのハイキック一閃が敵をノックアウトしたらしい。さっきの白目は、おそらくそれで気を失ったからだろう。二度目の襲撃がお粗末だったのも、なんてことはない。襲われたと思ったのは僕の勘違いで、単に気絶したまま前のめりに倒れこんできただけだったのだ。

 まぁ、しかしそれは今となってはどうでもいい。

 大切なのは二人とも無事だという事実。

 そして瑠璃ちゃんのめくりあがったスカートから、水色と白のコントラストが眩しい縞々パンツが見えちゃっていることだった!


「センパイ、大丈夫ですか?」

 慌てて駆けつける瑠璃ちゃんに、僕はかすれた声で大丈夫と答えた。

「助かったよ、ありがとう」

 お礼も忘れない。ちなみにありがとうには「良い物を見せて頂いて」という意味も込めていたが、あえてそれは言わない。うん、これぞ紳士の嗜みである。

 それにしても瑠璃ちゃん、本当に強いんだな。下駄箱でのゾンビといい、今回のミイラ男といい、不意を突いたにしても一撃で倒している。子供の頃から道場で武術を習っていると言っていたけど、どうやらその腕前はホンモノのようだ。

「あ、包帯が無いと思ったら、この人が独り占めしてたのですねー。もう。買い占めはみんなから顰蹙にあいますよ」

 おまけに抜け目無くミイラ男から包帯を回収していたりするし。

 さて、そのミイラ男だが。全身を包んでいた包帯を取り上げられ、中から現れたのはカラカラに乾いた死体、ではなくて学校指定の体操服を着た普通の男子生徒だった。瑠璃ちゃんのハイキックで見事に気絶していて、マヌケな寝顔を晒している。とても先ほど僕を殺そうとした殺人鬼には見えない。

 やはりさっきのは演技だったのだろうか。

 殺意を感じたように思えたのも、単なる僕の思い違いだったのだろうか。

 僕は天井を見上げながら思案に暮れる。

 天井の染みが、どこか口を大きく裂いて笑っている人間の顔に見えた。

「センパイ、懐中電灯も見つけて準備万端なのです。早速放送室に向かいましょう!」

 用意を済ませた瑠璃ちゃんが、僕にカメラを手渡してくれる。


 そこでようやく僕は、こいつのことを忘れていたのに気がついた。


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