第二話「遺伝子恐竜とやさしい飼い主」〈3〉
* * * * *
「えへへぇ……」
今日一日のことを思い出し、グッタリとベッドに横たわっていた希人。
だが、最後に与えられた〝大きな〟ご褒美に、彼は鼻の下を伸ばしている。実際触れたりはしていないが、深刻な女日照りの中にいた希人にとっては眼福であった。
「しかしまぁ、たまにはこう言うのも悪くないねぇ……ヒキガエルの良さを解ってくれる女の子もいたし。翁さんかぁ~……清純そうな娘さんだよねぇ」
ベッドの上で一度寝返りをうち、仰向けになる。
「でも翁さんって勇部さんの部下なんだっけ? あんなイケメンが身近にいたら俺なんか雑草以下の存在だろうな……ってか本当格好良かったわ、あの人。いいなぁイケメン……」
昼間に抱いた劣等感を思い出し、今度はうつ伏せになって塞ぎ込む。
「ハッ! もしかして翁さんも飛騨さんもまさかすでに! ……俺も体くらいは鍛えようかなぁ。でもガラじゃないし……それに今日は疲れたもん。明日また考えればいっか……」
一度上半身を跳ね起こすが、直ぐにまた伏してしまった。
……現在失業中で、おまけに一人暮らしである。ほとんど人と話さない生活が続いたせいか、希人の独り言は増えていた。
今自分の頭の中で考えていた事も、全て口から出ていた。そのことに彼は自覚があったのだろうか? 答えは否である。
(ぐぅ~)
空腹を告げる腹の音が鳴る。どんな状況でも空腹というのは訪れるものだ。
希人はパンゲア製のツナギに着替え、売店へ向かうことにした。
パンゲア居住エリア売店。宿舎から歩いてすぐのその店舗は、面積はかなり広いものの品揃えは一般のコンビニエンスストアとさして変わらない。
「(おっ、久々に見るなこれ!)」
心の中で呟きながら希人が手に取ったのは、ハムとレタスのサンドイッチである。
邪竜の出現により、食料の生産や流通に大きく制約が加えられた現代。
食材のロスを減らすため、日持ちのしないデリカ食品の陳列はかなり少なくなっていた。またその僅かな在庫も出勤前の人々に買われていき、朝方には売り切れてしまう。
そのため希人の様な夜型の人間にとって、〝コンビニのサンドイッチ〟はなかなかお目にかかれない物になっていた。
来客用のバッジを身につけているにも関わらず、「おつかれさまです」という店員に支払いを済ますと、希人は売店を後にした。
春先の夜風はまだ少し冷たいが、それが希人には気持ちいい。彼は鉄柵に寄りかかりサンドイッチを頬張った。
四方を人工島の陸地に囲まれたプールのような海が見える。現在埼玉と東京の県境に住んでいる希人に、潮の匂いは日常を忘れさせてくれる心地よい香りだった。
しばらく海を眺めながら夜食を楽しみたかったのだが、彼の食事ペースに対してサンドイッチだけでは若干ボリューム不足だったようである。名残惜しみながらも海に背をむけた時、
――バシャァァーン!
大きく水しぶきが跳ねる音がした。それはなにか生物が海面から姿を現し、再び潜って行ったことを意味する。振り返ると先ほどまでは穏やかだった海面が波打っていた。
魚だろうか? それにしては音が大きすぎる。イルカだとしてもその音は大きく、鯨くらいの大きさの生物と考えるのが妥当だ。
邪竜だろうか? いやここはパンゲア本部基地だしそれはないだろう。その生物の正体を気にしても仕方ないと考え、希人はその場を後にした。
翌日。この日の空もよく晴れていた。
希人が宿泊する部屋の窓からは、柔らかな春の日射しが降り注ぐ。
「篭目さーん! お迎えにあがりました……聞こえてますかぁ? 開けますよ~」
ちかげは部屋のドアを開けて中に入る。洗面所の方から水の流れる音がする。どうやら希人は、まだ身支度の途中のようだ。
「あっごめんなさい。もう少し待ってもらってもいいですか?」
「構いませんよ、まだ時間はありますし。支度が終わってからで……って、それ」
身支度の手を休め、髪をヘアバンドで纏めた希人が洗面所から顔を出す。
彼の右手に握られてたボトルに、ちかげは思わず目をやる。それは、彼女が抱く男性のイメージには、似つかわしくないものだった。
「ん? あぁこれ。ただの日焼け止めですけど……そんなに珍しいですか?」
「いやぁまだ春先ですし、塗ってる人いたんだなって……ちょっと珍しいだけです」
「えっ? でも春先の紫外線も意外と馬鹿にできないですよ。若いうちはいいけど、年取ってからシミとかになったら嫌じゃないですか?」
「そうですね……」
二十分後。支度を終えた希人とちかげはパンゲアの第四会議室にいた。
対邪竜国際機構の会議室といっても、この部屋はあくまで少人数での会議等に使用されている。故に内装や広さは、一般企業などのそれと変わりない。
希人の隣には、彼を同じ歳くらいの青年が座っている。彼の方がこの部屋には先に着いていたようで、入室した際には軽く挨拶を交わしていた。
名前は木野修大というらしい。
前髪をしっかり上げており、綺麗なかたちの額と大きな瞳が目立つ子犬のような顔立ちをした青年である。人懐っこい性格なのか、初対面の希人にも満面の笑みで自己紹介をしてきた。
それには希人も微笑みながら自己紹介を返したのだが、内心では修大に対し、あまりいい第一印象を抱いてはいない様だ。
昨日出会った紳士に比べると、修大は声も大きいし馴れ馴れしく感じる。
こういう人物は大多数の人にとって快活で社交的に映るのだろうが、はっきり言って希人は虫が好かない。もっともそれは、人見知りの自分がそうできないが故の反発心から来る感情なのは希人も認めていた。
また修大の方も、声をあまり張らない希人の態度がすかしているように見えたのか、あまり好印象を持っていない。
単にそれは希人が人見知りであるだけなのだが、身だしなみに気を使い、顔立ちも大人びた彼がそういった行動を取ると、誤解される事も多々ある。
結局、彼らはお互いに〝いけ好かない野郎〟という第一印象から始まることになった。
長椅子に腰かける希人と修大。他に座る人物もいないのに、二人の間には妙に開いている。
そんな二人を残し、ちかげはある人物を呼びに行ってしまう。居心地の悪い沈黙が二人の間に流れた。
「えっと……篭目君だっけ? 篭目君はさ、なに育てる事になってんの?」
「ん? 育てるってなにをですか?」
「はぁ? だってここに居るってことは、アンタもDFのブリーダーなんだろ?」
「でぃーえふ? ……なんですか? それ?」
「えっ? まさかマジで言ってないよね??」
「…………」
先ほど自己紹介したばかりの初対面の相手に対しての〝~だっけ〟呼ばわり。
更には何か事情を知っているらしいとは言え、自分を馬鹿にしたような物言い。
あまり怒りを表に出さない穏やかな性格の希人ではあったが、その態度に思わず苛立ち、敵意をこめた目で修大を睨んでしまった。
奥二重の優しげな印象の目元をしている希人。しかし切れ長の瞳は敵意を宿して睨みを利かせると一転してかなり攻撃的な印象になる。
敵意を含んだ視線を向けられ、修大も反射的に希人を睨み返す。目を細めて軽蔑するような睨み方をする希人に対し、修大は目を見開き睨み返す。それはまるで、コブラとマングースの対峙の様である。
「ごめんね、遅くなって! ……ん? どうかした?」
遅れて会議室に入ってきたのは、昨日希人がペット達を預けた女性獣医だった。名前は崎乃瀞というらしい。その後ろからちかげも現れ、会議室の扉を閉める。
希人と修大の間に流れていた微妙な空気を感じつつも、「なんでもない」という本人たちの言葉を聞き、気に止めずに話を始めた。
「あっ、そうか。篭目君にはまずDFについて説明するところから始めないといけないんだったね。ごめんね、木野君。少し今まで聞いた内容と被るところがあるかもしれないけど、我慢してね!」
そう瀞が話すと、修大は「あぁ、なるほどね」とでも言いたそうな目線を希人に向ける。
彼の舐めたような顔つきに、希人は右ストレートの一発でも見舞いたい気持ちに襲われる。だが、そんな風に腹を立てること自体が馬鹿馬鹿しいと気持ちを切り替え、瀞の話に耳を傾けた。
「じゃあまずDFの説明からするわね。昨日篭目君が見た邪竜と戦う恐竜……あれが『ダイナソー・ファイター』通称〝DF〟。装甲の素材は強化プラスチック。強固にして軽量、そして酸や毒にも強いから、邪竜の攻撃を防ぐ上でとても有効ね。……まぁ限度を超えた高熱には流石に弱いけれど」
更に彼女は説明を続ける。
DFは「自らの本能を基づき、邪竜と戦う」……その為、人間の指示がなくとも、DFは邪竜の脅威を退けるらしい。
ただ、複雑な作戦行動や装備された機械的な武器の解放には、人の介添や指揮が必要となる。
コクリと頷く希人。ここまでの内容を彼は一応理解した様だ。
だが、一番肝心な疑問が解決されていない。
「よし、ここまではOKね。で、そのDFの中身……つまり装甲の下なんだけど、これは生きた恐竜です。生きた恐竜が装甲を纏って戦うの」
予想の範囲内とは言え、やはり希人は驚いた。
絶滅したはずの恐竜がわざわざ鎧を纏い、人間のために邪竜と戦ってくれるなど、にわかには信じ難い事だ。実際自分の目で見てなければ、希人とてて信じていなかっただろう。
「……で、そのDFとして戦う恐竜なんだけど、彼らは過去に生息していた恐竜そのものではないの。見た目こそ恐竜そのものですが、様々な脊椎動物の採用部分を組み込まれている遺伝子改造恐竜です」
「…………」
「そして筋肉や内臓組織、体組織の再生能力も強化されているから、邪竜とも対等に戦える。これらの遺伝子恐竜を総合してデザイン・ダイナソー、通称DDとも呼びます。まぁDDの略称はあんまり使わないけどね」
事実を知り、希人の心中は穏やかではなかった。
絶滅した恐竜を復活させた上に、遺伝子改造まで施し、兵器として利用する。
――生物のあるべき姿をねじ曲げてまで戦わせておいて、それは正義と呼べるのだろうか? ……なにより産み出された恐竜の立場はどうなるのだ。
更に続けられた瀞の説明を聞くと、その人造恐竜たちは人間と連携を取って作戦に臨むため高い知能を持っているのだという。
種類にもよるが、最終的には小学校高学年レベルまでの知能を持つ可能性があるらしい。そんな相手を一方的に産み出し戦わせる事に関して、希人は倫理観から反感を持ってしまう。
「瀞センセ、もう良くね? 俺なんか眠くなってきたわぁ~」
修大が欠伸交じりに本音を漏らす。
「そうね、結構長々話しちゃった。……じゃあ本題に入らせてもらうわ。単刀直入に言います。木野修大さん、篭目希人さん」
「……はい」
「はい」
希人は低く返事をした。もう彼女が何を言いたいのか、大方の予想は付いている。
希人に続いて返事をした修大も、同じ提案をされるのだろう。
「あなた方には人造恐竜を育成し、DFとして戦うための教育を施す〝ブリーダー〟の任に就いていただきたいと考えています。お願いできますか?」
「お願いできますか……って俺、そのためにここに来たんだけどな。あぁ、こちらの彼に合わせてるんすね」
修大が最初にしてきた質問の意図を希人は理解した。彼は自分と同じように、今まで説明された内容を理解した上でDFのブリーダーになるためにここに来たのだと思って話しかけてきたのだろう。
「もちろん、こんな事を急に言われても困るわよね。だから、あなた達に育ててもらおうと考えている子達に会ってから決めてください。木野君も恐くなったら辞退はできるわよ」
「いやいや、冗談でしょ! 俺もうとっくにアイツとは会ってるし、今更辞退なんてしませんって!」
既に面識のある二人は冗談交じりに話している。しかし、対照的に希人の表情はどこか暗い。
言葉を発していない彼が気がかりになり、ちかげは希人に声をかける。
「篭目さん? ……篭目さん、聞こえてますか?」
「あぁ、すみません。ちょっと考え事してました」
「私も最初聞いた時、正直どうなんだろうって思いましたよ。自分たちの都合で勝手に復活させて戦わせるとか……」
「…………」
希人は何も言えなかった。
ちかげと同じ意見ではあるが、DFがいなければ自分は死んでいたのだ。ならば倫理観だけで、『かわいそう』とは言えない話でもある。
「篭目さんも、もしかして怒ってます?」
「いえ……正直戸惑ってはいますけど、怒ってはいないです。これもまた、邪竜に対抗する為には必要なんですもんね」
「大人ですね、篭目さんは……。正直嫌でしたよ、私は」
「……もちろん、僕も嫌ではありますよ」
「そうですよね……ごめんなさい。なんか変な事言っちゃいましたね、私」
「いや、大丈夫ですよ……」
なんとなくぎこちない距離間が二人の間を阻む。昨日は明るく談笑していた彼らだが、今はなんとなく相手の目を見る事ができない。
「ホラ! 二人とも行くわよー!」
瀞の呼ぶ声がする。二人も遅れて会議室を後にした。
人造恐竜育成用ケージ・第二ビバリウム
産み出された人造恐竜を育成するために設けられたオープンスペース。昨日、希人が宿舎に向かうために通った通路から見えていたジャングルはここの一部である。
「おぅ元気にしてたか!」
彼らが到着するや否や、修大に駆け寄ってくる一つの影があった。上顎部から背中、腰から尾までの下半身を黄色に染めた美しい肉食恐竜の子供だ。
体格は昨日希人が助けた恐竜よりも、ほんの少し小型である。顔も寸詰まりで、頭の上の小さな角もあってか、顔の印象はどことなくツノガエル科のカエルに近い。
既に修大に対して懐いているのか、その仔恐竜はそのまま彼と走り去っていった。
「あの、僕に任せたい恐竜というのは?」
希人がそう尋ねると、瀞は目の前の茂み指差した。大きなシダの葉が揺れる。葉の陰からは、小さな肉食恐竜の子供が顔を出した。白地に緋色の帯模様が入った愛らしい姿の恐竜だ。
希人の顔を見つけると、恐竜はこちらへ歩いてくる。まだ歩くことに慣れていないのか、少し蟹股になっている足取りはたどたどしくて危うい。
「ブブゥ……」
その恐竜は希人を見つけると、短い両足を使い希人の方へと向かってくる。まだぎこちない脚捌きだが、全速力なのだろう。
「おっ、よく頑張ったな! いい子だぞ」
頼りない足取りで、恐竜はようやく希人の元へ辿り着いた。自分の存在をしきりにアピールするように、希人の脚へしきりに自分の体をこすりつける。
その姿を慈しむように、希人は腰を落とし、恐竜の背中を撫でた。ワニ皮にも似た硬くてしっかりとした感触が、希人の手に伝わってくる。
ふと、足元の恐竜が顔を上げた。エメラルドのような深緑の瞳が希人を真っ直ぐに見つめる。
「どう? 自分が助けた赤ちゃんに見上げられる気持ちは?」
「えっ?」
瀞の問いかけに希人は気づかされる。
昨日見た時は胚膜と血に塗れていた為、どんな体の色をしていたのかわからなかった。だが、今自分の目の前にいるのは、紛れもなく自分が助けたあの恐竜だ。
自分を一心に見つめるその瞳には確かに見覚えがある。
「なんかもう凄く懐いているわね。篭目君、優しいからきっとこの子にも伝わっているのかな?」
「優しいだなんて、そんな……」
「いや! 君のペット達、凄く健康できちんと愛されているのが解るよ。プロの私が言うんだから、信じていいんじゃない?」
「まぁ、前職がペットショップ店員でしたから。日々勉強ですよ」
「そうだったんだ。前職ってことは、今はどんな仕事を?」
「家事手伝いですかね……とか言いつつ、実は一人暮らしですけど!」
「あはは! 面白いわね篭目君! このご時勢なかなか大変だけど、焦らず行けばなんとかなるわよ! まぁなんとかならない時もあるけどね……」
「…………」
自分の近況を自虐交じりに話す希人が瀞のツボに嵌まったようだが、当の本人は実のところあまり笑えないようだ。
そんな彼の気持ちなど気に留めるはずもなく、仔恐竜は大きく欠伸をする。そのまま彼の足もとで丸くなり、寝息を立て始めた。
「あぁ……眠っちゃいましたね、この子」
「あらあら、すっかり安心しきっちゃったのね」
「まぁ悪い気はしないですけどね」
「そう言えば篭目君のペット達、今はみんな健康なんだけど、あのヘビちゃんの尻尾どうしちゃったの?」
穏やかに眠り続けるアルバートサウルスから視線を外した瀞は希人へ向き直り、彼に問いかける。彼が飼育するヘビちゃん、もといコーンスネークの『マリア』には健全とは言えない部分があった。
「あぁマリアの事ですね。うちの店に来た時もう既に尻尾の先が欠損したんで、B品扱いして安く売っていたんです。でも結局買い手がつかなくて……。品種としても普通のアメラニスティックだから、わざわざB品買っていく人なんかいなかったんです」
「だから篭目くんが引き取る事になったの?」
「えぇ、まぁそんなところです」
希人は伏し目がちに答える。決して彼自身に後ろめたい事がある訳ではない。しかし、売れ残っていたマリアの姿を思い出すと、言い様のない侘しさに苛まれてしまうのだ。
彼の言葉を受け、「なるほどねぇ」と瀞は呟く。彼女自身は何か思うところがあるようだ。
顎にあてていた手を下ろし、瀞は更に深く問いただす。
「じゃあもうひとつ聞くけど、そのコーンスネークを引き取ろう思った決め手は何? やっぱり可愛そうだって言う憐れみからかな?」
希人を試すような質問を瀞は投げ掛ける。
「それも勿論ありますけど、一番は一爬虫類好きとしての責任を果たしたいからって言うのが理由ですかね。マリア……あのコーンスネークは観賞目的で人工繁殖された改良品種じゃないですか?」
「うんうん。それで?」
品種改良の盛んなコーンスネーク。飼育のしやすさもあり、ペットとしてポピュラーな部類に入る爬虫類である。
その中で生み出されたマリア。その存在意義に、希人は思うところがある様だ。小さく息を吐き、希人は幅広の口を開いた。
「人に愛される為に産まれてきたのに、それが叶わないのって可哀相だし、何より無責任な気がして……需要を生み出したのも僕らな訳ですし」
それは彼が抱いた小さな罪悪感だった。美しいものや愛らしいもの、それらを求め、慈しむ事は悪ではないだろう。
しかし、その基準から外れてしまったものにも命はあるのだ。たったひとつで、替えの利かない命が。
「もちろん、正論がいつも通るとは限らないけど、自分に叶える力があったらやっぱり見捨てることはできませんでした。図々しい偽善者ですよね、僕は」
躊躇いながらも希人は答えた。少しは恥ずかしながらも、彼は自分の理想を言葉にする。
その答えを聞き、瀞は満足気に微笑んでいた。彼女は何かを確信し、安堵している様だ。
「そうだ。僕からも質問なんですけど、僕がブリーダーを引き受けなかったらコイツはどうなるんですか?」
希人は足元で丸くなっている仔恐竜を見ながら、瀞に問いかける。
「多分殺されんだろ。そいつの親だって、刷り込みに失敗して殺処分さえるところを、母体として使うためだけに生かされたんだから」
その問い掛けに答えたのは、後ろにいる修大だった。冷たく言い放った彼の傍らには、一緒にランニングしてきた角付きの肉食恐竜もいる。
「ちょっと木野さん!」
「いいじゃん、本当の事なんだし。今回は親と違って刷り込みには成功してらしいけどね。まぁ出来るんだったらコイツと一緒にそっちの面倒を見てやりたいけど、流石にな……やっぱこえぇよ、人喰ったやつの子供は……」
ちかげに窘められたが、修大がアルバートサウルスに向ける視線は、決して温かいとは言い難いものだった。侮蔑とも取れる感情が向けられる。
瀞もそれを否定しない辺り、〝殺処分〟されるのは間違いないようだ。
「篭目くん?」
瀞の呼びかけにも、希人は黙ったままだ。黙ったまま、真っすぐに足元の恐竜に目を向けている。
――あの親恐竜が人を喰ったというのは事実なのか?
仮に単なる噂だったとしても、超大型の肉食動物を扱う上で危険がないはずがない。……だがもう既に、恐怖や畏怖といった感情よりも強いものが芽生え始めている。
希人は悩んでいた。
冷静に考えたら、自分が今から選ぼうとしている選択は割に合わないかもしれない。伴う危険も大きく、なにより自分がその責任を果たせるのかどうかも分からない。
だが彼の両腕には昨日抱きしめた小さくもあり、大きくもある命の感触が未だ残っている。
「あの……僕、やりますよ。この恐竜の飼い主……ブリーダーなんて立派なものに直ぐ成れるかはわかりませんけど、もうコイツは僕を親だと思っている。なら僕もコイツを守りたいです」
希人はこの恐竜のブリーダーになることを選択した。
丁度目を覚ました足元の恐竜は、彼を真っ直ぐ見つめる。
一点の曇りもないその視線に、希人も穏やかな眼差しを送り返す。
篭目希人はこの日、人造恐竜・アルバートサウルスのブリーダーになった。それはこの恐竜にとって、彼が自分の育ての親になったことを意味する。
彼が下した選択により、この恐竜はその命を繋ぐと共に、人を守り、人と共に戦う事を義務付けられた。
彼の選択は果たして正しかったのだろうか?
その解答は今現在、世界のどこにも存在しない。
だが彼は、自分の選択を正しいものにする為、この恐竜と共に生きていくことを選んだ。
■2013/07/16
この話と次話の間に入る番外編、
「新人飼育員・篭目希人の問題」(N2653BS )を投稿しました。
もしよろしければ、そちらもご覧ください!!
【あとがき】
この話を書いたとき、
「町一帯を電子レンジに書けたらどうなるのか?」
真面目に考えながら町中を歩いていました。
今思い返すとちょっと変な人ですね(笑)
まぁ悩んだそのシーンも、結局は僅か数行で終わるんですが……。