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機甲猟竜DF  作者: 結日時生
第六話「小さな世界の大きな理《ことわり》」
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第六話「小さな世界の大きな理」〈4〉

「こんな感じでいいかな?」

「あぁどうも、ありがとうございます」

 優しげな雰囲気の中年男性が花束を見せ、希人に出来栄えを確認させる。彼が訪れたのは、こぢんまりとした生花店だ。

 屋台車を移動店舗として利用し、周りにはバケツが置かれている。高価な品種や暑さに弱い種類は冷蔵ケースに入っているが、それら以外の切花は種類ごとにバケツ入れられていた。値段と種類名の書かれたプラカードも、一緒に差し込まれている。

 これなら値段も判りやすく、立ち寄りやすいだろう。切花も好きな希人ではあったが、本格的な生花店の門をくぐるのには気恥ずかしさもあり、多少の勇気が必要だ。

 故にこの移動式生花店は、希人にとって訪れやすい店だった。何度も通ううちに、常連として顔を覚えられてしまうまでだ。私生活が寂しい彼にとって此処は、一時の癒しを与えてくれる大切な場所となっていた。

「それにしても久しぶりだねぇ。元気にしてた?」

「えぇ、まぁ。急に引っ越す事になっちゃいましたけど」

「へぇ~そうなんだ。ところで今日はいっぱい買ってくれたけど、誰かへのプレゼント?」

「まぁそうですね」

「……ひょっとして彼女さんでも出来たのかな?」

「えっ? ……いや、そんなんじゃないですよ! 嫌だなぁ~!」

 店主から聞かれた何気ない質問。恐らくは世間話の類に過ぎないのだが、生真面目な彼の思考は、一瞬だけ停止してしまった。

 誤魔化す様に、曖昧な笑いを浮かべながら否定する希人。しかし店主の方は、何か勘付いた様だ。

「そっか……。でも、綺麗な花束になったと思うよ。お世辞抜きでお兄さんはセンスいいからね。だからどんな間柄の人にあげるかはわからないけど、きっと喜んでもらえると思うよ」

「ありがとうございます……そう言われるとちょっと照れますね」

「いやいや、本音だよ。おじさんの言っている事は。……だからホラ、自信持って行ってきなよ。待たせてるんでしょ?」

「そうだ! 待たせてるんだった……って、もう三十分も経ってる! じゃあもう行きますね! 今日はありがとうございました!」

 そう言言い残して希人は生花店を離れ、ちかげの元へと向かって行った。


「本当、頑張るんだよ……」



【From】篭目希人

【Subject】お待たせしました!

予定より長くなってしまいスミマセン!

用意ができたので、さっき解れた場所で


 携帯電話を揺らして届いた「別れた」が誤変換されたメール。その内容に従い、ちかげは希人と別れた場所に来ていた。

 ショッピングモールの出入り口付近。既に日は沈みかけ、辺りは薄っすらと夜の色に染まり始めている。高架下の柱にもたれ掛かり、彼女は待ち人を探した。

 人ごみの中に目を向けると、キョロキョロと餌を探す野鼠の様に周囲を見回す青年と目が合う。彼女が手渡したハットを頭に乗せた彼は、こちらの存在に気づくと左手を上げた。

 背後に回された右手には何か持たれているのだろう。しきりに後ろを気にしているためか、駆け足の割りにはあまり早くは走れていない。いまいち格好のつかない走り姿の青年は周囲の人間を避けつつ、ようやくちかげの前に辿り着いた。

「翁さん、」

「ハイ」

 少し息切れしているからだろうか。それとも夏の日差しに当てられて火照っているからだろうか。

 普段ならちかげの方が、「自分と見比べられたら嫌だな……」と思ってしまう程にきめ細かい希人の肌は、ほんの少し赤みを帯びて汗を滴らせている。


「えっと……ちょっと恥ずかしいんですけど、これ、僕からの気持ちです! その、僕にはこういうの似合わないかもしれないですけど……」

 背中に隠していた右手を前に出した。広い背中の後ろから姿を現したのは、彼が選んだ花々が纏められた花束だった。

 中心に集められた三輪のヒマワリ。主役を支える背後には羽状葉を一直線に付けたタマシダ、根元にはお面の様な切れ込みが入ったモンステラ。個性的な葉物が脇を固めていた。

 葉物が作った枠組みの中には、青い花を直線状に幾つも付けたデルフィニウムも入れられている。補色関係にある青い花は、主役である黄色いヒマワリを、より一層鮮やかに引き立てていた。


 決して似合わないとは思わないが、控えめな彼の人柄からは連想しづらいい贈り物だ。もっとも、プレゼントの選択肢としては意外なだけで、色使いには妙な飾り気がなく爽やかで、彼らしいとは思ったが。

 突如渡されたサプライズプレゼントに驚いたちかげは、花束を挟んで向かい側にある送り主の顔に目をやる。

 花束を差し出した希人の顔は、〝ほんの少し〟という程度ではないくらい赤くなっていた。まるで茹蛸の様に、耳の先まで真っ赤に染められている。

 気恥ずかしい思いがあるのだろうか。少し盛り上がった彼の胸板へ引っ付いた部分は、良く見ると色濃くなっている。毛穴から噴出した汗はタンクトップを通り越し、黒地のポロシャツを微かに濡らしていた。

「そんな似合わないなんて事ないですよ。私、花屋で働いていた時あるんですけど、結構キレイに纏められていると思いますよ。本当、ありがとうございます……」

 精一杯の誠意を込めてくれた希人へ、ちかげは労いの言葉をかける。

 フラワーショップで働いている時は仕事で、「誰かが、他の誰かへ」送るための花束を数え切れないほど作っていた。しかし、自分の為に誰かが花束を作ってくれることは、全くと言っていいほど無い日々が続く。

 別にそれは不満でもなかったし、気が向いた時には自分で切花を買って飾る事はあった。現に今も、時々は自宅用に購入した花を飾ることはある。


 だが人から花束を貰うのは、いつ以来だろうか?

 それはもう思い出せないくらい昔だったのだろう。あまりに久しぶりの事だからか、彼女はどう喜びを表現したらいいのか、いまいち判らずにいる。

 比較的ストレートに感情を表現するちかげだが、今は気恥ずかしさから珍しく視線を少し伏せた。

 しかしそんな彼女の距離に踏み込む様に、希人は真っ直ぐにちかげを見据える。これもまた、引っ込み思案な彼にしては珍しい行動だった。

「その……俺、翁さんには感謝してるんです!」

「えっ?」

 希人の一人称は『俺』だっただろうか?

 少なくともちかげに向けて話す時は違ったはずだ。彼が俺と言う一人称を使うのは、親しい同性の友人である木野修大くらいしか彼女は知らなかった。

 それ故、急な彼の変化にちかげは一瞬戸惑ってしまう。だが当人の動揺などお構いなしだと言わんばかりに、希人は畳み掛ける様に思いの丈を吐き出す。

「あの日助けてくれた事はもちろん、サラを助けられた事だってブリーダーになれた事だって、翁さんのお陰だって感謝してる」

「そんな、私はただ自分の仕事をしただけで……」

 真っ直ぐに向き合うと、改めて気付く事もある。

 黒目がちで、一重に近い奥二重になっている希人の目。よく見ると綺麗な形のアーモンド・アイで睫毛も長く、上品で高貴な雰囲気を感じさせる。

 また、少し頼りなく感じることもあった彼の体は、彼女をすっぽりと包み込めるくらいには大きかった。体の厚みはあまりないが肩幅は広く、腕もそれなりに太い。

 いつもとは違い真剣で、それでいて悲しそうな希人の表情は、ちかげの体感時間を止めてしまっていた。口を開けない彼女に、彼は更に言葉をかける。

「もしあの時出会うのが翁さんじゃなかったら俺、サラのブリーダーになっていなかったかもしれない。確かに大変だったけどさ、サラは俺にとってとても大切な存在だし、本当にいい仕事に就けたとも思ってるよ。だからさ、翁さんにはちゃんとお礼を言いたい。本当、ありがとう……」

「あぁいえ……その、どういたしまして……」

 普段は二言、三言で終わってしまう彼の話し声。それが今は思考の処理が追いつかないくらい大量に、そして胸に沈み込むほどに重く、時間を空けずにかけられていく。

 希人から告げられる感謝の言葉に、ちかげはもっと上手く返す事もできた。


 ――自分も希人でなかったら、ブリーダーを引き受けてほしいとは思わなかった。


 そう返す事だって、普段の彼女ならできただろう。少なくともほんの数分前までなら。

 大切な存在を守る為に命を懸けてくれた彼だから、ちかげは信じたいと思った。それ故、一方的に感謝される関係ではないはずなのだ。少なくともちかげの中では。

 むしろ彼を巻き込んだしまったと考えられなくもない。だから謝罪や感謝を伝えないといけないのは、自分の方だとさえ思う。

 しかし今は言葉が出てこない。こんな状態になると、ちかげは思ってもいなかった。

「だから……だからさ、そんなに自分のことを責めないでほしいんだ。だってさ、そんな事言われたら俺、悲しくて……」

 もし彼の足もとのタイルに意識があったら、雨が降ってきたと勘違いするのだろうか?

 しかしここは高架下で、ついでに屋根も付いたショッピングモールの一角だ。だからポツポツと水滴が上から落ちてくるのは、人的要因以外には思いつきにくい。

 汗やよだれ、あるいはもう少し清潔な別のなにか……。

「か、篭目さん!?」

「ひぐぅ……」

 しゃくり上げる希人を宥めなくてはいけないと思うのだが、固まってしまった彼女の思考は、良案を導き出せずにいる。自身の思考と同じくちかげもまた、その場に立ち尽くすしかない状態だった。

 それでも精一杯の意識を振り絞り、目線をうな垂れる優男から逸らす。大の大人、しかも男が泣き出したのだ。周囲から向けられている視線は、決して好意的とは言えない。

「篭目さん……」

「ぅぐ……」

「篭目さん、その……周りの人、凄いこっち見てます……」

「…………えっ?」

 我に返った希人は、周囲を見渡した。老若男女さまざまな人が自分達の方を見て、なにやら小声で話している。当人たちは聞こえていないつもりなのだろうが、聴覚の優れる希人には、その一部が聞き取れてしまう。

「あっ……えっと、その……あぁ~、なんて言うか……」

「良いですから……もう良いですから、行きますよ! ほら、周りの人見てるし……」

 ちかげは彼の手を引き、その場を後にした。

 彼女に取られた右手とは反対の左手で顔を覆い隠し、追随する希人。まともに前が見えないからか、よたよたとした足取りで歩き、ちかげがリードしなければ危うい。


* * * * * *


「ごめんなさい……僕、なんか迷惑かけちゃいましたね……」

「えっ……いや、気にしなくていいですよ。大丈夫ですから」

 駅のホームから線路を見下ろす希人とちかげ。

 もともと声を張る方でもないのだから、口元に手を当てて喋られれば、彼の声は聞き取りにくい。ただ、彼の自称がいつの間にか『僕』になっていたのは、不自然な程によく聞き取れた。

 まるで救いを求めるかの様に、ちかげはホームの電光掲示板に目をやる。次の電車が来るまで、あと五分ほど時間がかかるらしい。

 電車を待つ間、花束を持っていない左手に伝わる温度は生温かく、ちかげは少し気持ち悪いとさえ思ってしまいそうだ。しかし右腕に抱えた彼の気持ちは、嬉しくて仕方ない。

 右腕に抱いたヒマワリに目をやった後、横目で希人の顔色を窺う。

 口元に当てた握りこぶしの上には、真っ赤になってしまった瞳が見えた。行き場がないからなのかは解らないが、視線は真っ直ぐ線路に落とされている。そのため、ちかげの視線と重なる事はなかった。

 彼の現状は、心此処に在らずと言った状態だろうか? ならば自分の左手も無意識に強く握られているのだと、おおよその察しがついた。

 ――あと五分くらいならいいか。

 そう思った時、ふと我に返った希人はあわてて右手を離した。「あっ、ごめんなさい!」と言う短い謝罪の直後、湿り気を帯びた掌の感触はちかげから遠くなっていく。


* * * * * *


 ちかげちゃん へ


 明日からちょっと出張に出ます。だからティラミスの事もよろしくね!

(必要な引き継ぎ事項は瀞さんや亘くんも知ってます)


 あと、今日ミリーの日光浴やってくれてありがとね!

 でも記録簿の体重欄、書き忘れてたよ~! だから書いておきました♪


 では、よろしくお願いします!


                 天貝 夕海



 自室のドアに挟まれていた夕海からの伝言に目を通す。メールで連絡すればいいものを、わざわざ手書きのメモにして持ってきていた。

 恐らくは自分が素っ気ない態度を取ってしまった事を、夕海は気にしていたのかもしれない。ちかげにもそれくらいのことは考え付いた。

 不遜な態度を取ってしまったことに理由がない訳ではないが、やはり年上の先輩に対して不適切だろう。優しく大らかな夕海の事だ。根には持ってはいないかもしれないが、次会った時にきちんと謝罪しなければいけないと、ちかげは心に決めた。


 ……今日はなんだか疲れてしまった様だ。花束を花瓶に入れると、ちかげはシャワーを浴び、部屋着に着替えた。黒いタンクトップの上からゆったりとした大き目の白いTシャツを着て、ハーフ丈のパンツを合わせたのが彼女の部屋着だ。

 シャワーを浴びたお陰からか、幾分か気持ちはスッキリとしていた。部屋着に着替えたちかげは、背中からベッドに思い切り倒れこむ。仰いだ天井から、窓へと視線を移した。

 窓から見える夜空は、いつもより近くに感じる。それがなぜなのかは、分からない。

 ただ、花瓶に入れられたヒマワリとデルフィニウムの色合いが気持ちを高揚させている事は、ちかげにも自覚できていた。

 【天にも昇る気持ち】と比喩するほど大袈裟なものではないが、心が弾むように跳ね回っているのは確かだ。もしも何かに例えるなら、バネやゴムボールにも例えられるだろう。

 だがそれではピンとこない。その気持ちをくれた相手が喜びそうな比喩表現を、ちかげは少し考えてみる。


「……アマガエル」

 愛らしくて小さいが、吸盤の付いた手足を使い、垂直にそそり立つ壁だって登っていける。

 今の彼女の気分には、ピッタリな例えだろう。一番高い樹の上に登って、今夜の満月に挨拶したいくらいだ。

 『夜の中にいる私たちを、いつもやさしく照らしてくれてありがとう』 ――健気なアマガエルはそんな感謝の言葉を、穏やかな月へと歌っているのかもしれない。

「私からもお礼しないと……ってか、あの人、花言葉とか知らないで選んだよね……」

 周囲に囲むグリーンに守られる様に、花束の中心で寄り添いあうヒマワリとデルフィニウム。ヒマワリの花言葉が「あなたを幸せにする」なら、デルフィニウムの方は「あなたは幸せを振りまく」である。

 ……周囲を気遣い支えている人間が、自分自身も幸福であるとは限らない。

 だから誰かに幸福に与えている人間には、その分、幸福を与えられる人間が傍にいて支える必要があるのだと、花々に教えられた様な気になる。

 当の希人はそこまで考えていなかった。だが受け取った方のちかげは、花束に込められたメッセージを当人が込めた思いよりも深く受け取り、そして考えていた。

 もちろん、いくら考えたところで、彼にとっての幸せの定義は分からない。そこまで深い関係ではないからだ。

 だが、自身の危険を理解した上で自分より小さな命を守るために動き出せる希人。彼にはその分だけ幸福になる権利があると、ちかげは考える。現に彼が行動してくれたお陰で、少なくとも自分は悲しい思いをしなくて済んだからだ。


 ……だからこそ、希人にはDFになったサラのバディを引き受けてほしくないとも思っていた。

 ちかげから見れば、希人はもう十分に頑張ったのである。

 偶然拾っただけの恐竜が、たまたま自分に《刷り込み》をしてしまった。

 たったそれだけの事に過ぎないのだ。……にも関わらず、彼はサラのブリーダーになる事を選び、身を削ってその業務にあたり、更には訓練も受けず前線へ飛び出し、DFを救った。

 それは本来、ちかげがやるべき事だった。裏を返せば彼女の不甲斐無さが、希人を巻き込んでしまったとも言えるかもしれない。

 ……だからもう、彼を解放してやりたかったのだ。自分の罪悪感から逃げる為だけでなく。

 『身をすり減らす彼の姿はもう見たくない』芽生え始めた純粋な願いは、とうの昔に息衝いていた。

 しかしそれは、ただの独りよがりだったのかもしれない。今日希人と話した彼女は、そう感じていた。彼はちかげが思うよりも強く、たくましいのかもしれない。ただ優しいだけではなく。

 もしかしたら希人は、ちかげが恐れている選択をするかもしれない。

 だがもし、彼が険しい道に進むとしても、それは彼の意志だ。だから否定しようとは思わない。たとえ彼がどんな選択をしても、彼女がやるべき事は変わらないのだ。


「私が守ればいいんだ……今度は失敗しない様に……」 

 誰に聞かせる訳でもなく、翁ちかげは低く小さな声で呟き、目を閉じた。

 青白く光る蛍光灯の下。ヒマワリの黄色がデルフィニウムの青を、より鮮やかに引き立てていた。

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