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機甲猟竜DF  作者: 結日時生
第一話「こんにちは、赤ちゃん」
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第一話「こんにちは、赤ちゃん」〈1〉

 遮光カーテンに窓を覆われたアパートの一室。

 その隙間から射し込む太陽の光が、青年の瞼に突き刺さっていた。


「んっ……んぅ……」


 爽やかな朝の日差しとは対照的に、眉間に皺をよせた不機嫌そうな顔で彼は目を開ける。

 時刻は十時四十分。その光はもう、朝日と呼ぶには相応しくない眩しさだ。


「前に餌やったのは確か四日前か……よし、今用意するからちょっと待ってろ!」

 脇にある水槽へ目を向けた彼はそう呟き、ベッドを降りる。

 水槽の中には欠けた植木鉢が入っており、中からは二股の舌が出し入れされていた。

 青年は冷凍庫に歩み寄り、扉を開ける。中から取り出したのはジッパー付きの保存袋だ。

 透明なその袋の中には四肢を持ったピンク色の肉塊が詰め込まれている。


 彼は袋から肉塊を二つ取り出した。その胎児にも似た肉塊を別の袋に入れ、予めお湯を張っておいたボウルに入れる。


 肉塊の正体は、冷凍されたハツカネズミの子供である。

 俗にピンクマウスと呼ばれるそれは、肉食性を示す爬虫類や両生類、果てはフクロウの様な猛禽類などの動物を飼育している人間にとって実に便のいい飼料だ。

 生まれて間もない新鮮な状態のまま冷凍されたそれは、餌や排泄物の世話をしなくても解凍すれば生きていた頃のような瑞々しさを持ったよい餌となってくれる。

 もっとも、幾ら高い鮮度を保った所でそれは死体に過ぎない。だが、餌付けされた動物の空腹を満たすのには充分な代物だ。


 ピンクマウスが解凍されるまで少し時間がある。彼はその間に顔を洗う事にした。

 ベージュにも見える落ち着いた色の茶髪をヘアバンドでまとめ、洗面台に向かう。鏡には、優しげな目元ときめ細かい肌が印象に残る柔和そうな青年の姿が映っていた。

 しかしながらその顔つきはどこか覇気が無く、目の下には少しばかりくまも出来ている。


 顔を洗い終えた彼は台所へ戻り、ボウルの中のピンクマウスに手を当て温度と感触を確かめる。

「おっ、いい感じ」

 そう呟きながら彼は、解凍し終えたピンクマウスを陶器の皿の上に開け水槽の中へ入れていく。

「ほい! お待たせ〜♪」

 ひょうきんな彼の呼びかけに応えるかの様に、舌の主は姿を現した。

 明るい橙色の肌に美しい赤色の斑紋乗せた細長いロープのような体と、ルビーの様に艶やかな瞳を持ったその生物はゆっくりと皿の方へ這っていく。

 ――蛇だ。

 更に詳しく補足するなら、コーンスネークと呼ばれるペットとしてはポピュラーな種類の蛇である。観賞用としての品種改良も進んでおり、上品な反物の様な美しい斑紋もその賜物だ。

「どうだマリア、美味しいか?」

 『マリア』というのは彼がこの蛇に付けた名前である。

 外耳を持たない蛇に、私達が「音」と呼ぶ空気中の振動は伝わらない。

 だから先程の彼の呼びかけも、当のマリアには届くはずも無いのだ。……にも関わらず彼は、ネズミの幼体を飲み込む自分の愛蛇を見つめながら、嬉々とした様子で話しかけていた。

(ぐぅ〜)

 誰かの腹が鳴る音がする。一人住まいのこの部屋でこんな音を立てるのは他に誰もいない。

 彼は愛蛇に続いて自分も朝食を取る事にした。




《荒川。甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に源を発し、埼玉県と東京都を通って東京湾へ注ぐ河川である。その水中を一つの巨大な影が移動していた。扁平なその体を川底に這わせながら、下流へと向かっていく……》




 冷蔵庫の扉を開け、【半額】の文字がデカデカと書かれたシールを貼られた食パンの袋と、冷水筒を取り出す。大匙二杯ほどのスキムミルクの粉末をグラスに入ると、冷水筒の中の水を注ぐ。よく冷えた水で溶かしたスキムミルクの冷たさは心地よいが、その水は何の変哲もない水道水だ。

 床に腰掛け目覚めの一杯を口に運びつつ、彼はすぐ脇のテーブルに目をやる。そこには封を切ったままの封筒と一枚の便箋が無造作に置かれていた。



篭目(かごめ) 希人(きひと)


 拝啓 時下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

 さて、先日は弊社へ面接のためご足労いただき誠にありがとうございます。 この度は篭目様と面談させていただき、とても人当たりの良い好青年という印象をうけました。

 しかしながら、弊社の方の採用枠も限られており、また今回多数の応募をいただいた為、慎重に選考を重ねた結果、残念ながら今回は貴意に添いかねる形となりました。何卒ご理解いただけますようお願い申し上げます。

 末筆ながら……


 その便箋は、希人が5日前に受けた面接の結果だった。3ヶ月前に勤めていたペットショップが閉店し、今も就職活動を続けているが、なかなか思うような結果が出ずにいる。現在彼は無職だ。

「はぁ……」

 不採用の通知を何回も貰ううち、その事自体には慣れたが、生活面の不安は日を追う毎に増していく。

 希人は爬虫類や両生類、熱帯魚等を扱う専門店の販売員として3ヶ月前まで勤めていた。動物全般が好きで、特に爬虫類や両生類には強い関心を持っていた彼は、熱心に勉強を重ね、顧客からの問い合わせに対しても真摯かつ正確に答えていた。

 彼は顧客や店長からの信頼も厚かった。しかし、近所に開店した大型総合ホームセンターにの煽りを受け、やむを得ず彼の勤め先は閉店することとなる。

 その後、彼は前職の経験を活かせそうな他の総合ペットショップの求人にも応募した事がある。

 だがその際、そのショップ内での爬虫類や両生類のストック環境や店員の知識に関して疑問を感じ、面接の場でその不備を指摘してしまう。当然の如く、結果は不採用である。

 この経験から希人は、運営方針に添えない会社の出す動物関連職の求人は受けないことに決めた。仮に採用されたとしても、そんな環境では自分の性格から同僚との間に軋轢を生みかねないし、何より自身の精神衛生上よくない。

 しかしそうなってくると、多くの求人は彼を資格なしの未経験者として選考することとなり、かなり不利である。

「なんだよ……心配してくれてんのか? お前は本当にいい奴だな……」

 そう呟いた彼の視線の先には、スチロール製水槽の中から覗くヒキガエルの姿があった。

 希人がまだ小学生のころから飼育しているこのヒキガエルは、彼の飼育している動物の中では一番付き合いが長い。

 そんな彼に励まされたのか、気を取り直した希人は朝食の続きを取ることにした。不採用通知を二つ折りにして、封筒共々ゴミ箱の中へ入れる。

 気を取り直し、二枚の食パンの間にケチャップをかけたレタスと魚肉ソーセージを挟みこみ齧り付く。少し貧乏くさいが、それなりに栄養も取れて腹も膨れる彼の得意料理だ。

 瑞々しいレタスの食感とケチャップの香りは、気だるい朝の憂うつを取り除いた。


「…………」


 不意に静けさが希人の部屋を包む。

 今彼の耳に聞こえるのは冷蔵庫のモーター音だけである。

 その静けさが彼の心の中にあった孤独を抉り出した。その寂しさを紛らわすようにテレビの電源を入れる。

 時刻は十一時を少し過ぎた頃。気象予報士でもないグラビアアイドルが今日の天気を読み上げていた。本日の降水確率は午前・午後ともに零パーセント。お出かけ日和の快晴だそうだ。

 不意に天気予報を読み上げるアイドルが何かに気づいたように桜の木の陰を見つめる。その表情は、後のコント的な展開を連想させるわざとらしいものだった。頭の上にはクエスチョンマークが見えてきそうである。

 そんな彼女が見つめる木陰からは、去年ブレイクした漫才コンビが飛び出してきた。


『あれ? お二人とも今日はどうしたんですぁ?』

『今日は折角のいい天気ですから! お花見に来たんですよ!』

『この人たちね、裏番組の「覗きたがり」のレギュラー降ろされちゃったから暇なんだよね! 桜より早く散っちゃたね♪ お疲れ様!』


 ワイプに映った司会者が毒づく。

 それには芸人たちも、ややオーバーなリアクションと正月の特番で既に披露したネタで返していた。

「ぷっ! ふふっ……」

 微妙な空気に包まれるスタジオとは対照的に、希人は思わず噴出しそうになった。

 別にネタそのものが面白かった訳ではない。ただ、何となく画面を通じて伝わってくる毒気を含みながらも温かみのある雰囲気に、思わず口元が緩んでしまったのだ。

 希人はこれくらいの時間に放送している情報系のバラエティ番組が割と好きだった。

 朝一番にやっているような情報番組の押し付けがましい程の爽やかさや、苦い顔をした中年男性の持論が彼の肌に合わなかったのだ。

 働いていた頃は仕事柄平日休みが多く、この手の番組の下らないやり取りを見ながら、少し遅めの朝食を取る事が彼の休日の定番だった。


 バラエティ番組も終わり、希人はテレビの電源を落とした。

 少しだけ気持ちの晴れた彼は、最寄り駅から三駅離れた公園で桜が見頃を迎えている事を思い出した。


「ちょっと気晴らしに花見にでもいってみようかな……」


 少し出かけてくることを家族であるペットたちに伝え、家を出る支度を始める。衣装ケースの中でうずくまっているハリネズミは未だ眠ったままだった。




《水門に差し掛かり、大きな鉄扉がその生物の行く手を阻んだ。憎らしそうに牙をむき出し、鉄扉に突き立てる。ガリガリと音を立て鋼鉄の扉は削られていく……》



 平日の正午手前。電車の車内は空いており、座席にゆったりともたれかかることができた。

 特に誰と会う訳でもないのだが、外出するときの彼のこだわりから髪はしっかりとワックスで整え、臙脂色のシャツと黒のチノパン、そこにベージュのジャケットを羽織った余所行きのスタイルで電車に乗り込んでいた。

 ふと自動扉の上にある液晶モニターを見上げる。そこでは今朝の主だったニュースを簡潔に伝えられていた。



〈飛翔型邪竜、群馬県高崎市に飛来〉

 ――6日未明、群馬県高崎市に飛翔型の邪竜が2体襲来。付近に被害をもたらすが、パンゲア特殊部隊の活躍により、撃退。怪我人は多数でたが、死傷者はゼロ。


 邪竜じゃりゅう……15年前、突如現れた未知の巨大生物。巨大な竜のような姿をしており、強い繁殖力と高い環境適応能力をもつ肉食中心の雑食動物。

 瞬く間に布を拡大し、農林水産業や畜産、物流などに多大な被害をもたらす。邪竜の出現は、世界にとって経済・自然環境・日常生活を正常に動かす上での大きな障害となった。

 青みがかったグレーの滑らかな表皮に金色の瞳を持つ邪竜は、一見爬虫類のようだが、哺乳類や鳥類、更には魚類や両生類、無脊椎動物のような特徴も持ち合わせる。誰にでも似ているという事は、すなわち誰にも似ていない事と同義であり、分類学的にも非常に異質な生物であった。


 この邪竜に対抗するべく組織されたのが、対邪竜国際連合機構・パンゲアである。

 共通の敵に見出した人類はいがみ合う事をやめ、手を取り合う事を覚えたが、気づいたときには有力国家の殆どが国力を消耗し、未だ邪竜との戦いに終止符を打つ事はできていない。


 そんな暗澹とした時代ではあったが、液晶モニターのニュースを眺める希人はどこか他人事のようだった。産まれてこの方、実際に邪竜に遭遇したことがないのだから無理もない話である。

 現在二十一歳である希人にとって、物心ついた頃から邪竜のニュースは見ているため、感覚としては台風や土砂崩れのニュースとなんら変わらないのだろう。

 加えて言うのならば、十五年前に出現した邪竜ではあったが、日本に現れるようになったのは比較的後期である。

 その頃には邪竜に対してある程度の知識は確立されていた為、彼らの世代にとっては脅威を感じにくいのかもしれない。かくいう希人も、邪竜の出現により事前に避難した経験こそあるが、自分の目で邪竜を見たことはなかった。

 大人しめな性格の一方で、動物に対して強い好奇心を持つ希人は〝安全が確保された状態〟であれば邪竜を間近で見てみたいとさえ思っていた。 ボーっと車内の液晶モニターを眺めている内に、電車は目的の駅に到着した。



 駅を出て目的の公園に向かう。公園に近づくにつれ人の数は増えていき、公園の中は平日の昼下がりでありながら、沢山の花見客で賑わっていた。

 町の老人会からママ友たちとその子供、おそらく職場の同僚かなにかだと思われる老若男女入り混じった集団、更には希人と同年代であろう若者のカップルまで様々な人間模様を垣間見ることができる。


 人ごみの中を希人は一人歩いていた。

 花見に来たとは言っても、文字通り桜の花を鑑賞するためだけに来ている人間はそういないだろう。多くは花見の席を利用して仲間と親睦を深める事が目的だ。

 だが、希人は純粋に「花を見る」ためだけにこの場に来ていた。なんとも稀有な若者である。


(思っていたよりも人が多いなぁ……ってかコイツら邪魔くさいんだが)


 桜の花と青空のコントラストを楽しみながら歩く希人の前に、彼と同じ歳くらいのカップルが立ち止り会話をしていた。


「なんかさぁ、きれいだよねぇ……桜♪」

「うん。これぞ日本の自然って感じがするよな!」


(えっ? ……この人たち何言ってんの?)

 この公園に植えられている桜の木は、一般的に「桜」として親しまれ、開花宣言の基準にもなる園芸品種・ソメイヨシノである。

 エドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたソメイヨシノは、古くから野生に自生する樹木ではない。

 植物に関する知識はそれほど持ち合わせていない希人でもそれくらいの事は知っていた。

 ……にも関わらすそのカップルは、目の前のソメイヨシノを《野に咲く日本の花々の代表》の代表の様に言い始めたので、彼は若干面食らっていた。しかも奇跡的な事に、カップルの目の前には「ソメイヨシノ」の品種名を書いた看板が立っており、園芸品種である旨もしっかりと記載されている。


(こういうの〝バカップル〟っていうのかな? 頼むからお前らは将来子供が出来てもミドリガメとかは買い与えないでくれよ!)


 希人はカップルへ向けて静かに侮蔑の視線を送る。

 しかしそんな希人の思いなど知るはずもなく、カップルは仲むつまじく手を握り合い、頬を赤らめながら笑い合っていた。


 ふと我に返る。

 確かにソメイヨシノに関する知識では、希人の方がこのカップルより僅差で勝っているだろう。しかし「どちらが幸せそうか?」という比較になった場合、比べるまでもなくカップルの圧勝である。

 そして周りを見渡せば、楽しそうに笑いあう人々であふれている。純粋に「花見」に来た希人ではあったが、場の空気が醸し出す〝幸せそうな雰囲気〟に居心地が悪くなり、公園を後にする事にした。


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