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機甲猟竜DF  作者: 結日時生
第四話「そんなに泣かないで」
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第四話「そんなに泣かないで」〈4〉

「ティラミス…………ジャンプ!」


 長径八十メートルはあるだろう広大なプール。端にある小ぶりなステージからは、女性が声をあげている。

 彼女の声で水面が盛り上がったかと思えば、次の瞬間には大きく長い巨体が滝の様な水を滴らせ現れた。

 長く逞しい尾で水を叩きつけ、はるか上方に吊るされたゴムボールを目指し跳び上がっていく。除々に水のベールが剥がれ落ち、焦げ茶色とクリーム色のツートンカラーの肌がを現れた。

 巨体の主はゴムボールを鼻先で突き、再び水の中へ飛び込んでいく。着水する際に大きく飛沫が上がり、荒波の様な歓声が上がる。


「は~い! 今みなさんに見ていただいたのが今日の主役、モササウルスのティラミスでーす!」

 プール脇に設置されたスピーカーから聞きなれた声が流れ、場内に響いた。

 はるか先のステージでは、夕海がインカム越しに観客へ呼び掛け、手を振っている。


 人工島『白海亀』の一部は一般開放されている。そこに設けられた大プールでは、一般へのDFの理解と広報を目的としたショーが行われていた。

「では、ティラミスにもご挨拶してもらいましょう! ティラミス、スタンダップ!」

 夕海の呼び掛けに応え、水面からティラミスが姿を現す。

 胸鰭をパタパタと動かしながら上体を反らし、人の立ち泳ぎに近い姿勢を取るティラミス。立ち泳ぎの姿勢のままバックで観客席の前を横切ると、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。

「ティラミスすげーな……」

「うん、本当すごいよ。体の構造上、あぁいう動きにはそもそも向いてないはずだし」


 観客席の最後列では希人と修大がショーの様子を見つめていた。

 鋭い牙を持ち、鱗に覆われたクロコダイルを彷彿とさせる狂暴そうな面構え。しかしその仕草や、夕海とのやりとりがティラミスを愛らしく見せる。

 太陽の光を反射し、柔らかい間接光がティラミスの喉元を照らす。クリーム色の肌に、水面のうねりをかたどった光が映しだされた。



 サラとレモンを正式に譲渡してから一週間が過ぎていた。

 暦は七月に入り、纏わりつく蒸し暑い空気が潮風を爽やかに感じさせる。

 ブリーダーとしての仕事を一先ず終えた希人と修大は、また別の恐竜を育てる事になった時に備え、これまでの記録の整理や飼育論の研究を行っていた。

 この日は向学を兼ね、夕海とティラミスのパフォーマンスを見学に来ている。

「ティラミス~…………〝しゃちほこ〟!」

 夕海のサインを受け、ステージに上がったティラミスは下半身を持ちあげ、見たまま『しゃちほこ』と受け取れる姿勢だ。小さなステージに登り、絶妙なバランスを保つ姿に歓声が沸き起こる。


 ……これが彼女たち本来の任務なのである。

 海竜・モササウルス。

 推進力を生み出す太く逞しい幅広の尾と、鋭い牙を持つ白亜紀後期に生息した海棲爬虫類である。シンプルながらも無駄のないその体構造は、ハンターとしての彼らの地位を確固たるものにした。

 しかし、彼らはあくまで〝海の〟覇者である。

 夕海の従えるティラミスに与えられたのは、一般への広報のパフォーマンスと共に、地の利を活かした人工島防衛の任務だ。

 その為、本来彼女たちはこの基地から出る必要性は殆ど無い。


 だが、今まで関東本隊基地で戦える陸棲種のDFはテリジノサウルス、ガリミムスのみだった。

 限りある戦力を失わない為、また邪竜を確実に葬る為にティラミスは、近隣に大型の河川や海がある場合に限り出撃してきたのだ。

 水棲のモササウルスの場合、内陸地への輸送時にかかる負担は陸棲である他二体の比ではない。これまではそれなりに無理を強いてきたのだ。



「はーい、ティラミス!皆さんにお別れのごあいさつ♪」

 水面から上体を起こし、オール状の前脚を器用に振って〝バイバイ〟のポーズを取るティラミス。

 剽軽なその仕草に観客席からは拍手と笑い声の混じった歓声が沸き起こる。

 無事にショーを終えた夕海は、プールサイドで遅めの昼食を摂りはじめた。買い置きしたハンバーガーを口に頬張っていると、横から彼女の目の前にミネラルウォーターの入ったペットボトルが差し出される。

「夕海さんお疲れさまぁ~す!」

「おっ、サンキュー♪ 気が利くねぇ~木野君!」

 ボトルを差し出したのは修大だった。傍らには希人の姿も見える。

 出撃などが重なり、予定より遅れての初公演を終えた夕海に彼等は労いの言葉をかける。

「お疲れ様です、ゆ……じゃないや! お疲れ様です、天貝さん!」

「え~……篭目君も夕海さんって呼んでよ~! なんなら〝夕海〟でもいいんだよ!」

 照れが隠し切れない希人へ、ふざけた笑いを浮かべながら夕海は肩を押し当てる。その様子を見て修大は、ケラケラと意地悪そうに笑う。彼らの嘲笑に対し、希人も睨み返すが赤面しているため締まらず、恥ずかしそうに下を向いてしまう。

「お前ウブだな~!」

「……うるさいよ。あっ、そうだ! サラとレモンは元気にやってますか?」

「あっ、コイツ話題変えやがったな!」

「ち、違ぇよ……」

「ぷっふふふ……だけど、心配になるわよね。まぁ私も最近見てないんだけどね。でも、ちかげから聞く限り結構順調みたいよ」

「そうですか……なら良かった……」

 ――ブゥウウ~ン♪

 ティラミスが大きく声をあげた。歌う様に明るいリズムで響き渡る、象にも似た太い声。

「あら、あんたもなんか欲しいの? 朝の給餌はもう終わったし、お昼には未だちょっと早いのねぇ……あんまりおやつあげすぎると、瀞さんに怒られるのよ」

 プールから身を乗り出してきたティラミス。恐らく鼻歌程度のつもりなのだろが、桁外れの肺活量でそれをやれば爆音が響く。

 しかしその仕草は、いつも通り風貌にそぐわぬ愛らしさを感じさせる。だが、ある一点が希人の目を引いた。

「……なんか、肌あれてませんか?」

「えっ! ウソ!?」

「いや、天貝さんじゃなくてティラミスの方です……」

「……まぁね。最近内陸地への出動も続いていたから、流石にちょっとキツイみたい」

 先程までとは打って変わり、夕海は真剣な表情で話し始める。

 いくら遺伝子改造を施された人造恐竜のたぐいとは言え、水棲生物である事に変わりはない。ならば、長時間水の外で紫外線を浴びる事は大きな負担となる。

 季節は夏。日焼けと呼ぶには痛々しい程、ティラミスの肌はざらついていた。


* * * * *


「飛んでくる的を邪竜の幼体に見立ててください。近づいてきたらDFに指示を出し、撃墜します」

「了解!」

「了解!」

 ちかげの指導の下、サラとレモンのバディは訓練に臨んでいた。彼らへ指示を与え、後方で待機している亘のもとへ駆け寄る。

 新たなバディとDFに対し、彼は値踏みするように見つめていた。涼しげな彼の目元から向けられる眼差しはいつになく真剣だ。

「どうだ、新しいバディは?」

「今のところ特に大きな問題も無いかと思われます」

「だろうな。俺が選んだ選りすぐりの人材だ」

 実際、レモンのバディは元プロボクサーというだけあり、動体視力に優れている。飛んでくる的を的確に見切り、レモンに撃墜を指示していた。

 対してレモンの方は、新たなバディとの連携に不慣れなせいか、本来なら身体能力で大きく上回るに関わらず少し遅れを取っている。

「チッ……」

 亘が不機嫌そうに顔をしかめ、舌を打つ。

「恐らくまだ本調子ではないのだと思われます。新しいバディを迎えて日も浅いですし、気を遣っているのではないのでしょうか? 直に馴れてきたら……」

「翁、」

 レモン達の訓練を見つめていた亘は、体を動かさず目線だけをちかげへ向ける。

 その時の彼の目つきは、涼しげという生易しいものではなく、酷く冷たいものだった。氷柱のような視線を突きつけられ、彼女は言葉を止める。

「……少し甘くなったんじゃないのか? あまり呑気に構えているようでは困るな」

「いえ、そんなつもりは……」

「育て屋専門の連中と親しくするのは別に構わんが、自分の責務を見失うな。お前の今の任務はなんだ?」

「DFの指揮、およびDFと連携しての邪竜の討伐です」

「……その通り。結構な答えだ」

 亘の言葉を受け、ちかげは姿勢を正す。だがそれは、亘の言葉を受けたからというよりも、自らの甘さを律するが故の行動のようだ。


「そうだよね……私、約束したんだ」


* * * * *


 ティラミスの初公演から四日が過ぎていた。

 パンゲア基地内の資料室。静かな室内では、キーボードを叩く無機質な音だけが響いていた。

「ふうぃ~、何か退屈だよなぁ」

「それでも仕事だろ。修大がサボると俺の分の負担が増えるんだけど」

「ワリィワリィ! ちゃんとやるよ~。もう、希人は御真面目さんだなぁ!」

 静寂を破る気の抜けた声。声の主である木野修大は退屈を持て余しているが、対称的に篭目希人は黙々とパソコンへの打ち込み作業を進めている。

 正式なバディに譲渡するまでに、サラとレモンを無事に育て終えた彼ら。今度は他の支部がアルバートサウルスやカルノタウルスを育てる事になった時の参考になるよう、彼らが記録してきた育成過程を要約する作業にあたっていた。

「そういや、サラとレモンの初出動っていつなんだろうな?」

「そんなのわかるかよ。それを決めるのは俺らでも偉い人でもなく、邪竜さんだろ」

 修大の呟きに希人は適当に返す。普段の彼と違い、その声音には何処か刺々しさを含まれていた。

「ですよね~……ってかお前ちょっと機嫌悪くない?」

「えっ? ……ごめん、そんな風に見えた?」

「いや、俺の気のせいならいいんだけど」

 不意に自分の内心を指摘され、希人は僅かに狼狽した。取り繕うように笑顔を作る彼を、修大は怪訝そうな瞳で見つめる。

「なぁお前……」

 修大が言葉を口にしようとしたその時だった。


『緊急通達! 半水棲型の邪竜二体が荒川区に出現。戦闘人員並びに救助隊員はただちに出撃の準備をされたし。繰り返す半水棲型の邪竜が……』



「……行こう、修大」

「あぁ」

 彼らは本来戦闘要員ではない。

 だが、人造恐竜がDFとして初めて出動する際は、育成に当たったブリーダーが緊急時に備えて同行するのが慣わしだ。無論その〝緊急事態〟が起これば、彼らの信頼とDFが持つ《生きている価値》が同時に地へ落ちてしまう事を意味する。




 ――東京都荒川区某所。

「既に周辺住民の避難は完了しました」

「ご苦労だ。では出るぞ、準備はいいか?」

「問題ありません」

「右に同じです」

「同じく問題ありません」

 住民の避難誘導にあたった救助隊員からの報告を受け、亘が出撃前の確認を取る。

 彼の問いかけに対しちかげが答えると、真新しい隊員服に身を包んだサラとレモンのバディもそれに続いた。

 肩から袖口に掛けて白いラインの入った黒地のライダースーツ。強化繊維で作られたそのスーツを着込み、物資を詰めたリュックサックを背負った四名は、一様に前方へ視線を向ける。


「よし……特殊機動小隊、出撃!」

 亘の合図に答え、長径は十メートルを超える巨大なトレーラーのハッチが開く。

 青空の元、荷台からはメタリックカラーの鎧を身に纏った恐竜達が姿を現した。


* * * * *


「……とうとう来たな」

 緊張から来る焦りや不安を持て余した修大は唇を噛み締める。今回に限り、本来は戦闘要員ではない彼らも有事に備え、戦闘用のスーツを着込んでいた。

 戦闘区域の中心付近に停められた装甲車。その荷台からモニターを通し、修大と希人は戦況を確認している。

 彼らの手元には、戦闘区域全体をカバーする手の平サイズのレーダーデバイスと、訪れてほしくない緊急事態が来た時の連絡手段として使われるトランシーバーが二組置かれていた。因みに彼らの方からトランシーバーを使い、連絡ができるのはちかげのみである。

「サラとレモンはどこだ?」

 希人が疑問を口にした時、モニターには見覚えのあるシルエットが映った。


 深紅に染め上げられた鎧。

 瓦屋根の様に幾重にも重なりあった装甲が、背中を覆う。

 しかし無駄なく軽量化された装甲は流線形を描き、機動性を殺す様なことはしない。


 刀の様に鋭い兜も被り、全体からは刺々しい印象が漂っているが、その隙間からは覗く鮮やかなエメラルドグリーンの瞳は丸く愛らしい。見覚えのあるその瞳の中には普段と変わらぬ輝きが湛えられているが、どことなく不安や寂しさを抱えているように感じられなくもない。

「サラ……」

 深紅の鎧の隙間からは、緋色と白が織り成す慣れ親しんだ更紗模様が見て取れた。

 サラに続いて後方からレモンも姿を現す。

 頭部の二本の角を支柱にするような形で、更に大きな角が兜には取り付けられている。

 サラと同じく、胴体から尾にかけては流線形を描くように装甲が重ねられていた。

 深緑の装甲とレモンイエローの体色が鮮やかにマッチしていて、戦場に似つかわしくない程に美しい。

「頼む……生きて帰ってきてくれよ……」

 両手を合わせ、祈るように強く握り締める修大。

 既に震え始めた彼を労わるように、希人は背中を摩る。

「…………」

 モニターを捉えたその瞳は微動だにしない。

 希人は瞬きすら忘れ、視神経の全てを画面の中へ注いでいた。


* * * * *


「二体で邪竜を分断し、追い立てろ。止めは俺のテリジノで刺す!」

「了解!」

「了解!」

 亘の指示を受け、サラとレモンのバディがインカム越しに応えた。

 続いて偵察に出ていたちかげからの報告が入る。

「勇部隊長、二体の邪竜は水再生センターに向かっています」

「なぜそんなところに?」

「恐らくは産卵の為かと。高い環境適応能力を持つとは言え、やはり清浄な水を好む傾向がある様です」

「贅沢なやつらだ……」

 ちかげは、以前資料室で目を通した邪竜の行動原理を元に提言する。

 彼女の言葉を受け、亘は右の口角を釣り上げ静かな笑みを浮かべた。嗜虐的ともとれる微笑みを浮かべた口元を動かし、インカム越しに指示を出す。

「作戦の一部を変更する。陽動ではなく迎撃だ。総員、水再生センター前に集結!」



「了解」

 彼の声はインカムを通り、サラとレモンのバディに届いた。しかし、その声に対して帰ってくる返答はひとつ足りていない。




 亘達から遠く離れたビル街の一角。

 邪竜を挟み撃ちにする為にサラとレモンはそれぞれ距離を取り、ビル群に身を潜ませながら徐々に距離を詰めていた。現在、一体目の邪竜とレモンの直線距離は五百メートルまで迫っている。

 乱立する建造物が視界を遮る事で、直接の戦闘が避けられている状態を維持していた。

「(……けっ、あんな若造に偉そうにされちゃ堪んねぇよ)オイ、お前!」

 ――――グゥ?

 レモンのバディは、鋭い眼光で下から睨みあげる。その視線の意図など出来ないレモンは、思わず首をかしげた。

「待ち伏せなんて俺の性分じゃねぇんだよ……お前でも一匹くらいは何とかなるだろう?」

 そう言葉を残し、レモンのバディはビル群の隙間から車道へ飛び出していく。

 遮蔽物のない広い車道は、ビームガンの射線上に邪竜を捉える事を容易にする。


 ……しかしそれは、彼らの側だけの話ではない。


 銃口から放たれた光弾の接近を察した邪竜は、既の所でその弾をかわす。僅かに姿勢を低くするだけで弾を避けた様子からは、ギリギリ気付いたという最初から見切っていたという余裕が現れている。

 光の弾の出所を認識した邪竜は、獲物への攻撃を宣告するかの如く天を仰ぎ、甲高い咆哮を上げた。

 金色の虹彩を持つ左右の瞳でしっかりと狙いを定め、長く逞しい尾で地面を叩きつける。

 水中での推進力を作り出すしなやかな筋肉の鞭は大地を弾き、その巨体を弾丸の様に押し飛ばした。瞬く間に間合いを詰め、正にその毒牙が一人の男を捕らえようとしたその瞬間、



 ……寸前の所で割り込んだ一つの影が、邪竜のひと噛みを阻んだ。

 釘の様に鋭い牙がびっしりと並んだ邪竜の口を押しあてられ、その巨体は苦悶の声を上げる。


* * * * *


「あいつ何してくれてんだ!!」

「おい修大!」

 モニター越しの映像に怒りを露わにする修大。悲しみと苛立ちに打ち震えた彼は、GPS機能の付いたレーダーデバイスのみを手に取り、装甲車から飛び出して行ってしまう。

 希人も直ぐに追いかけるが、乗り捨ててあったバイクに乗りこんだ修大は既に遠く彼方に消えていた。

 先ほどまで目を向けていたモニターには、肩口へ邪竜の毒牙を押し当てられ、苦痛に悲鳴を上げ続けるレモンの姿が映し出されている。鮮やかな黄色の表皮が、今はおびただしく流れる真っ赤な鮮血に染められ、深緑の装甲部分との境界が曖昧だ。


「こりゃヤバいな……」

 修大の処遇もそうだが、何よりもレモンの命が危うい。

 こうなっては希人もここでじっとしている訳にはいかない。レーダーデバイスとトランシーバー、そして僅かに物資の入ったリュックサックを持ち、彼も車外へ飛び出していく。

 バイクの免許は持っていないが、幸運な事にシティ用のクロスバイクが乗り捨ててある。幸い鍵も掛けられていない。しばしの間、希人はこの自転車を拝借する事にした。



 この状況を打破する為には何が必要だろうか?


 恐らくテリジノサウルスの機動力では間に合わないだろう。レーダーデバイスで確認した位置から考えると、テリジノサウルスが到着する頃にはレモンは骨だけになっている可能性すらある。


 ならガリミムスはどうか?

 ……これも現実的ではない答えだ。確かにガリミムスの脚なら、邪竜と交戦するカルノタウルスの元へ駆けつける事は可能だろう。

 だが今回はちかげを背に乗せての偵察が主任務だ。背中が開いていない以上、決定打のある武装は搭載していない事は容易に想像できる。


 ……そうなると、選択肢は一つに絞られる。

「翁さん、サラのバディに繋いで貰えないか? 大至急伝えたい事があるんだ!」

「篭目さん、どうしたんですか?」


 ――ちかげは現在の状況は届いていないのか。

 情報収集と戦況の確認が主任務である彼女が現在の状況を知っていないという事は、彼女がサラやレモンの位置から離れている事を意味する。

 トランシーバー越しに会話しながら確認したレーダーデバイスの位置が、その推察を確信へと変えた。


 ――別の装甲車に搭乗しているオペレーターは何をやっているんだ。

 町中に設置されたカメラ。有事の際の記録を撮る為に町中のいたる所に設置されており、現に彼らが見ていた映像もそのカメラを通して送られてきたものだ。もしかしたら亘の元への伝達はこれから届くのかもしれない。

 だが、既に劣勢に陥ったレモンを救う為には遅いのだ。



 ……ただ不幸中の幸いと言うべきか、レーダーで確認した位置ではサラからレモンまでの距離はそれほど離れていない。

 更に言えば、希人の現在位置はその中間地点とも言える場所だ。


 一瞬だけ、彼の心に迷いが差し込んだ。

 だが悲しい事に、熟考するだけの時間的猶予というのは、何時の時も彼の元に与えられない。僅かな迷いを振り切り、自転車を乗り捨てて歩道橋を駆け上がる。


 ――これは自分が独断で実行に移す浅はかな打開策だ。

 ちかげにまで責任の所在が及ぶ事を良しとしない希人は、電源を落としレーダーデバイスとトランシーバーを静かに置いた。

 全力で動かしてきた彼の体からは水分がどんどん抜け落ち、荒々しくなった息が火照った全身を上下に揺さぶる。

 歩道橋の階段を登り詰めると胸を押さえ、呼吸を無理にでも整えようと大きく息を吐いては、空気を吸いこむ。

 渇ききった喉を絞りあげ、声帯を精一杯震わせて希人は叫んだ。


「サラァァァアアア!!」


 喉の奥から流れ出した血が舌に落ち、ヘモグロビンの鉄臭さが口の中に広がる。

 それでも彼は叫び続ける。


「サラー! ここだ、ここに来るんだー!!」


 信じていた。遺伝子改造により鋭敏な聴覚を得たサラに、この声が届くと。

 仮に声が届かなくても、何か別のものが届くことだってあると。

 他人に話したら笑われる様な奇跡や絆だって、今の彼には信じたくなる程に必要な希望だった。



 ――グオォォオオオン!

 希人の声にひとつの咆哮が答えた。この日の青空に響き渡る力強い声が。

 深紅の鎧を纏った竜は、既に希人目がけて大地を蹴りつけ、車道を全速力で駆け抜ける。

 舗装された道路を打ち抜き、走り続けた深紅の猟竜は希人が歩道橋の元へ辿り着いた。


「サラ……」


 涙を浮かべる彼の瞳には、懸命に走り続けてきた愛竜の姿が映っていた。

 また、翠玉の様に丸く鮮やかな緑をした瞳も、同様に希人をしっかりと捉えている。

 見慣れた愛しい顔つきに、一瞬希人の気が緩む。気丈に立ち続けた脚を、そのまま畳みそうにもなった。

 だが、今の彼にそれは許されない。唇を固く噛み、飛びそうな意識を踏み止めた。

「そうだ、早く行かないと!」

 希人は歩道橋の階段を中ほどまで下り、サラの装甲に付いたボタンに手を伸ばす。ボタンを目一杯の力で押すと、白煙を上げてサラの胴体を覆っていた刺々しい鎧は外れた。

 刃物の様に鋭い装甲のない背中なら何とか跨る事も出来る。希人は歯を食いしばり、サラの背中へ手をかけ登ろうとしたが、手すりに乗せた足を滑らせ、地面へ落ちてしまう。

「……と、あぶなかった~! ありがとう、サラ!」

 地面に衝突するよりも早く、サラは希人の襟を咥え事なきを得た。そのままサラの背中に乗せてもらうと、希人は指示を出す。


「このまま走るんだ……レモンのところまで!」

 レモンの位置までの道程は彼の頭に入っている。ここから道なりに直進するだけだ。

 希人の言葉を受け、サラは一歩ずつ足を踏み込み、除々に速度を上げていく。

 振り落とされない様に希人も必死でしがみつくが、サラは何よりも希人の事を気にかけていた。正面からの風圧を防ぐ為に目を細めている彼には見えないが、サラは背中の希人を横目でしっかりと確認しながら走っている。


* * * * *


「待ってろよ、レモン……」

 バイクを走らせ、レモンの元を目指す修大。

 憤りから来る怒りと焦りがグリップを強く握り締めさせる。

 ……しかし彼の切実な思いとは裏腹に地面は震えだし、二輪車での走行を困難にした。

「クソッ! 何だってんだ!」

 規則的に響いてくるその振動は、序々に近づいて来る。スタッカートの演奏指示を受けているかの様に短いスパンで繰り返される地響きは、その主の走行速度が非常に速い事を現していた。

 対象の接近を感じた修大はバイクを降り、路地へ身を隠す。

 車道の様子を伺いながら、地響きの正体について彼は考えを巡らした。一瞬だけ邪竜である可能性を考えついたが、直ぐにその仮説は却下される。


 今回出現したのは半水棲型である。

 短い足と扁平な体つきをしており、走行には不向きな体型だ。

 筋肉質の尾が生み出す瞬発力はあるが、地上での走行速度は決して速いとは言えない。


 しかし、今聞こえている足音と受け取れる轟音は、明らかに高速で彼と同じ方角へ向かってきている。その主は遂に姿を現した。

 力強く大地を踏み抜きながら、まるで疾風が通り抜けるかのように颯爽と更紗の竜が現れる。

「希人!?」

 修大の目に映ったのは、胴体に纏った鎧を脱ぎ捨てたサラと背中に跨る希人の姿だった。目を細め、限られた視界の中でも修大を見つけた希人は叫ぶ。

「レモンはサラと俺で助ける! だから心配しなくていい!」

 過ぎ去っていく彼の声は遥か遠くに聞こえたが、言わんとする内容は修大にしっかりと届いた。

「頼む……頼んだぞ!」


 緋色の猟竜とその主人は背中に彼の期待を受け、走り去っていく。

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