第四話「そんなに泣かないで」〈3〉
「よしレモン! いいぞ、その調子だ!」
青空の下、レモンは設置されたハードルを飛び越え、屋外運動場を走り回っている。
カルノタウルスのレモンが訓練に復帰して、三日が過ぎていた。
修大の手腕により効率化された訓練内容をこなす事により、遅れていた訓練ノルマの消化は殆ど修了している。
「やっぱり修大いると違うね」
「だろぉ? 俺様をもっと敬いたまえ希人くん!」
「お前……」
自信満々に胸を張り、腰に手を当てて踏ん反りかえる修大。
言葉に出さなくとも「えっへん!」と言うセリフが聞こえてきそうな修大を見て、希人は半ば憐れむような視線を彼に送る。
「なんだよその目は! ……まぁでも、お前に貰った資料すげー役に立ったよ。ありがとな、希人」
「えっ? ……いいよ、それくらい。ってか、そう言う事改めて言われると恥ずかしいな……」
「はっ? この前のお返しなんだが? 急にこう言う事言われると気まずいだろ?」
「まぁ確かに……その説はどうもすみませんでした!」
以前希人が作成し、修大へ手渡した資料。当時レモンの拒食に修大が手を焼いていた事を意識してからか、成長不良などによる弊害の事を中心に纏められていていた。
当然資料の中には、成長が遅れた場合に成長促進剤が投与される可能性がある事、その使用により生じ得る新たな弊害についての折り込み済みだ。
「あの資料で予備知識をきちんと頭に入れておかなかったら、多分俺、あんな冷静では居られなかったな」
「まぁでも、仮に俺の資料がなくても瀞先生から説明あったと思うけどね」
「いや、やっぱり事前に心構え出来てたのは大きいよ。アイツの成長が遅いことは俺にもわかってからさ……」
「修大?」
快活な修大にしては珍しく、眉毛を下げて寂しげな表情をのぞかせていた。はっきりした二重瞼の大きな瞳が、今日はどこか物悲しい。憂いの込めれたその視線は、遠方で走り回るレモンに向けらていた。
楽しそうに走るレモンの様子を見つめ、修大は小さく息を吐き出す。それは隣にいた希人にさえ聞こえない、小さな吐息だった。
僅かな呼吸の後。彼は希人に、レモンの出自について話し始める。知識を共有しているもの同士にしか話せない程に些細で、それでいて変えられない事実を、修大は告げ始めた。
「アイツ……レモンの事なんだけどさ、アイツ人工子宮育ちなんだよ」
人造恐竜の出自には大きく分けて二種類ある。
ひとつはサラの様に、母体の子宮で生育し誕生する個体。もうひとつは、人工子宮の中で受精卵を育成し誕生させた個体。
区別の為、前者を【ナチュラル・ボーン】、後者は【アーティフィシャル・ボーン】と呼称されている。
一般的に、ナチュラル・ボーンの個体の方が生育も良く、刷り込みの成功率も高いとされている。またコストの面でも、多くの機材を必要としない分、アーティフィシャル・ボーンより安上がりに済む。
実際、アーティフィシャル・ボーンにより生み出されるのは、人造恐竜を開発し始めた時の第一世代以降、新しい品種の製造を試みる場合以外ほとんど無いに等しい。
だが、修大の育てるカルノタウルスは比較的初期に作出され、多くの育成記録を集められる程メジャーな種類である。普通であれば人工子宮で育成される事は考えにくい。
「意外だろ? ……でもアイツ、元は母親の胎内で育ってたんだ」
「そうなんだ……」
「ある時、母親の方が急死しちまってよ。だけど、レモンの方はギリギリ生きてた。だけど、そのまま生きていけるほど体は出来上がってなかったんだ」
「だから人工子宮に入れられた?」
「正解。でも人工子宮で育てる場合って、それ用に綿密な計算や計画の元行われるだろ? でも、レモンは違う。なんだかんだ産まれては来れたけど、やっぱりちょっと小さかった」
レモンの出自について語る修大の表情はどこか物悲しい。口元をキュッと結び、目を細めて見つめる先にはレモンの姿がある。
視線の向こうに居るレモンはひたむきに、しかしどこか楽しそうな様子でサラとグラウンドのトラックを走っていた。
「……まぁ、最初の方の話は瀞さんから聞いただけなんだけどな。でも、人工子宮の中で育つアイツの姿は見た。正直ちょっと切なかったな……〝コイツは何のために産まれてくるんだろう〟って考えちまったよ」
――そんなの邪竜と戦うためだろ?
答えの用意が無かった訳ではない。
だが修大の疑問の意図が、単純に言葉のままではない事を理解していた希人は気安く口を開こうとしない。
『人類の為、ひいては現生生物の生息環境と命を守る為』
もっともらしく、人を説得するには十分すぎる理由。
しかし、それは修大や希人が決めた事ではない。恐らく当時の修大が疑問に感じたのは、
『邪竜と戦う為だけに産みだされたこの命の幸福は、果たしてこの世界にあるのだろうか?』
そんな青臭くて優しい思い煩いだったはずだ。
それは、希人がDFの本体に関する説明を聞いた時に感じた憤りと同じ根から派生した感情なのだろう。
「だから、『せめて俺の手でちゃんと育ててやらなきゃ』そう思ってたよ。勿論それは今も変わらない。……でも、それでお前と喧嘩しちゃったな」
「いいよ。それはさ、お互い様だって」
「本当、お前いいやつだな。俺一人だったら多分潰れてたわ……」
――それはこっちも同じだよ。
希人はそう言いかけて止める。
木野修大とは、よく笑いよく話す朗らかな男だ。そんな彼がどこか寂しげな表情をしている。今は自分の話をするよりも、彼の言葉に耳を傾けた方が本人の気持ちは落ち着くだろう事を、希人は理解していた。
「なんか予定より早く来る事になっちゃったな……。最初から決まってた事ではあるけど、お別れってのは、やっぱりその日が近付くに連れて色々考えちゃうな」
「ホント、〝おわかれ〟なのに、割りきれないね」
「ちょ……希人、お前そのセンスはないわ~。ハハハハ…………」
修大が胸のつかえを吐き出したのを確認すると、希人はわざと茶化してみせる。
あまり湿っぽくなるのは修大の性分ではないだろう。こうして自分の寂しさや不安を曝け出すのも珍しい。なら、きっと彼はそうならい為に明るく振舞おうとするはずだ。
だが、いくら表面を取り繕っても、彼の寂しさや不安が消えてなくなる訳ではないのだ。いつものように明るく振舞う事も、決して楽ではないだろう。
だから、彼が自身を鼓舞させる労力を肩代わりしようとしたのだが、その為に必要な希人のセンスはいまひとつの様だ。
「…………」
「まぁでもアリガトよ……よし、そろそろレモンたちも休ませてやろうぜ!」
そう言って修大は駆けだして行った。彼に続いて希人もサラの元へ向かう。
「よくやったなーレモン! おっ、よしよし♪ いい子だ!」
「頑張ったね、サラ。うん、よしよし」
二頭とも既に体長は七メートルを超えているが、今は希人と修大の前に平伏していた。恐竜たちは強靭な筋肉を纏った巨体を小さくたたみ、頭上の彼らを見上げる。
鋭くも太い牙がぎっしり生えた口を持つ獰猛そうな面構え。しかし、その顔には似つかわしくない程に、瞳は清らかな輝きを湛えている。宝石のように美しくつぶらな瞳は、希人達を真っ直ぐ捉えていた。
その瞳には敵意も殺意もなく、獲物を見定める肉食獣の目ではない。
サラとレモンを労い、鼻先を撫でる希人と修大。小さな彼らの手の感触を確かめ、大きな体に付いた小さな瞳は、幸福の内に閉じられていく。
梅雨に入り、関東圏は連日の様に雨が降り続いていた。
サラとレモンの正式な譲渡を五日後に控えたこの日も、空はねずみ色の雲に覆われ、木々の葉を絶え間なく降り注ぐ水の弾丸が打ち付ける。
パンゲア基地内にある資料室。床から天井付近まで続く二メートル以上ある本棚には、書籍を始め、これまでに収集された邪竜のデータを纏めた資料、更には人造恐竜の生態について観察された映像資料までギッシリ詰め込まれている。
高層ビル群の様な本棚を抜けた先には、十席程の机と椅子が設けられた作業用スペースがある。その一角にある窓際の座席に、希人は腰を下ろしていた。まだ午前中ではあるが、生憎の天気のせいで手元を照らす光源は不充分な為、デスクライトを点けてノートパソコンを操作している。
「お疲れ様です篭目さん」
「お疲れ様です」
「隣いいですか?」
「どうぞ。俺の席って訳でもないですから」
希人の姿を見かけたちかげは、手元に抱えた資料を机に下ろし、彼の左隣に腰かけた。
「あれ? 篭目さんって眼鏡してましたっけ?」
「あぁ少し乱視があって、パソコンで作業する時とかは裸眼だと疲れるんです」
「そうなんですね。結構似合ってますよ!」
「はぁ……でもあんまり好きじゃやないですけどね、眼鏡」
丸みがかったセルフレームの黒ぶち眼鏡。オーバル状のフレームが切れ長の瞳と相俟って、柔らかくも知的な雰囲気を醸し出している。
その眼鏡をちかげは、「彼によく似合っている」と思ったが、当の希人は余り気に入っていない様だ。
「なんか眼鏡ってあんまり好きじゃないんですよ。鼻のあたりムズムズするし、視界にフレームが入ったりして邪魔臭かったり……」
「そうですか……じゃあコンタクトとかにしないんですか?」
「いやぁ、眼鏡使うのは細かい作業する時だけだし、何より目の中に異物入れるのは恐いです……」
「あぁその気持ち、私もわかります。ところで篭目さん、ここで何してたんですか?」
「サラを譲渡する時の資料です。新しいバディの方の役に立てばと思って」
パソコンの中を覗き込むと、サラの性格上の癖や希人が教え込んだハンドサイン、今までの疾病記録まで分かりやすく纏められていた。サラの事を全く知らない人が見ても理解できそうな程、必要事項が簡潔に記されている。
それを見たちかげは思わず尋ねてしまう。
「その……篭目さんは寂しくないんですか? サラを引き渡すこと」
彼女は自分でも愚問を投げかけていると思った。
希人が寂しかろうが、DFとして戦うために訓練・調教したサラを引き渡す決定事項に変更などありえない。
だがここに来る途中、ちかげは、休憩室でうな垂れベンチの腰掛ける修大の姿を目にしていた。希人と同時期にブリーダーになり、人造恐竜を引き渡す事になっている彼の背中はいつになく寂しげで、小さかったように感じる。
かける言葉もなく、その場を後にしたちかげだったが、彼の感じる寂しさや不安を理解できない訳でない。なにせ初めて自分の育てた恐竜を送り出すのだ。寂しさを感じないとは考えにくい。
しかし、今隣に座る希人は修大に比べ、随分と冷静に現実を受け止めているように見える。
故に彼の気持ちを知りたくなったのだ。
「……そりゃあ、寂しいですよ。でも邪竜と戦う戦場で、サラの隣や後ろに居られるのは俺じゃない。俺はサラに生きていて欲しいから、できる事をするだけです」
「そうですよね……ごめんなさい。変なことを聞いてしまって」
希人とて、サラとの別離は寂しい。だが優しくもリアリストであるこの男は、自分の感じる哀愁よりも、育てあげたサラの生還率を上げる事を優先していた。
どうやらちかげは、彼の意志の強さを少し見くびっていたようだ。その事を申し訳なく思った彼女は謝罪の意を示す。
「いいですよ、そんな! 気にしないでください…………あっ! そういえば翁さんって、ブリーダーもバディも務めているんですよね? 大変じゃないんですか?」
「まぁ楽ではないですね……でもメインで戦うのはDFですし、基本的に私もミリーも前衛に出る訳ではないですからね。騎乗した時に振り落とされなければ、私でも務まります」
「そうなんですか……」
「それにDFの事だけを考えたら、調教する人間とバディを組む人間は同一である方がいいんです。やっぱり連帯感は段違いですし。でも、人材育成の手間や期間を考えたら別々にスペシャリストを配置した方が効率的だろうって事になったんです。まぁここ最近の話なんですけどね」
実際ちかげがパンゲアに入隊した当時、つまり一年ほど前までは、ブリーダーとなった人間がそのままバディとなって邪竜との戦いに望むというのが主流であった。
しかし、そうなってくると
『人造恐竜の訓練もこなせて、邪竜に対峙しても怯まない胆力を持ち、的確にDFに指示を出すことができる』
これら全ての条件を満たす人間が必要になり、人材の確保は容易でなくなる。また、良い人材が居たとしても、人造恐竜の調教と自身の訓練を併行して行うとなると、膨大な負担がかかる上、成果として得られる戦力は一組のみだ。
確かに質のいい戦力は得られるが、これからDFという兵器を量産し、邪竜対策に積極的に運用していく上でこれは大きな足枷となる。その為、調教・育成と指示・援護する人間を別々に確保する事になったのだ。
DFという兵器が開発され実戦投入されるようになってから、五年程が経つという。邪竜への対抗手段として、これ以上ない有効策を人類は得たが、その運用については未だ手探りの部分も多い。
「勇部隊長と夕海さんも、育成・調教からバディまで一貫して行っています。だから、ブリーダーとバディを別々の人間に担当させるのは、私達の支部では今回が初めてになりますね」
「じゃあ責任重大ですね。俺たち」
「でもサラもレモンもいい子たちですから、きっとその点は心配ないと思いますよ!」
「ありがとうございます。本当、いい子たちですよ……あとは無事に帰って来て貰えたら言うことないです」
「……そうですね」
本当は「私たちが守りますから安心してください」と彼女は言いたかった。
物分かりのいい希人のことだ。仮に気休めで言ったのだとしても、それを咎めることはしないだろうし、何よりそんな言葉をかければ喜んでくれるだろう。
だが、ちかげはその言葉を口にする事はできなかった。それは宣言するまでもないのだ。彼女のバディであるガリミムスのミリーに与えられた使命を果たせば、それは成就できる事なのだから。
「じゃあ私そろそろ行きますね! この資料持って来る様、しずさんに頼まれてるんで!」
そう言ってちかげは資料室を後にした。微笑みながら手をする彼女に、希人も遠慮がちに返す。
時刻は正午に差しかかろうとしていた。希人の右側の窓に叩きつけれる雨足は強さを増し、滝の様な水が窓を伝っていく。
* * * * *
「あ、あの……コイツ、猫缶とか好きなんです! ハハハ、なんか変ですよね。でも一生懸命な奴なんです! 何か頑張ったら思いっきり褒めてやってください! スゲー喜びますから! あとは……」
「修大……」
修大は自分が今日まで育ててきた人造恐竜、カルノタウルスのレモンについて「何か伝えておきたいことは?」と、特殊機動小隊の隊長である亘に問われ、しどろもどろになりながら自分の思いを口にしようとしていた。
その様子は傍から見れば酷く滑稽である。だが、朝焼けに照らされた水面の様に潤んだ輝きを湛えた彼の瞳は、言葉の稚拙さを補い思いの丈を伝えていた。
「とにかく何が言いたいかってーと……その、コイツ……レモンの事をよろしくお願いします!!」
修大は深く頭を下げた。まるでアルファベットのLを右側へ九十度回転させた様な姿勢だ。彼の目線の先には自分の足元と会議室の床以外に何もない。
六月二十五日。
この日、アルバートサウルスのサラ号、並びにカルノタウルスのレモン号は、DFとして運用されるため、正式にバディの元へ譲渡される事となる。
「なんだ兄ちゃん、随分とアツい奴だな!」
「い、いやぁ……それ程でもないっすよ~」
「しかし〝レモン〟って名前なんか乙女チックだな!まぁ俺に任せてくれよ!」
「そ、そうですか? ……まぁよろしくお願いします!」
「言われると思ったよ……」
「まぁ〝サラ〟も大概ですけどね……」
「えっ?」
ネーミングセンスについて突っ込まれる修大の悪態をついた希人だったが、彼自身もちかげから同様の指摘を受けてしまう。
レモンのバディになる人物は少し色黒で修大よりも小柄な男性だった。だが元プロボクサーというだけあって、筋肉質の逞しい体つきをしている。
「篭目さんの方からは何かありますか?」
「そうですね……こちらからの質問になってしまいますが、先ほど勇部隊長からあった説明の中で、不明な点などはありますか?」
「いえ、特にないです」
「なら、私の方から特にこの場で補足する事はありません。詳しい特性やハンドサインについては、お渡しした資料に目を通していただければと思います。よろしくお願いします」
「こちらこそ、今までありがとうございました」
サラのバディになる人物は、希人と年齢も身長もあまり変わらないであろう青年だ。しかし、細身ながら鍛え上げられ無駄のない体つきは、警察学校で鍛えられた賜物だろう。
「いえ、こちらこそお願いします。では、受け渡し確認のサインを……あれ? 確認書は?」
「篭目さん……」
ほんの数ヶ月前までペットショップで勤務していた希人。
動物愛護管理法により、爬虫類・鳥類・哺乳類を販売する際は、顧客に対し事前説明をし、その証明として署名を貰う事になっていた。体に染み付いた手順が抜けきらない希人は、つい書類を探してしまう。
「あっ……し、失礼しました!」
「うふふ……篭目君おもしろい!」
「天貝さんまで……」
修大と違い、冷静に対応していた希人だったが、間抜けな所を見せてしまいか夕海から突っ込まれてしまった。頬を赤らめ思わず視線を落としてしまう。
「とにかく、これからサラの事をよろしくお願いします!」
「改めて俺からもレモンの事をよろしくお願いします!」
希人が深々と頭を下げたのを受けて、修大も一緒に頭を下げた。
右半回転のLの字が、今度は二つ並んでいる。
「では、ブリーダーからの引継ぎは以上という事で。続いては指揮系統などの確認に入ります」
亘の号令を受けて、新しくバディになる二人とちかげ、夕海の四名は着席する。
「じゃあ俺らは行こうか……」
「だね……」
修大と希人は一礼し、会議室を去っていった。
* * * * *
「うぅ……やっぱり寂しいよぉ~……」
「まぁ落ち着けよ」
「俺、将来娘が出来たらこんな思いすんのかなぁ?」
「なに言ってんのお前……」
ブリーダーとしての名目上、最後の仕事を終えた二人は、修大の部屋で祝杯をあげていた。
サラとレモンを無事に送り出した事は、彼らが職務を果たしたと同時に、別れの時が来た事を示していた。
「まぁでも、初陣の時は緊急時に備えて俺たちも付いていくだろう?」
「でもそれ……レモンに会えないじゃないかぁ~!!」
DFとして人造恐竜が出動する際、初出動の時のみ、ブリーダーを請け負った人間が同行する。しかし、その役目は『万が一、DFが人間の支持を受け付けなった時の保険』だ。基本それ以外は、DFとしての役目を持ち始めた人造恐竜に、ブリーダーだった人間が接触する事はない。
それは新たなバディとの連携を高めるた為、元の親とも言えるブリーダーの存在にDFが依存するのを防ぐ必要があるからだ。ブリーダーとなった人間の存在がチラつけば、その分DFは〝親離れ〟ができなくなる。
共に並び戦うバディになった場合はそれもプラスに作用する事があるが、そうでない場合はマイナス面ばかりだ。
……勿論、バディの指示を受け付けなかったDFの処遇については、言うまでもない。
「いい事じゃないか……俺たちの出番が無いって事は、サラやレモンがこの世界で居場所を手に入れたって事なんだから……」
「まぁそうなんだよな……クッソ! 今日は飲む! 飲むぞー!! 希人、ビール!」
「はぁ? 自分で注げよ! 俺はお前の奥さんでも部下でもねぇぞ」
「んな冷たいこと言わないでくれよ~……傷心の俺に優しくしてくんないの? 希人くぅ~ん」
「しょうがねぇな……」
子犬のようにヒクヒクと鼻を鳴らし、潤んだ目を向ける修大。
しかし赤く染まった顔のせいで、その姿は子犬というよりもニホンザルだ。酔い潰れ、時々泣き出し、そして笑ったかと思うと、今度は自虐的に塞ぎこむ猿の赤ん坊を、宥めながら希人も少しづつ酒を口に運ぶ。
「なんだよ~……お前もちゃんと飲めよ~!!」
「俺、あんま酒強くないんだよ……」
「お前まで俺一人にすんのかよぉ……ぐすん」
「はいはい、飲むからね! だから泣かないの!!」
「わぁ~い!! 修大、希人スキ~!!」
「お前ポ●ョかよ……あれって金魚がモデルなんだっけ? お前の場合なんだろな? ……ギャンギャン騒ぐから、よく泳ぐ和金型だな。多分コメットあたりだと思うわ」
「ん……何言ってんの? 早く飲もうぜ~!!」
ぷぅ~と頬を膨らませ、自分の存在をアピールする姿を見て、
「水包眼だったのか……」と希人は『遠い海から来たShu-Dai』のモデルを決定する。
何かが微妙に間違っているようだが、酔いの回ってきた希人はいまいちピンと来ない。
「……ったく、あいつ飲みすぎだろ。何で俺があいつをベッドに運んでやんなきゃいけないんだよ」
四時間ほど修大の自室で飲み通しだった。
修大の方から「今夜は飲み明かそうぜ!」と誘ってきた割に、当の本人は早々に酔い潰れてしまったのだ。どうやら修大の方もあまり酒に強い部類ではないらしい。
先に酔い潰れた彼を介抱し終え、希人も帰路につく。時刻は二十三時をとうに過ぎた頃だ。
危なっかしい足取りで宿舎の階段を昇ると、そこには見覚えのある人影があった。
「翁さん?」
希人の部屋の前に立っていたのはちかげだった。
一度自室に帰ったのか、見なれた制服姿ではなく、彼女も私服姿だ。デニム地のショートパンツとラインストーンの散りばめられた黒地のTシャツが年相応の少女らしく、ムシムシした梅雨の空気の中にあっても涼しげな印象を与える。
「お疲れさま……どうしたの? こんな時間に」
「お疲れ様です。いつかのハンカチをお返しに来ました」
(……そういえばそんな事もあったな)
希人はいつかの日の事を思い出していた。風が気持ち良かった事。そして夕焼けが綺麗だった事が強く思い起こされる。
「ありがとうございます……でも、別に今日でなくても良かったんじゃ?」
「明日から新しくバディになるお二人の訓練監督をするので、なかなか時間作れないんです。篭目さんに来てもらう訳にいかないですからね……」
ちかげが最後に放った言葉は、希人にサラが手元を離れた事を改めて実感させる。同時にそれは、ちかげとの繋がりが今までに比べ希薄になる事も示していた。
「……あっ、そうだ。翁さんって、柑橘類食べられますか?」
「まぁ好きですよ。どうかしたんですか?」
「ちょっと待っててくださいね!」
そう言って希人は自室へ上がって行った。
……十分ほどの時間が過ぎていた。
流石に待たせすぎではないだろうか? ……と言うよりも、律儀な希人が断りなしにここまで人を待たせる事が考えにくい。
――何かあったのだろうか?
流石に心配になったちかげは、希人の部屋にあがりこむ。
そこで目にしたのは、扉を開けた冷蔵庫の中に突っ伏している希人の姿だった。右手にはよく冷えていそうな甘夏が握られている。
「冷蔵庫の中……確かにヒンヤリしてて気持ちいいですけどね……」
野菜室に突っ込まれている彼の顔を覗き込むと、どうやら眠っているようだ。ちかげより大きな体をした希人だが、その寝息は小さく子供の様だった。
「こんな所で寝てちゃ風邪ひきますよ」
ちかげは希人の肩を担ぎ、彼をベッドへ運ぼうとする。六十一キロの彼は成人男性としては重いほうではないが、ちかげからすると決して軽くはない。
「篭目さんの方が重いじゃないですか……人の事、『意外と重いんですね』とか言ってたくせに……」
「……ごめん」
「えっ?」
「でも、今度はちゃんと〝生きる意味〟をあげられたよ…………うに太……僕は…………」
未だ希人の目は固く閉じられている。恐らく彼が口にした言葉は寝言なのだろう。
『うに太』という聞き覚えのない名前を耳にしたが、それ以上に、眉間に皺を寄せ、悲しんでいるようにも怒りに震えているようにも見える希人の表情の方が、ちかげは気がかりだった。
「サラ…………お前は……だいじょ…………」
「だいじょうぶ…………大丈夫ですよ、私が守りますから。……だからね、安心して眠って…………希人さん」
ベッドに下ろした希人の頬に指を当て、言葉をかける。彼の肌に触れたその指は少し湿っていて、ちかげが肌と一緒に、彼の痛みに触れた事を示していた。
彼女の言葉が届いたのかは判らないが、希人の顔つきは柔らかさを取り戻している。
安らかに眠る彼の姿を確認し、部屋を去ろうとしたちかげの足元に何かがぶつかった。
この日の朝は晴れの様だ。
カーテンの隙間から伸びる光のラインが、希人の瞼をそっと撫でる。
太陽が昇った事を感じた彼の瞳は、瞼を上げた。
「ん……あれ? 昨日どうしたんだっけ? 確か翁さんが来て……」
酒が入っていたせいもあり、昨日の事をいまいち思い出せない。
冷蔵庫を上げた所までは記憶があるのだが、その先の記憶がなく、なぜきちんとベッドで寝ているのかのも心当たりがない。
「あ、そう言えば甘夏……」
昨日希人はちかげに甘夏を渡そうと思っていた。彼女には今まで色々と面倒を掛けたのだし、何か簡単なお礼でもしようと思ったのだ。
その事を思い出し、ベッド脇のテーブルに目をやると一枚の置手紙があった。
篭目さん へ
今までお疲れさまでした。
これからも同じ基地にはいるので、こんな表現は大袈裟かもしれませんが、本当に今までありがとうございました。
サラのブリーダーが篭目さんで本当に良かったです。
追伸:床にあった甘夏は貰ってもいいんですよね?私、好きなんで嬉しいです!
翁ちかげ より