12章 試験のあとで
中間試験期間に突入した。
部活はなくなったが、なんとなく學び舎に足が向かなくなった。…って、あたしはもともと帰宅部だったけどね。…學び舎が正式に部活になればいいのにね? 一道さん外部講師にしてさ。
「なー、吉野」
「おう」
「あれから親父さんと、どうなん?」
教室の片隅で、浅田が気になることを吉野に尋ねている。さりげなく耳をそっちに向けてみる。
「あれから、な…いろいろ、あったよ」
「マジか。いいこと?」
「両方だな…。あの後家族で話し合って、夜中の三時まで続く大騒ぎになった。特に母が、堰を切ったように今までの不満をぶちまけてな…」
「おわあ…」
うわあ…。
「うん、これまでずっと従順だった母が、親父にあそこまで言ったのは初めてだったから、相当こたえたらしい。親父がな、母と俺の前で土下座して謝ったんだ。で、あの日を境に家のパワーバランスがひっくり返った」
「マジで?!」
「うん、俺も信じられなかった。どうせ、一時凌ぎのパフォーマンスだろう、と。だが、家の空気はあの日から変化し始めた。その結果というか…親父は少しずつ、今までとは違う一面を見せるようになり始めた。仕事一辺倒だったのが、たまに早く帰ってきたり、週末には母を連れてどこかに出かけるようなことをし始めたんだ」
へえぇ…吉野父、変わり始めたのかな…。
…ん? これって一道さん効果? …いや…一道さんあんまり喋ってないから…えっと…ん? 學び舎効果…? なのかな??
何が、変えたんだろう。
あ。
天、か?
「とーちゃん、吉野にもなんか変わった?」
「うん、あれから時々、俺の部屋に来るようになってな、他愛もない話をちょくちょくしていくようになったよ。ま、勉強はどうだ、とか、先生はどんなだ、一道さんとはその後どうだ、とかな」
「え、それってけっこうすごいんじゃね?」
「…嘆かわしいことに、うちの親父の場合、これでもすごい変化、ということになる。世間一般から見たら恥ずかしいレベルだとは思うが」
「吉野のとーちゃんは、サッカーやっと始めたばかり、みたいな感じだと思うから、上手い奴と比べたらかわいそうっスよ。初心者は大事に育ててあげないと」
なにその例え方。地味に上手なんだけど。
「…まあ、そうだな…親父、一途なところあるから、こうと決めたら上達も早いかもわからんな」
「未来ー。どしたの? ぼんやりして」
さっちんは今日もさっちんだ。
「ん、何でもないよ。…あれ?」
加藤がこっち見てる。何だろ。
「ん? かとっち? あー、そう言えば最近、なんか視線感じるかも」
え。それってそれって…。
「さっちんー、ミックー」
「ほのかー! 会いたかったー!」
「会いたかったもなんも、ずっと同じクラスやろが」
「あははー、そだねー」
むっ…加藤の視線、継続中…!
「ねえねえ、二人とも…こしょこしょ」
(えっ? 加藤っちが? うそやーん!)
(えー、気のせいじゃない?)
(や、さっちん! ぜーったいそうだってば!)
(え、うそ、どうしよ)
おろおろするさっちんとか、けっこうレア。動画撮りたいわ。
(加藤っち、こっち来るで!)
おわ、ほんとだ。なんて大胆な。
三人でキャーキャー盛り上がっていると、加藤が話に加わってきた。
「何の話?」
「あっ…いや、その…」
あたしは言葉に詰まる。…って、あたしが動揺する必要なくない?
「なー加藤、試験が終わったら、どっか遊びに行かへん?」
わー! ほのかナイスアシスト!
「えっ、いいの? どこ行こうか」
「あー、オレも行きたいっス!」
あーさーだーーー! お前はお呼びでない!
「どこ行くか決まってへんよ?」
「どこでもいいっス!」
「軽いなー相変わらず」
「っス! フットワークの軽さが売りっス!」
「せやなー」
ほのか、返事が棒読みだ。
「吉野は来ぉへんの?」
みんなが吉野の方を向く。
「…まずはどこに行くか決めてから聞いてくれ」
「それな」
「どこ行こうかー」
「梅雨が始まるから、屋内がいいんじゃないかな」
「映画とかどう?」
「全員の好み合わせんのむずくない?」
「カラオケ行きたいっスー!」
しばらく決まらなさそうだ。
でも、楽しい、こういうの。
「學び舎へ、ようこそ」
本日のメニュー、かにぱん二つに、コンビニスタバ…。なんなの、この絶妙のミスマッチ感。てか懐かしいな、かにぱん。きれいに割れるのが楽しいんだよね、あれ。
「なんか、久しぶりだね、こうして会うのは」
一道さんの言う通り、吉野父事件から丸三週間ぶりになる。その間、試験やら梅雨やらで學び舎はお休みだったのだ。
一道さん、かにぱんを割らずにかぶりつき始めた。えっ…割らないの…かにぱん…。
「一道さん、かにぱんは割るのが楽しいんだよ」
さっちんがあたしの心の叫びを代弁してくれた。だよね、だよねーーーーー。
「え? これ、割るの? …あ、ほんとだ。きれいに割れて、なんか楽しいね、これ」
「知らんと買ってたんか」
「や、実はこれ食べるの初めてで」
「日本にそんな人、まだおったんや」
いや、いるでしょうよ、そりゃ。
「あの、あたし、一道さんにいろいろ聞きたいことがあるんですけど」
勇気出して言ってみたぞ。誰か褒めて…はくれないか。
「未来さん、なんだい?」
「えと、ずっと不思議だったんですけど…一道さんが最初に校庭で大声であたしたちに語りかけた時、先生とかから何も言われませんでした。…もしかして、一道さんの声、生徒にしか聞こえない何か、とかだったりしたんですか…?」
「あー、アタシもそれ気になってたー」
「それ、僕も不思議なんだよね…」
あれ?
答え合わせ、なし?
「僕はあの日、キリストに言われて学校内に入ったんだ。ま、普通なら不審者扱いでつまみ出されるよね」
「せやろなあ」
「で、校庭に立ったら、キリストが『語れ』って言うから、勇気出して大声で喋ったさ。さすがにあれは、心臓バクバクだったよね」
「…はあ…」
「で、どういうわけか教師とかの耳には入らなかったみたいで、あの後なんにも言われてないんだ」
「そんなわけわかんないのが、答えなんですか?」
「申し訳ないけど…そう。…たぶん、神様がなんかそうしてくれたとしか…」
何だそりゃ。結局、謎のままだ。
「じゃ、アタシも。ゴッホの声聞こえたやつ、あれ何なの?」
「なんや、ゴッホの声て?」
「えっとね、ゴッホ展で、ゴッホの声、聞こえたの」
「…なんて?」
「…って感じ」
「うん…意味わからん…絵やろ? ただの」
「…だよね…」
「僕の意見だけどね」
そう言って一道さんが話し出した。
「ゴッホは今も、作品を通して語り続けているんじゃないかな、って思ってるんだ」
…わからん…。
「自分にも、ゴッホの声は聞けるんですか?」
加藤が尋ねる。
「僕はそう信じてるよ。心の耳を閉じなければ、きっとね」
そんなものなのか。
「他の作家でも聞けるんスか?」
「えっ…いやー、どうなんだろうね」
あ、そこは即答で「うん、聞けるよ」じゃないんだ?
「次、美術館行ってみないっスか? 面白そう」
「『絵の声を聞く会』、とかはいややでー。これ以上怪しくせんといてんか」
「あはは、声はともかく、美術館とかそーゆーのも変わってていいね」
「あの、天から派遣された、とか前に言ってましたよね。あれ、どういう事なんですか?
加藤が尋ねた。
「うん、言ったね。キリストを信じると、人は天に属するようになるんだ」
「え、なんか聖属性とかになるんスか?」
なにそのゲームみたいな言い方。
「あはは、うーん、まあ、そうかな? 天の市民権をもらって、死んだら天の国に帰れるんだ」
「天国、ってやつっスか?」
「うん、そう」
これは宗教の話…なんだよね? 一道さんが言うと、なんか宗教ってよりは「不思議系の話」みたいにしか聞こえないけど。
「そして、天の神様から派遣されて僕はここにいる」
「…どうやって派遣されたんですか?」
加藤がまだ解せないという風に尋ねる。
「『行って、全ての造られたものに福音を宣べ伝えよ』これは、聖書に書かれているキリストの言葉だよ。この言葉に背中を押されて、僕はここにいるんだ」
「なるほど、聖書の教えに従った結果、という感じですか」
「はい、はい」
さっちん、元気いい。
「前に、『天が、地に来ますように』って祈りしてる、って言ってたよね。あれ、アタシも祈っていいの?」
ぬ? さっちん入信するの??
「うん、誰もが祈れるし、祈るべきだと僕は思ってる」
「やったー。アタシも祈ろうっと」
「天って『誰もがありのままで愛される場所』って言ってましたよね」
吉野が言った。よく覚えてるなあ。
「うん、その通り」
「じゃ、一道さんは、俺たちにその『天』を運んできてくれたんだな」
吉野がやさしい笑顔を浮かべた。
一道さんも、満面の笑みを浮かべた。柔らかくて、優しくて、つくづく変わった人だなあ。
「一道さん、ありがとうございます」
吉野が頭を下げた。…本当に、吉野変わった…。この中で一番変わったんじゃないかな。
「My pleasure.」
「?」
「英語の表現だけど、『やらせてもらえて、うれしいよ』って意味なんだ。日本語にすると、少し変な感じもするけどね」
「喜び…」
あ、だからいつも嬉しそうなのかな、一道さん。
「あ、ねえ吉野」
「なんだ、未来」
「初めて學び舎に来た次の日、廊下で声かけてきたでしょ。あれ、あたし気まずくて逃げちゃったんだけどさ…ごめんね。でさ、あれ、何を聞こうとしたの?」
「あー…確か、『昨日の会、どう思った?』って聞いたやつだな」
「そう、それ。…あ、なんだ、会の感想聞きたかったのか」
「ん…まあ、そうだが、あれだ、あの時俺は一道さんが胡散臭くてしょうがなかったからな。そんな中で、未来が受け止められて嬉しそうにしてたから、どう感じたかを聞いてみたかったんだ」
「ああ、そういうことかあ。てかあれ、距離の詰め方マジやばくて引いた」
「…すまん、これからもっと上手くやるよう努力する…」
吉野とこんな会話をするなんて、人生わかんないもんだなあ。
あ、もひとつ聞いとこ。
「一道さん、學び舎の最初の2回と、3回目以降とで、一道さんのモードというか、ずいぶん変わったと思うんだけど、あれなんでですか?」
「そうだっけ」
「えと、最初2回は一道さんすごくよく喋ってたけど、その後はなんか聞き役に徹してたって言うか…」
「あー、そうか。あれね、3回目の最初に僕が『性差について話そうか』って言って、さっちんに『話したくない』って断られたやつね」
「あー、あったあったー」
「それまでは、僕もこの學び舎をどう導いたらいいか、よくわからなかった。でもあの時さっちんに断られたことで、『あ、自分が引っ張っても上手く行かなさそうだな』って感じたんだよね。それで、そこからはみんながどんな方向に行くのかを観察することにしたんだ」
「ああ、なるほど。それで、なんか急におとなしくなったのかあ」
彼も手探りだったんだな。意外。
「あ、オレ、一道さんがキリストの声聞いたっての、気になるっス」
あーーーそんなのまだあったな…特大の謎案件。
「うーん。キリストを信じるとね、聞こえるように、なるんだよ」
…いや、そう言われても…。
「聖書にね、『わたし(キリスト)の羊はわたしの声を聞き分けます』って言葉が書いてあるんだ。で、本当に書いてある通りなんだよ」
なんだよ、って言われても…。
「どんな感じに聞こえて来るんスか?」
「そうだね、『こんな風に言ってる気がする』という『印象』のこともあれば、文章で語って来ることもあるし、絵や映像が見えることもあるよ」
「…なんか、受信する感じなんスか?」
「うん、そうだね」
「それ、アタシも信じたら聞こえるの?」
「うん」
え、さっちんどこ行くの…?
「信じるって、どうしたらいいの?」
うーん、と一道さんは腕組みをして考えてから言った。
「とりあえず、聖書を一緒に読んでみない?」
ー了ー




