chap.7 序章Ⅶ
皆には聞こえていない歌詞。自分が聞いていたものは、実は存在しない歌詞だった。
『────救って』
「なーんか、信じられないよなあ……」
燈司は自分の部屋で独り呟いた。スマホで例の曲を流し、何度も同じ箇所をリピートする。
昨日のアレは夢で、あったはずの歌詞は消えていて──だったらまだ良かったのに。
相変わらず、『救って』の歌詞は聞こえるままだ。同時に現れる廃ビルの幻も、昨日と全く変わらない。
「……何者なんだ? えるえるって……」
えるえるについて調べてみたものの、素性は一切分からなかった。と言っても素顔を隠しているとかではなく、動画では普通にえるえる本人が登場している。
目や髪の色は変えているかもしれないが、少なくとも顔立ちは日本人のそれではない。『えるえる』というのも日本での愛称で、正式アカウント名は『el』。
歳は同じ高校生くらいだろうか。これだけ堂々と顔を晒しているのに、どこの出身とか、幼少期の話とか、そういった情報は全く出てこない。
もしかしたら、両親を『聖痕』で失った? それで燈司と波長が合って、謎のテレパシーが……
ありえない。燈司は首を振った。仮に両親がそうでも、彼女の幼少期を知る者が一人も現れないのはおかしい。調べれば調べるほど、えるえるを覆う謎はますます濃くなるばかりだった。
「曲は確かに良いけどさ……」
こんな状態では、純粋に歌を楽しむことは出来ない。無意識に同じ箇所をリピートしてしまうのだから。
何度も幻覚を繰り返すうち、燈司もすっかり慣れきって、幻覚の中をある程度自由に動けるようになっていた。もっとも動かせるのは首、つまり視線だけで、最後には黒い塊に固定されて終わってしまう。
何回目かも分からない廃ビル観光。ふと、窓の外の景色に目が留まった。
夜の街並みの中に、なんとなく見覚えのある建物がひとつ。それが冬川高校だと気付くまで、そう時間はかからなかった。
「なっ……!?」
背筋がゾクリとする。耳元で囁かれた時とは、また別の寒気だ。漫然とテレビを眺めていたら、向こう側の人間がこちらを見据えていた……そんな感覚だった。
と同時に、燈司の視線があの黒い塊に吸い付けられ、ピクリとも動かなくなってしまう。息づくように脈打つ、眼前の黒い何か。その表面に浮かぶ白い斑点模様が、じりじりと間近に迫ってきた。
幼い頃に見た、父の首筋の『聖痕』が鮮やかに思い起こされ、白い斑点にピタリと重なり────
「……うわあああああっ!!」
燈司は無意識に、動画の再生を停止する。それ以上は続ける気になれない。
──あの黒い塊は、何だ?
もはや燈司の興味はえるえるでも幻覚でもなく、『黒い塊』にのみ注がれていた。
今や聖痕は『平等な死』の象徴であり、そこに一切の選別・意志は存在しない、というのが当然の認識だった。だが、それならあの黒い塊は? 人為的なものではありえないとすれば、超常的な何らかの具象とでも言うのか? 仮にそうだとして、例えばアレを動かすなり、壊すなりしたらどうなる? それでもしも、『聖痕』がこの世界から……
「馬鹿馬鹿しい」
思わず、笑い混じりの呟きが口を突いて出る。ただの幻覚だ。あんなもの、現実であるはずがない。
聖痕による死は、いわば人間の運命なのだ。運命はどう足掻こうが変えられない。それが十七年生きて辿り着いた、燈司の結論だった。
運命が変えられて堪るか。変えられるのなら、死んでしまった両親はどうすれば良かったというのか。自分に何が出来たというのか。人間に何かが出来たというのか。
全て幻想だ。丁度今見ていた、幻の風景と同じ。燈司はそう思い込むことで、いつものように冷静さを取り戻そうと努めた。だが同時に、そうやって必死になっている自分を、遠くから冷めた目で眺める自分にも気付いていた。
──何をそんなに焦ってるんだ?
ほら、深呼吸しろよ。ただの幻覚に怯えるなんて、みっともないぜ。
常に観察する側であろうとする燈司だが、今日はそれが上手く行かなかった。あくまで客観的な心の声が、自分を責めるように響く。
──今更、両親のことを思い出して感傷的になってるのか?
それとも、まさか聖痕を何とか出来ると本気で思ってるのか?
「うるっさいな……」
雑念を振り払うように、燈司は独り言を呟いた。そして立ち上がり、学校から帰ってきたそのままの格好で家を出る。別に行く当てがあるわけではない。ただ無性にもやもやして、動いていなければどうにかなりそうだったからだ。
──そんなに気になるのなら、確かめに行けば良い。
確かめるのが怖いなんて言わないだろ?
……本当に、うるさい。




