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chap.4 序章Ⅳ

 黒木永吉は、冬川高校軽音部の顧問だった。

 学生時代は荒れた日々を送っていたが、恩師に諭され、自分も教職の道を志すように。

『末永く幸運に恵まれますように』と願いを込めて名付けられた彼が、聖痕を発症してしまうとは何の皮肉か……



 とりあえず警察だろ? 燈司が目配せするが、大翔はその場に釘付けになったように、指一本たりとも動かせないでいた。



「俺だってもっと……! もっとやりたいことあったよ! 酒も女も、全部我慢してたんだ! なのによぉ……! その仕打ちがこれかよチクショオォォ!!」



 何もかも壊れてしまったのだ。彼の中で積み上げてきたものが。

 だから壊すと言わんばかりに、彼は酒瓶を振り上げる。



「……黒木先生ッ!!」



 堪えられなくなって、大翔は彼に駆け寄った。背後から黒木を羽交い絞めにして、なんとか取り押さえる。燈司も慌ててそれに加勢した。高校生の男子二人がかりで押さえられては、如何に力自慢でも容易には抜け出せない。



「離せぇぇぇ! 俺はもう死ぬんだ! お前らに止める権利あんのかよ!!」

「先生落ち着いてください! 俺です、五十嵐大翔です! 軽音部の!」

「大翔だぁ……?」



 黒木はぎょろりと目だけを動かし、大翔を睨みつけた。その血走った目に、大翔は思わず戦慄する。



「俺の邪魔をするなああああ! どうせお前ら、俺のこと笑ってたんだろ!? もうすぐ死んじまう哀れな奴だってなあ!」

「正気に戻ってください! 黒木先生!!」

「お前に俺の何が分かる!! 俺の上辺だけしか知らねえお前に!!」



 ──学生はどいつもこいつも、俺を見下した目をしてやがる。

 お前らのそういう目が嫌いで嫌いで仕方なかった。

 思いっきりぶん殴ってやりたいと何度も思った。それでも教師でいるために、耐えて、耐えて……黒木は次々と恨み言を口にする。

 その時、大翔が押さえ込む手を緩めた。



「先生……殴りたいなら、俺のこと殴ってください。それで少しでも、先生の気が済む、」

「ああああああああ!!」



 黒木の振り回した腕が、大翔の側頭部にぶち当たる。瓶の砕ける音と共に、大翔は仰向けに地面に転がった。



「大翔!! 大丈夫かっ!?」



 燈司はすぐさま黒木から手を離し、大翔のもとへ駆け寄る。大翔はこめかみから血を流しており、痛みで低い呻き声を上げていた。

 今や自由の身となった黒木が、割れた瓶を片手にゆらりと立ち上がる。燈司も立ち上がって相手を睨みつけるが、喧嘩などしたこともないため腰が引けている。



「くっそ……自分の生徒ぶん殴りやがって! お前それでも教師かよ!?」

「うるせえ! 俺はなあ……俺はもうどうだって良いんだよ……!」



 じりじりと距離を詰めてくる黒木。燈司がやぶれかぶれに飛び掛かろうとする直前、大翔が「先生」と声をかけた。



「先生……もう、やめましょうよ。これ以上やったら、もう、戻れなくなる……」

「あぁ……?」

「俺、先生がそんなに無理してんの知らなかった。そこまで頑張って、良い先生やってたって……先生は立派だよ」



 こめかみを押さえながら、大翔は立ち上がる。燈司は慌ててその肩を支えた。

 あまりにも真っ直ぐな大翔の視線に堪えかね、黒木はふいと目を背ける。



「先生が頑張ってきたことは、全部無駄じゃなかった。先生が教えてくれたことは、これからも俺たちの中に生き続けるんです。だから、ここでやめにしましょう。俺の中の先生を、綺麗なままで残してくださいよ……」

「大翔…………」



 大翔の言葉を聞いて、黒木の表情がみるみるうちに変わっていった。溢れんばかりの憎しみはどこかに消え失せ、いつもの若干頼りなさそうな、親しみのある顔に戻っていた。



「殴ったりしてごめんなぁ……生徒殴るなんて俺は、本当に最低な教師だ……」

「先生……」

「人は誰かの中に生き続けられる。こんな大事なことを、大翔から教わるなんてなぁ……」



 黒木はその場にへたり込み、石造りの壁にもたれかかる。すっかり傾いた夕日が、彼を建物ごとオレンジ色に染めていた。



「大翔……お前はいつも落ち着いてて、クールな奴だと思ってたよ。そんな熱さも持ってたとはな。それがあれば大丈夫、演奏にもその熱を込めてみるんだ」

「……はい、先生」

「日葵は……よく気が回るし、皆にも好かれてる。でも自分勝手にならないように、視線を引くよう心掛けないとな。隆成は、たまには真面目に切り替えろよ。詩も周りに合わせる努力をしようなって……伝えてくれるか?」

「……はい」



 大翔は震える声で返事をする。恐らくは、これが彼の最後の言葉になるだろう。死にゆく者が生きる者に託す言葉……

 黒木は微笑んでから、最後に燈司へ目を向けた。



「それから燈司。お前は……」

「あ……いや」



 反射的に、燈司は彼の言葉を遮っていた。予想外の反応に、黒木も大翔も驚きを隠せない。



「あの……俺、そういうの良いんで」

「燈司、先生はお前に……!」

「いや、無理無理! 無理なんで、俺。そういうの、重すぎて背負いきれないんで。俺は俺のことで精一杯なのに、誰かの人生なんてこれ以上……」



 苦笑いする燈司に、黒木は一言「分かった」と告げる。


「最後まで迷惑かけて、悪かったな。先生はこれから警察に行くよ。自分のやったこと、ちゃんと責任取らなくちゃな」

「先生……」



 黒木はスッと立ち上がり、二人に背を向けて歩き出す。その背中は大きかったが、ひどく孤独に映った。



「あー……今日、えるえるの新曲だったか。隆成が喜ぶだろうなあ……俺も、最後に聞きたかったなあ……」

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